3. 調査会社の三人
ひんやりとした空気に驚いて目を開けた。
お堂に腰掛けていたはずの僕らの意識は、すっかりと別の場所で具現化されている。
「やべぇ。マジで“干渉”出来てる」
ニヤリと不適に笑う雷斗に、僕は半笑いで応える。
「……ここは?」
周囲を見渡すが、どうも異世界に来たって感じがしない。
どうやらどこかの会社のサーバールームらしくて、大量に並んだ箱と配線でごちゃごちゃしている。一応それなりに配線をまとめてはいるようだけど、業者さんじゃなくて、素人が頑張ってまとめましたって感じで、あちこち結束ひもでくくってある。
ただ、そこかしこに貼られているラベルの文字はレグル文字。そこでようやく、ここはレグルノーラなのだと認識できる。
エアコンの風がちょっと冷たくて、僕はブルッと震えた。
けど、雷斗はそれどころじゃないくらい興奮しているようだ。
「実はオレ、誰かと“こっち”に来たの初めてでさ。つか、元々干渉者の知り合いなんていなかったし、オレだけが特別なのかと思ってたから、めっちゃ嬉しい。すげぇ。上手くいって良かった」
低音で響く機械音に、雷斗の声が被さる。
弾む声、澄んだ瑠璃色に混じる、興奮の黄色。
「大河、こっち来いよ」
雷斗はテンション高めにそう言って、僕の腕を引っ張った。
バンと、サーバールームの扉が勢いよく開かれる。
「ちわっ!」
空いていた左手をひょいと上げて、雷斗が誰かに挨拶している。
小さなオフィスだ。
個人でやってる会社の事務室なのだろうか。机を三つ向かい合わせにくっつけて、三人がそれぞれ仕事をしているようだ。
窓の外にはビル街。建物の間を縫うように空を飛ぶ車が何台も行き交うのが、遠くに見えている。
「『ちわっ』じゃない。ノックしてから入れって何度も言ってるだろ」
茶髪の中年男性が手を止めて雷斗に注意する。
「あー、ごめんごめん。忘れてた」
えへへと頭を掻いて誤魔化す雷斗。
「反省しないのがライトだからね」
今度は女性が声を上げる。
「今日は少し早めだな。部活は?」
金髪の若い男性が言うと、
「休み休み。それより、こいつ、連れてきた」
雷斗は腕をぐんと引っ張って、彼らの前に僕を突き出した。
狭いオフィスにいた三人は、仕事中にしてはちょっとラフな格好をしている。
茶髪の彼は多分一番年上で、緩いウェーブの肩まで伸びた髪もそのままに、無精ひげを生やしている。青く澄んだ瞳が印象的な垂れ目で、くたびれたシャツと履き古したジーパンが、如何にも休日のおじさんって感じ。
女性はまだ若くて、リサさんとあまり年が変わらないように見える。肩に付かないくらいの清潔な髪型で、オレンジ色に近い茶色の瞳。もしかしたらこの中で一番しっかりしてるんじゃないかって感じ。
で、金髪の恐そうな男の人……。ハリネズミのようにツンツンした髪の毛や赤っぽい瞳もそうなんだけど、全身に纏った銀鼠色は、あまり見たことがない独特の色で、ちょっとビックリする。カーキ色と茶系が好きなのか、ミリタリー風の出で立ちでめちゃくちゃ近寄りがたい。
三人が三人とも、雷斗に紹介された僕をまじまじと見た。
まるで見世物みたいで、僕は彼らの目線から逃れるよう、必死に目を泳がせた。
「オレのいとこ。大河っていうんだ」
――僕の名前が出た途端、男性二人の色が変わった。
警戒の赤が強く出る。
「ははは初めまして。しば、芝山、大河です」
緊張気味に挨拶したけど、なんか、ちょっとこれ、ヤバくないかな……?
