3. 違和感
満天の星空だった。
星の並びは違うけれど、リアレイト同様、夜になると空には星がきらめき、月が出る。
魔法学校の界隈には公共施設が多く、オフィス街や商店街の広がる地域から少し遠いのもあって、静かで、星もよく見えた。
学校の敷地の南側には大きな川、その向こうには工業団地があるんだとか。
僕の命を狙うという古代神教会の建物は、学校から塔を挟んで反対側にある。ライトアップされた白い建物が、闇の中にうっすらと浮かんで見えている。
アリアナさんの魔法で、寮の部屋から転移して、管理棟のそばまで飛んできた。一緒にかけて貰った気配を消す魔法とやらの効果で、少しの間だけ僕達は周囲に気付かれなくて済む。
闇の中を静かに移動して、門扉と守衛室がよく見える場所へ。武装した守衛さんが数人、守衛室の前と門扉の横に立っていた。
「よっぽど信頼される人物じゃないと、ここを開けて貰えない。タイガの知り合いは、それ相応の人物なわけ?」
茂みの中から観察しつつ、アリアナさんが尋ねてきた。
僕も屈んで、一緒に様子を覗う。
「うん。レグルの近くにいた人だって」
「レグル“様”」
「レグル様」
いちいち、アリアナさんは面倒くさい。
「タイガって、自分の親がどんなに凄いのか、全然知らないんでしょう? 知ってたら呼び捨てなんて出来ないもの」
そりゃ、この間まで自分が救世主の息子だなんて知らなかったし。
他人の記憶の中でなら、何度も見たけど。
「アリアナさんは、随分傾倒してるんだね」
言うと、アリアナさんはうっとりとしたような、淡い色を漂わせながら、「そりゃそうよ」と言った。
「レグル様はね、本物の神だよ。小さい頃、塔のイベントで偶々お見かけしたんだ。本当に、神々しくて。心を全部持って行かれるかと思った。全てが美しくて、輝いていて。あんな“気配”は初めてだった。レグルノーラに存在する、どの生き物とも違う、圧倒的な存在感。古代神教会に幽閉されてしまったという話を聞いたときには、耳を疑った。レグル様が、そんな簡単に……って。幾ら、平和的解決を望んでいるからとは言っても、大人しく幽閉されているなんて、絶対におかしい、何かあると、今でも思ってる」
「そうなんだ」
小さい僕を抱きかかえていた、白い髪の人。
伯父さんの記憶の中で見た、白い人。
美桜の記憶で見た、不気味な人。
三つの人格が入り交じるレグルは、確かに神秘的で人知を超えた存在に違いない。
そんな彼が“幽閉”されている。この表現には、僕もずっと引っかかっている。“神の力”を得たとされる彼が、簡単に幽閉なんてされるんだろうか。何かしら、大きな問題が潜んでいるか、大きな駆け引きでもしているのか。僕が命を狙われる理由と、何か関係があるんだろうか。
「だから、“神の子”の君があんまりにも人間臭くてビックリした。レグル様も元は人間だって知ってたのに、結構衝撃的だったよ、君の存在は。……リアレイトでは、どんな感じ? “向こう”は竜も魔法も存在しない世界だって言うじゃない。そんな中で君はその両方を持っている。相当、揉まれてきた?」
チラリと、アリアナさんが僕の方を見た。
僕は「うん」と小さく頷いた。
「僕だけ、誰とも違ったからね。ちょっと前に教えて貰うまで、親と血が繋がってなかったことも、自分が干渉者だってことも知らなかった。でも、何も知らなかった頃と今、どっちがいいかって言われても、……多分、選べない。知らなくても、知っても、結局何も変わらない。僕自身が変わらなくちゃならないって、思い知らされたから」
通りに面した門扉の方をじっと見ていても、まだ動きはない。
風で葉がこすれる音と、虫の音くらい。
「……なんで、リサだったのかな」
ボソッと、アリアナさんが呟いた。
僕らの少し後ろで屈んでいるリサさんは、急に話題に乗せられ、驚きの色を出している。
「リサと違って私には“干渉能力”がない。けど、それぐらい。私がリサと違うのは。リサより知識も力もある。それでも、選ばれなかった。“神の子”に近付くことが出来れば、レグル様が幽閉されていること、古代神教会が大々的に“神の子”を狙う本当の意味にたどり着けるかも知れないと思ってた。だから、こうやって頼りにされて、ちょっと嬉しいと思ってる。なんなら、今からでも私がリサの代わりになろうか」
「そ、それは困る!」
声が大きい!
