【8】リアレイトとの決別
1. 怒れる人
雷斗がリアレイトにいない……?
可能性としてあり得ないわけじゃなかったけれど、陣君の言葉で、尚更不安になる。
背筋が震えて、変な汗がにじむ。
「雷斗が“向こう”にいることを確認する方法は、あるの?」
「ない」
陣君は申し訳なさそうに首を横に振った。
「レグルノーラにはリアレイトから多くの干渉者が流入している。かつては干渉者協会って組織が二つの世界の干渉者の登録やランク付けを行ってたんだけど、色々あって解散しちゃったし。そもそも、住民登録みたいな制度がないんだよ。誰がどこで生まれたのか、死んだのか、そういうものを管理する体制がない。ちょっと前まで、レグルノーラでは市街地にも魔物が度々現れていたし、何度も悪竜によって壊滅の危機にさらされてきた。いちいち管理してられなかったからね。雷斗一人増えたところで、彼が何らかの騒ぎでも起こさない限り、存在を認知するのは難しい。彼にも君みたいに独特の気配があって、現れた途端に能力のある人間達が注目するようなら別だけど」
「――“神の子”に勘違いされるくらいには独特なんでしょ?」
「本物が何言ってんだよ。君が現れて以降、雷斗の印象は急激に薄くなった。極限まで薄めたスープと、その原液くらい差がある。もし、彼が本当にレグルノーラに転移してしまったなら、あの世界の隅々まで地道に探すしかない。一応、何かしら騒ぎが起きてないか、あちこちに監視カメラ搭載したマシン飛ばして確認してるところ。今頃、マーシャとノエルが目を凝らして監視映像と睨めっこしてるはずだ」
「探しては、くれてるんだね」
「まぁね。ちょっとは責任感じてるから」
中身がジークさんの陣君は、偶にもの凄く渋い顔をする。そして、辛い現実さえ、淡々と突きつけてくる。
「僕も……、雷斗の行きそうなところ、もう少し探してみる。ありがとう」
果たしてそうすることが正しいのかどうか分からなかったけど、僕は陣君に深々と頭を下げた。
陣君は複雑そうな顔をして、「頭下げるなよ」と小さく息をついた。
「大河、連絡先の交換しよう。スマホ持ってるだろ」
「え?」
ズボンのポケットからスマホを取り出して、陣君が僕に画面を向けてきた。
「なんで持ってるの?」
レグルノーラの干渉者なのに。どうやって入手して。
「法を犯して手に入れたもんじゃないから、安心して。リアレイトに協力者がいるんだよ。言っとくけど、君んとこのシバじゃないからな。長年、二つの世界をいったり来たりしてるうちに、なんだかんだ打ち解けて話せる相手がいたってことさ。パトロンみたいなもん。それはそうと、連絡先。こっちで何か分かったら連絡する。そっちも、何かあったら連絡して。“向こう”に電波は届かないから、僕がちょこちょこ“こっち”に来るタイミングで通知チェックする。既読付かなくても心配するなよ?」
「う、うん……」
陣君くらいのレベルになると、一日に何回も“干渉”出来るのか。やっぱり、格が違う。
僕は半信半疑ながらも、陣君と連絡先を交換することにした。
*
住宅街、学校のそば、そして、あちこちに点在する小さな公園。雷斗の行動範囲と思われる場所を一通り自転車で駆け抜けた。
行く先々に警察がいて、PTAの役員がいて、学校の先生がいた。
みんな一様に、心配していることを示す不安の紫色やら灰色やらに覆われていて、見ているだけで胸がぎゅっと締め付けられた。
雷斗はどこにもいない。
姿形も、あの綺麗な瑠璃色の名残すらどこにもなかった。
太陽がどんどん傾いていって、空を茜色に染め始めていた。
自転車に乗っていると風がいつもより冷たくて、ハンドルを握る手がどんどんかじかんでいく。
