6. “穴”
悪いことをしてしまったかも知れない。
大嫌いな弟が放った言葉を、僕はわざと使った。
見えるものしか信じない伯父さんに直に訴えかけるには、記憶の中で拾った言葉を使うしかなかった。
「……ごめんなさい、伯父さん。勝手に、記憶を見たりして」
肩で息をしながら、僕は伯父さんに頭を下げた。
「雷斗が暴走したのは、僕のせいです。それは、間違いない。伯父さんの言うとおり、僕と出会って、雷斗は家出を強行したんだと思います」
何と言われるか分からなかった。けど、しっかり謝罪はしておきたかった。
頭を下げ続けて、しばらくの間無言が続く。
伯父さんは観念したようにため息をつき、
「もう、いい。座れ」
と言って、自分もあぐらを掻きなおした。
随分落ち着いてきた。伯父さんに、本来の松葉色が戻り始めている。
僕も元の位置に座り直して深呼吸した。
父さんと母さんの顔がふと視界に入る。二人とも、ハラハラしたような顔をして、僕と伯父さんを見守っていた。
「“干渉者”はみんな、記憶が見えるのか」
伯父さんの言葉に、僕は首を横に振った。
「一握り。雷斗には見えてない」
伯父さんは一瞬、ホッと顔をほころばせる。
「でも、凌には見えてたみたいです」
僕の言葉の後、伯父さんは「そうか」と小さく言って右手で顔を覆った。
落ち着くまで数分、僕らはその場から動かなかった。伯父さんから怒りの色はどんどん消えていき、松葉色の周囲に不安の紫が漂う程度になった頃、僕のスマホが振動した。
陣君からだった。
《こじ開けたゲートの位置を特定した。
地図を送る。
けど、期待はするなよ。
雷斗の姿を確認したわけじゃない。》
短い文章に、身の毛がよだった。
「地図!」
僕は咄嗟にスマホをテーブルの中央に置いて、陣君から送られてきた地図を大人達に見せた。
「これ、さっき話してたヤツ。知り合いが調べてくれて。ここのゲート、こじ開けた可能性があるって」
正直、冷静に見れる自信もなかったし、見たところでどこか分からなかった。
けど伯父さんは見るなり、うっと嗚咽を漏らして押し黙った。
「来澄の、凌の実家」
父さんの言葉に、一気に血が引いていく。
「――来澄さん。今、ご実家には誰か住んで」
伯父さんが、首を横に振る。
「五年程前、親と同居を始めてからは、空き家です。鍵はうちで管理を」
「鍵、確認してください」
「え?」
「干渉者がその力を使って干渉し続けると、その場所が新たなゲートになる。つまり、異世界レグルノーラとの距離が極端に縮まっていくんです。凌は実家の、恐らく自分の部屋から何度もレグルノーラに干渉した。あそこがゲートになっていてもおかしくない。仮に雷斗君がそれを知っていたとしたら、ゲートをこじ開けて飛び込んだ可能性も否定できなくなる。自宅には誰か?」
「私の両親と……、妻も戻ってきているはずだ」
伯父さんはむず痒そうな顔をして、渋々とポケットからスマホを取り出した。
*
結論から言えば、鍵はなかった。
普段は誰も見向きもしないような場所に置いてあった鍵を、雷斗はどんな気持ちで持ち出したんだろう。
「時間がない。来澄さん、行きましょう」
父さんは再び強引に転移魔法を発動させた。僕と伯父さんも一緒に、来澄の実家に飛ぶ。転移魔法二回目の僕は大丈夫だったけど、伯父さんは感じたことのない感覚にすっかり酔って、口を抑え、お腹を何度もさすっていた。
辺りはもう、すっかり真っ暗だ。家々から漏れる明かりが闇を照らしている。
ずっと空き家だった来澄の実家は、主を失ったその日から時間が止まったまま。中身のない植木鉢が庭先に転がり、草も木も生え放題。外壁にはひびが入り、所々剥がれ落ちている。閉め切ったカーテンと汚れたままの窓ガラスも、何とももの悲しい。
雷斗と伯父さんの記憶の中では、おじいちゃんやおばあちゃん、凌や伯父さん、そこへ出入りする人達の声と色に溢れていた。
人が住まなくなると、家は朽ち始めるらしい。それを、まじまじと体感する。
「魔法で飛んでくるとか。大胆だねぇ」
玄関前で待っていた陣君は、大げさに驚いて見せた。
「大河の内通相手が陣だったとは。前より背が縮んだんじゃないか」
陣君の真ん前まで歩み寄って、父さんが言う。
「相手にあわせて姿を変えてるんだよ。そっちこそ、“向こう”では若々しく保ってるらしいが、“こっち”じゃすっかりいけ好かない中年じゃないか。まぁ、皮を被るのが上手いのは前からか」
陣君は鼻で笑いながら、父さんに一瞥をくれている。
ふたりは知り合いらしかった。けど、何だか雰囲気が悪い。思ったよりずっと険悪そうに見える。
「で、そこの一般人が雷斗の父親、凌の兄ってことね。いろいろ聞いてますよ。僕は陣郁馬。雷斗の友達です」
飄々と自己紹介する陣君だが、やっぱり桔梗色に少し灰色が混じっている。雷斗と仲の良かった陣君にとって、伯父さんに対する感情はとても複雑だろうと思う。それでも、普通に接することの出来る陣君は、やっぱり大人なのだと思った。
「ここの鍵、内側から掛けてある。けど、内部からビシビシと変な波動を感じる。シバならこの感覚、知ってると思うけど」
陣君の言葉を聞き、父さんが玄関ドアの真ん前に立った。ドアに手を当て、ハッとした顔をする。
