7. どうしても
「な、何を言ってるんだ、大河。“穴”に飛び込む必要はない。探すなら普段の“干渉”で」
暗闇の中、床に落ちたスマホと、陣君が持っているスマホの明かりが凌の部屋をほのかに照らしている。
巨大な“穴”を前に立ち尽くす大人達にとって、僕の言葉はどうやら、かなりの衝撃だったようだ。
父さんが焦り、急激に色を濁らせたのが見える。
僕は父さんの方をしっかり向いて、手にグッと力を込めた。
「一日数時間程度しか“向こう”で動けなくて、それでどうやって雷斗を探すの。僕は“常時干渉のシバ”じゃない。“力”も不安定で、出来ることもまだ少なくて。……“こっち”でも竜になってしまうかも知れない、危険な存在なんだよ」
スマホの光に、僕の手が照らされている。
見るまで信じたくなかったけど、やっぱりだ。
興奮が続いて、僕はハイになっている。
両腕に、白い鱗。
少し、牙も伸びてる。
この分じゃ、髪の毛の色も変わってそうだし、目も、耳も、あの姿になっているかも知れない。
……陣君の警告は、当たった。
「竜……」
父さんの口から、ポツリと出た言葉。
その直ぐそばで、伯父さんがうわっと叫んでいる。
「凌と、おんなじ」
暗闇に浮かぶ僕の姿はとても奇っ怪に違いない。恐怖と警戒の色が伯父さんをどんどん包む。見ているだけで苦しくなるくらい、強烈な血の色。
「そういうこと。僕は、“ここ”にいるべきじゃないから。レグルノーラには僕が行く。行って雷斗を探してくる」
「“向こう”に行けば行ったで、古代神教会がお前を狙う」
父さんは伯父さんから手を離し、僕に向き直った。
焦ってる。……何に? 僕が、“この世界”から消えてしまうことに?
「ちょっと興奮するだけでこうなっちゃうのは、埋め込んだ竜石の大きさが足りなかったのかも知れないし。“向こう”に行けば何かしら対処方法があると思うんだ。ローラ様も、ディアナ校長もいるから、多分、そこは大丈夫。どうにも出来ないまま“こっち”にいる方が、ずっと、恐いよ」
父さんは、僕の言葉には納得していない様子だ。
何度も首を振って、不安と悲しみの色を多く滲ませて。
だけどそんなのは、もう、僕を引き留める理由にはならないことも、多分父さんには分かってるはずなのに。
「雷斗は僕になりたかったと言った。自分が“神の子”だったなら、迷わずレグルノーラで生きると。僕には、雷斗の気持ちは分からない。けど、僕の存在が、そういう風に雷斗を追い詰めていたんだと知った。こんな身体だし、僕はどのみち、リアレイトじゃ生きていけない。僕が行って、雷斗を連れ戻す」
そうなんだよ。
僕はリアレイトでは生きていけない。
「そんな簡単に」
「――簡単になんか考えてない」
父さんの言葉を、僕は遮った。
「心の中や記憶が見えるだけだったときは、考えもしなかった。知らなかったし、考えようもなかった。……だけど、徐々に力を使えるようになって、僕が本当は普通の中学生じゃないって知って、それからどんどんどんどん、おかしくなってる。間違って友達を怖がらせたり、苦しませたりする。次は、傷つけるかも知れない。僕は、もうリアレイトにいてはいけないんだと思う。だから、行くなら僕だ。僕が行って、全ての時間を費やして、雷斗を探す」
「戻れなくなるぞ」
父さんの警告。
「戻れなくても、何も困らないよ」
間髪入れずに返す。
「父さん達が、僕を本当の息子として育ててくれたことは、とてもありがたいと思う。けど、多分、もう……、終わったんだ。そういう時間は終わりを告げた」
僕はぎゅっと、鋭い爪の生えかけた両手を握った。
陣君がそんな僕に気が付いて、ポンポンと背中を叩いた。
「だってよ、シバ。――まぁ、最初からこうなるだろうって、僕は思ってたけどね。雷斗だって、知らんおっさんが探すより、大河に探して貰った方がいいだろうし。何より、仲間を助けるために“穴”に飛び込むとか、どっかで見ただろ。血は争えない。結局大河は、凌の息子なんだよ」