リサさんに、僕とアリアナさんは二人で、シーッと警告する。
慌ててリサさんは口を塞ぎ、声のトーンを落として会話に混ざってきた。
「それは困る。幾らアリアナでも、そんなのは許されないから」
「口出ししないでって言った。――リサは、自分が優遇されていること、もっと自覚した方が良いからね。で、タイガ。聞かせてくれる? あのときどうして白い竜が現れたのか。君、自分の意思で
痛いところを突く。
けど、ここは正直に伝えていた方がいいかも。
アリアナさんには何かと今後、お世話になりそうだし。
「ローラ様が、僕の力を確認するために、闇の魔法で無理矢理僕を竜にしたんだ」
「闇の魔法……?」
リサさんとアリアナさんの声が重なる。
「禁忌の魔法、みたいなもの? なのかな。僕、あんまりこの世界のことは詳しくないから知らないけど、竜の力を強制的に呼び起こしたみたいで。今は竜石のお陰で少し落ち着いてるけど、それでもまだ、興奮してくると竜化しやすくなってて。自分では……、どうにも出来ない」
「ふぅん。そうんなんだ。あんまり、使うことなんてないはずなんだけどね、闇の魔法なんて」
アリアナさんは、唸りながら首を傾げた。
「呪いをかける、強力な封印を解く、或いは封じる。
何か。
……ん?
何かを隠しているのは、僕の特性を弾いている人達だけとは限らないのか。
「例えば水面下で不穏な動きがあって、それを早期に解決したいとするでしょ。塔はタイガに何を期待しているんだろう。タイガでなければならない理由が存在するはず。先の戦いでも活躍した沢山の能力者、魔法使いがまだ存在するこの世界で、たとえレグル様の血を継ぐとしても、まだ不安定で頼りないタイガに、どうして塔は固執しているのか。何か、引っかかるんだけど」
「……うん」
「古代神教会を恐れてる? 確かに狂信的すぎて、レグル様を排除しようとする変態集団だとは思うけど、果たして脅威になり得るのかどうか。神の子であるタイガの命を狙ったとして、この間みたいに白い竜に
アリアナさんの分析に、僕もリサさんも黙りこくった。
変だと思う。
こんな、自分ではどうしようもない“力”に苦しむだけの、まともに戦えもしない“神の子”を、どうして必要とするのか、狙うのか。
「古代神レグルは世界の創造主として崇め奉られる存在だし、“神の子”の誕生は、一般市民の目線からすれば、更に次の時代も神聖なる半竜神が平和を齎すことを約束されたって、そういう認識だったはず。古代神教会によるレグル様の幽閉に始まり、教会に屈した塔の権威失墜、そして、教会から逃れるため姿をくらました“神の子”。かの竜の恐怖から解き放たれて、やっと平和と青空を取り戻したはずのレグルノーラは、再び混乱していった。……この、一見、整合性がとれていると思われる筋書きの中に、何かが隠されていると思うんだけど」
「僕が破壊竜になってしまうかも知れないとしたら……、どう?」
「ハァ?」とアリアナさんが言い、「え?」とリサさんが息を詰まらせた。
「ローラ様曰く、古代神教会がその可能性を危惧している、とか。実際、白い竜になった僕は、必死に力を抑え続けなければ誰かを傷つけてしまいそうだった。どうにか踏みとどまれたから、破壊竜認定されないで済んだけど、強すぎる力を持っていても、自分でコントロール出来ないんだから意味ないよ」
「その不安定な状態でも、タイガは塔に必要にされてるわけでしょ。そして、教会はそうなるずっと前からタイガを狙ってた。リアレイトでも襲ってきたりした?」
「うん……。どうやら結構前から、ちょこちょこ狙われてたみたいで」
「でも、殺されはしなかった。本当に殺す気なら、最初から強いヤツを派遣して、一気にやっちゃうはずでしょ」
「それが、どうやらレグルノーラに連れて帰りたかったみたいなんだ」
「大河君を連れ帰ってどうするの」
「手懐ける? 闇の魔法で
「アリアナさんの趣味の話だよね」
「そうじゃなくて。結構前から狙われてたってことは、それこそ、力なんて使えない、使い方も分からないような頃からってことでしょ。その方が都合が良かった。つまり、手懐けるには好都合だった、と考えてみたらどう? 意のままに操れるのよ、もしかしたらいずれ“神の力”と同等のものを持つかも知れない、レグル様の血を引く半竜の“神の子”を」
「僕を操ってどうするの。世界を支配する? 悪の組織じゃあるまいし。古代神教会って宗教団体だよね。古代神を崇める。それとも教会は何かと戦おうとしてるの?」
「戦うかも知れないじゃない」
「何と。教会は今、それどころじゃ」
――あ。
……なんで、なんで気付かなかったんだろう。
待って。
僕らは何か勘違いしている。いや、させられている。
背中に悪寒が走った。
急激に喉が乾いていく。
そう、僕らは切り取られた一部の情報しか与えられてなかった。固定された視点から、固定された情報だけ与えられ、それで全部を知ったつもりでいた。
だけど本当はもっともっと、――見えない部分の方がずっと大きかった。
断片的に与えられていく情報を繋ぎ合わせ、それで整合性がとれれば、事実ではないはずなのに妙に納得してしまう。要するに、伯父さんと一緒。知らないことに恐怖を感じているから、どうにかして知っていることにしたいと自己防衛本能が働いてしまっていた。
そしてこれが事実だとしたら、僕の周りには、殆ど味方はいなかったことになる。
「もしかして、塔も教会も、僕を」
思った瞬間、吐き気がした。
まるで身体の中を引っかき回されるような気持ち悪さが、腹の底から湧き上がった。
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