5. 不穏な記憶

「け、消されてる……?」


 思いも寄らぬ言葉に困惑した。

 どういう、意味。

 一瞬だけ、雷斗と目が合う。

 雷斗に漂う不安の色がどんどん濃くなって、まるで深海の底のような、重々しい色へと変わってゆくのが見えた。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 冷たい目で見下す、中年の男の人。


『誰のことだ』


 雷斗にも、来澄凌にも似ているその人は、多分雷斗のお父さん。


『だ、だから、凌叔父さんだよ。じいちゃんちにあるでっかいパズルに、外国の街の風景のがあって。確か凌叔父さんが若い頃に作ってたやつだよね』


 気迫に押されながらも、雷斗は平静を装っていた。

 けど、伯父さんはますます機嫌を悪くして、息子を睨んだ。


『雷斗。俺の前で凌の話はするなって言ってあるだろ』

『で、でも』

『凌は子どもの頃死んだんだ。じいさんの実家の裏で用水路に流された。見つかったときにはもう冷たくなっていた。村中総出で探し回ったあの日のことは、今でもハッキリ覚えてる。それから先、あいつは一切存在していない』

『だったら……!』


 それから先の言葉を、伯父さんは許さなかった。











 場面が変わる。

 これは、僕が凌に連れられて来ていたらしい、古い家。薄暗くて、所々が昭和くさくて、懐かしい雰囲気が漂っている。

 階段を上がると、左右に扉があって、そのうち右側には、雷斗の父さんの荷物。昔流行ったバンドのポスターや学習机、ベッド、タンスの横には大量に積まれた衣装ケース。


『この机、ぼくが使って良いやつ?』


 まだ幼い、雷斗の声。


『ああ、いいぞ。まだ綺麗だし、持ってけ持ってけ』


 おじいちゃんだろうか。白髪の、優しそうな人。

 一緒にいたおばあちゃんらしき人が、衣装ケースの中から古着を物色している。


『大丈夫、まだまだ着られそう。取ってて良かったわ』


 荷物の間をすり抜けて、雷斗は廊下を挟んだ向かいの部屋に入っていく。

 こざっぱりしたこっちの部屋には、あまり荷物がない。机と壁の間に、大小幾つものパネルが突っ込んであって、雷斗はそれを一つずつ引っこ抜いていく。

 雷斗がいないのに気付いたおじいちゃんがやってきて、


『こらこら、勝手に入るなって』


 困った様子で雷斗に声を掛けてくる。


『ねぇ、これ、飾らないの? お城とか、教会とか。めっちゃ綺麗』


 隣にしゃがむおじいちゃんを見ながら、雷斗が無邪気に言うと、


『引っ張り出すと、雷斗のお父ちゃんに怒られる』


 おじいちゃんは寂しそうな顔をする。


『叔父ちゃんのものは、触っちゃダメだ。いいな。お父ちゃんに見つかる前に、さぁ、あっちの部屋に戻った戻った』


 声に急かされて廊下に出たところで、階下から声がする。


『雷斗、良いの見つかったか!』


 迫ってくる足音。

 若い頃の伯父さん。


『うん、見つかった! パズ……、じゃなくて、机! ぼく貰うね!』


 ごまかしに失敗した雷斗の言葉に、伯父さんの目線が動く。

 二階まで上がったところで、伯父さんはパズルのあった部屋が開いていることに気が付いた。険しい顔でおじいちゃんをキッと睨み付ける。


『困るんだよね、こういうことされると』

『違う違う、間違って入っちゃったんじゃ。な、雷斗』

『だから来たくなかったんだ。ほら、さっさと荷物詰めて帰るぞ』


 吐き捨てるように言う、伯父さん。

 肩を落として従う雷斗。

 複雑な顔をして荷造りを手伝う、おじいちゃんと、おばあちゃん……。











