5. “化け物”
今、何と言った。
こいつは凌の姿と声で、僕に何を言った。
「大河、離れろ!」
ジークさんの声に気付いた。その瞬間に、僕は吹き飛ばされていた。
茂みから弾かれ、草地にまで転がった。
ジークさんが風の魔法で、咄嗟に僕を吹き飛ばしたらしい。
「闇の魔法をかけようとしてたの、見えなかったか?」
頭を抱えて起き上がりながら、僕は必死に状況を整理した。
そうだ。うっかり、吸い込まれそうになってた。
あいつの、色も記憶も見えない真っ暗闇に。
「君達は逃げて。あれは、人類の敵だ」
ジークさんが話しかけてるのは、リサさんとアリアナさん。二人とも、手を取り合って学校側へ走っていく。
茂みの方から、バキバキッと、木々が折れる音がした。
魔法の光を帯びた大きな狼が二頭、木立を抜けて凌に向かって襲いかかっている。その攻撃が到達する前に、凌は狼達をはじき返した。次々に狼達が細い木にぶち当たると、メキメキッと音を立てて根元から木が折れていた。
ノエルさんは召喚魔法が得意だと言っていた。召喚、とは言うけれど、狼達は生き物と言うより、魔法で生成されたように見えなくもない。
「効かないな、ノエル。直接戦うのは、まだ苦手か?」
凌はノエルさんの真ん前に移動していた。
転移魔法? にしては速すぎる。
強面のノエルさんが、身体を硬くして動けなくなっていた。じりじりと迫られ、それだけで圧倒されてしまうんだ。
「幻獣生成の精度は上がった。褒めてやろう。だが、術者を仕留めれば、どうか」
言いながら、凌はまた右手を突き出す。
術にハマったのか、ノエルさんは全く動こうとしない。
狼達も動きを止めてしまっている。
「ノエル、逃げろ!」
ジークさんは魔法を放とうとした、その瞬間に、凌が真横に現れる。
凌はジークさんの腕を掴み、発動しかけの魔法を消滅させてしまった。
「正義感の強さは素晴らしい。誰にも惑わされず、常に自分の信じた方向へ進む。ジーク、君は私の憧れだった。大河が君と縁を持ったことを、誇らしく思うよ」
「……誰だ、君は。凌じゃない、凌はそんな話し方をしない」
ジークさんは凌を睨み付けていた。
ハハハッと凌は乾いたように笑う。
「話し方なんて。どうでも良いだろ。もっと凌に寄せた方が良いか? その方がもっと絶望する」
「趣味悪いな。幽閉されてるって話は嘘か」
「幽閉なんて。古代神教会が体裁を整えるために使った方便だ。創造主としての古代神レグルを崇拝している彼らにとって、俺は姿だけを似せたまがいものなのか、それとも本当に“神の力”を授かった本物に似た存在なのか、判別が付かなかった。宗教とはそもそも、そういうものだ。神話だって、作り話なのか真実なのか、誰にも分からない。心のよりどころとしての崇拝には理解を示さないでもないが、その真偽の判定に付き合わされるのはゴメンだ。だから、言ってやった。『俺がもし、神話における白い半竜でないとしたら、殺す手段は持っているのか』と。ヤツらは震え上がった。仮に本当に俺が世界の意志に従って“神の力”を授けられた者なのだとしたら、崇拝する古代神レグルを冒涜することになる。困り果てたヤツらは、俺を捕らえて森の奥へ押し込めた。その程度のことだ」
「……なるほど。そして更に、けしかけたのか。『白い竜を倒すには白い竜』。混乱、しただろうな。そして同じことを、塔でもやった。塔も教会も“神の子”を欲した。そして、雷斗や大河が巻き込まれた」
「雷斗が巻き込まれたのは、あいつの力が元々強かったからだ。勘違いするヤツらが悪い」
「だろうけど。……クソッ! 全部繋がった」
古代神教会とレグルが見せていたという、不穏な動き。教会は随分前からレグルの存在に疑念を抱いていた。レグルと名乗る白い半竜を牽制するために、いや、殺すために、同じく白い半竜である僕を欲した。塔も同じだった。ローラ様が言った。
結局僕は。
そういうことだ。
思っていたとおり、最悪のシナリオのとおり。
僕はレグルを、かつてドレグ・ルゴラと呼ばれたあの破壊竜を、凌を、止めるために。
「全部繋がった、その後はどうする? どうにか出来るのか」
ケタケタと、凌が嗤う。
「その格好は、やめろ」
凌の腕をどうにか振り払い、ジークさんは銃を構えた。魔法により具現化させたのだろうか、一瞬、手元が光っていた。
「銃を持つ手が震えてるぞ。そんなに嫌か、この姿が。じゃあ、レグルになってみる? そっちの方がやりづらくないか?」
高笑いしてる。
なんだ、こいつ。
――“化け物”?