「“穴”が空いてる」
「“穴”?」
僕が首を傾げると、父さんは振り返って説明してくれた。
「ゲートをこじ開けて出来る“穴”は直接レグルノーラに繋がっているわけじゃない。二つの世界の間にある湖に通じている。かつて破壊竜ドレグ・ルゴラを封じていた場所。二つの世界からこぼれ落ちた感情が集まる場所。確か凌は、何度か湖を通り抜けた。そこを抜けると……、レグルノーラのどこかに出る。強く、思い描いた場所に。一度空いた“穴”は肥大し続ける。直ぐにでも閉じなければ、大変なことに」
「そういうこと。物わかりが早くて良いな、シバ。鍵はまぁ、魔法で……っと」
カチッと内側から小さな音。
勢いよくドアを開け、僕らは中へと突入した。
記憶の中で見た場所だ。
この間取り。空気感。どれもこれも、覚えてないはずなのにとても懐かしい。
薄暗い中を、父さんと陣君がスマホのライトで照らしてくれる。
凌の部屋は二階。靴を脱いで、四人で階段を駆け上がる。
「痛っ!」
二階に上がって直ぐのところで、僕の足が硬いものを踏んだ。ライトで照らして貰って、踏んだものを確認する。
鍵だ。ここの家の鍵。
伯父さんに渡すと、また、うっと声を漏らした。
凌の部屋の真ん前。反対側は、伯父さんの部屋だったところ。
「多分、ここを開けると凄いことになってる。予想は外れて欲しいけど」
陣君はそう言って、部屋のドアをバンと開けた。
――“穴”。
他になんと形容したら良いのか分からないくらい、完璧な“穴”。
部屋の半分以上が真っ黒な何もない空間だった。
取り残された机やタンスが、“穴”の縁に引っかかって落っこちそうになっている。
「な、何だこれは!」
伯父さんが後ろでひっくり返った。
父さんと陣君は、厳しい顔で“穴”を睨み付けている。
「デカいな。しかも、こじ開けてから丸一日でこの成長っぷり。異常過ぎないか」
「シバもそう思う? 奇遇だね。僕も思ってるとこ」
“穴”の中には何もないように見えた。スマホのライトで照らしても、光が全部吸収されて何も見えない。
この中を通ると湖に出る? けど、本当に何も見えない。
空っぽの空間。
「ひとつ、聞いて良いか、陣。雷斗は干渉者としてどれくらいの実力があるんだ。私の見立てでは、“力”を使いこなせない大河とは比べものにならないくらい、自在に“力”を使えているように思える。大抵の干渉者はリアレイトでは“力”を使えない。物理法則に反するからだ。しかし、上位の干渉者と呼ばれるまでに実力を付けていけば、それを無視できる程強い“力”で魔法を強制発動させることが出来る。……雷斗は既に、相当、“力”を使えてるんじゃないか?」
ちらり、と父さんは陣君を見た。
陣君はほんの少し動揺したように色を曇らせ、小さく笑った。
「僕も実は知らないんだ。雷斗のヤツ、人前であまり“力”を使おうとしない。けど、わざと自分の中に押し込めているような気配はしていた。普段は内に秘めていて、何かの際に爆発させるタイプかも知れない。少なくとも、君が高校生だった頃と同等か、それ以上かな」
状況は思わしくない。
要するに、雷斗は自力でこの“穴”を開けた。
巨大な“穴”を開けるにはそれ相応の“力”が要る。
そして、雷斗にはそれがあった。
足下に落ちていた鍵も、雷斗がここに来ていた証となった。
「雷斗は……、この中にいるのか」
腰を抜かしたまま、伯父さんが縋るように言った。
どうにかして立ち上がって、いや、這ってでも穴の方に行こうとする。
気付いた父さんが、伯父さんの前に屈み、両手で肩を掴んだ。
その拍子にスマホが手から落ち、ライトが天井を照らした。
「入ったら、帰って来れなくなる。来澄さん、あなたには守るべき家族があるでしょう。ここは私達干渉者がどうにかします」
「どうにかって……」
「この“穴”を、早急に塞ぐ必要がある。更に広がれば、この家も、全部呑み込まれてしまう。大事な場所だから、誰も住まなくなっても管理し続けているんでしょう。ここは元に戻します。そして雷斗のことは、陣と私がどうにかします。レグルノーラの伝手を頼って、なるべく早く探し出せるよう、全力を尽くします。あなたは捜索願を取り下げたり、学校にことの経緯を説明したり……、私も協力しますが、やるべきことが沢山ある。ここで飛び込んだら、更に事態が悪い方向に」
そもそもは。
伯父さんと凌の心のすれ違いから始まった。
見えるものしか信じない伯父さんも、次から次へと突きつけられていく現実、目の前に広がる光景、転移魔法の経験で、もうこれは否定できない事実なのだと分かっている。
雷斗が消えたのは、そうしたわだかまりの中で翻弄されてしまったから。
そして、僕という存在も、雷斗を傷つけた。
僕が何も知らずにのうのうと過ごしていた間に、“神の子”と勘違いされて古代神教会に追いかけ回された。それだって、一度や二度ではないはずだ。
責任を取らなければいけないのは、……僕だ。
「僕が、行きます」
父さん達の目線が一気に僕に向いた。
「“穴”に飛び込んで、レグルノーラに行く。僕が、雷斗を探す」
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