3. 対峙
せめて、もう少し僕の帰ってくるタイミングが早かったらなんて、今更思ったところでどうにもならない。
伯父さんは鼻息荒く、母さんに迫ろうとした。僕は伯父さんの懐に入って、必死に止め続ける。
「何か、あったんですね」
母さんのひと言に、伯父さんは更に憤慨した。
「雷斗が消えた! お前らが隠しているのは知っている。早く出せ! 化け物共!」
酷い、物言いだ。
僕だけに向けられるなら我慢も出来た。でも、無関係の母さんにまで。
「……来澄さん。少し、話をしませんか。中へどうぞ。夫にも、直ぐに戻るよう伝えますので」
いつもより少し低い母さんの声。
視界の端にチラリと見える母さんの薄い桃色に、警戒感を示す強い黄色と、怒りの赤色が混じっていた。
話を、と聞き、伯父さんは急に力を抜いた。
僕は力のバランスを崩して、よろけそうになった。
「そうだな。この際だ。じっくり、話を聞かせて貰おうじゃないか」
ネクタイを緩め、伯父さんはにたりと笑った。
*
和室の客間に通された伯父さんは、ご機嫌斜めながらも、暴れたりはしなかった。
座布団の上にあぐらを掻き、出されたお茶を啜りながら、無言で家主を待っている。
母さんは客間とキッチンを何往復かしながら、父さんと電話でやりとりしていた。あんまり待たせちゃいけないだろうから、とにかく早く帰ってきてと、母さんは何度も電話口で訴えている。
父さんは残業予定だったようだが、ことがことだけに、早く帰ってくるようだ。けど、職場からどんなに頑張っても三十分程度はかかるわけで。その間、伯父さんが大人しくしてくれるかどうか。
普段、大切なお客様を通すときくらいしか利用しない和室には不要なものがなく、六畳間の割に広く感じられる。
張り詰めた空気が重々しくて、息が詰まりそうだ。
僕は、入り口そば、長いテーブルの端っこ付近で肩をすくめて座ったまま、じっと伯父さんの様子を観察していた。
少しずつ落ち着いてきたのか、怒りの赤が大分和らいで、伯父さんの本来の色が見えてきた。松葉色。落ち着いた大人に似合う緑色だ。本来は、こんなに感情的な人じゃないのかも知れない。
やっぱり、過去に何かあったんだろうか。そうでなかったら、こんなにも。
――ジロジロ見ていたのがバレた。
伯父さんと、目が合う。
………‥‥‥・・・・・‥‥‥………
『なんだ、今日も友達連れてきてるのか』
短い夏休みは、実家で過ごすことになっていた。
たった二泊だが、気が重い。弟の隣の部屋で寝るのは、あまり好きじゃない。けれど、美味いものをこしらえて待っているからと母親に言われて、断ることは出来なかった。
熱く蒸された階段を上って部屋に行こうとすると、弟の部屋の方から声が漏れ聞こえた。
『……まぁ、ボクの進路は大体決まってるけど、来澄はどうすんだよ。大学行くつもり?』
男友達らしい。高校三年の夏。この時期らしい会話。
『行きたいけどね。……この身体だし、どうしようかなって』
弟の声。
この……、身体?
弟は、どこか具合が悪かっただろうか。
階段の途中で足を止め、しばらく会話に耳をそばだてた。
『“こっちの世界”にいられる時間が、少しずつ減ってきてる。このままどんどん少なくなっていけば、やっぱり普通の生活は難しいかな。大学四年、持てば良いとは思ってる。ギリギリまで踏ん張るつもりだけど』
こっちの、世界。
また、妄想の話か。
『親はまだ気付いてないんだろ。このまま隠し通せるのか?』
『隠すって、ここにいる俺は、俺じゃないってことを?』
『ま、言い方はアレだけど、そのこと』
隠す?
凌が、凌じゃない?
『言えねぇよ。心配させたら嫌だし。本当のこと喋っても、理解できない。じゃあ、芝山なら言えるのかよ。俺の身体は今、異世界にあって、もう人間じゃなくなったんだ、なんて。……誰が信じる』
『言葉にすると、余計酷いな。喋んない方が良い』
『……だろ?』
異世界……?
人間じゃなくなった……?