父さんは、何も言い返せないようだった。
悔しそうに、灰色と紫色を多く漂わせて、僕から目をそらした。
「大河、お前、ちょっと頭冷やしながら靴取ってこい。スマホ持ってる? 足下照らしながら気をつけて降りろよ」
陣君は淡々と、僕に指示を出した。
*
言ってしまった。
ずっと胸の内に秘めていたことを、ついに。
行ったら戻れない。
陸上部の三人に、今度遊ぼうって誘われてたけど、多分無理。今後会うことはもう、ないのだと思う。
日常を捨てるということがどんなことなのか、本当はよく分かっていない。
父さんに初めて話を聞いたときに自分が放った『学校に、行けなくなる?』が現実になるだなんて、あのときには夢にも思っていなかった。どこかで、これは夢だと思っていたし、救世主の息子だなんてばかばかしいと思っていた。
けど、引き留められたとしても。
僕にはやっぱり竜の血が流れていて、このままリアレイトに居続けることの方がずっとリスクが高いはずだ。少しずつ肥大化していく“力”をどうしたらいいのか考えると、その行き着く先に、リアレイトは存在しなかった。
階段を上りながら何度も深呼吸しているうちに、鱗は引っ込んだ。
落ち着かなきゃ。
僕と違って、他の人には僕の心が見えない。それだけが幸いだ。
「余所では言うなよって警告したのに、早速言いやがったな」
階段を上りきると、陣君にどやされた。
「あ……」
しらを切ろうと思ったけど、どうやら僕が靴を取りに行ってる間に、伯父さん達とそういう話になっていたらしく。言い逃れできない。
「いや、その。これは、何と言うか」
「今回のことは良いよ。彼もそれで納得させられた部分が大きいようだし、これ以上、とやかく言ったところで、バラした事実が変わるわけじゃない。レグルノーラでは絶対に言うな。もっと面倒なことに巻き込まれる。本当に、こういう無茶なところも、全部凌とそっくりだ」
「そ、そう、なんだ」
「褒めてない」
陣君にギロリと睨まれる。
「……いいから、靴履いて。格好はどうにか戻ったみたいだな。いちいち興奮するなって、これも警告した気がするけど、違ったかな。で、“穴”に飛び込んだら、うちの事務所を思い描いて。出来る?」
「あ、はい。多分」
「それ、無理なときの返事だよな。じゃあ、魔法学校は? 何度も飛んでるんだろ」
「そっちは大丈夫です」
「良かった。こうなることを予測して、ノエルには魔法学校の周辺で待つようお願いしてある。あそこに飛べば、ディアナ様が張り巡らした結界も張ってあるし、君が懇意にしている生徒や先生なんかがいて、力になってくれるだろう。到着したら、僕らが迎えに行くまで身を潜めてて。雷斗を探すより先に、教会の連中に見つかったら、もっと面倒になる。ここまでOK?」
「大丈夫です」
「僕はシバと一緒に“穴”を塞いで、それから“向こう”に戻る。身体は事務所にあるから、合流するまでちょいと時間はかかると思う。万が一、湖を抜ける途中で余計なことを考えたら、多分そっちが優先されて、変なところに出る。それでもまぁ、君の“気配”は雷斗と違って独特な上に大きいから、探すのは容易だと思うけど。出来るか?」
「た、多分」
「多分でもいいや。失敗するだろうなぁって分かってるから、直ぐに探し出せるよう、監視カメラは飛ばしてる。今までレグルノーラで行ったことのあるところは?」
「が、学校と、……塔。あと、ジークさんの」
「そんなところか。ま、概ね予想通り。ところで、別れの挨拶とか、要る?」
言われて僕は、ハッとして父さんの方を向いた。
薄暗い中、急な別れを告げられて呆然とする父さんと、まだ目の前の出来事に半信半疑の伯父さんが立っている。
別れの挨拶なんて言われても、言いたいことは大抵言ってしまった。他に何を話したら良いのか分からない僕は、二人の方を見たものの、口の辺りをもごもごさせるのがやっとで、そこから先、言葉にならなかった。
