6. 竜石の娘

 ゴオオッと激しい炎が勢いよく噴射した。

 視界いっぱいに炎が広がり、凌の身体は激しい炎に包まれた。

 僕はもう一発、追加で炎を吹き付けてやろうと、再度息を大きく吸い込んだ――そこで、何者かに身体を拘束された。

 竜の身体だぞ?

 長い首を捻って振り向くと、淡い緑色を纏った岩の巨人が、背後から僕を羽交い締めにしているのが見えた。


「クソガキがッ! 周囲を見ろ! これ以上やったら、みんな巻き添えを喰らう」


 どこからか、ノエルさんの声がする。

 管理棟側の草地。魔法陣を地面に描き、そこから巨人を出現させたらしい。先に出した狼二頭は、いつの間にか消え去っていた。

 ノエルさんに言われて、僕はハッとして周囲を見渡した。

 芝が焼け、木々にも火が燃え移り、炎で学校の一部が焼け焦げていた。建物の内部で何かに引火して、更にどんどん火が燃え広がっているのが見える。

 生徒達の叫び声、大人達の怒号と、救助に向かう人々の声。


「頭を冷やせ! 何言われるがままに破壊活動してるんだ!」


 ぶん殴られたみたいに、僕は衝撃を受けた。

 そうだ。

 言いなりになって、興奮して、僕はとんでもないことをしてる。

 凌は。凌はどうなった。

 慌てて視線を戻し、炎を当てた場所を見る。

 焼け野原だ。綺麗だっただろう校庭が、見るも無惨に踏み潰されて、あちこちに火が付き、パチパチと火花を散らしている。

 ジークさんが近くで水の魔法を使い、火を消しているのが見える。

 学校の先生だろうか、数人、同じように建物の中から外から、魔法を駆使して火を消している。


「アハハハッ! 破壊活動? これが? この程度が? ばっかじゃねぇの。こんなの、ただのお遊びだよ、なぁ、大河」


 炎を払い、両手を大きく広げて、凌は悠々とそこに立っていた。

 傷一つない。


「リョウ、てめぇ!」


 ノエルさんが叫ぶと、また凌はスッとノエルさんの真ん前に現れる。

 そうして、握り拳を作るノエルさんに向かって、


「殴りたい?」


 とニヤニヤしながら近付いていた。


「殴れば良いじゃん。その貧弱な拳で、思いっきり殴ってみろよ。初めて会った時みたいにさぁ、全力でぶつかってくれば良いじゃん。それともアレか? 流石に分かっちゃった? 全然、適わない、向かうだけ無駄ってことに」


 煽られても、ノエルさんはグッと堪えている。


「あはは。良いよ良いよ、その顔。最高。俺のこと、憎くて仕方ないんだろ? 憎めば良い。もっと憎めよ、そしてどんどん、感情を溢れさせてしまえば良い。お前ら人間の負の感情は、俺の力になるんだから。面白ぇ。待ってた、待ってたんだよ、こういうの。平和とかさぁ、安寧とかさぁ! 適当に綺麗な言葉並べて誤魔化して。所詮人間て生き物は浅ましく、愚かしくあるものだ。大人しくしてりゃあ、くっだらねぇ正義なんか振りかざして、力もないくせに偉そうにしやがって。反吐が出る」


 僕は我慢がならなかった。

 こいつ、凌の声と顔で、とんでもないことばっか。

 捻り潰してやる、そう思って伸ばそうとした手が、岩の巨人に阻まれて、全然動かない。

 ノエルさんが、僕を必死に止めている。

 これ以上僕が動けば、もっとめちゃくちゃになる。分かっているから、必死に止めている。

 それでも。

 あんなの、許せるわけが。


「――これは一体、どういうことだい?」


 低い女の声が、僕の思考をぶった切った。

 校舎の方から、赤いローブの人影が近付いてくるのが見えた。

 ディアナ校長。

 後ろからくっついてくるのは、リサさんと、アリアナさん。なんで戻って。


「我を失って白い竜に変化へんげしたか、大河。にしても、やり過ぎだ……!」


 怒りと憤りで、ディアナ校長は赤い色を全身に纏っている。

 ズンズンと大股で歩く校長の真ん前に、凌はまた、スッと移動して行く手を阻んだ。


「凌……!」


 ディアナ校長は明らかに動揺して、よろめいた。倒れそうになるのを、後ろにいたアリアナさんがサッと支えた。


「やぁ、ディアナ。老けた?」


 腰に手を当て、まじまじと上から覗き込むようにして、凌はディアナ校長を見下ろしていた。

 僕の方からは見えないけれど、炎に照らされ、凌の顔はハッキリ見えているに違いない。

 ディアナ校長は怒りの色を全部消して、一気に色を恐怖にすくむ寒色系へと変化させてしまった。


「凌、何故ここに。お前は今、森の奥に」


「幽閉されてると思った? 残念。息子がさぁ、リアレイトを捨ててレグルノーラにやって来たみたいだから、嬉しくなって飛んできたんだよ。なんで内緒にしてたんだ? 早いとこ教えてあげたら良かったのに。『お前は狂った破壊竜に乗っ取られた父親をぶっ殺すための駒だ』って」