あんまりお呼びでないような空気が漂っているんだけど。
半分振り返って雷斗の方を見ると、当然、何も知らない雷斗はニヤニヤしてるだけ。
逃げたいところだけど、そういうわけにもいかなさそうだし、どうしたらいいのか。
「なるほどねぇ。君が、“大河”か」
茶髪の彼は椅子に背中を預けて足を組み直し、無精ひげを擦り始めた。
「確かに、よく見れば。なるほど……」
金髪の彼は椅子から立ち上がって、僕の真ん前に立ち、下から横から覗き込むようにわざとらしく観察してくる。
「確かにあのヤロウと似てるっちゃ似てるけど」
「似てます? 私、例のお姿しか知らないので、あんまり似てるようには」
女性は困惑している様子で、首を傾げている。
「凄いの連れてきたな、雷斗。確か、お前のいとこは行方不明って話だったはず。――ってことはアレか。このところの騒ぎは、やっぱり彼が原因。へぇ……、面白い」
茶髪の彼がニヤニヤしながら何やら呟いている。
誰だろう。凌の関係者だろうか。
「多分そういうこと。だから急いで連れてきたんだ」
一体、何がどうなっているのか。
雷斗はスッと僕の前に出て、彼らの方に手のひらを向けた。
「紹介するよ、大河。オレがレグルノーラでお世話になってるジーク・エクスプレスの皆さん。こちらが、社長で干渉者のジーク。オレ達のいるリアレイトにも頻繁に行き来してて、“あっち”の文化にも詳しいんだ」
茶髪の彼がスッと手を上げてウインクしてくる。
「で、手前の彼が能力者……、いわゆる魔法使いのノエル。召喚魔法が得意らしいんだけど、オレは見たことない。こんななりしてるけど、めっちゃいい人」
「おい、余計なこと言うな」
金髪のノエルさんは少し顔を赤らめている。確かに、とっつきにくいだけで悪い人じゃないのかも知れない。
「で、彼女は事務員のマーシャ。普通のレグル人で、魔法とか干渉とか、そういう力は全然ない、一般人」
「……なんか、私の紹介だけ雑じゃないですか」
眉をハの字にして不服そうなマーシャさん。
雷斗がはははと乾いた笑いで誤魔化している。
「三人はここで、時空の歪みの調査・研究をしてるんだ。で、どうやらジークとノエルは、凌叔父さんと過去に関係があったらしくてさ。最初はオレのことを大河と勘違いして声を掛けてきたんだよ」
「雰囲気と気配が少し凌に似てたからな」
ジークさんは眉尻を上げて少し笑った。
「立ち話もなんだ。少し、座らないか」
こっちへ来いと、ジークさんは立ち上がって、僕らを事務机の奥、ついたての後ろにある応接スペースへと案内してくれる。
僕達が横並びで席に着くと、マーシャさんが戸棚を開けて、お皿に盛られたクッキーをテーブルの中央に置いた。甘い匂いがフワッと鼻に届いて、僕は思わず唾を飲み込む。
「食べて食べて。それ、今朝ジークが焼いたヤツ。グダグダのおっさんに見えるけど、実は女子力めちゃくちゃ高いの」
「え……! う、売り物みたい……」
目を丸くする僕と違って、雷斗は何度もご馳走になっているのか、遠慮なくクッキーに手を伸ばしている。
お前も食えよと目で合図されて、僕も一つ手に取る。
口に入れた途端、爽やかなレモンの香りとほどよい甘みが広がって、何とも幸せな気分になったのは言うまでもない。
「うまい……」
「でしょでしょ。料理が上手な男性は素敵よね。家事も完璧過ぎて全然女性が寄りつかないところが残念だけど」
「余計なこと言うなよ、マーシャ。君も可愛いのに、そういうところが残念なんだ」
ジークさんはため息交じりにそう言って、僕らの前に温かいお茶を出してくれた。
マーシャさんは「ごめんなさいねぇ」とわざとらしく言って、仕事に戻っていった。
「リアレイトの紅茶とはちょっと違うけど、似たようなヤツ。甘いものと一緒だとなお美味しいから飲んでみて」
「ありがとうございます」
