【7】居場所を探して

1. 一縷の

 僕と雷斗は、お堂の屋根の下で目を覚ました。

 また来いよと静かに言ってくれたジークさんの声が耳の奥に残っているし、雷斗の目は真っ赤だった。

 日差しの角度が殆ど変わっていないところを見ると、やっぱりあんまり時間は経過していなくて、でも、とても長い間“向こう”にいた実感がある。


「あ、あの」


 僕は雷斗にとても悪いことをしてしまった気がして、咄嗟に話しかけようとした。……けど、そこから先、何を喋ったら良いのか分からなくて、そのまま黙りこくった。

 雷斗は力の抜けたような、ぐったりと疲れたような顔をしたまま、鳥居の向こう側をぼうっと見ていた。

 人通りの少ない住宅地の、奥まったところにあるこの神社は、沢山の人や色にまみれた僕らの日常とは少しだけ違う世界だ。鳥居を潜ればまた元の生活に戻る。

 僕と違って、雷斗は、二つの世界を繋ぐゲートのあるこの神社を介してレグルノーラに干渉していた。言うなれば、雷斗にとっては、そこに見える鳥居が、実生活と異世界を繋ぐゲートなのかも知れなかった。

 ふと、ひんやりした風が吹いてきて、僕はブルッと肩を震わせた。

 空には少しずつ、薄暗い雲が広がり始めている。

 雲の流れが、いつもより速い。

 雨が降る前に帰らなくちゃ。

 思って荷物を持ち上げようとしたところで、雷斗が急に声を上げた。


「連絡先、交換しないか」


 まるで何かに追われているような切迫した顔だ。

 僕は勢いに押され、「うん」と返事した。

 雷斗は通学カバンの中からノートを一冊取り出し、ページを二枚ビリビリ切り取ると、一枚を僕に差し出した。


「学校だと先輩後輩だし、声も掛けづらい。二人で、連絡を取り合いたい。大河ンちに行ったり、一緒にレグルノーラの話をしたり、干渉したり。今まで誰にも言えなかったこと、沢山相談したい。迷惑じゃなかったら……!」


 また、泣きそうな目をしている。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




『想像力豊かなことは、悪いことじゃない』


 雷斗のお父さんの、低い声が頭に響いた。

 実の息子を見る目じゃない。もっと違う何か、汚いものを見るような。


『嘘をつくな。現実世界から逃げるな。……別の世界? 頭がおかしいんじゃないのか』


 口答えすら許されない雰囲気で凄まれ、震える雷斗。

 僕は多分、まだ、雷斗の本当の苦しみを知らない。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 僕は紙を受け取って、通学カバンから急いで筆記具を取り出し、連絡先を走り書きした。

 雷斗も同じように紙に書き、僕らはそれぞれの情報を手に入れる。


「……住所、思ったより近いな」

「うん」

「こんなに近くにいたなら、もっと早く」


 雷斗の手が、僅かに震えている。


「こ、今度、椿ちゃんのことも紹介して。僕の、もう一人のいとこなんでしょ」


 これ以上、雷斗の涙を見たくなくて、僕は多少大げさに、明るめに話しかけた。

 けど、僕はうっかり忘れていた。

 椿ちゃんのことは、直接聞いたわけじゃなくて――。


「なんで、椿のこと。……って、そうか、記憶、見えるんだっけ」


 しまった!

 僕は慌てて口を塞いだ。

 そう、見たんだ。雷斗の記憶で。


「ごめんなさい! あの、わざとじゃなくて。ホントに」


 慌てふためく僕を見て、雷斗はプッと吹き出した。


「怒ってない怒ってない。本物だな。うん、そう。妹。小六なんだ。あいつにも“力”はない。家族の中で、オレだけ“力”がある。ずっと、オレだけだったから。でも、今日は良かった。大河に会えて、最高に良かった」