 ……やめて。

 リサさんに聞かれた。アリアナさんにも聞かれた。

 こんな風に、竜になっているところだって、本当は見られたくないのに。


「何にも知らなかったから、相当悩んだみたいだぜ? 言わないのって優しさ? ねぇ、教えてよ。優しくされて、傷ついてちゃ意味ないよな。優しくしてたつもり? それって結局自己満足。無意味だろ」

「わ、私は! 大河を駒だなんて一度も」


「じゃあ聞くけど、ディアナ。お前が大河の“特性”弾いてる理由は? 都合の悪いことを伝えたくないってのが本音だろ。シバもそうだ。あいつはもっと最悪だ。あいつは俺をぶっ殺させるために大河を育てた。普通の親子みたいにして、大河を現実から背けた。優しい? 違う。ぬるい。強くしなきゃならなかったんじゃねぇのか、大河を。そうしないと面倒になると分かってて、それでも何もしなかった。あいつは塔に入り浸って、教会の動きを探って、大河をリアレイトに封じ込めた。なんでもっと強くしとかなかった。――弱ぇんだよ! 竜化しても自分でコントロールすら出来ねぇ、恐らく具現化なんて何一つ出来やしねぇ! つまんねぇなぁ! もっと面白くして貰わねぇと困るんだけど」


「何を……、言ってる。私は、大河を、凌の、救世主の意志を継ぐ者として」


「意思なんか継げるわけねぇだろ。そんなもの、微塵も伝えちゃいない。どうやって意志を継ぐ? 理想と現実の区別も付かなくなったか? それとも、正義の味方でありたかった? 意思決定の権限もない、何の罪もない小さな子どもに、世界の命運をかけさせるしか平和を守る術がないと知っていて、お前は理想だけを押しつけて、自分の後ろめたい部分を隠そうとした。だから! 大河には心を読ませなかった。シバも! 塔や塔の魔女が考える、最終兵器としての白い竜の扱いに、何の反論もせずに同調した! 俺が何も知らないと思って、下らん戦略を立て、満足した。そして何も知らされず、大河はリアレイトを捨てる羽目になった。……お前の責任だぜ、ディアナ。もっと早くから調教してりゃ、大河もこんな風に市中で竜化することなんてなかったのになぁ」


 この人は、何なんだ。

 凌なのか、ドレグ・ルゴラと呼ばれた破壊竜なのか、レグルなのか。

 なんで全部知ってるんだ。

 森の奥深くにいたのに?

 ……違うのか。こいつが言うように、実はある程度の自由があって、こうやって人間の姿に化けてあっちこっち出没しては話を聞いていたのだろうか。


「――フフッ。変な顔しちゃって。美しい顔が台無しだぜ、ディアナ」


 凌はディアナ校長にそっと手を伸ばした。けど、その手を、校長はパシッとはねのけた。


「つれないなぁ。年頃のお嬢さん方の前なんだからさぁ、悪い男のあしらい方くらい教えてやれよ」


 消火活動で慌ただしい校舎や寮から、僕らのいる門扉側とは逆の、中庭の方へ人が流れているのが見えた。避難、救助活動は順調なようで、それでも多くの人が怪我をしたのだと思う。サイレンの音がひっきりなしにしている。

 学校の門扉はもう一カ所、裏口が川沿いにあって、そこに救急車両が列をなしている。

 白い竜になった僕は、岩の巨人に羽交い締めにされたまま、事態を見守るしかなかった。

 竜になると、言葉も話せない。叫べば突風か炎が噴き出す。そうしたら、また被害が大きくなる。悔しいけど、理性がまだある今は、必死に耐えるしかないわけで。


「でもまぁ、楽しませて貰った。この格好も久々だったし、人間とまともに会話するのも、本当に久しぶり。レグルの格好じゃ、誰もまともに目も合わせねぇ。大事なんだな、見てくれとかさぁ。でも、だからと言って、見た目で差別していいわけじゃねぇからな。……大河もこの先、もっと苦しむことになる。竜の力がコントロール出来ねぇとか、そんなことを言ってる場合じゃなくなってくる。――そこの女」


