4. 本物

「見ないで……!」


 僕は咄嗟に椅子から立ち上がって、部屋の角っこに身を寄せた。

 両手で首を隠したけれど、こんなの意味ない。

 手の甲は鱗だらけだし、半袖ワイシャツの袖口から、腕にハッキリと浮かび上がっていく白い鱗が覗いている。

 身体が、徐々に変形していく。昨日と同じ。白い、竜の姿に近づいていく。


「違う、僕は破壊竜じゃない。だから……!」


 耳の直ぐそばで大きな太鼓を叩かれているみたいに、激しく心臓が鳴っている。

 竜石を埋め込まれた胸が痛い。

『竜の力を封印できる、竜の化石』なのに、どうして、どうして竜化が止まらない……!

 苦しい。

 どうしたらいい。どうしたらいい。


「大河、お前」


 雷斗は顔を真っ青にして、警戒色の赤を強く出している。椅子からすっかり立ち上がって、ノエルさんのいるついたての方にそろりそろりと移動している。

 怖がられてる。当然の反応だ。

 さっきまで、行方知れずだったいとこを見つけたとはしゃいでたのが嘘みたいにトーンダウンして、見てはいけないものを見てしまったような目をしているのが分かる。

 恐い。

 そう思うとまた、ギュギュギュッと身体が軋む音がして、竜化が進んでゆく。

 ヤバい。このままじゃ、また竜に。

 どうしたら。

 ねぇ、誰か。


「ノエル、見えるか。大河の胸の辺り、何か光ってる。――竜石か?」


 ジークさんは向かいの席にゆっくりと腰掛け、テーブルに肘を付いて顎をさすりながら、まじまじと僕を観察している。


「だろうな。……ってことは、ある程度力を抑えていて、コレか。やべぇな」


 ノエルさんも難しそうな顔をして、腕を組みながら僕を見ている。


「あの……、大丈夫……?」


 ついたての向こうからマーシャさんの声が聞こえると、ノエルさんは恐い顔をして振り向き、低い声を出した。


「マーシャ、おめぇ、デカい声出したらぶっ殺す」


 マーシャさんが「ヒィッ!」と声を上げてサッと引っ込むと、ノエルさんは準備運動でもするかのように首や肩を動かし始めた。


「さぁて」


 言いながらノエルさんは、直ぐそばまで来ていた雷斗をぐいっと押しのけて、ズンと僕のまん前に立った。

 無言で僕を見下ろすノエルさん。

 その静かな銀鼠色の中に、来澄凌の姿が浮かび上がる。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




『もしかして……、興奮すると、竜化してしまう、とか』


 知らない男の人が、少年時代の凌に話しかけている。

 今の僕と同じように、焦り、身体のあちこちを擦って、自分の姿を確かめている。


『だ、大丈夫だ。上手く力をコントロールしきれなくて。発作みたいなもんだ』


 目を泳がせながら、必死に心を落ち着けようとしているのが見える。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「タイガ、落ち着け」


 まるで頭の中に直接届けられたかのような、強い声。


「何も考えるな」


 僕の肩の辺りに、ノエルさんの横顔がある。

 ノエルさんが、僕を抱きしめている。

 背中と頭が、ノエルさんの身体に押しつけられる。

 ぎゅっと、かなり強い力で抱きつかれて、僕は頭がどうにかなりそうだった。


「や、やめて! 離して!」


 身体をよじって逃れようとすると、ノエルさんはますます強い力で僕を締め付けてくる。


「半竜だったミオも、竜と同化したリョウも、興奮すると竜化が進んだ。心を落ち着かせれば、ある程度で竜化は止まる」


 言いながらノエルさんは僕の背中と頭をゆっくりとさすり始めた。

 その手に、僕の背中に生えかけた竜の羽が何度か当たる。

 触られたくなくて、僕は必死にノエルさんの腕を引き剥がそうとした。けど、その度にノエルさんは更に力を入れて、僕を抱きしめた。


「恐いんだろう。他人と違う“力”を持ってるってのは、そういうこと。だけど、恐いからってやたら暴走させていいもんじゃねぇ。コントロールするんだ。そうすりゃ、“普通”でいられる。“力”を押し込めろ。神経を研ぎ澄ませろ」