 雷斗の瑠璃色は、少しくすんでいた。

 ぽつりぽつりと、雨粒が一つずつ落ちて、お堂の階段を濡らしていく。

 本降りになる前に、僕らは別れた。

 手を振る雷斗の背中が、少し、寂しそうだった。






 *






 雨脚は、徐々に強くなっていった。

 神社からは、いつもの道を通らず、少しだけ近道をした。

 普段は避ける、商店街のアーケードを抜け、足早に家に急いだ。土手を辿るルートだと、本降りになったときに雨宿りする場所もないから、天気の悪い日に渋々通る。

 アーケードの下には、相変わらず沢山の色が溢れていた。僕は色の群れを必死に抜け、家路を急いだ。

 家に着く頃には本降りになってきていた。

 青々と茂る住宅街の木々の色は、雨に浸食されて色を濃くしていた。

 アスファルトに打ち付けられた雨粒は、激しい音を響かせていた。

 屋根から伝い落ちる雨が、あちらこちらで細い滝を作っている。

 ようやく辿り着いた家に、いざ入ろうとしたところで、僕の足は止まった。

 玄関先に縮こまる、人影を見つけたからだ。


「リサ……さん?」


 それは間違いなく、彼女だった。

 長い金髪は、雨でびしょ濡れになったセーラー服に張り付いていた。

 玄関ドアを背にしてしゃがんでいたリサさんは、僕を見つけて、ゆっくりと顔を上げた。


「お帰り、大河君」


 顔は酷く青ざめていて、唇も青紫色だ。


「今、鍵開けるから! ちょっと待ってて!」


 僕は急いで彼女のそばに行き、ポケットから鍵を取り出してドアを開けようとした。

 と、彼女は立ち上がり、急に僕に抱きついてくる。

 すっかり冷えた彼女の身体が、僕の身体にぴったりと引っ付いた。


「すぐ、帰るから。ちょっとだけ、このままでいさせて」


 リサさんの様子が、おかしい。

 何だかとても、嫌な予感がする。

 柔らかい杏色が殆ど消えて、不安を示す紫色と灰色が彼女を包んでいる。


「だめだよ、風邪引いちゃう。中に入ろう。タオル持ってくるから!」


 僕は彼女の手を振りほどいて、急いで鍵を開けた。


「いい、帰る。今日は、大河君の顔だけ見たくて」


 そんなわけない。

 雨の中、僕が帰るのをずっと待ってて、顔を見たから帰るなんて、いつものリサさんらしくない。

 僕は彼女の腕を引っ張って、無理矢理家の中に引っ張った。


「待ってて、タオル持ってくる」


 濡れた通学カバンとスクールバッグを置いて、靴を脱ぐと、靴下までびしょ濡れだった。急いで靴下を脱ぎ、裾をまくって中に入って、バスタオルを数枚重ねて玄関まで持っていった。


「髪拭いて。早く」


 リサさんはきょとんとして、なかなかタオルを使おうとしない。

 僕自身、少しでも早く着替えたいところだったけど、様子のおかしいリサさんをそのままにしてはおけなかった。

 嫌な予感がする。

 リサさんを引っ張ってリビングまで行き、バスタオルを頭の上から被せてやって、わしゃわしゃと髪の毛を拭いてやる。

 いつもならここで、『やめてよ大河君、自分でやるから』なんて言いそうなところなのに、リサさんは自分から拭こうとはしなくて、それがまた、何だかとても気持ち悪くて。

 制服のワイシャツを脱いでソファに引っかけ、僕自身もバスタオルで髪を拭いた。

 着替えを持って来ないと。

 僕のは良いけど、リサさんのはどうしよう。

 女のきょうだいなんていないし、母さんのを借りるわけにもいかないし、僕ので、あんまり着てない綺麗なヤツ。

 考え事をしながら、廊下に足を向けたところで、リサさんが後ろからぎゅっと抱きついてくる。上半身裸の背中に、リサさんの濡れた制服が引っ付いて、僕は思わずギョッとした。


「ごめん、このまま」


 さっきと同じ。

 リサさんの様子が、いつもと違いすぎる。

 背中に、リサさんの冷えた顔が引っ付いている。

 僕の胸に、リサさんの冷たい手が押しつけられている。

 震える手で、リサさんは僕のことをぎゅっと背中から抱きしめている。


「何か……あった?」


 背中じゃ、リサさんの表情が分からない。

 何が起きたのか、探ることもままならない。

 僕がそっと胸に手をやって、リサさんの冷たい手に自分の手を重ねると、リサさんは一層強く、僕を抱きしめた。


「白い竜」


 リサさんが、ポツリと呟く。


「昨日の白い竜、大河君でしょ」


 ゾワッと身体の底から震えが起きた。

 僕は、「うん」と小さく呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る