2. 苦しみの果てに

「アリアナに、問い詰められた。『気配だけじゃなくて、アレじゃ完全に』って。白い竜はわざわいを呼ぶ破壊竜なんだってことは、私だって知ってたよ。昔、二つの世界を破壊し尽くそうとした恐ろしい竜の話は、いろんなところで耳にした。ちょっと考えれば分かる話だったんだよ。レグル様が白い半竜であることも、古代神教会が大河君を狙う理由も、ディアナ校長が大河君を特別に扱う理由も……、全部繋がってた。要するに、大河君自身が、そういう存在だった。白い竜だった」


 リサさんは、酷く興奮していた。

 泣きながら、必死に言葉を紡いでいた。


「ディアナ校長は、そういう事情を全然知らない、記憶のない私を、わざと大河君に宛がった。都合が良かったんだ。だって、知らないんだもん。記憶が、ないんだもん。だから大河君を、良い意味で“神の子”なんだと信じてたし、どうにかしてあげたかったし、仲良くなりたい、一緒にいたい、大好き、……そう、思ってた。だけどそれは、きっと私が何も知らなかったから。周囲の大人達や、過去を持った人達はみんな知ってた。大河君が単にレグル様から“力”だけを受け継いだなら、そんなに事は荒立たなかったかも知れない。けど、違うんだよね。“竜の血”は、思ったよりずっと濃くて、大河君自身を白い竜に変えてしまった。そういうことなんでしょ。だから、みんな、大河君に対して変な態度を取ってた。シバ様は、大河君に何も伝えられなかった。モニカ先生はやたら遠回しな言い方をした。アリアナは大河君に異常に興味を示した。古代神教会は、大河君が引き継いだ“神の力”に怯えてたんじゃない。神への冒涜に憤慨していたわけでもない。白い破壊竜が再びこの世界を壊してしまうのじゃないかって、そのことに怯えて、大河君を警戒してた。そういう……、ことだったんでしょ」


 冷たかったリサさんの手や頬に体温が少しずつ戻ってきて、濡れていた制服が、どんどん生ぬるくなっていった。


「塔の魔女ローラ様が、大河君を竜にしたって聞いた。大河君を、守ってくれると思ったのに。味方なんかじゃなかった」


 敵とか、味方とか。

 本当はそういう問題じゃないなんて、リサさんは理解してくれないだろう。


「寮の窓から、白い竜と戦う市民部隊の竜騎兵団が見えた。戦いは一方的で、白い竜はただ藻掻いているように見えた。私は、直ぐにそれが大河君だと分かって。苦しくて、泣きそうで、いつも目を潤ませてた大河君が、どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないんだろうって」

「それは違う。ローラ様は、僕が破壊竜なのかどうか、確認するために」

「――そんなのは言い訳だよ。恐いから、大河君のことを信じるつもりがないから、そういうことをしたんだよ。大河君は、優しい。誰かを傷つけるようなこと、大河君はやらないよ」


「違う、優しくなんかない。僕はただ、心の色が見えるから」

「悪用する人もいる。相手の心が見えれば、弱みにつけ込むことも、その人を追い込むことも容易に出来る。けど、大河君はやらない。それは、大河君が痛みを知っているからだよ。傷ついたとき、苦しいとき、必死に耐えてきたからだよ。大河君を、これ以上誰にも傷つけて欲しくない。白いから、何なの。そんなに、怖がられなくちゃならないの。どうして誰も、破壊竜と大河君を、別物だと思わないの」


 リサさんは、僕の身体を締め付けるように、またぎゅっと腕に力を入れた。


「今日も、竜になったでしょ」

「――え?」


 僕はビックリして、ぐるっと振り向いた。

 勢いで、リサさんの手が解けた。


「大河君の“力”を感じた。つい、ほんの少し前」


 リサさんは、厳しい顔で僕を見ている。


「どう……して。あそこには結界が張ってあって、“気配”は漏れないって」

「――やっぱり“あっち”に行ってたんだね。大河君のこと、物凄く近くに感じてたのに、全然魔法学校に来てくれなくて。気のせいかなってしばらく待ってたんだけど、我慢出来なくなって、“こっち”に……、来ちゃった。玄関の鍵くらい、本当は魔法でどうにでもなった。でも……、開けられなかった。庭付きの素敵なおうち、優しいご両親、温かい家庭。どれも私には不釣り合いで……、一人じゃ、入れなかった」


 母さんが軽い気持ちで言った『いつでもいらっしゃい』が、リサさんにとっては苦痛だった。

 そんなことすら、僕は気付いてあげられなかった。

 リサさんは、どれだけ長い間、雨を浴びていたんだろう。

 雷斗に偶然声を掛けられて、成り行きで約束を破ってしまったことが悔やまれる。

 