 ノエルさんは僕の背中と頭を、僕が落ち着くまで辛抱強くさすり続けた。

 凍えていた心が少しずつ、溶けていく。

 心が軽くなる。

 ちょっと顔は恐いけど、この人は、敵じゃない。

 ディアナ校長ともローラ様とも違う。漂う銀鼠色の中に、ほんのりと、悲しみの青と優しさの橙色が混じっている。それが、何だか心地いい。

 ぼやけていた視界と思考が徐々にクリアになってきた。

 ノエルさんの肩越しに、不安そうに僕の様子を見守る雷斗の顔が見えた。


「あの、大丈夫です。どうにか」


 息を整え声を出すと、ノエルさんはパッと手を離した。


「そりゃ良かった。……けど、出るもの出したまま、全然引っ込まなかった」


 ノエルさんは腰に手を当て、力なく息を吐いた。

 竜石のお陰なのか、完全な竜化は免れたけど、手足が変形し、身体のあちこちに白い鱗が浮き出ている。

 ズボンの後ろからはにょっきりと白い竜の尾が出ているし、背中の羽も広げたら応接スペースをはみ出してしまいそうだ。 

 頭をさすると角まで生えていて、まるで悪魔みたいな、中途半端な姿になっている。

 鏡もないし、自分の姿は直接確認できないけど、これじゃ、単なる化け物。


「本物の“神の子”は半端ないねぇ。“レグル神”の化身となった凌とおんなじ姿をしてる。古代神教会のヤツらが見たら発狂しそうだな」


 ジークさんがニヤニヤしながら僕を見ている。


「こ、古代神教会には言わないで!」


 僕は思わず声を上げた。


「嫌だ……、捕まりたくない」

「――誰が、あんなクソみたいなとこに通報するかよ」


 ノエルさんが毒づく。

 続けてジークさんも、


「僕らは中立だからね」


 と、口角を上げた。


「古代神教会とも、塔とも、市民部隊とも、そして君が出入りしている魔法学校とも一切関係ない。組織に属さないと生きていけないような連中とは違う。僕らはそんなくだらないものに興味はないから、安心して」


 とは言うものの、ジークさんの喋りには何か含みがある。

 ただ、ジークさんにしても、ノエルさんにしても、死線をくぐり抜けてきているような貫禄と雰囲気が漂っていて、色にも殆ど揺らぎがない。

 敵か味方かと言われたら味方に近そうだけど、今まで出会ってきた大人達とは何かが違うような気がするのは間違いない。


「た、大河、だよな」


 ついたてに半分隠れて、雷斗がようやく声を出した。

 やっぱり僕を警戒しているらしく、まだ赤色が強く出ている。


「人間じゃ……、ないのか」


 恐る恐る尋ねる雷斗に、


「半分、竜だな」


 ジークさんが軽く応える。


「半分竜で、半分人間。瞳の色も髪の色も、竜化も中途半端だが、大河が特別な“神の子”だっていう決定的な証拠だ。竜石で抑えられてはいるようだけど、人間でもない、獣でもない、竜に近いような、そうでもないような、不思議な気配が漂っている」


 言い方にトゲを感じて、僕の胸はまた、ぎゅっと締め付けられた。

 嘘じゃない。けど……、言葉にされるのは、なかなかしんどい。

 ふと顔を上げると、雷斗の直ぐ後ろにマーシャさんの姿があった。大きな声を出すとノエルさんに怒られるからか、両手で口を押さえて、目を丸くしている。彼女からは、興奮を示す明るめの赤色が出ている。


「や、ヤバいヤバいヤバい。めちゃくちゃ似てる。レグル様、そのものじゃないですか……!」


 口を押さえているはずなのに、マーシャさんの声は少し大きかった。

 ノエルさんが凄い剣幕で振り向くと、マーシャさんはサッと雷斗の影に隠れた。

 

「ははは。相変わらず」


 と、ジークさんは頬杖を付いて、微笑ましそうに、ついたての奥に引っ込むマーシャさんを見ている。


「ねぇ、ジーク。オレ……、本当にこいつと勘違いされてたの?」


 雷斗が尋ねると、ジークさんは椅子に深くかけ直して、ゆっくりと腕を組んだ。


「さっきも言ったけど、雷斗は『雰囲気と気配が少し凌に似てた』んだ。古代神教会も、最初は雷斗の方を“神の子”だと思って追いかけ回していた。凌の兄は干渉能力のない一般人だが、甥っ子の雷斗には干渉者の素質があった。そして、大河よりも先に能力に目覚めた。年齢も、見てくれも、まだ駆け出しの救世主だったころの凌とそっくりだった雷斗は、失踪した“神の子”を躍起になって探していた教会には、本物に思えたに違いない。血縁者はどうしても気配が似るからな。人違いだと知られるまで、さほど時間はかからなかったが、あのまま僕らが雷斗を見つけなかったら、うっかり血祭りに上げられていたかも知れない」


 ――“神の子騒ぎ”。

 僕と勘違いされてたのは、雷斗だったのか……!


「雷斗、僕のせいで」


 悲しそうな顔をしてしまったからか、雷斗は申し訳なさそうに両手を小さく振った。


「か、勘違いするなよ。別に怖がってるわけじゃないし、恨んだり怒ったりもしてないから。小さい頃遊んだ大河のことはずっと気になってたし、やたらめったら目を血走らせて襲ってくる神教騎士達が“神の子”がどうの言いまくるもんだから、一体何が起きてるのか、オレ自身も知りたかったんだ。……それに」


 と、ここで雷斗は言葉を詰まらせる。

 何か、言いづらいことがあるらしい。

 雷斗の目が泳ぐ。視線が下に動き、ジークさん、ノエルさんの方に動き――、僕を、見た。


「その、竜の姿の秘密も気になる。それってさ、来澄の家で凌叔父さんや大河の存在が消されてしまった理由と、きっと何か関係が……、あるんだろ?」


 絞り出すように、雷斗が言った。

 雷斗の顔は明らかに引きつっていて、不安の紫色が急に濃くなった。

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