何だ、どういうことだ。
頭がグルグルし始めた。急いで階段を駆け上がり、自室に入ってバタンとドアを閉めた。
と、弟の部屋のドアがギィと開く音がして、
『あれ? 兄貴、帰ってきた?』
弟の脳天気な声が聞こえた。
『おい、聞かれたんじゃないか』
と、友達の声。
『いいよ別に。聞こえても。どうせ俺の話は、兄貴の中では全部嘘なんだから』
弟が吐き捨てるように言ったのが、最後に聞こえた。
………‥‥‥・・・・・‥‥‥………
和室の戸が開き、母さんが入ってきた。
お茶を一つ追加で運んで、父さんが座るだろう席に置く。
「今、来ますので」
母さんが座ろうとしたところで、伯父さんはフンと鼻を鳴らした。
「今? お勤めの庁舎からはもう少し時間がかかるのでは?」
伯父さんの言うとおり。あれから五分程度しか経っていないはず。
と、和室の入り口手前の畳が一部、淡い緑色に光り始めた。二重円の中に、文字。
――転移魔法。
和室の戸は微動だにしなかった。
光の中からスタスタと足音が始まって、光が消える頃には、母さんの隣にスッと立つ人影があった。
「お待たせして申し訳ない、来澄さん。お久しぶりです」
ゆっくりと膝を折って、父さんは深々と頭を下げた。
凄い、魔法で……、リアレイトで魔法を使って飛んできた。これが、“上位の干渉者シバ”か。
「ば、化け物!」
伯父さんは、突然光の中から現れた父さんに驚き、声をひっくり返してのけぞっている。
「化け物ではありませんよ、来澄さん。“干渉者”です」
父さんは纏った薄い水色を濁すこともなく座り直して、伯父さんの醜態をじっと見つめている。
「お待たせしたら悪いなと思いまして、少々手荒な真似をしました。普段はこんな方法で移動しませんが、緊急事態ですので」
仕事から直帰しただけあって、父さんは如何にも公務員っぽい雰囲気を保っていた。
伯父さんはんんっと咳払いして、姿勢と髪型を直し、父さんを睨み付けた。
「昨日から、うちの雷斗が行方不明。あんなにお願いしたのに、あなた達は約束を
伯父さんは怒りを抑えて喋っていた。
怒りだけじゃない。干渉者という不可思議な存在に対する恐怖が見て取れる。恐怖を強く感じたときに見える、紫色が混じっている。
「子どもの付き合いにまで制限は付けられませんよ、来澄さん。ですが私も迂闊でした。小学校も中学校も、別の学区だったはずでした。が、この少子化で学区の統合があり、中学から同じ学区になってしまっていたこと、先ほど区役所で確認してきました。申し訳ありません。大河には何も話していなかった、それ故、接触を避けることも出来なかったこと、お詫びします」
父さんはまた、頭を下げる。
「雷斗君のことは、当然事件性があるかないかも含めて、警察が捜査中なのだと聞きました。ただ、うちでかくまっている事実はありません。大河がたぶらかしたかどうかは……、どうでしょう。私もついさっき妻に聞いたばかりで、詳細は分かりません。――大河は、何か知ってるか?」
急に話を振られ、僕はビクッと肩を震わした。
な、なんて言えば良いんだ。
本当のことを喋る? 相手は伯父さんだ。来澄凌が死ぬ程嫌いで、干渉者のことを気持ち悪がってて、雷斗の生き方まで制限するような人。
言い方を間違えたら、それこそ椿ちゃんの警告通り思い切り殴られるかも。
……けど。
「『帰りたくない』って言ってました」
僕が言わなきゃ、きっと誰にも届かない。
「『家には帰りたくない』『大河んちに、泊めて』って。だけど僕、断ったんです。親の許可無しに外泊はダメだよって」
伯父さんの周囲に漂う色が、急に変わった。寒色系の青や紫に変化していく。
「だから多分、行き場を失ったんだと思います。もしかしたら、もう、“こっち”にはいないかも知れない。今、知り合いが調べてくれてて。手掛かりがあったら、連絡を貰うことになってます」
「『“こっち”にはいない』? ……まさか」
父さんがギョッとして僕を見ている。
僕はこくりと頷いて、
「雷斗も、干渉者なんだ」
大人達はこぞって驚いていた。
伯父さんは、改めて言われた雷斗の属性に、そして、父さんと母さんは、僕の台詞の本当の意味に気付いて。
「レグルノーラに……?」
父さんは言ったけれど、僕は分からないと首を横に振った。
「可能性の、段階だけど。雷斗は、『居場所がない』って言ってたそうです。『どこにも、本当に自分が生きていく場所がない』って。だから、逃げたのかも知れない。分からない。必死に探しても、見つからなくて。もしかしたら、居場所を探してるのかも……って」
ふと、顔を上げる。
伯父さんは、怒りを湛えた目で僕を睨み付けている。
僕も、負けじと伯父さんを睨み付けた。
これは、僕が雷斗のために出来る、ギリギリの。
「雷斗は、伯父さんに生き方を狭められていることに対して、もの凄く、悩んでいました。同じ干渉者だったという、来澄凌を敬愛していたのは、多分、伯父さんが雷斗の“力”に、理解を示さなかったからだと思います」
凌の名前が出た途端、伯父さんの中に、強烈な赤色が滾った。
やっぱりそうだ。
伯父さんと来澄凌の間には何かがある。
「もし、雷斗がレグルノーラにいるのだとしたら、見つける術もないのだと聞かされました。伯父さんが……、伯父さん自身が引き起こしたことですよ」
これはチャンスだ。
多分、二度とないチャンス。
変に興奮して、この前みたいに吹き飛ばしたりしないように、細心の注意を払いつつ。
「雷斗のことを、本当に考えているなら、もっと話を聞いてあげるべきだった。雷斗は、ずっと、孤独だった。伯父さんは、雷斗の気持ちを考えたことがありますか。全てを否定され、雁字搦めにされた雷斗の気持ちを」
両目に力を集中させる。
伯父さんの、目を見る。
その奥に隠された、記憶の欠片を掴み取る……!
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