「どうしても、行くのか」
父さんが悲しげに言った。
「うん。凌とは違うかも知れないけど、“この世界”では生きられない運命らしいから」
運命だなんて。
言葉にすると、もの凄く薄っぺらい。
「――あいつのこと、“父さん”とは呼ばないんだな」
「そう、だね。凌は本当の父さんなんだろうけど……、無理だった。凌は凌で、父さんは、後にも先にも父さんしかいないから。凌のことは“父さん”とは呼ばないよ。母さんもおんなじ。美桜は本当の母さんかも知れないけど、僕の母さんは、やっぱり一人しかいない。お別れ、しないで来ちゃった。父さんから伝えておいてよ。今までありがとうって」
「今までって……」
父さんが、言葉を詰まらせている。
悲しみに耐えるよう、身体を強ばらせている。
「僕のこと、本当の子どもみたいに育ててくれて、ありがとう」
不思議と、僕は悲しくなかった。
この別れは永遠じゃないと分かっているからか。
それとも、本来僕のいるべき場所に行こうとしているからなのか。
こういうときはハグをするものだと、どこかで誰かが言った気がして、僕は父さんのそばに歩み寄って、ゆっくりとその大きな身体に抱きついた。
覆い被さるようにして父さんが僕を思いきり抱きしめて、その時に僕はやっと、涙を流した。苦しいくらいに締め付けてくる父さんの腕は、僕がずっと父さんだと認識していた腕は、実はそんなに太くなかった。背だって、極端に高いわけじゃない。僕の背がもう少し伸びたら簡単に追いつくくらいの、背。
僕はずっと、父さんみたいになりたくて、母さんみたいになりたくて、自分の髪や目の色を何度も呪った。
今考えたらとても滑稽だし、なんて無駄なことを考えていたんだろうって笑えるけど、僕は真剣だった。沢山の違和感の原因が、今全部分かって、スッキリしている。だからきっと、悲しいなんて思わない。
「あのさ、会おうと思えば“向こう”でも会えるんだし、その辺にしといたら」
陣君がため息交じりに言った。
「君は、血も涙もないな」
ぐずりながら父さんが言うのが、何だかちょっとおかしかった。
「大河、スマホはシバに渡して。どうせ使えない」
「あ、はい」
ポケットから出したスマホを父さんに渡す。
そうだ。一番大切なことを。
「伯父さん」
僕が呼ぶと、伯父さんはギョッとした。
「あの、もし雷斗が無事に戻れたら、叱らないでやってくれませんか」
突然変なことを言ったように思えたのか、伯父さんは声を出さなかった。
「そして出来るなら、雷斗の話を聞いてやってください。伯父さんが思っていることも、ちゃんと雷斗に話してやってください。凌の時みたいに、お互いがお互いのことを信じられなくなったり、変な気遣いをしてしまったりして、心が擦れ違ったままじゃ、きっと、苦しくなるだけだから。どうか、お願いします」
「ああ、そうする。……絶対に」
ちょっと前までただ恐い人だ、融通の利かない人だと決めつけていたけど、多分違う。
怒りで固めて、必死に耐えてたんだ。
理解を遙かに超えたことがどんどん押し寄せてくる中で、伯父さんは自分の常識が覆るのが恐くて、必死に耐えてた。
本当は、心の弱い人なのかも知れない。
「――じゃ、行くか」
陣君が威勢良く声を掛けた。
「はい」
僕はしっかりと返事する。
父さんの方が、眼鏡の下、全部涙だらけにして酷いことになっている。だらしなく垂れた鼻汁が、スマホのライトに照らされて光って見えた。
「集中して。魔法学校に飛ぶ」
「はい」
穴の縁に手を掛ける。
断崖絶壁みたいに切り立っていて、そこから先には本当に何もないように思えた。
呼吸を整える。
大丈夫。
消えてなくなるわけじゃない。
「行きます……!」
僕は思いきって床を蹴り、闇の中へと飛び込んだ。
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