7. 追放

 封印されていたのは“竜の力”だけなのか。

 僕には、本当の両親の記憶が殆どない。

 他人の記憶を垣間見て知ったことばかりで、僕はずっと、彼は実在したのだろうかと自問自答していた。

 悲哀に満ちた表情で、どこか不器用で、でも底知れぬ優しさを持っている。……それが、いろんな人の記憶に触れて感じた、来澄凌という人のイメージだった。


「どういう意味だよ」


 ノエルさんは恐い顔をして、凌を睨み付けた。

 凌は鼻で笑って、


「その言葉通りだ」


 と答えた。


「今すぐに街を壊滅させろと言われたら、何の躊躇もなく破壊できる。だが、今はやらない。それだけのこと」

「リョウ、お前本当は」


「……つまらねぇ」

「は?」

「つまらねぇって言ってんだ。くだらん平和ごっこに付き合わされて。……破壊衝動は常にある。この世界の全てをぶち壊したい。消し去りたい。“神の力”なんて言うがな、結局は使い方次第。平和の象徴? 知らねぇな。人間共は、救世主が破壊竜と同化して“神”へと昇華したなどと言うが、その考えは浅はかだ。気の遠くなるような闇の中で培ってきた負の力は、簡単に消えるもんじゃねぇんだよ。まだどうにか抑えているこの衝動が、いつか爆発するかも知れない。破壊竜の復活が直ぐそこに迫っているとしたらどうだ? 救世主を取り込んで、いつまでも大人しくしていると思った?」


 ギラリと、凌の目が赤く光った。

 ノエルさんが咄嗟に構えている。

 凌はノエルさんに一瞥をくれて、それからゆっくりと僕の方に歩み寄ってきた。

 何を考えているのか、色が全く見えないのはもの凄く不安だ。無色透明? 僕に何も感じさせないよう、わざとそういう魔法を使ってる?

 凌が、僕の真ん前に立った。

 威圧感。

 圧倒的存在感。

 押しつぶされそうになるのを、必死に両足で耐える。


「弱すぎる」


 ポツリと放ったその言葉が、僕の心臓に突き刺さった。


「シバの野郎が悪い。庇護しすぎて何にも教えねぇからこういうことになる。何が“上位干渉者のシバ様”だ。肩書きに踊らされ、本来すべきことを見失った、あいつの責任は重い。その結果、現段階で、実力は雷斗の方が上とか。どんなに力を持ってても、使えないんじゃ意味ねぇんだよ。なぁ、大河。そう思わねぇか」


 正論だった。

 言い訳なんか、出来そうにもない。


「この世界で俺を止められるのは、白い竜の血を引くお前だけだ。この意味、分かる?」


 凌は身をかがめて、僕の耳元に直接囁いた。


「もし、俺が世界を滅亡させたなら、それはお前のせいだってことになる。お前が弱すぎるから、世界は破滅した、人類は滅亡した、そういうことになる。……つまんねぇよなぁ、そんなの。強くなって貰わなきゃ困るんだよ。全然面白くない」


 身の毛がよだった。

 息が止まりそうだった。

 血流が悪くなって、脳が酸欠を起こしそうだった。


「俺がお前の存在に恐怖するくらい、強くなれよ。そんで、俺のことを全力で止めに来い。お前になら分かるはずだ。この姿を保つの、結構しんどいんだよ。けどさ、こんなところで本当の姿晒したら、こんなもんじゃ済まなくなる。自重してるんだ。意味、分かるよな」


 ゆっくりと目線をずらし、凌を見る。

 暗闇の中で薄ら笑っているのが見えて、背筋に悪寒が走った。

 凌は姿勢を戻し、僕に背を向けた。

 そして、わかりやすく大きなため息をついた。


「非力な小竜にたかが炎一回吹き付けられただけで、この有様とは。脆いねぇ」


 背伸びまでして。

 この人は、どこまでも挑発してくる。


「じゃ、行くわ。何にも出来ない息子には心底失望させられたけど、言い換えれば伸びしろがある、……だっけ? せいぜい頑張って力を使いこなして、俺のこと殺しに来て貰わねぇと。うっかり、先に世界を滅亡させるかも知んねぇから。頼むぜ、保護者さん達」


