5. 市街図と四体の竜

 映像の中、神教騎士と一緒に歩いている雷斗が見えたのは、一分にも満たない、僅かな時間だった。

 ジークさんは自分の机の上に、サッと大きな地図を広げた。レグルノーラの市街図。映像が撮られた場所と、実際の地図を突き合わせる。


「レグルノーラには、厳密に言うと方角がない。平面世界だからね。けれど、それだととても不便だと言うんで、リアレイトの干渉者が便宜的に呼び始めたのが始まり。今ではそれがすっかり定着してる」


 ジークさんが地図を指さし、教えてくれる。


「街は、塔を中心に、四つの地区に分かれている。塔の出入り口側を南として、南側フラウ地区、東側エルーレ地区、北側ニグ・ドラコ地区、西側ルベール地区。それぞれ森を守る竜の名前が付いてる。雷斗がいたのは、ここ。エルーレ地区。古代神教会からもさほど遠くない、商店街の一角だ。このビルはちなみに、この辺り。ニグ・ドラコ地区とルベール地区の境にある」

「結構、遠いね」


 僕が言うと、ジークさんはこくんと頷いた。


「歩いて行こうとは思わないような距離だよ。普通なら、公共交通機関を使う。なんたって、こんなところに」

「ライトのヤツ、神教騎士と普通に会話してないか? 驚いてるとか、怯えてるとか、そんな感じがないのが気になる」


 ノエルさんが僕の後ろで唸っている。

 映像の中で雷斗は、神教騎士と最初は向かい合って、それから何かを話したあと、横並びになって画面から消えていった。まるで、互いの目的が合致したみたいに。


「過去の何度も狙われたはずなのに。これがライトだとしたら、変ですよね」


 マーシャさんも、画面を注視しながら怪訝そうにしている。


「狙われる?」


 後ろの方でアリアナさんが不思議そうに尋ねてきた。


「実は雷斗、僕のいとこなんだけど、“神の子”と勘違いされて古代神教会から何度も命を狙われたことがあるらしいんだ。どうも“気配”が凌……、レグルに似てるらしくて。だから、こんな風に神教騎士と一緒に歩いていること自体、おかしなことなんだけど」

「接触した日付を見ると、雷斗が行方不明になった二日前だ。賞金額はこの後に上がった。何か、ありそうだな」


 ジークさんのひと言に、皆固唾を呑んだ。

 繰り返し再生される映像。商店街、ひと気のない時間帯、白いローブに気づき、駆け寄る雷斗。何度見直しても、雷斗にしか見えないし、雷斗が自分から神教騎士に話しかけているようにしか見えない。


「ライトが教会側に行ったから、額が跳ね上がった……?」


 マーシャさんの呟きが、事務室にやけに響き渡った。

 何故、という言葉が何度も頭をグルグル駆け巡る。

 どういう気持ちで雷斗はゲートをこじ開けて、どういう気持ちで古代神教会の神教騎士と接触したのか。

 考えても考えても、答えは出そうにない。


「――おっと、時間大幅にオーバーしてる。残業付けとくから、今日は終わり。マーシャ、悪いけど、アリアナも連れてってくれ。荷物は魔法で送っとくから」

「仕方ありませんねぇ、ジーク社長の頼みですしぃ」


 帰り支度をしながら答えるマーシャさん。実はまんざらでもなさそうだ。


「明日以降、もう少し踏み込んで調査してみる。今日は休め。やたらと女の子達を夜更かしさせるなよ、マーシャ」


 ジークさんが言うと、マーシャさんは「バレてました?」といたずらっぽく笑うのだった。






 *






 ジークさんの個室に来客用の簡易ベッドを引っ張り出して貰った。流石にソファで寝るのは一日で勘弁してくれと、ノエルさんに怒られたのだ。

 簡素だけど、拘りのインテリアが並ぶ室内は、どことなくジークさんの人柄を表しているようで、居心地が良い。西洋アンティークものが好きだとかで、リアレイトから買い付けて持ち込んでいるらしい。実物大の鎧騎士のオブジェなんて、どこで見つけてくるんだろう。あくまでレプリカなんだとジークさんは言ったけれど、それにしたって迫力がある。


「基本、干渉者は“イメージの具現化”を武器にして戦う。つまり、必要なものは自分で“具現化させる”ってこと。武器や防具、小道具や飯類まで、想像力の強さによって、具現化の精度も変わってくる。そこにある鎧のレプリカも、あの辺に飾ってある剣も、いわば、イメージトレーニングの道具だよ」


