【6】過去を知る者

1. 消えゆく日常

 リアレイトと呼ばれるこの現代と、異世界レグルノーラ、二つの世界を自由に行き来する“干渉者”という存在を知り、僕の出自と正体を知った、濃密な一週間が過ぎた。

 前日の雨が上がり、初夏の眩しい日差しの中、僕は日常に戻ってゆく。

 平日、僕は目立たない、ただの中学生。特筆すべき要素など殆どない、その他大勢のひとりとして、そつなく一日一日を過ごすことが、何よりも大切だった。

 相手の心の色が見えること、記憶や心の中が覗けてしまうことは、絶対に悟られてはいけない。たとえ僕が前を向いて相手の色を許容することが出来たとしても、相手は僕の“力”を受け入れることはない。

 人間は、異質なものを拒絶する。

 それは、リアレイトでもレグルノーラでも同じことだって、嫌なくらい思い知らされたから。

 だから今日も僕は、目の前に広がる色彩の波を、何事もないように潜っていくんだ。






 *






「なぁ、芝山。面白いこと聞いたんだけど」


 昼休み、廊下で呼び止められる。

 相手は同じクラスの陸上部男子三人組。名前は確か、田村と佐々木と木下。二年になってもう二ヶ月近く経つのに、全然関わってこなかったから、下の名前まで覚えていない。


「……何」


 僕は恐る恐る顔を上げて、彼らの色を確かめる。

 赤と黄色が強めに出ていて、僕は少し、身構える。


「お前、外人のねえちゃんとエロいことしてるって、ホント?」


 半笑いでわざとらしく、田村が言った。

 僕は目をしばたたかせて、少しだけ首を傾げた。


「この間学校サボったのも、金髪の外人とイチャイチャするためだって聞いたけど。……密会、してんだろ。ひと気のない河川敷で、二人でいるところ、何回か見たぜ」


「そうそう。部活のジョギングコースだもんな、あの辺」


 僕らがいつも会う河川敷の、川を挟んだ向こう側の土手。確かに、部活動中の中学生が何人か、列を組んで走っていた。

 ……見られてたのか。

 僕はムッとして、唇を軽く噛んだ。


「その金髪美少女、家に連れ込んだって聞いたけど、マジ?」

「芝山大河君は、みんなとお話しするのは苦手だけど、エロそうな外人のお姉さんとは普通に喋れるんだねぇ」


 廊下に響き渡るように、わざとらしく木下が言った。

 途端に、クスクスという女子の笑い声、馬鹿にするような男子の話し声と共に、好奇の濃い黄色がわっと廊下に広がりだした。

 下品だ。

 どいつもこいつも、とんでもなく下品だ。

 心の中がチクチクと痛み出し、嫌な気持ちが形となってしまいそうになるのを、僕はじっと耐えた。

 こんなこと、不特定多数が耳にする廊下で堂々と喋るなんて。頭が沸騰しそうなくらい熱くなった。僕の顔はきっと耳まで真っ赤に違いない。なるべく深く息をして心を落ち着かせなければ、僕は今にも手を出してしまいそうだった。

 真ん中にいた佐々木が、僕のそばに歩み寄ってくる。僕は大げさにそっぽを向いて、気にしないフリをする。


「で……、外人のお姉さんと何したの。キス? それとも、それ以上……?」


 耳元まで顔を寄せてきて、佐々木が僕を挑発する。


「いつも一人で可哀想な大河君、私が慰めて、あ・げ・る――ってか?」


 ガハハッとデカい声で佐々木が笑うと、ドッと周囲も一斉に笑い出した。

 ……鳥肌が立つ。

 我慢しなくちゃいけないのに、握りしめた拳が、激しく震えている。


「何か言えよ。聞こえねぇのか」


 聞こえてる。

 心の色も、見えている。

 僕が反論しないのを知ってて、彼らはいつも攻撃を仕掛けてくる。

 少し前の僕なら、そのまま逃げていた。後ろを振り向いて、教室の自分の席で伏してしまうか、トイレに籠もって泣くか。そうやって、どうにかやり過ごすことばかり考えていた。

 けれど今の僕は違う。

 心がざわついている。僕のことなんかより、リサさんの存在を変に歪曲されたことに憤って、頭に血が上っている。

 それだけじゃない。一度竜化してしまったことが原因なのか、身体の中から何かが溢れ出しそうになっている。まさかリアレイトで……ってことはないと思うけど、どうにかして落ち着かないと、大変なことになりそうだ。

