2. 再会

 リサさんに悲しい目を向けられたのは、月曜日だった。

 今日は金曜日。

 あれからたった四日しか経ってない。なのに、とても長い間会っていなかったような錯覚に陥る。

 この数日間の空白が、僕達にとってどれだけ苦しかったのか。

 リサさんの顔を見るだけでもの凄く安心したし、僕の心のモヤモヤや、湖で見た変な記憶さえ一瞬でどこかに消えてしまうくらい、とても、嬉しかった。

 それはもしかしたら、リサさんも一緒だったかも知れない。

 いつもの杏色に、明るい色が差している。

 リサさんはゆっくり部屋の奥から僕の方に歩み寄ってきて、そのまま僕の方に手を伸ばした。


「また、竜になった?」


 思っていたのとは違う言葉が聞こえて、僕の心はざわついた。

 僕の顔は、はにかみから苦しみに変わった。

 眉間にしわを寄せて、こくりと頷く。

 リサさんの手が頬に触れて、僕は少し、身体をびくつかせる。


「考えないようにしよう、距離を置こうと思っても、印が浮かぶんだもん。大河君の苦しみや葛藤が伝わってくるんだもん。無理だよね、こんなの。会わない方が辛いなんて、思ってなかった」


 左手で胸を掻きむしりながら、リサさんはグッと奥歯を噛みしめて、僕を見ていた。

 嬉しい反面、苦しい、辛い。いろんな感情と色が混じり合う、リサさん。

 ここ数日間、悩んで落ち込んで、あの言葉を後悔して、カレンさんに心配され、クラスメイトに白い目を向けられ、アリアナさんに泣くなと怒られている様子が、頭の中に流れ込んできた。

 僕が淡々と日々を過ごしていた間、リサさんはこんな気持ちでいたんだと思うと、息が詰まりそうだった。


「あのね、リサさん」


 目を潤ませるリサさんに、僕が話しかけようとしたとき。

 部屋のドアが開く音と共に、背後から好奇と怒りの色がごちゃ混ぜになって押し寄せてきた。


「そこから先は、ちょっと待っていただける?」


 長い赤毛、圧倒的自信に満ちあふれた向日葵色をベースにするアリアナさんが、目をギラギラさせて立っていた。

 部屋に入るなり結界魔法を発動させる辺り、流石と言うか。

 アリアナさんは僕とリサさんの間に割って入って、無理矢理僕らを引き剥がした。


「二度目。ここ女子寮。分かる?」


 獣を狩るような目だ。

 僕は肩をすくませ、


「分かる、分かります分かります」


 と小さく答えた。


「分かるなら、どぉして来ちゃうのかな、タイガ君は。おつむが弱いのかなぁ」


 カレンさんにも言われたけど、アリアナさんの言い方は更に傷つく。人をいたぶるのが好きなんだろうか。


「それは、その。言い訳をしたところで分かって貰えないかも知れないけど、決して不純な動機じゃなくて」

「不純な動機でなけりゃ、女子の部屋に忍び込んでもいいわけ? へぇ。“神の子”が聞いて呆れるわ。あ、一応“シバ様の息子”ってことにしてあるんだっけ? どっちにしても、親の顔には泥が沢山塗られちゃうわけだけど、タイガには関係ないか」


 言い方。

 絶対わざとだ。


「ごめんなさい。謝ります。湖を抜けるのに精一杯で、気が付いたらここに。目的地は合ってたけど、細かい位置のコントロールに失敗したみたいで」

「……湖?」


 アリアナさんが怒りの色を消した。


「湖って、まさか狭間の湖?」

「狭間? ちょっと分からないですけど、リアレイトとレグルノーラの間に広がってる湖らしくて。ゲートをこじ開けて空いた“穴”を通ってきたんです。だから今の僕は、意識を具現化してるわけじゃなくて」

「――リアレイトを捨ててきた」


 僕の言葉を遮ったアリアナさんの声は、リサさんを存分に驚かせた。

 急激に不安の紫色が広がっていく。


「もう、リアレイトには戻れない状態で来た。そういうことよね。もしかして、とうとう“神の子”としての意識に目覚めてレグルノーラに骨をうずめる覚悟が出来たとか。……んなわけないか。じゃあ、アレ? “竜の気配”が強くなって、リアレイトにいられなくなったとか」


 アリアナさんは、本当に鋭い。


「半分、当たりです」

「大河君、そんな……」


 想定外だったんだろう。リサさんは両手で顔を覆って、言葉を詰まらせた。

 ここに到着してから、もうそれなりに時間が経過してる。ノエルさんを待たせちゃ悪いし、単刀直入に話を進めないと。


「話を、聞いて貰って良いですか」


 少し厳しい目をして、僕はアリアナさんとリサさんを交互に見た。

 二人は困惑しながらも、頷いてくれた。

 僕は少しだけ息を整えて、一気に話し出した。


「人を、探してるんです。僕と同じように“穴”を通ってレグルノーラに来ているはずのいとこを。色々あって、逃げ出すようにいなくなった彼が“こっち”に向かったところまでは確認できたんですけど、どこに行ったのか、全然見当が付かなくて。アリアナさんが言うとおり、“竜の気配”が強くなってリアレイトにいられなくなったのは本当で、だからこそ、僕が探し出して連れ戻すって、彼のお父さんに約束してきました。ご存じの通り、僕の“気配”は独特で、古代神教会に直ぐに見つかってしまう可能性が高い。そこで、知り合いが気を遣ってくれて。魔法学校に飛べば、力を貸してくれる人もいるだろう、迎えに行くまでかくまって貰うようにって。アリアナさんを呼んで貰ったのは、僕の“気配”について理解があるから。前に、言いましたよね? 『私にも関わらせて』って。お願いします。迎えが来るまで僕をかくまって欲しい……!」


