4. 誰
――『事態が深刻化すれば、いずれ塔はタイガを必要とするでしょう』
美桜の記憶で、ローラ様は確か、そんなことを言っていた。
事態とは何か。
やっと、分かってきた気がする。
――『特性を弾いている人間は、特に怪しいと思った方が良い。都合の悪い真実を隠そうとしているってことだろうから』
ジークさんがそう話した意味も、分かった。
もし仮に、全てが僕の仮定したとおりなら、僕が信頼すべき人間は極端に限られてくる。
最悪だ。僕は結局、そういう存在でしかなかったってこと。
考えれば考える程、僕の頭の中はぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、意識が遠のき、どんどん景色がかすんでいった。
僕は今、魔法学校の門扉近くの茂みにいて、リサさんとアリアナさんと一緒に身を潜めていて、屈んだ足が少し痺れていて、両手で頭を抱えて必死に情報を整理しようとしていて。そうやって自分がしていることを一つ一つ確認していかないと、意識がどこかへ行ってしまいそうなくらい、僕は困惑している。
嘘だ。
これは僕が考えた、あり得ないシナリオで。そんなことは絶対。
「タイガ?」
アリアナさんの声に、ハッと顔を上げる。
「“気配”が変に揺らいでる。どうして殺気立ってるの?」
「殺気?」
目深にローブのフードを被り直す。
「気のせいなら良いんだけど」
アリアナさんは、やたらと鋭い。
落ち着け、大河。呼吸を整えて、頭を冷やすんだ。
ふと、鉄の門扉が静かに開いて、誰かが敷地内に入ってくるのが見えた。
「誰か来た。大河君、あの人?」
後ろからリサさんの声。
薄暗くて、人物の顔はよく見えない。全身黒っぽい服を着ていて、誰なのかも、直ぐには。
その人は守衛の一人と何やら話をして、守衛室に一緒に入っていった。暗がりの中、ぽっかりと浮かび上がる窓から、人物の頭が見えた。黒髪の男性。後ろ向きで、顔は見えない。
「違う。ノエルさんは金髪だし、ジークさんは茶髪。あの人は黒髪。別に用事がある人かも」
だけど、気になる。
じっと見ていると、守衛室から何かが落ちるような音がして、その直後、男だけが外に出てきた。他の守衛さん達が何かに気が付いて、男の方に寄る。すると、男はサッと、駆けつけた守衛さんの一人に手を向けた。――倒れた。抵抗することもなく、守衛さんは真後ろに倒れた。
「ちょっとアレ」
「うそ……」
アリアナさんとリサさんは、言葉を詰まらせ、警告の色を発した。
男は次から次に、魔法を放つでもなく、手を向けただけで守衛さん達を倒していく。ドサリ、ドサリと、不気味な音が闇に響いて、僕達は一気に肝を冷やした。
「に、逃げよう」
どう考えてもヤバすぎる。
僕が言うと、アリアナさんは首を横に振った。
「気配を消す魔法、まだ効いてる。変に動かない方が」
守衛さん達を全部倒した彼は、腕を軽く回してから、周囲を見渡した。
そして、僕らの方を見た。
「――見つかった!」
咄嗟に立ち上がり、アリアナさんの腕を引っ張った。そして振り返り、リサさんと一緒に学校目掛けて走ろうとしたところで、僕らは動けなくなった。
たった今、守衛室の真ん前にいたはずの男が、そこから数十メートルは離れてる、僕らの背後に移動していた。
男は何を言うでもなく、腕を組んでじっと僕らを見ている。
知ってる。
僕は、この人を知ってる。
まるで時間が止まったみたいに動けなかった僕を、アリアナさんとリサさんが心配して声を掛けてくれる。けど、なかなか言葉として耳には届かない。
だって僕の前にいたのは。
「来澄……、凌」
ちょっとツンツンした黒髪で、目つきが鋭くて、……僕に似てる。
全身真っ黒な服装が、ほどよく付いた筋肉を引き立てていた。
いろんな人の記憶に触れて、僕は彼を見てきた。
だから知ってる。
けれど、何かが違う。
何だ。何だこの違和感。
「ようやくレグルノーラに来たな、大河」
声にも覚えがある。
間違いない、凌だ。
嬉しいはずだ。本当なら。
これが本物の来澄凌なら、僕はきっと嬉しくて、胸に飛び込みたくなるはずだ。
けど、どうして。
どうして足が。
足がすくむんだ。
「幽閉、されてるんじゃ、ないの」
肩で息をしながら、僕はどうにかそいつに言葉を投げかけた。
木立の下で、そいつはフフッと小さく笑った。
「幽閉? 誰が」
「お前、誰だ」
人間ならば。
大抵の人間は、特有の色を持っている。その人の本性というか、心の色というか、そういうものを漂わせていて、感情の動きと共に様々な色を混じらせる。僕はその色を見て、相手の気持ちの起伏や周囲に対してどんな感情を抱いているのかを察知する。