 あ、あれ。

 もしかして、行っちゃう。

 何も話せないまま。ただ言われっぱなしのまま。


「――凌!」


 僕は咄嗟に声を上げた。

 凌は足を止め、僕に半分だけ振り返った。

 冷たい目。

 今は、誰なんだろう。この人は、どのタイミングで人格を入れ替えてるんだろう。

 分からない。

 けれど。


「僕のこと、何度も励ましてくれたよね。救ってくれたこともあった。本当は、こんな恐い人じゃなくて」

「……救った? 誰が」


 眉をハの字にして、明らかに不機嫌そうな顔を向けてくる。

 僕は、それ以上何も言えなかった。

 凌はプイッとそっぽを向いて、そのまま、破壊された門扉の方向へと歩いて行って――、途中で、フッと姿を消してしまったのだった。

 しばらく、凌の消えた方を見ていた。

 一体、彼は何が言いたかったのか。

 挑発? 手を差し伸べた? 行動の意味が、よく分からない。

 意味があるようなないような。

 そもそもアレは誰だった?

 緊張と恐怖で困惑して、酸素不足になってて、全然頭が回らない。

 僕だけじゃなくて、その場にいた誰もがそこに立ち尽くすしかなかった。

 リサさんにしろ、ノエルさんにしろ、ディアナ校長、アリアナさん、そして消火の手を止めて様子を見ていたジークさんにしろ、それはあまりにも衝撃的な時間で、しばらくの間、言葉を発することさえ難しかった。


 救急車両や街灯、あちこちで燻る火に照らされて、壊れた校舎や寮がよく見える。

 学校の陰からズンズンと大股で歩くグレーのローブの男と、その後ろに数人の影が見えて、僕らの視線は自然とそちらの方に向いた。鼻息荒くやって来たのは、クライブ先生。シバのことを目の敵にしていた、白髪交じりの彼だった。

 クライブ先生は一緒に来た他の先生方と、何やら大声で言い合いながら近付いてきた。一様に怒りの赤や困惑の青紫色を漂わせている。

 現実に引き戻された僕らは、静かにそのやりとりを聞いた。


「ここは学校で、被害者が出てる。この状況で校長が突っぱねるようなら、進退を問うべきだと私は言ってるんです」

「それはそうですけど」

「白い竜、ハッキリと見ました、見たでしょう」

「クライブ先生、ここはあくまで校長の意思を尊重して」

「そういう甘っちょろい考えで良いと思ってるんですか。生徒の命がかかってるわけですよ」


 クライブ先生は、如何にも我慢がならない様子で、ディアナ校長の真ん前まで来て、両手を腰に当て、怒鳴り散らした。


「シバの息子などと! 我々を誤魔化し、“神の子”の出入り自由を許可した責任は大きいですよ、ディアナ校長」


 僕の方を指さし、もの凄い剣幕でディアナ校長に迫っている。

 何も言い返せない。

 僕は顔をそらして歯を食いしばった。


「……もっともだ。お前の言うことはもっともだ、クライブ。私が悪い」

「能力者がやたら“竜のような気配”なんて言うんで、おかしいと噂していたところで、これだ。“竜のような”じゃない、“竜”だ。しかも禍々しい白い竜! 学校を破壊した! 生徒の生活のよりどころである寮も、めちゃくちゃだ! モニカ先生にただしました。“神の子”は、まだ力の使い方も分からない、自分じゃ調節の仕方も分からないような状況だって言うじゃないですか! 教える? ここで? ばかばかしい! ここは学校だ。竜を調教するような場所じゃない!」