行方不明になってから、丸一日。この街から出て遠くへ行ってしまったなら、僕が見つけることは不可能だ。
雷斗の自宅付近は既に捜索済みだろうし、思い入れのある場所は他に浮かばない。
……いや、待てよ。
記憶を覗いてしまったときに、何度も現れた場所があった。
けど、詳しい住所が分からない。あれは、あの場所は……。
路肩に自転車を止め、夕焼け空を仰ぎながらしばし考えていた。
小さな僕と、そして来澄凌が訪れたあの家。入るなと言われた部屋。階段を上がると二つの部屋が左右に一つずつあって……。
――ポケットの中でスマホが鳴った。
大急ぎで取り出して、画面を確認。
椿ちゃんだ。
「もしも……」
『大河君! 今どこ!』
様子がおかしい。
さっきと違う切迫感。
「今、中学校そばの河川敷の辺り。どうしたの?」
『ごめんなさい! メモが!』
「メモがどうしたの」
『お父さんに見られた! 今、大河君ちに向かってる!』
「え? ちょっと待って。落ち着いて。僕の連絡先を書いたメモが、椿ちゃんのお父さんに見つかったってこと?」
『うん、そう。……恐い。どうしよう。大河君、殺されちゃう』
「何言ってんの。そんなわけ……」
『大河君、逃げて! ああなると、お父さん、誰にも止められない。殴られるよ、蹴られるよ。大河君はお父さんのこと知らないからそう思うだけ。お兄ちゃん、何度もやられたの見てたから知ってる。早く、早く逃げて!』
走り書きした住所。そして、養子に出した芝山の姓と、大河という名前。
伯父さんは、僕が雷斗をたぶらかしたと思ったに違いなかった。そうでなければ、メモくらいで大騒ぎしないはずだ。
「……大丈夫だよ。落ち着いて、椿ちゃん。伯父さんが怒ってるときの様子は、僕も知ってる。雷斗の記憶で見たから。ありがとう。伯父さんのことは、僕が何とかする。椿ちゃんは引き続き、雷斗のこと、家で待ってて」
『でも』
「大丈夫だから。伯父さんのことは大丈夫だから。……いいね。約束だよ」
『うん……、うん……』
――暴走、してる。
伯父さんの、来澄凌に抱いていた感情が暴走して、冷静さを見失ってる。
この時間だと、パート先から母さんが戻ってきてるはず。何の事情も知らない母さんが、伯父さんと鉢合わせたら。そっちの方が心配だ。
スマホをポケットに突っ込み直して、僕は自転車をこぎ出した。
とても、嫌な予感がした。
吐き気がして、目眩がして。
興奮しすぎるのは良くないと分かっていながら、僕は少しずつ自分の感情が高ぶっていくのを、どうしても止められなかった。
*
大急ぎで家に戻り、物置に自転車を突っ込む。母さんの電動自転車。先に帰ってきてる。
どういう手段で向かったのかは分からないけど、雷斗の家から僕んちまで、たいした距離はない。どちらが先か、微妙なところだ。
恐る恐る玄関を開け、見覚えのない靴がないことを確認する。……ホッと、息をつく。
どうやら間に合ったらしい。
「ただいまぁ。母さん、あのさぁ」
とにかく大急ぎで事情を伝えないと。
そう思っていつもより大きめの声で家の中に声をかけた、その時。
知らない右手が僕の右肩を鷲掴みにした。
「――大河?」
僕は咄嗟に半身を捻って腕を振り払おうとした。けど、その右手は僕を放そうとしなかった。
顔を上げる。
男と目が合う。
知ってる。
この人のことを、僕は知ってる。
溢れ出す真っ赤な攻撃色。来澄凌とよく似た、だけど全然違う、怒れる人。
来澄凌と僕のことを敵対視するこの人は、記憶の中で見た、雷斗の。
「大河だな……! 凌と、同じ顔をしている……!」
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