 壁に、剣が数本、鞘に入ったまま飾られていた。

 細かい傷やスレがあるところを見ると、実際使われていたものなんじゃないかと思う。


「大河は何かを“具現化”させたことは?」

「……いえ」

「そうか。やっぱり、何も知らされてこなかったのはキツいな。凌がどんな目的であんな真似をしたのかはさておき、言ってたことに間違いはないんだよ。今の大河は弱過ぎる。この前、リアレイトで手合わせしただろ? 身体の使い方がなってない。重心の置き方、移動の仕方で、同じような攻撃でも威力が変わってくる。成長期だし、鍛えればどんどん強くなれそうなんだけど、ベースとしての基礎体力も平均かそれ以下だ。対策を練る必要があるな……」


 ジークさんは独り言のように、どこか遠くを見つめてぽつりと呟いた。



――『弱すぎる』



 夜が更け、眠れない時間がやってくると、凌の放った言葉が増幅して頭の中を支配しようとする。



――『どんなに力を持ってても、使えないんじゃ意味ねぇんだよ』



――『この世界で俺を止められるのは、白い竜の血を引くお前だけだ』



――『もし、俺が世界を滅亡させたなら、それはお前のせいだってことになる。お前が弱すぎるから、世界は破滅した、人類は滅亡した、そういうことになる』



 凌は、どういう気持ちであんな言葉を。

 僕を鼓舞するにはあまりにも痛々しくて、思い出すだけで胸が詰まる。

 でも、もし本当に彼が闇に呑まれているとしたら、今後もっと大変なことが沢山起きてくるはずだ。

 いつだったか、ローラ様の記憶で見た、あの破壊された街。レグルノーラの町並みだけじゃなかった。東京も、破壊されてた。あんなことが本当に、過去にあったんだろうか。歴史の教科書にも載ってない、誰も知らないあの景色が現実になるとしたら。……しかも、かつて世界を救ったという、救世主の手で。



――『強くなって貰わなきゃ困るんだよ』



 凌のこの言葉が、頭の隅っこに引っかかった。






 *






 ジークさん達の朝は早い。

 日が昇る前に起床して、ジョギング、軽い筋トレをこなす。

 昨晩もなかなか寝付けなかったのに、関係なくノエルさんに叩き起こされ、無理矢理一緒に連れ出された。腹を足で蹴るのはやめてくれたけど、ほっぺたをぶっ叩かれて、最悪の目覚めだった。

 “竜の気配”を抑えてくれるリサさんがいない代わりに、ジークさんが一時的に“気配を消す魔法”を施してくれた。その効果が持続している間に戻って来いよとそういう指示で、ノエルさんとジョギングに出た。

 ビルの間から顔を出す朝日はやたら眩しくて、目がしょぼしょぼした。普段からあまり運動は得意じゃないから、直ぐに息も上がる。ノエルさんは結構なスピードで走っていて、僕は必死に付いていく。

 ジークさんとノエルさんは普段から別のコースを走っているそうだ。ルベール地区の商店街を抜けて住宅街のそばまで行き、そのまま同じ道を戻っていく。車も人も疎らな時間帯。“気配”を消して貰ってるお陰で、気兼ねなく走れるのはありがたい。三十分程度走ったところで事務所上のジークさん宅に戻る。

 水分補給した後、リビング横のトレーニングルームで軽い筋トレ。


「壁を分厚くしてあるから、ちょっとした訓練も出来るぜ」


 言いながらノエルさんは、手のひらを上に向け、指をクイクイさせた。


「殴って来いよ、タイガ。オレに一発食らわせてみろ」


 あまり接近戦は得意ではないという話だったけど、ノエルさんはなんだかんだ強かった。殴っても蹴っても直ぐに避けられ、一発も当たらない。それどころか、軽いフットワークでカウンターがどんどん入った。お陰で、僕が攻撃する側だったはずなのに、僕の方がボロボロになった。

 曰く、腰の位置が高い。重心が上にあるとバランスを崩しやすい。下半身を鍛えること。

 更に体幹も弱い。身体がフラフラしているから、直ぐに倒れてしまう。バランス感覚をしっかり身につけなければ相手の攻撃を受けることも難しいだろうとのこと。

 もし仮に平常時に攻撃されたとして、防御のために竜化することだけは避けなければならない。そして出来るなら、人間の姿のままで竜の力だけ引き出せるように、身体作りをしていく必要がある。