「大河君に、どうしても会いたかった。住んでいる世界が違うから、直ぐに寄り添えないのが苦しくて、どうしても早く会いたかった。……難しいね。そんなに簡単に、二つの世界は飛び越えられない。私の力じゃ一日一回の干渉が限度だし、大河君も干渉できるようになってまだ日が浅い。大河君の“力”に異変を感じたところで、直ぐに会いに行けるわけじゃないのが、凄く……辛い」

「リサさんも、相手の“力”や“気配”を感じる特性を持ってるの?」


 違う、とリサさんは首を横に振る。


「大河君の“力”だけ、感じるみたい」

「僕の、“力”だけ?」

「……うん。アリアナは、『急に竜の気配が消えた』って言ってたけど、私はそうじゃなかった。大河君の“力”が大きくなったり小さくなったりするのをしっかり感じたし、大河君が……竜になるの、私、分かるみたい」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 潤んだリサさんの目の中に、映像が浮かぶ。

 アリアナさんとともに、廊下の窓から空を伺うリサさんがいる。


『竜の気配がどんどん大きくなってるんだけど、あの子じゃない?』


 どうやら、アリアナさんがそう言って、リサさんを廊下に呼んだらしかった。


 キョロキョロと気配の方角を確かめるアリアナさんが、空に白い竜のシルエットを見つけたとき、リサさんが急に唸りだした。

 苦しそうに胸に手を当て屈み込むリサさんを、アリアナさんはビックリして見下ろしている。


『大丈夫、リサ』


 リサさんはその時、自分の手が淡く光っているのに気が付いていた。

 ほんのりと赤い光は、彼女の内側から発せられていた。


『リサ……、あなた、胸の辺りが』


 アリアナさんの声に従い、視線が手から胸に移っていく。

 リサさんの胸の中央に、赤い、見たこともない魔法陣が浮かんで――。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 僕は、咄嗟にリサさんの胸の辺りに視線を落とした。

 リサさんは、何かを察したように、左脇のチャックを引いてセーラー服を脱ぎ始めた。

 突然の行動に驚く僕に構わず、リサさんはその綺麗な胸を僕に曝け出した。


「多分、この魔法陣、大河君の力に反応してる」


 白い肌に焼き付けられた魔法陣に、複雑な模様とレグルの文字が刻んである。

 入れ墨みたいに書き込まれているんじゃなくて、まるで囚人に押される焼き印のようなそれは、リサさんの肌を僅かに爛れさせていた。


「古代レグル文字。なんて書かれているのか、分からない」


 リサさんは恥ずかしそうに、脱いだ制服で乳房を隠して、僕に胸の刻印だけ見えるようにした。

 美しい魔法陣だけど、でも、きっとこれは、あまりよろしくないもの。


「大河君と出会ってから先、変なんだ。大河君が“力”を使うと、胸の辺りがぎゅっとして、おかしいと思って後で見ると、こうやって印が出てる。普段は何もない、綺麗な身体なんだよ。昨日、白い竜が出たときもそうだった。神教騎士に襲われた日も、昨日も、今朝も、さっきも。通常の干渉程度じゃ刻印は出ない。大河君が“竜の力”で誰かを攻撃したり、竜に変化へんげしたりすると、こうやって印が浮かぶ。どうして? 私、何者なの? ねぇ私、どうなっちゃったのかな……?」


 リサさんは、半笑いだった。

 それは、絶望したときに見せる悲しい笑い。


「リサさんは……、リサさんだよ」


 他に、なんて言えば良いのか。

 慰めにしかならないのに、僕は何も知らなくて、彼女も何も知らなくて。

 こんなとき、どう声を掛ければ心が安らぐのか、僕は、何も……!

 僕が困ったような顔をしたからか、リサさんは顔をくしゃくしゃにして、涙をぽろぽろ零し始めた。

 泣かせた。

 また、リサさんを泣かせてしまった。

 僕が無知なばっかりに。

 僕が白い竜の血を引いたばっかりに。

 リサさんが。

 大好きなリサさんが泣いてしまった。


「……しばらく、会うのやめようか」


 僕はハッとした。

 リサさんの杏色が、また錆色に侵食されているのに、僕はまた何も出来ずに。


「気持ちの整理、したいから。大河君も、不安定な状態で“向こう”に行くのは危険でしょ。落ち着いたら、また会おうよ」


 力のない笑い。

 僕は、失いたくないのに。


「リサさん、僕は全然――!」


 手を伸ばした。

 けどもう、そこにリサさんはいなかった。

 彼女の頭を拭いた、濡れたバスタオルだけが、はらりと床に落ちていた。

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