6. “来澄先輩”

 親からの説教はなかった。

 学校からは間違いなく連絡があっただろうに、父さんも母さんも、何を気遣っているのか、話題にしなかった。いつものようにご飯を食べて、いつものように風呂に入り、いつものように寝ることが出来てしまった。

 それが何だか、妙に気持ち悪い。

 やっぱり、本当の親子じゃないから? 



――『特性を弾いている人間は、特に怪しいと思った方が良い。都合の悪い真実を隠そうとしているってことだろうから』



 陣君の言葉も引っかかる。

 父さんも母さんも、徐々に教えてくれていたら良かったのに。

 そうすれば、こんなにも混乱することなんてなかったのに。






 *






 レグルノーラに飛ぶことなく、数日が過ぎた。

 一層強力になった父さんの結界が功を奏したのか、魔物や神教騎士から襲われることもなくなった。

 リサさんに出会ってから、ほぼ毎日“向こう”に飛んでいたのに、急に前と同じ、何でもない日常が戻ってきてしまった。

 最後に見たリサさんは泣いていた。

 最後に見た雷斗は怒っていた。

 僕は、二人に見捨てられたんだろうか。

 自分から会いに行くのは、ちょっと恐くて気が引ける。

 レグルノーラに飛んだところで白い竜の噂は広がっているのだろうし、あんなことがあった後でモニカ先生に会いに行くのも気が引けた。

 それに、僕の気配がレグルノーラにあるのは、リサさんがきっと、良く思わない。

 僕が近づけば、またリサさんを悲しませる。

 それだけは、絶対に避けたい。

 気配の漏れないジークさんのところに飛ぶ、という手もあったけど、あの事務所に通じてる神社には、もしかしたら雷斗がいるかも知れなかった。別れ際の雷斗を思い出すと、鉢合わせになるのはリスクが大きい。自然と神社からは足が遠のいた。


 そうやって堂々巡りを繰り返して、結局僕は、以前と同じように土手を通り、とぼとぼと学校と家を往復するだけの日々を送った。

 学校では相変わらず冷たい目で見られたり、変なコソコソ話が遠くで聞こえたりしていた。キレるとヤバい僕は、からかいの対象ではなくなっていた。触ったらやけどをしてしまう、熱湯の入ったヤカンみたいな存在になっていた。

 それはそれで、あながち間違っているわけでもない。

 下ばかり向いて、みんなに虐められていた時とは打って変わって、今度はみんなの方が怖がって、僕に近づかなくなってしまったのが何だか滑稽だった。

 時折、僕に目を向けた人の心が見えた。僕はどうやら、影では相当な扱いらしい。

 人の噂に付いた尾ひれはどんどん大きくなって、やがて本当のことを全部包み隠してしまう。


 レグルノーラでも、リアレイトでも、人間はそうやって、物事の本質じゃない、表面の薄いところばかり見て判断する。

 そして僕も、きっと、見えている心の色や記憶だけを頼りに、物事を判断している。

 こんな特性を持っていたところで、僕には何も出来ない。

 僕が竜の血を引いていることも、リサさんがなくした記憶について苦しんでいることも、雷斗が親と上手くいってないことも、解決するのは容易じゃなくて、もっともっと大きな犠牲が必要なことを、僕は本能的に感じ取っていた。






 *






 なりを潜めていた“何か”が動き出したのに気付いたのは、金曜の昼だった。

 緊急職員会議が開かれるらしく、午後の授業がなくなって一斉下校となった。

 ホームルームを終え教室から出ようとしていた僕を、陸上部の三人が引き留めた。あの日以来、目を合わせてすらいない彼らが何の用だろう。僕は疑問に思いながらも、彼らの呼びかけに応じた。