 アリアナさんはギョッとしていた。

 そりゃそうだ。唐突すぎる。

 何度か目をぱちくりさせ、アリアナさんは僕と、リサさんを交互に見た。


「……タイガって、こんなんだっけ?」

「え?」


 今はそんな話、してる場合じゃ。


「“竜の気配”は間違いないけど、急に濃くなった感じ? それに、前は話しかけただけでひっくり返りそうになってた。なよなよしてたじゃない。あれから何日も経ってないのに、こんなに変わる? 別人みたい」

「そんなこと言われても」

「“白い竜”――あのデカいの、君だよね。この前、塔の真上にいたヤツ。めちゃくちゃ強そうだったけど、自分からは攻撃してない、全部受け身。何がしたいのか不思議なくらい、不自然に攻撃されまくってた。ああやって、巨大化できる力があるなんて。見た目じゃ全然分からないね。自分が人間じゃないって自覚したら、急に強くなったとか? 心も、身体も。ふふっ、面白い。君、本当に面白いね。いいよ、協力しても」

「ありがとうございます!」


 色々含みはあるけれど、どうにか約束にこぎつけた。

 あとは、どうやってかくまって貰うかだけど。


「迎えに来る人って、どんな?」


 とアリアナさん。


「ゲートの調査をしてる会社の人で、りょ、じゃなかった、レグルとも知り合いみたいです」

「レグル“様”ね。敬称を付けなさい敬称を」

「レグル様」

「そうそう」


 ……気持ち悪い。自覚はないにしても、自分の親に“様”とか。


「で、迎えはいつ来るの?」

「学校周辺で待機してるそうです。変に騒がれるのも困るし、なるべく学校関係者に知られないよう、こっそり合流したいんですけど」


「なるほど。じゃあ、早く向かった方が良いね。この時間、学校は閉まってるから、人が尋ねてくるとしたら守衛さんのいる管理棟。学校の門扉のところ。誰にも見つからないよう、そこまで送ってけばいいわけでしょ。で、管理棟の付近で身を潜めて、迎えが来たところで引き渡す。学校終わって、もうすぐ夕食だから、食堂付近に人が集まってると思う。転移魔法で一気に飛んでも良いけど、歩いて移動するなら、ちょっと遠回りして、裏の方から出て、校庭の横を抜けて、学校の建物迂回して管理棟に向かうルートかな。どっちがいい?」


「転移魔法使えるなら、その方が」

「だよね。じゃあ、魔法で。飛ぶ場所失敗すると、見つかって欲しくない人に見つかっちゃうから、慎重に飛ぶってことにして」

「……バレない? そんなことして」


 リサさんが遠慮がちに尋ねると、アリアナさんは自信たっぷりに、


「猫が迷い込んだので、お外に連れて行きました、とでも言って誤魔化しとけば大丈夫。何せ、私の信頼度、高いから」


 なるほど。寮長の肩書きは強いらしい。


「ところで、タイガのその格好。どうにかならない? 幾ら外が暗くても、変に目立ちそう。服装変えたり、何か着るもの具現化させたり出来ないの?」

「そういうのは、ちょっと」

「まぁ、仕方ないか。出来ないものは出来ないもんね。リサ、ローブ貸してやって」

「え? 私の、ですか」


 リサさんは目を丸くして、高い声を出した。


「私が連れてくから、リサのローブ貸して」

「アリアナのを貸せば良いじゃないですか」

「男と竜の臭いが付く」

「ちょ、それは大河君に失礼じゃ」

「良いから貸しなさいって。仲良いんでしょ、見つめ合うくらいには」

「むぅ……」


 反論しづらい空気に負けて、リサさんが渋々ローブを脱いで僕に渡してくれた。

 ローブ無しの制服も似合ってる。思いながら、僕はいそいそと渡されたローブに袖を通した。

 あ。良い匂い。女の子の匂いだ。


「今、匂い嗅いだでしょ。変態め」


 言ったのはリサさんじゃなくて、アリアナさんの方。

 僕のこと、白い目で見ている。


「え、あ、これは、その」

「フード被って。周囲から認知されにくいよう、気配を消す魔法を使う。十分程度しか効かないから、一気に行くよ。じゃ、リサ。そういうことで」

「ま、待ってください。私も行きますけど」


 僕の手を引っ張るアリアナさんを、リサさんが引き留めた。


「私も行きます。大河君のことは、私が任されてるんだもの」

「……へぇ。偶にはちゃんと自分の意見言うんだ、リサも」


 フフッと、アリアナさんは鼻で笑った。


「分かった。じゃ、三人で行く。その代わり、私がタイガに色々聞いても、絶対に口出ししないでよね」


 それは、宣戦布告のようでもあり。

 アリアナさんが、一体どうして僕になんか興味を持って、どうして協力してくれるのか分からないなか、何だかとても嫌な予感しかしない言葉だった。

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