 凌の視線が、リサさんに向いた。

 リサさんはビクッと肩を震わせて、何歩か後退った。


「“竜石の娘”、大河を元に戻してやれ」

「え?」

「創造主の顔も忘れたのか。……って、そっか。レグルの姿だったから」


 ばつが悪そうに、凌は頭をボリボリ掻いて、それから、リサさんに早く動くよう、手で合図した。

 リサさんは頭を傾げながら僕の方に向かってきた。

 初めは小走りで、近くなってくると慎重に、リサさんは歩を進めた。そうして足下までやって来た彼女は、胸を両手で押さえながら僕を見上げた。

 胸の辺りを中心に、リサさんの身体がぼやっと赤い光を帯びている。


「竜の身体に手を当てて、胸の魔法陣の辺りにもう片方の手を当てる。そして、竜から自分へ力が流れるよう、イメージをする。やっぱり、解放時のトラブルで記憶が欠落してる。ミスったな。いいからやってみろ」


 岩の巨人が、僕からゆっくりと手を離した。

 ノエルさんの方をチラリと見ると、顎をぷいっとリサさんの方に向けて、良いから従ってみろと目で合図してくる。

 僕はゆっくりと首を低くして、リサさんの近くまで頭を持っていった。


「大河君、だよね?」


 リサさんは不安そうな顔で、僕の方を見ていた。

 喋れない僕は、瞬きで返事する。

 みんなが見守る中、リサさんは恐る恐る僕に手を伸ばした。頬にリサさんの右手が触れる。


「こ、こう……?」


 左手は胸に。

 魔法陣の赤い光がどんどん強くなって、彼女自身が強い赤色を発し始める。これは、僕だけに見える色じゃない。光ってる、光を帯びている。


「た、大河君、どうしよう。私、光ってる……!」


 膨れ上がっていた竜の力が、どんどんと吸い取られていく。

 身体が徐々に縮まって、元に戻っていく。

 塔の上空で自分で力を押さえ込み、必死の思いで人間の姿に戻った、あのときよりもずっと簡単に、負担なく、身体が軽くなっていくのが分かった。

 頭痛があるでもない、吐き気すらなくて。

 鱗が消えていく。角も、羽も、どんどん縮んで見えなくなっていく。


「――リサさん!」


 僕は久しぶりに、人間の声を発していた。

 リサさんをぎゅっと抱きしめていた。


「戻ってる。大河君、戻ってる……!」


 リサさんが抱き返してくれる。

 彼女の身体からも、光が消えていた。


「魔法生物。彼女、竜石から生成した魔法生物か」


 駆け寄ってきたノエルさんが、急におかしなことを言い出した。

 凌はハハッと嬉しそうに笑って、


「当たり」


 と言った。


「流石、自分の魔力から幻獣を生成するノエルには、分かったみたいだな。幼い頃から竜化しやすい体質だった大河には、封印魔法をかけていたんだ。まぁ、それも万全って訳じゃなくて。結局、大河の力の増幅に耐えられなくなって、緩んでたようだけど。一番の問題は、大河に流れる白い竜の血が濃すぎたこと。低年齢で覚醒すれば、恐らく身体への負担が免れない。竜石が必要だった。しかも、身体に埋め込む程度の量じゃ、絶対に間に合わない。常に持ち歩く、携帯させる必要がある。しかし、そんなにでかい荷物を持ち歩いたんじゃ、かえって負担が大きくなる。だから竜石を魔法生物として生成させ、大河をサポートさせる方法をとった。完成まで、かなり時間を要した。人間の姿にして、命を吹き込み、知識と記憶を植え付けたはずだったのに。頼んだヤツがしくじった。何らかの事故があって、記憶が欠落した。でもま……、案外、上手くいくもんだ。“神の力”も伊達じゃない」


 まだ、あちこちで火が燻っていた。僕はようやく、炎に照らされた凌の顔をハッキリと見た。

 ……あれ?

 ちょ、ちょっと待って。

 何だ。どうして、どうして全身が震えて。

 ――バサッと、何かを放り投げられた。僕の顔に、何か柔らかいものが当たって、地面に落ちた。


「隠せよ。下。レディの前だぞ」


 凌に言われて、僕は「うわっ」と声を上げた。

 真っ裸だ。

 最悪!

 アリアナさんが両手で顔を隠している。

 リサさんも口を手で押さえて。

 サッとタオルを拾って、腰に巻く。そうだ、竜化すると、全部裂けるんだ。今後の、課題だ。


「なぁ、お前、誰なんだ」


 ノエルさんが聞くと、凌はハハハッと乾いた笑い声を上げた。


「誰だと思う?」


 最初は違った。

 絶対に、凌だけど、凌じゃなかったはずだ。

 だけど途中から、何か違っていた。それがどこで、一体どう違っていたのか、説明するのはとても難しいけれど。


「リョウの人格は、失われたわけじゃないってことだよな。お前、リョウだよな」


 ノエルさんの言葉に、ディアナ校長が、膝から崩れ落ちた。


「もし仮に、俺が凌だったとしても、大河は俺を殺しに来なきゃならない」


 凌はそう言って、静かに笑った。

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