「あの日、来澄先輩に会った?」


 遠慮がちに尋ねる田村。

 そう言えば、雷斗は部活の時、僕が佐々木を突き飛ばしてしまったことを耳にして、僕を探しに来たんだ。


「会った、けど」


 教室からどんどん人がいなくなっていく中、僕は三人に通せんぼされて、身動きが取れなくなっていた。

 あんまり面倒くさいことには巻き込まれたくない。反対側から廊下に出ようと、身体の向きを変えると、木下が気付いてサッと僕の前を塞いだ。


「……だよな。芝山って、来澄先輩の知り合いか何か?」


 わざわざこんな風に僕の行く手を阻む理由は何なのか。

 田村と、そして相変わらず僕の顔を見ることが出来ないくらい怯えてる佐々木にも、いつも僕をからかうときに見せる、あの攻撃的な色は全然ない。怯えたような、震えるような寒色系の色が、彼らの周りをグルグルと渦巻いている。


「まぁ、知り合いというか、何というか。小さい頃遊んだ仲……かな」


 本当のことを伝えるのもどうかなと思って、僕は当たり障りのない言葉を選ぶ。


「ずっと会ってなくて、あの日に声かけられて思い出したくらいで」

「そうか……」


 変に落胆する木下。

 何だか気持ち悪いくらい、不安の色が濃くなっている。


「雷……じゃなかった、来澄先輩に、何かあった?」


 僕の質問に、彼らは異常なくらい反応した。

 三人が三人とも、必死に首を横に振る。


「あ、いや、何でも」

「なぁ」

「うん。何か知ってるかなと思って、聞いただけだから」


 ……怪しい。

 僕が無言で一人一人の表情を確認していると、田村が観念したように、「誰にも言うなよ」と小さく言った。


「行方不明なんだ」

「――は?」


 僕は思わず顔を上げ、聞き返した。


「来澄先輩、行方不明なんだ」


 消え入るような声で、だけど確かに田村はそう言った。

 他の二人も、小さく頷いて同調している。


「昨日の部活の後から、足取りが掴めてない。部活で何かあったんじゃないかって学校側にも探られたけど、俺達は何も」

「けどそこで、そう言えばあのとき先輩、芝山の話を聞いて血相変えてたって話になって」

「あり得ないとは思ったけど、何か知ってるかなって」


 三人が口々に訴えてきた。

 必死さが伝わる。

 僕の中に、彼らの記憶がビュンビュン流れ込んでくる。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 今朝方、陸上部の三年生から情報が回ってきたようだ。箝口令も敷かれている。手掛かり無し。それらしききっかけにも、心当たり無し。

 今日の緊急職員会議、雷斗の件を話し合うらしい。

 警察にも届けてある。

 陸上部の一人一人が生徒指導室で個別に話を聞かれたが、雷斗の居所に繋がる決定的な証言は得られなかった。

 部員の中で唯一話題になったのは、雷斗が僕の話を耳にしたときの顔。とても尋常じゃなかった。殆ど毎日頑張っていた部活を、その日雷斗は休んでしまった。以降、雷斗の情緒がどんどん不安定になっていったのを、部員全員が気にかけていた。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「……ごめん、知らない」


 僕は小さく首を横に振った。

 神社で様子のおかしかった雷斗。彼の記憶をじっくりと覗いていたなら、何か分かったのかも知れないけれど。あのときは、雷斗の気迫に圧倒されて、ただその場にいることしか出来なくて。

 第一再会したばかりで、とは言っても、僕には小さい頃の記憶はなかったわけだし、一つ上の雷斗が抱いていた感情や大事にしていた記憶を受け止めるのが精一杯だった。

 僕が芝山の家に行ってから、いや、雷斗が生まれてからこれまで、一体どういう風に生きてきて、どういう苦しみや悲しみを乗り越えてきたのか、僕は垣間見た断片的な記憶でしか知らない。知りたいと思っても、きっと雷斗は教えてくれないだろう。教えたくはないだろう。