全身に悪寒が走った。
絶対敵にしちゃダメなヤツ。頭のおかしいヤツ。ネジのぶっ飛んだヤツ。
「大河はどっちがいい? 凌とレグル、どっちの方がやりやすい?」
目の前にいた。
また移動した。
ヤバい。ヤバすぎるぞ、こいつ。
凌はニタニタと嗤いながら、僕の方にゆっくりと手を伸ばした。
「……なんだぁ、竜になりかけてるじゃないか」
フードを取られた。
マズい。
必死に心を落ち着けていたはずなのに。
「白い鱗」
凌の手が、僕の首に触れる。
僕の鱗の感触を確かめるように、首筋から頬に向け、ゆっくりと指を這わせてくる。
「興奮状態に陥ると、少しずつ浮かび上がってくる。力が強くなればなるほど、その頻度は増す。その程度の竜石じゃ、抑えきれなくなってきてるはずだ。そのくらい強いんだよ、白い竜の血は。救世主か、破壊竜か。選んだところで、その両方を受け継いでいる事実に変わりはない。気分はどうだ? 世の中が全部、お前のせいでおかしくなっていく。なぁ、どんな気分? 俺のこと、殺したくなってきた?」
わざとだ。
わざと呷って、僕を興奮させようとしてる。
顔を見るな、声を聞くな。こいつは、凌だけど凌じゃない。
身体の中から溢れ出していく力を押さえ込もうと、右手で胸の、竜石の埋め込まれた辺りを抑えた。だけど、力は収まるどころか、どんどん膨れ上がっていく。一度竜化が始まると、心がしっかり落ち着くまで、なかなか元に戻れないんだ。分かっているのに。
「中途半端は苦しいだろう? 見せてみろよ。お前の本性を」
耳元で、囁かれる。
頭の中で、何かが爆発するような音を聞いた。
心臓が締め付けられていく。息が、苦しい。頭が、割れるように痛い。
「あ、あぁ……ッ!」
両手で頭を抱えて、僕は立っていることさえ危うくなっていた。
なんだ、なんだなんだ。
ローラ様の闇の魔法とも違う、強制的に、僕の力を内側から解放させようとしているのがわかる。
溢れ出していく。
竜化を止めなくちゃならないのに、頭が、真っ白になって、何も考えられなくなってきた。
身体が、変に震えた。
大量に取り込んでしまった湖の水が、竜の血と共に、僕の中で暴れ出している。
「なぁ、面白いと思わないか。人間共は白い竜である俺を憎んだ、恐れた、拒んだ。なのに、俺を倒すために同じ白い竜を求めるんだよ、必要とするんだよ。結局、同じことの繰り返しだ。“神”だのなんだの、訳の分からん人間共の茶番に付き合うのはもうやめだ」
風が、吹き始めた。
これは僕が巻き起こしている風だ。
今までの竜化とは違う、思念体じゃない、僕の身体が、本体が竜になろうとしている。
頭の中でコポコポと、水の音が響いていた。これは、湖の水の音。あの、ねっとりとした、全身に絡みついてくるような水が、僕の細胞の一つ一つを刺激して、僕を竜に変えようとする。
「どうなると思う? 人間共はどんな反応をすると思う? ローラがやったみたいに、あんな人目の付かない空の上じゃなくてさ、レグルノーラのど真ん中、塔のそばにある、元・塔の魔女が運営する魔法学校の敷地で、白い竜が暴れ出すんだ。再び動き出した破壊竜ドレグ・ルゴラを倒すために存在する、なんて崇高な目的を、一般市民は知らない。白い竜に苦しめられた記憶のみが残っている。人間共に、お前はどう映る? なぁ、面白くなってきただろう?」
ビリビリと、服が裂けた。
身体が膨れ、背中の羽が勢いよく広がった。
全身を、鱗が包んでいく。
「……ぁぁああアアッ!!!!」
人間の言葉を失う。
視線が、どんどん高くなる。
「叫べ、唸れ! ハハハッ! 人が寄ってきたぞ。ギャラリーは多い方が愉しいもんなぁ」
こいつの、凌の皮を被った破壊竜の、思い通りにはならない。
思っているのに、全然ダメだ。
竜化が、止まらない……!
