2. ゲート
開け放たれた昇降口から入り込んだ風が、僕の頬を撫でていく。
何が起きているのか、整理するのに時間がかかる。ほんの短い間に、彼は僕の心を射貫くような言葉を幾つも投げてきた。
「凌叔父さんにそっくり。やっぱ、似るんだな」
そう言って、彼はようやく僕の手を離した。
目を細める彼の顔を、僕は見つめている。
本当の、父さんの名前。――“凌”。
流れ込んでくる、記憶。
………‥‥‥・・・・・‥‥‥………
どこかの家。子どもを抱いた凌。
『たいが、あそぼぉ』
小さな手が視界に伸びる。
『らいと! なにしてあそぶ?』
凌は屈んで、子どもを床に下ろしている。
僕だ。
小さな僕。
そして、静かに笑う凌が見える。
……この家、見覚えがある。昔よく、通った。
………‥‥‥・・・・・‥‥‥………
「……雷、斗?」
自分の言葉に、僕はハッとした。
「ら、雷斗先輩……、じゃなくて、来澄先輩」
呼び捨ては失礼だと言い直してはみたものの、あまりにも不自然で、僕は真っ赤になる。
「ハハッ。いいよ、雷斗で。いとこ同士、先輩後輩はやめようぜ」
雷斗は嬉しそうに口角を上げた。
「少しは思い出した? 小っちゃかったから、
思い出したわけじゃない。
うっかり見えた記憶の中で、僕らしき小さな子どもが呼んでいたから……なんて、言えるわけがない。
「立ち話もなんだしさ、色々話したいこともある。ちょっと付き合えよ」
「つ、付き合う?」
「部活休んでくる。仕度してくるからちょっと待ってろ」
僕のいとこだという彼、来澄雷斗は、駆け足で校舎の中に戻っていった。
*
部室から荷物を持ってきた雷斗の後を、僕は付いて歩いた。
多分、僕のいとこだというのは間違いない。記憶の中に小さい僕と来澄凌が出てきたし、凌という彼の叔父さんの名前は、僕の本当の父親の名前と一緒だ。
それに、脈絡もなく干渉者とかレグルノーラとか、そういう話が出てくる時点で、僕は彼に興味を持たざるを得ないし、無視することも出来ない。真偽はともかく、僕に関係がありそうだ、ということだけは確かだ。
学校を出て、住宅街を少し歩く。いつもとは違う方向、知らない道。それだけで何だか不安になってくる。けど、雷斗は僕のことを振り返ることもなく、ずんずん進んでいく。
木々の生い茂った一角まで来ると、雷斗は急に足を止め、「ここ」と指さした。
鳥居だ。
住宅に左右を挟まれた一間半くらいの隙間に、赤い古びた鳥居がにょきっと生えている。道路から段差もなく続く参道の先に見える、小さなお堂。広めの境内には背の高い木々が生い茂っていて、ほどよく周囲からの視界を遮っている。
地元住民しか知らないような、外の喧噪からは隔離された空間。
小鳥のさえずり、葉のこすれる音、蛙の鳴き声まで鮮明に聞こえてくる。
木々と土の匂いがする。
ここだけ、世界が違う。
「ゲートなんだ」
雷斗は振り向いて僕にニヤリと笑いかけ、鳥居をくぐっていく。
「ゲート?」
首を傾げながら、僕も後に付いていく。
「二つの世界を繋ぐ場所。――ゲートも知らないのかよ。いつもどうやって飛んでんだ?」
「どうって……」
リサさんに言われたやり方で、一緒に飛んでみたり、自分で頑張ってみたり。
どうやって説明したら良いのか分からず、困惑している僕をよそに、雷斗はずんずん進んで、お堂の階段に荷物を置き、ひょいと腰を下ろした。
前日の雨はすっかり乾いていたようだ。
参道の両脇に鎮座する狛犬の視線を躱しながら、僕もお堂に上がって荷物を置く。
「ゲート付近は互いの世界の距離が近い。だから、最小限の“力”で飛べる。この神社、オレが見つけた秘密のゲートなんだ。いとこのよしみで教えてやる」
隣に腰掛けた僕に、雷斗は自慢げに言った。
「あ、ありがとう……」
僕は合点がいかないながらも、とりあえずお礼だけはしておいた方がいいのかもと、そう返事した。
それが気に食わなかったのか、雷斗はムスッとして僕の顔をまじまじと覗き込んでくる。
僕に対して興味を持ちすぎた濃い黄色と、彼本来の瑠璃色が混じっている。
目をそらそうとすると、僕の視線に合わせて雷斗も身体を動かして視界を塞いだ。
「もしかして、まだいとこだって信じてない? お前のちんこの付け根に小っちゃいほくろがあるって言っても信じない?」
「え! えええ!」
僕は思わず大声を張り上げた。
「ななな、なんで知ってんの」
恥ずかしさのあまり、全身から汗が噴き出した。
よ、よりによってそんな方法で確認してくる?
「一緒に風呂入ったじゃん。凌叔父さんとお前とオレと、泊まりの日は三人一緒に風呂入って、一緒の布団で寝てただろ。叔父さんめっちゃムキムキで、親父の緩んだ腹と全然違ったの、鮮明に覚えてる」
「そ、そうなんだ……」
どうしよう。全然覚えてない。
けど、ほくろの位置まで当てられたら、信じるしかないわけで。
「ま、いいや。そんなことより大事な話。お前、“干渉者”なんだろ」
目を泳がせようとしたけど、雷斗の目力が凄すぎて、僕は渋々、こくんと頷いた。
「だよな。お前の周り、不自然なくらい空間が歪んでるんだ。ゲートの歪みに似てる。こんだけ歪んでるの見たことなかったから、直ぐに分かったぜ」
「歪み?」
「“特性”だよ。オレ、そういうのが見えるんだ。ゲートや力の強い“干渉者”の周囲は空間が歪んで見える。叔父さんの周囲も相当歪んでたけど、お前の周囲もだいぶ歪んでるぜ」
雷斗の話には信憑性がある。
来澄凌が干渉者だなんてひと言も話してないのに。
彼の話だと、僕が預けられるよりも前に、雷斗は既にそういう力を発揮していたことになる。十年前、彼が四歳か五歳の頃。そんな、小さいときから。
「飛べるか」
雷斗は唐突に話を変えた。
「飛ぶ?」
「飛べるかって聞いたら、レグルノーラにって決まってんだろ。一応さ、ここを散歩コースにしてる年寄りも若干はいるんだぜ。聞かれたり見られたりしたら面倒だろ。向こうで話をしようぜ。ここのゲート、良いとこに繋がってんだ」
繋がってる? どこか特定のところに飛ぶってことなんだろうか。
「飛べると……思う」
「よっし。そしたらさ、手、貸せよ。オレの意識に付いてこい」
「わ、分かった」
握手の要領で雷斗が差し出してきた右手を、軽く握り返す。
………‥‥‥・・・・・‥‥‥………
雷斗の瞳の中に、レグルノーラの町並みが見える。
だけどそれは、魔法学校や塔から見える景色とは少し違っている。
別の角度、別の場所から見た景色。
塔からいくらか離れていて、古びた洋風のアパートやビルが建ち並んでいる。
………‥‥‥・・・・・‥‥‥………
「目を閉じろ。行くぞ。三、二……」
僕は雷斗に言われるがまま、そっと目を閉じた。
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