 だけど……、知らなければならない気がした。

『お前になりたかった』と言った雷斗のそれは、きっと本心なのだと思う。

 雷斗が病んだ原因の一つは、僕と、来澄凌の存在。

 僕が、動かなきゃ。


「あの」


 声を掛けると、三人はビクッと肩を震わした。


「ご、ごめん! この間、怖がらせて。僕、ちょっとおかしかった。凄い顔してた。突き飛ばすつもりは、なかった」


 教室からはひと気がなくなっていた。

 広くなった教室に、僕の声が妙に響いた。


「本当に、ごめん。興奮すると、周りが見えなくなる。注意する。だから、その……」


 こういうとき、どうやって言葉を繋げば良いのか。

 口の中で何度か言葉にしかけて、でも、丁度良い言葉が出てこない。


「こっちこそ、ごめん」


 田村が言った。


「芝山のこと、からかいの対象としか見てなくて。何言っても言い返さないのを良いことに、とんでもないことを言った。あんなの、当然だ」

「凄い、目力だった。圧倒されて、倒れた。あのとき、芝山は何もしてなかった。だから突き飛ばされたわけじゃなくて……」


 佐々木が、勇気を振り絞るように言った。


「へ、変な力なんて、あるわけないし。どうにかしてた。こっちこそ、ごめん」

「――それは」


 言いかけて、やめた。

 もしこのまま僕の力が膨れ上がっていったら、いずれバレてしまうかも知れないけど、今は秘密。


「ううん、何でもない。それより、教えてくれないかな。来澄先輩って、どういう人……?」






 *






 クラスメイトと授業以外で能動的に関わったことのない僕にとって、それは何だかとても不思議な時間だった。

 謝ったことで少しずつ彼らの警戒感は解けて、不安の色も徐々に薄れていった。

 帰り道、一緒に歩きながら話を聞く。

 陸上部での雷斗は、とても明るくて、元気で、ムードメーカー的存在らしい。

 けれど大会前になると、プレッシャーから粗暴になったり、自暴自棄になったりすることがあるらしく、扱いも大変なのだと聞いた。


「成績を残し続けないと、親に部活、辞めさせられるんだって。塾の時間削って部活をしていること、あんまり良く思ってないみたいで」



――『親父の敷いたレールの上を、オレが走ろうとしないのが気に食わないらしい』



 雷斗は、親への抵抗手段として、部活動を選んだのか。

 そこでは自由だった。変な条件さえなければ、もっと。


「内申点のために、部活動許可されてるって聞いたことがある」


 大会で上位に食い込めなかった雷斗には、過去に一度、退部の危機があった。

 当時一年生だった彼らは、監督に詰め寄る雷斗を見たのだそうだ。


「可哀想だった。親が監督に直接、『部活は辞めさせる』って連絡したらしくてさ。来澄先輩、泣きながら『辞めたくない。親を説得して貰えないか』って迫ってた。普通じゃないよなぁ……」


 垣間見える、伯父さんの圧力。

 どうしてそんなにも、伯父さんは雷斗に辛くあたるのか。



――『親父にとって、干渉者は敵なんだ』



 本当にそうなのだとしたら、雷斗が失踪した原因もそこにあるような気がしてならない。


「こんなこと聞いてどうすんだよ、芝山」


 木下は半笑いだった。


「うん……、そうだね。どうにか、助けてあげられないかと思って」


 ポツリと零した僕の言葉に、三人の足が止まった。

 どうしたのと僕がキョロキョロすると、佐々木が急に変なことを言い出した。


「お前、良いヤツだったんだな」


 田村も木下も、互いの顔を見てうなずき合っていた。


「今まで、全然知らなかった」

「芝山、変わったよな」


 攻撃的な色も、警戒色も、そこにはなかった。


「なぁ、大河。今度さ、一緒に遊ぼうぜ。俺達のことも、下の名前で呼べよ」


 田村が急に呼び方を変えてきた。

 思ってもみなかった誘いに、僕は何だか気恥ずかしくなる。


「え? ちょっと、呼びづらい……」

「急にハードル上げるなって。大河がビビってんじゃん」


 空は晴れていた。

 午後の温かい風が、住宅地を並んで歩く僕らの間を、気持ちよさそうに抜けていった。

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