「ライトの行方がハッキリ分かるまで、オレがみっちりしごいてやる。いいな」


 ジークさんは朝食前に一旦事務所へ行って、雷斗捜索の下準備をしていたようだ。

 なんでも、音声も拾えるように改良した虫型監視カメラを、古代神教会やその関連施設に飛ばすらしい。

 男性の二人暮らしにしてはバランスの良い朝ご飯をいただきながら、ジークさんの話を聞く。


「古代神教会はレグルノーラの原始宗教、古代レグル神教を信仰する、古い宗教団体なんだ。大河のいる日本で言うところの神社やお寺さんみたいな感じかな。もの凄く信仰してる人もいれば、まぁ、神様がいるとしたら古代神レグルかな、程度の認識の人もたくさんいた。平面世界で更に暗雲に覆われていた時期も長く、季節ってのも殆どなかったこの土地でも、種蒔きや収穫の祈願、新しい年を祝う行事なんかは、教会中心に細々と続いていた。遙か昔、まだ破壊竜が生を為す前には、今みたいに太陽が照って様々な作物が潤沢に生産供給されていたから、その名残。信仰の対象は、古代神レグル。そして、神に仕える四体の竜。昨日話した、各地区に付けられた竜の名前、あっただろ。それ。北のニグ・ドラコは森の支配者と呼ばれる黒い竜。東のエルーレは水の監視者、青い竜。西のルベールは火の守護者、赤い竜。そして南のフラウは砂漠の審判者、黄色い竜。実際目撃した例はないんだけど、まぁ、伝説的に存在して、今は土地の名前として残ってる感じかな。大体、一般市民が目撃する竜の殆どは、市民部隊が飼い慣らしている翼竜と、一部能力者や干渉者が契約しているしもべ竜。野生の竜は、人間がおいそれと近付けない森の奥深くにいて、生態もよく分かってないんだけどね」


「で、その原始宗教が、今みたいな危険思想で凝り固まった武装集団になった理由が、レグル――リョウの存在だって言うんだから、たちが悪い」


 口の中にサンドイッチを放り込み、もぐもぐさせながらノエルさんが言った。


「レグルを森に幽閉したなんてアナウンスしておいて、実際は違ったってのはかなりの驚きだった。奴め、リョウの姿になってあんなことを」

「……まぁ、その辺も気にはなるところだけど、今は雷斗の捜索に力を入れないと。他の仕事そっちのけで探してるんだから、さっさと結果が出ればね。納期遅れると面倒な業者も多いし、その辺、折り合い付けながらかな……」


 ジークさんは頭を掻きむしって、難しそうな顔をしている。

 仕事は仕事でやらなくちゃならない。けど、雷斗のことは、急がないとどうなるか想像も付かない。ジークさんはギリギリのところで必死に方法を探っているんだろう。


「ところで、ジークさん達の会社は具体的にどんな仕事してるんですか」


 確か、『時空の歪みの調査・研究』って雷斗に教えて貰ったけど、結構ザックリしてる気がしていたし、せっかくだから教えて貰えないかと、軽い気持ちで聞いてみた。

 ジークさんは食べかけのサラダをテーブルに置いて、言葉を選んで教えてくれた。


「わかりやすく言うと、干渉者のサポート企業。各分野で二つの世界を行き来してる人材にとって、ゲートの特定や出現情報は必要不可欠だからね。あっちこっちに計測器置いて、時空の歪みを検知、データ化して干渉者や関連企業に送るんだ。あとは、二つの世界の企業連携サポートとか、商品開発サポートとか、手広く色々。でも、主な収入は下の二店舗の賃貸収入と、その他不動産の家賃収入だな。そうでなきゃ、こんなゆるゆる暮らせないよ」


 陣君の姿をしているときは、本当にただの中学生に見えたんだけど、こうしてお邪魔してると、ジークさんは、実は結構凄い人なのだと思う。急に数人転がり込んでも微動だにしないでお金は出すし、困ってる人には手を差し伸べる。面倒見が良い。


「とにかく、雷斗がこっちにいることだけは間違いない。時間の許す限り、あらゆる手を尽くそうと思う。悪いけどその間、ノエルには大河を特訓してやって欲しいんだ。女子チームが来たらまた話すけど、リサの魔法効果の検証と同時進行で頼む」

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