――『本当にかの竜が破壊竜としての力を失ったのかどうか、誰にも分からないのです』
ローラ様が言ってたとおりだった。
凌と同化して、大人しくしてただけ。本性は何ら変わらない、悪意の塊。
――『あの身体の中で、あなたとゼン、それからレグル、三つの意識の力関係、おかしくなってきてるんでしょ?』
どこかでバランスが崩れた。
凌の意識が極端に薄れて、リアレイトでも姿を保てなくなった。
同化して生まれたレグルの人格を、ドレグ・ルゴラが乗っ取っていった。
何だよ。何の冗談だよ。
何が救世主だ、何が“神の力”だ。
結局、利用されてるだけだったんじゃないのか。――この、忌々しくずる賢い破壊竜に……!!!!
夜の静寂を割くように、白い竜になった僕は、力の限り咆哮していた。
足下で高笑いしていた凌を、僕は鷲掴みにしようと、思いっきり手を伸ばす。けど、掴もうとした瞬間に姿はなく、白い巨体が前のめりになり、地面に付いた前足で周辺の背の低い木々が粉々に砕けた。
ジークさんが魔法陣を展開し、何かの呪文を書き込んでいるのが見える。銀色? 見たことのない種類の魔法。全ての文字が埋まり、魔法が発動される。光のシャワーが、僕に矢のように向かってくる。
けど、光は全部僕の身体を突き抜けて、全然ダメージが入らない。
「クソッ、効かない」
悔しそうに吐くジークさんの真横に、凌が立っている。
「
またケラケラと笑っている。
「その姿をやめろと言った!」
「ハハッ、厳しいねぇ、ジーク。俺は昔から、こうやって同化した人間の姿を利用してきた。今はそれが凌だってだけ。気にすんなよ」
「んなこと、出来るか!」
僕に向けていたのと同じ魔法を、今度は凌に向ける。
聖なる光のシャワーが、凌の全身に激しく突き刺さった。が、光は吸収されていくばかりで、全然ダメージが入っているようには見えない。
ジークさんは「嘘だろ」と、数歩後退っていた。
「闇は光を吸収するんだよ。その程度の光じゃ、闇は消せない」
ジークさんが危ない。
僕は身体を捻った。
と、巨大な尾が木々をなぎ倒し、魔法学校の校舎の一部まで損壊させた。
クソッ! 僕は自分で、自分の行動範囲も分からないのか。
市民部隊の跨がっていた翼竜と大差ない、もしかしたらそれよりも少し大きい。何もない上空で感じたのと、自分が実際市街地で
学校や寮の窓から、騒ぎを聞きつけて沢山の人がこちらを見ている。奇異なものを見る目で。
数発、僕の方目掛けて銃弾が飛んだ。
硬い鱗が弾を跳ね返したが、その数は次第に増した。
学校から、外から、次々に大人達が武装した格好で集まって、僕目掛けて攻撃してくる。
魔法が放たれる。火の魔法、氷の魔法、光の魔法、風の魔法。
けどそのどれもが、全然効きやしない。
無駄だ。無駄なんだ。腕の立つ程度の普通の人間が放った攻撃なんて、白い竜には全然効かない。つまり、凌にも効くわけがない。あいつの場合は、人間の姿でも全然効いてなかった。僕より更に上。かなりエグいってことだ……!
僕は再び咆哮した。
途端に、ぶわっと風が吹き出して、木々や校庭のベンチが宙に舞った。校舎や寮の窓ガラスが次々に割れ、人々の悲鳴が響き渡る。
「すげぇな、最高! 面白ぇ!」
また足下に、凌が移動してきていた。
僕を見上げて、腹を抱えて笑っている。
「もっとやれよ、大河! ぶち壊せ、めちゃくちゃにしろ! そんでさ、言ってやれよ。何が『白い竜には白い竜』だって。人間共が何を期待してるんだ、自分には破壊竜の血が濃く流れてる。自分こそが破壊竜で、人間には何の希望もないんだってことを、ちゃんと教えてやれよ! 絶望しろ、全てを恨め、そして、疑心暗鬼になって殺し合えって!」
……こいつ、何なんだよ。
一体、何がしたいんだ。
沸々と怒りがこみ上げた。
我慢して、必死に感情を抑えて、自分をコントロール出来なくならないよう、神経を尖らせて、自我を保ってたのに。
僕は、思いっきり息を吸い込んだ。
身体の中にため込んだ熱が、どんどん膨れ上がっていく。
喉の奥から、炎がせり上がってきた。
焼き尽くしてやる。
僕は凌目掛けて、燃え盛る炎を一気に噴き出した。
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