 調教。

 そうか、僕はそういう扱い。


「しかも、塔からの正式な要請じゃない。シバ個人からのお願いだったそうじゃないですか。職権乱用もはなはだしいと塔に抗議しましたよ! あの胡散臭い干渉者め、とんでもないことをしてくれた。よりによってあなたは、素直にそれを聞き入れた! 責任を取ってください責任を! まさかこの期に及んで、危険な“神の子”を庇い続けるおつもりですか? 化け物だ! ご覧なさい、校長! 力の加減も知らない化け物ですよ! こんなもの、学校で受け入れるわけにはいかないことが、誰の目にも明らかでしょう?」


 クライブ先生の主張は正論過ぎた。

 彼が何を言い出すのか、そのひと言ひと言にハラハラしている同行者の先生方。普段から結構ズケズケ言う人だと、リサさんが言っていた。

 それにしたって、この言い方、トゲがあるどころの話じゃない。

 ディアナ校長はクライブ先生の話を頷きながらじっと聞いていた。


「……で、塔には確認したのだろう? 塔は、“神の子”を必要としていたはずだ。塔の魔女も、学校での受け入れには理解を示していたはずだが」

「ええ、確認しましたとも。塔の魔女曰く、“神の子”には邪悪な力は感じられなかった、と。だが、この騒ぎで、看過できなくなったとも。これ以上の“神の子”との接触を禁止するほかあるまいと、そういう見解でした。それが出来ないようであれば、魔法学校という施設のあり方も考えていかねばならない。大勢の子ども達の未来と、白い竜の化け物と、どちらが大切なのか。分からないとは言わせませんよ!」


 うんうんと、ディアナ校長は相づちを打った。

 そして少しだけ長いため息をついた。


「答えは最初から、ひとつしかない。分かっている。もう、無理だ。私には、大河、お前の存在を庇いきれない」


 言いながら、ディアナ校長は僕の方に顔を向けた。


「ここにはもう、立ち入るな。私には近付くな。出て行ってくれ」


 泣きそうな、顔をしていた。

 悲しみの色を漂わせ、苦しみの色を漂わせ、目を潤ませて僕の方を見ている。


「聞いただろう、出て行け。白い竜め」


 クライブ先生は、そう言って僕を睨み付けた。

 恐い顔。でも、全然恐くなんかない。本当の恐怖の後じゃ、ただの張りぼてに見える。


「出て行けってさ。ほら、行くぞ」


 ノエルさんがズンズン近付いてきて、僕の腕をがしっと掴んだ。

 怒りの色。だけど、ほんのちょっとだけ。

 引っ張られて、足をもつれさせながら、僕はノエルさんの後に続く。


「リサも、行きなさい。お前には大事な役目があるようだ。記憶がなかった理由、聞けて良かった。大河を、守ってやっておくれ」


 後ろの方で、ディアナ校長がリサさんにそう言っているのが聞こえた。


「はい」


 リサさんはハッキリと返事して、それから僕らの方に駆け寄ってきた。

 管理棟の近くで待機していたジークさんのところで僕らは合流し、一度学校の方を振り返った。

 荘厳だった校舎の無残な姿。壊れた寮。安心して眠れる場所を失った子ども達の泣き声。緊急車両の赤色灯。上空にはヘリコプターに似た乗り物や、市民部隊の竜が旋回している。

 火は殆ど消えていた。

 明るくならないと被害の全容は分からないに違いない。

 ディアナ校長とアリアナさんが、後ろ髪引かれるような顔でこっちを見ている。

 クライブ先生は怒りをあらわにして、他の先生方は困惑の色で身を固めている。

 これは、白い竜として、僕がこれからも見続ける景色なのかも知れない。

 

 

――『どんなに力を持ってても、使えないんじゃ意味ねぇんだよ。なぁ、大河。そう思わねぇか』



 凌が放った言葉が、今になって苦しいくらい突き刺さった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る