『なんか、おかしいよね。親父は何に怯えてんの?』


 また場面が変わった。

 雷斗の目線が高い。声も低くなっている。

 ここは、雷斗の家だろうか。


『どういう意味だ』


 白髪交じりの伯父さんは、眉間に深くしわを刻んで雷斗をじっと見つめている。


『昔から、面倒なこと、関わりたくないこととは極端に距離を取ってただろ。何が気に食わないの』


 リビングらしいその場所に、雷斗のお母さんだろうか、綺麗な女の人と、もう一人、雷斗に似た小学生くらいの女の子の姿がある。


『オレが鍛えてるのは、凌叔父さんみたいにカッコよくなりたいからだ。強くて優しくて、格好いい大人になりたい。それの何がダメなのか、ちゃんと教えてくれよ。偉そうにさ、デカい口ばっかり叩いて、親父のことをカッコいいだなんて、思ったことは一度もない。家のことはお袋に任せっぱなし、オレのことも、椿つばきのことも、全然眼中にない。仕事のことばっかだ。そのくせ、オレの進路の話になると、進学校しか認めないだの、部活なんか辞めて塾に通えだの、勝手なことばっか言う。叔父さんだったら……、凌叔父さんだったらそんなこと言わなかったはずだ。オレは、親父なんかより、凌叔父さんみたいな人が』


 そこまで言ったところで、雷斗の言葉は遮られた。

 ほっぺたを思いっきりぶん殴られて、そのまま反動で仰向けにぶっ倒れた。


 伯母さんと椿ちゃんが、悲鳴を上げている。二人で抱き合って、やめてと叫んでいる。


『あいつの話はするなと言った』


 伯父さんは、肩で息をして、歯を食いしばっていた。


『どいつもこいつも、あいつの正体を知らなさすぎる。あの日、あいつは死んだ。アレは、人間じゃない。人間の皮を被った化け物なんだ。お前らは騙されている……!』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 ……何だ、コレ。

 連続して、いつもより大量の情報がどんどん押し寄せてくる。

 こんなに多くの映像が一度に見えるなんて、初めてだ。

 もしかして、竜化が原因?

 まさか、こんなところにまで影響が及ぶなんて。


「こんなこと、再会したばかりの大河に言って良いのかどうか、難しいところではあると思ったんだけど、オレの中でずっと燻ってた。幾ら親父と叔父さんの仲が悪いからって、血の繋がった弟家族を、最初から存在しなかったみたいに言うのはおかしいだろ。じいちゃん、ばあちゃんも凌叔父さんの話はしたがらない。オレが小さかった頃は、そんなことなかったのに。どうしてなのか、ずっとずっと……、気になってたんだ」


 僕は雷斗から、スッと視線をずらした。

 雷斗も、僕を直視できないようだ。視線を床に這わせて、だけど勇気を振り絞って、喋ってくれる。

 胸が、苦しい。

 思ってもみなかったところに歪みが出来ていた。

 経緯は分からないけど、僕が芝山の家に預けられた一因は、来澄凌と伯父さんの不仲にあるらしいことが確認できてしまった。

『人間の皮を被った化け物』……?

 来澄凌は、一体、何をしでかしたんだ?


「僕も」


 零れ出たひと言に、雷斗が顔を上げる。

 強ばった顔。


「僕も……、本当のことを、知りたい」


 僕はゴクリと唾を飲み込む。


「実は……、ついこの間、養子だったって知ったばかりで。“干渉”とか、“魔法”とか、“こういう世界”があるのも、何一つ、知らなかった。自分が……、竜になれるって知ったのも、つい昨日のこと。雷斗のことも……、ごめん、本当は思い出してない。君の……記憶を、見た」