 落ち着かなきゃ。落ち着かなきゃ。

 僕は胸に手を当て、竜石の埋め込まれた辺りを必死に擦った。


「どいてくれる?」


 肯定も否定もしない。

 それが、多分正解に違いない。


「ハァ? 何だって?」


 聞こえてないフリをする佐々木に、僕は仕方なく、顔を向ける。


「どいてくれるかな」


 ――抑えた、つもりだったんだ。

 気持ちを落ち着かせようと、僕は最善を尽くしたつもりだった。

 なのに。

 僕の内側から出た風が、佐々木を吹き飛ばした。

 陸上部の他の二人が、吹き飛ばされた佐々木と当たってすっ転んだ。

 廊下がざわつく。

 声と色が途切れる。


「ってぇ! 何すンだよ芝山ァッ!」


 巻き込まれた田村が何か叫んでいたけれど、僕は無視した。

 吹き飛ばしてしまった瞬間、佐々木の顔が恐怖に怯えていたような気がして、僕はとても気が気じゃなかった。

 人垣を掻き分けるように自分の教室に急ぎ、僕はそのまま、机の上に突っ伏した。






 *






 午後の授業中、僕はただ、自分の気持ちを抑えることに終始していた。

 何かが、おかしい。

 ローラ様が僕を無理矢理竜化させたのは、あくまでレグルノーラでのこと。リサさんの話では、僕ら干渉者は、もう一つの世界で自分の身体を具現化させているってことだったはず。竜石を埋め込まれたのも、向こうで具現化した方の身体だし、魔法の存在しない“こっちの世界”で極端な変化が起きるなんて、考えてもみなかった。

 佐々木は僕を見て怖がっていた。

 午後から佐々木の方をチラチラ見ていたけど、彼も僕を見てはブルッと身震いしていた。

 彼は、何を見たんだ。

 僕は、どうなってしまったんだ。



――『あなたは人間と言うより、竜に近い』



 それが本当だとしたら、僕はいずれ――……。






 *






 放課後、日直の仕事を終えて、僕は逃げるように教室から出た。

 僕に向けられた好奇の色、変な噂、色んなものがあちらこちらに渦巻いていて、吐き気が止まらなかった。

 帰り際、チラリと聞こえた。


「芝山のヤツ、目が赤く光ってたんだよ」


 佐々木が友達に話していたのを、小耳に挟んでしまった。それがますます、僕の吐き気を加速させた。

 どうしよう。

 だんだん力が強くなっている。

 目が……光る? 光ってた? 闇の中の獣みたいに?

 考えるとまた吐き気がしてくる。

 僕は必死に階段を駆け下りて、昇降口へと急いだ。

 誰かと目を合わせるのが、また怖くなる。感情がたかぶると“力”が簡単に溢れ出てしまうのだとしたら、今の僕は正にその状態。誰とも接触せずに帰らないと、突き飛ばすだけじゃ済まなくなる。

 昇降口に着いた僕は、急いで下足箱に手を伸ばした。――その手を、誰かが掴んだ。


「お前が、芝山大河?」


 僕はギョッとして、手を振り払おうとした。けど、そいつは更に力を入れる。


「は、離して」


 誰だ。

 靴紐の色が違う。三年生?


「離さねぇよ。やっと見つけたんだ。お前、“干渉者”だろ」


 日直の仕事を終えたこの時間、大抵の生徒は下校していて、昇降口は疎らだった。僕のクラスの下足箱付近には他に誰もいなかったけど、昇降口に全然人がいないわけじゃない。そんなときに聞こえた、耳を疑うような言葉。“干渉者”のひと言は、まるでその空間に独立して存在しているように、一際ハッキリと聞こえた。

 抵抗を、やめざるを得なかった。

 僕の手を掴む彼からは、好奇の黄色は強く出ていたけど、それ以上に興奮状態の明るい赤が多く出ていた。


「そうか、こんなに近くにいたんだ。知ってたらもっと早く会ってたのに」


 恐る恐る、僕は顔を上げた。

 随分体格が良い。これから部活なのか、運動着姿の彼は、どこか嬉しそうに僕の顔を見下ろしている。

 短い黒髪、鋭い目つき、八重歯を覗かせる彼を、僕は知らない。


「誰」


 不安定な気持ちで誰かに絡んだら大変なことになる。

 焦りが、更に気持ちを昂ぶらせていくのが分かっているのに。

 彼は僕を思いっきり引き寄せて、耳元に顔を近づけて、僕だけに聞こえるように囁いてくる。


「佐々木を突き飛ばしたって? 目が光ってたって半泣きで部活に来たぜ。それでピンときた。このところ、空間の歪みが学校のあちこちで発生してる。原因を知りたくて色々探ったけど、分かんなくてさ。なるほど、お前が絡んでるのなら納得。“干渉者”としての“力”が大きくなってきてるんだろ? 成長と共に強くなるって言うし、今日のそれも、からかってきた佐々木達を振り払おうとしてうっかり……って、とこかな」


 血が……引いていく。

 興奮状態だった僕の心は、まるで急激に冷やされたように、どんどんと固まっていってしまう。

 誰。

 この人、……誰。

 僕は目を泳がせて、その正体を探ろうとした。


「警戒しなくていい。オレも“干渉者”なんだ。覚えてない? 一緒にレグルノーラに飛んだこと。不思議な力、見せてくれたこと」


 ふと、運動着の名前の刺繍に目を奪われる。

 この名字、どこかで。珍しい、なんて読むのか分からないそれは、確か……。


来澄きすみ雷斗らいと。お前のいとこだよ」


 彼はそう言って、混乱する僕をからかうよう、にんまり笑った。

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