動物にも、僅かに色がある。彼らは殆ど感情を表にしないけれど、犬や猫は比較的感情表現が豊かで、眠いとかお腹が空いたとか、警戒や怒りなんかのわかりやすい感情を持っているときは、周囲に僅かに色が出る。
色がないのは植物や、無機質なもの、小さい生き物。感情というものを最初から持ち得ない存在。
つまり、こいつは人間じゃない。
目の前にいる、来澄凌の姿をしたこいつは、人間じゃない。
色が見えない。
こんなに目を凝視しているのに、記憶の欠片すら見えてこない。
「大河君、この人のこと、知ってるの?」
「――リサさん黙って! こいつは違う!」
怒鳴り散らした僕に怯えて、リサさんは僕から手を離した。
「リサさん、アリアナさん、逃げた方が良い。こいつは……、こいつは人間じゃない」
「人間じゃない? 変なこと言うね、タイガ。魔物みたいな“気配”もしないけど」
気付いてない。
アリアナさんには分からないのか。
こいつのヤバさが。
「“こっちの世界”では、違う姿をしているはず。……わざと? わざとそういう格好で、僕を冷やかしに来たの?」
心臓の鼓動が、早い。
呼吸数も上がってる。
頭がグラングランして、胸も苦しい。
「冷やかし? 何言ってんだ、大河。息子の成長が嬉しくて、直接顔を見に来たんだ。よく見せてくれよ。髪の毛の色は、美桜譲りか」
こんなに薄暗くて、色なんて判別も出来ないくせに。
顔を見に来た?
明るいところで言えよ……!
「息子? え? 父親って、レグル様じゃ」
「アリアナさんも黙って! こいつはレグルかも知れないけど、中身が違う。お前、全てを赦したわけじゃないのか。何を企んでる?」
「タイガ、なんかおかしいよ」
「おかしくない!」
僕はキッとアリアナさんを睨み付けた。
「騙されないで。こいつは、……ダメだ。近付いちゃダメだ。早く逃げて。逃げてって、言ってるだろ……ッ!!」
アリアナさんが小さな悲鳴を上げる。
怯えてる。凌にじゃなくて、僕に。それでもいい。早くここから逃げて貰わないと。
思っていたところに、誰かが近付いてくる。二人。
門の方から。ってことは、ジークさんとノエルさんか。
「なんで人が倒れてんだよ……、全く」
ノエルさんの声。当たった!
けど、振り向く余裕がない。
凌がにたりと不敵に笑って、僕に右手を突き出してくる。
やられるのか、あの、守衛さん達みたいに。
「気絶させただけだ。無駄な殺生はしない。何せ、“神”だからな」
暗闇の中で、凌の目は真っ赤に光って見えた。
“神”?
嘘だろ。
これが、“神”なわけあるか。
「人影がある、行ってみよう」
ジークさんの声。
来られると、困るんだけど……!
近付いてくる足音。恐くて動けないのか、微動だにしない女子二人。
そして目の前には、何らかの魔法を発動させようと、僕の真ん前で構える凌。
頼む、頼むから、彼らを巻き込まないで……!
「世界は、平和になったと思うか」
そいつは唐突に、変なことを言い出した。
僕には、質問の意図が分からなかった。
「白い破壊竜は、救世主の言葉に救われ、全てを赦したはずだった。迫害や差別は続くだろうと破壊竜は言ったが、大丈夫だと救世主は言った。だから信じた。救世主はそれまでの人生を全部捨てて、破壊竜と同化することで、その苦しみも悲しみも全て受け止めた。いずれ二つの意識は消えてなくなり、一つの、全く新しい別の人格だけが生き残る。人々は、二つの相反する者が同化した姿を、“神”と崇めた。新しい時代がやってくるはず――だった」
「……凌? 凌、だよな」
ジークさんが凌の存在に気が付いた。
茂みを掻き分けて近付いてくる。
「ジークさん、下がって! そいつは凌だけど、凌じゃない」
僕は半分だけ振り向いて、ジークさんを牽制した。
「そう、みたいだな。偽物? ……違う。あいつだ」
ノエルさんは茂みの手前で、既に魔法の準備に入っていた。
「人間は平和な世界を、自らの手で壊していく。見えないものに怯え、不確定な情報に踊らされ、社会を混乱させていく。人間とは、かくも浅ましい存在なのか」
そいつは言いながら、宙に赤黒い魔法陣を描き始めた。
二重円の中に、複雑な模様が刻まれていく。
やっぱり、凌じゃない。凌は単純なダビデの星を描いていたと、モニカ先生が。
「人々は何を恐れている? まさか『白い竜は
魔法陣に呪文が刻まれていく。僕には読めない文字で。
「敵対する二つの勢力の中心に、同じ言葉をかけた。単純な言葉だ。『白い竜を倒すには、白い竜を用いるほかない』――大河、お前は私を倒すに相当する“白い竜の力”を目覚めさせたか」
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