花柄のティーカップに注がれていたお茶は、柔らかい花のような香りがする。
紅茶に比べて、ほんのちょっと癖があるけど、クッキーによく合う。
「お菓子作りは昔からの趣味でさ。色々研究して、やっと辿り着いた味なんだ。美桜にもよくご馳走した。私を実験台にしないでってからかわれたのが、懐かしいよ」
美桜。
本当の、母さんの名前。
ふと、顔を上げる。ジークさんの目の奥に、僕と同じ髪の色をした女の子が映っている。
………‥‥‥・・・・・‥‥‥………
『飯田さんとジーク、どっちが上手かな』
小学生くらいのその子は、クッキーをもぐもぐ食べながら、ジークさんを見ている。
『飯田さんって、家政婦の?』
まだ若い、ジークさんの声。
『うん。飯田さんも、お料理上手なんだ。おやつも手作りしてくれるの。「ケーキ屋さんでも開けばいいのに」って言ったんだけど、「そうしたらお嬢様が寂しくなりますよ」って。それも……、嫌だなと思って。私、“向こう”では飯田さんしか味方がいないから』
悲しそうに目を伏せる女の子。
『飯田さんしか、じゃない。飯田さんがいる、だろ。相変わらずおじさんは優しくないのか』
『……無理。あの人は無理。お金持ちなだけで、それ以外何にもない。早く、大人になりたい。あんな家から、出て行きたい』
………‥‥‥・・・・・‥‥‥………
「――大丈夫?」
ジークさんの声で、僕はまた、記憶を見ているのに気が付いた。
「だだ大丈夫です」
なんて、誤魔化してみたけど、絶対に誤魔化し切れてない。
ついたてから半分顔を覗かせて、ノエルさんがじっと僕を見ている。
二人とも、干渉者だの能力者だの言ってたし、何か感づかれてしまっただろうか。
「弱そう」
ノエルさんがそう呟いているのが耳に入った。
僕らの視線は、一気にノエルさんの方に動いた。
「本物の“神の子”にしては変なんだよな。昨日の夕方感じた“白い竜の気配”はこんなもんじゃなかった。……あれ、本当にお前か?」
時間が、止まる。
やっぱり、ある程度“力”のある人間には分かるんだ。
そりゃそうだよ。だって、ローラ様に無理矢理、竜の姿にされていた。あのときの僕が、どれくらいまともじゃなかったかなんて、言われなくても。
心臓がバクバクする。
直ぐ隣に埋め込まれた竜石が増幅させているのか、普段よりずっとドキドキしている。
テーブルの上に置いた両手が、汗でぐっしょりだった。不自然に震えるのを、僕は止めることが出来ない。
ノエルさんに向いていたはずの視線が、僕に移っていることはとうに分かっていた。
僕がなんて言うのか、好奇の黄色を強くしてみんな僕に集中してる。
「僕……です」
胸が苦しい。
もし、僕がそうだと知れたら、みんなはどんな顔をするんだろう。
特に雷斗は……、こんな僕を気持ち悪がるに違いない。
だけど、どうやら僕の本当の両親と交流のあったジークさんとノエルさんは誤魔化せそうにない。
「昨日の、白い竜は、僕です」
過去を知っているのだとしたら、僕のことも多少は分かっているんだろうから。
ゾワゾワッと身の毛がよだった。
話してしまった。
まだ出会ったばかりの知らない人に、こんな、大切なことを。
どうしようどうしようどうしよう。
リサさんにもまだ、何の相談もしていない状態で、僕はまた、変なことに巻き込まれてる。
頭がぼんやりしてくる。視界が歪んで、息が苦しくなって。
もし仮に、彼らが古代神教会に繋がっていたら、多分、僕は。
「鱗」
鱗?
雷斗の声に反応して顔を上げる。
「お前、首に……」
首?
慌てて首をさする。
手触り。何だこれ。ゴツゴツして。
待って。手も。
白っぽくなって、鋭い爪が。
「半分、竜……?」
ジークさんの声に、空気が一気に凍り付いた。
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