「き、記憶?」


 雷斗だけじゃなくて、ジークさんもノエルさんもハッとした顔をした。

 ヤバい、言うんじゃなかった。

 僕は竜の羽の生えた背中を壁にひっつけて、肩をすくめた。


「ご、ごめんなさい! 見たくて見たんじゃなくて、見えた。見えるんだ。ごめんなさい、ごめんなさい!」


 咄嗟に出た言葉を消し去ることが出来なくて、僕はぎゅっと目をつぶって、両手で顔を覆った。

 最悪だ。

 姿形も人間じゃないし、変な能力を持ってることも公言した。

 気味悪がられて、距離を取られて、また居場所がなくなってしまう。

 一番、言っちゃいけないことだったのに。


「記憶が見える“特性”か。もしかして、僕達の記憶も?」


 言われて、僕はちょっとだけ顔から手を離して声の方を見た。

 ジークさんは、桔梗色のまま。

 驚いている感じは殆どない。


「ちょ、ちょっとだけ……」


 恐る恐る言ったけど、ジークさんは特に不快そうな様子は見せない。

 それどころか、


「他にも何か見える?」


 と追加で聞いてくる。

 もう、こうなったら全部喋るしかない。


「色が、見えます」

「色?」

「はい……。ひとりひとり、違う色を持ってて、気持ちが動くと色が変わったり、別の色が差したり」

「個体識別も出来る上に、感情も見えてるのか。なるほど、そいつはヤバいな」


 ジークさんの桔梗色に、ほんの少し灰色が混じり込んだ。


「まぁ、まだ“特性”に慣れてないようだから変なものが見える程度で済んでるが、まともに“力”を使えるようになったら、一番相手にしたくないのが、君のように、相手の思考を読めるタイプの“特性”の持ち主だ。戦闘において、次の動きを知られること、気持ちの揺らぎが知られてしまうこと程嫌なことはない。味方になれば心強いが、敵にしたら面倒くさい、そういう“特性”だ」


 無精ひげを撫で回しながら、ジークさんは眉をしかめた。


「そう考えると、古代神教会や塔の思惑が、もしかしたら僕らの考えているのとは違う方を向いているのかも……なんてね。考えたくもないけど、あり得ない話じゃなさそうだ。このことを知っているのは?」

「え、えっと……。父さ……じゃなくて、シ、シバと、リサさんと、ディアナ校長、それから……、ローラ様、かな」


 ディアナ校長とローラ様には、直接確かめてはいないけど、恐らく。


「リサ? 誰それ」


 それまで黙っていたノエルさんが、ドスを利かせて言うので、僕はまた壁に背中をくっつけて、ヒィッと肩をすくめた。


「ええっと。リサさんは、僕のと、友達で。魔法学校の、女の子で」

「魔法学校? ディアナ様んとこの?」

「は、はい」

「そいつ何者? そういうこと喋っても大丈夫なヤツ?」


 ノエルさんが、またズンズン迫ってくる。

 にょっきり背が高くて、刺々しい雰囲気があって、不快感の暗い紫色が混じってて、それだけで圧倒される。

 苦手だ。悪い人じゃないって分かるんだけど、やっぱりちょっと苦手。


「か、彼女は昔のこと、覚えてないんです。記憶喪失で。何のしがらみもないから、自分が選ばれたんじゃないかって……、アアッ! しまった!」


 ――リサさんの話をしていて、唐突に思い出した。

 今日は、僕がリサさんのいる魔法学校へ飛ぶ約束をしていた。

 練習もかねて、放課後自宅に帰ってから飛んでみるって話をした。

 それなのに!

 雷斗に捕まって、レグルノーラに飛んできて、しかも半竜の姿になっている。

 これから飛ぶにも、この姿じゃどうにもならないし、第一、転移魔法もこの間見ただけで、やり方も分からない。

 いつもの時間はとうに過ぎてる。

 待ってるかも。


「どうした?」


 ノエルさんが腰をかがめて覗き込んでくる。


「約束……。リサさんと、夕方に会う約束、してたのに」


 どうしよう。

 どうやって人間の姿に戻ろう。

 どうやって行こう。


「へぇ。約束。何すんの」

「魔法の練習、とか。相談、とか」

「どこで」

「魔法学校で、場所を借りて」

「なるほど。でもまぁ、今の状態じゃ絶対無理だな。建物の外に出た途端、市民部隊の翼竜に見つかるか、古代神教会の騎士が飛んでくるか。いずれにしても、無傷じゃ済まないと思うぜ」


 ノエルさんはわざとらしくにんまりして、困りに困っている僕の反応を楽しんでいるようだ。


「ここの建物には、結界が張ってある」


 頬杖を付きながら、ジークさんは余裕たっぷりにそう言った。


「面倒な話も、君の気配も、ここにいる限り外には漏れない。焦れば焦る程、元の姿に戻るのは難しくなるだろうし、せっかくだからさ、僕達ともう少し話さないか。雷斗が言っていたこと、君が知りたいこと、そして、僕らのこと。外じゃ喋りにくいことも、全部洗いざらい喋ってみるつもりはないか」


 それはいわば、悪魔の囁きのようで。

 だけど、僕には多分、そういう時間や機会が、とても必要だった。

 不安な気持ちも大きかったけど、それ以上に抱えていることが大きすぎて、僕は思わずこくりと頷いていた。

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