7. 竜石
「ローラ様、攻撃許可を!」
竜騎兵の一人が叫んでいる。
直接的な攻撃なんてしてないのに、そこにいるだけで周囲を傷つけてしまう。
「仕方……、ありませんね」
ローラ様がスッと手を高く上げると、竜騎兵が一斉に向かってくる。
魔法陣を発動させながら進んでくる者、長い槍を持つ者、剣を振り回す者。竜の背に跨がりながら、まるで地上にいるのと変わらないような動きで襲いかかってくる彼らを、僕は傷つけないようにしなければならなかった。
言葉が喋れたのなら、やめてって伝えられるのに、竜の口では何を喋っても叫び声にしかならなくて。
攻撃を躱そうと羽をはばたかせると、その風さえ相手にとっては攻撃と受け止められて、僕には為す術がない。
早く縮まれ、僕の身体……!
焦る、焦る。
けど、僕にはどうすることも。
・・・・・
ガシャンと、食器の割れる音がする。
パタパタとスリッパの音が続いて、僕は顔を上げる。
『あらあらあら。落としちゃったか』
栗色の長い髪をした女の人が、僕の落とした皿と、こぼれたおかずを片付けている。
これは美桜?
マンションかアパートの一室。食卓に大人用の椅子が二つ。僕は、子ども用の椅子。
『また手掴みしてたでしょ』
立ち上がり、ウェットティッシュを僕に差し出す美桜の顔が、急に歪む。
『竜化……してる』
視線を手に落とすと、そこには幼い竜の手があった。
白い鱗と、尖った爪。
美桜はビックリして、それでも平静を装って僕の手を拭いた。
『凌! ちょっと来て!』
奥の方から、『ん~?』と気のない返事。
『急いで。大河が!』
声に急かされ、タオルで顔を拭きながら現れる凌。
『大河がどうしたって』
寝ぼけ眼の凌は、美桜の後ろから僕を覗いて、ハッと目を丸くした。
『……竜化が始まってる』
『呼吸を整えて』
白い竜の手を、美桜が優しく包み込んでいた。
『息をゆっくり吐く。一……二……。吸って、もう一度ゆっくり吐く。一……二……』
柔らかい声に、僕は徐々に安心していく。
『大丈夫大丈夫。時計の針が、少しずつ巻き戻っていくよ……。カチコチカチコチ……』
反時計回りに、美桜は指で円を描いた。
僕と同じ、青色の混じった瞳。
『怖がると、戻れなくなる。大丈夫。怖がらない。大河は、大河だもの』
・・・・・
闇の中に漂う。
音も光もない、闇。
ふと目を開くと白い竜の身体が浮かんで見えて、僕はやっぱり普通じゃなかったんだとため息をつく。
『普通って、何だろう』
リサさんの声がする。
『大河君が竜だったり、私の記憶がなかったりすることが、誰かを傷つけるのかな。私達は、この世界にいてはいけない存在なのかな』
もの悲しげな声に、僕はじっと耳を傾ける。
『私は、自分のことが知りたい。……怖いけどね。大河君はどう?』
知りたい。
知りたいよ。
知りたいことだらけで苦しくなるくらい。
『じゃあ、逃げてちゃダメだよね、私達』
リサさんの、切ない笑顔が頭に浮かんで、僕の胸はぎゅっと締め付けられていく。
『案内するよ。こっちに来て』
姿の見えないリサさんが、僕を誘導していく。
遙か遠くに、小さい光が見えた。
闇に身を溶かした僕は、リサさんの案内する方へとずんずん進んでいった。
・・・・・
巨大な太鼓を何度も叩きつけたような振動が、全身を駆け巡った。
白い竜の身体はのけぞって、コントロールが効かなくなる。
激しい叫び声と、圧縮されていく痛みに気が遠くなってゆく。
ドン、ドン、と内側から衝撃が加わる度に、身体が小さくなっていく気がした。
押し込められていく。
僕の、小さな身体に。
どんどん押し込められていく。
「攻撃やめ!」
ローラ様の声が響く。
竜騎兵達の動きが、一斉に止まる。
やがて僕の身体は元に戻って、空の上、ローラ様が作り出した見えない床にドサッと転がり落ちた。
うずくまり、立ち上がる力もない僕のところまで、ローラ様は空の上を歩いて近づいてくる。
短い杖で僕の身体をツンツンつつき、抵抗出来ないことを確認すると、彼女はクルッと振り返って竜騎兵達に目配せした。
「大丈夫です。加勢ありがとう。このことは内密に」
辺りはもう、すっかり日暮れていた。
眼下の街には明かりが灯っていて、美しい夜景の世界へと変わりつつあった。
夜風が吹き付けてきて、僕は自分が何も身につけていないことに気が付く。
竜騎兵達が夜の闇の中に消えていくのを見送ってから、ローラ様は僕のそばに屈み、何やら呪文を施した。
次の瞬間、僕は絨毯の感触に気が付き、空の上から塔の一室に舞い戻ってきたことを悟る。
「――大河!」
誰かが僕を呼びながら近寄ってくる。
そしてガバッと僕の上に覆い被さって、無理矢理抱き起こし、熱く抱擁してきた。
長い金髪、漂う空色。
シバだ。
「大丈夫か、大河。大河!」
シバは取り乱している。空色の中に、紫、紺、灰色、色んな色が混じっている。
どうにか抱き返そうとしたけれど、僕の身体はもう限界で、腕一つまともに動かせない。
「ローラ! やり過ぎだ!」
僕を抱きかかえたまま、シバはローラ様に怒鳴り散らした。
視界の端っこに、憤怒の色を弱めたローラ様の姿が見える。
「やり過ぎ、とはどういうことでしょう。あなた方がタイガにきちんと話していれば、私が強硬手段に出ることなどなかった。違いますか」
シバはぎりりと奥歯をかんで、僕の頭をゆっくりと床に置いた。
上着を脱いでサッと僕にかぶせた後、スッと立ち上がり、ローラ様の真ん前に進む。
それから怒りの色をにじませたまま、大きく息をついた。
「何もかも正直に話せばどうにかなるような問題じゃない。それは、あなただってよく知っているはずだ」
「どうかしら。秘密主義が美しいとでも? タイガの苦しみや悲しみを、あなた達は受け止める自信がなかっただけじゃなくて? 自分が何者かも知らず、ただ膨れ上がっていく力を目の当たりにしたら、彼はもっと苦しんでいたでしょうね。悠長に構えている場合ではないと、言わなければ分かりませんか、シバ。冷静さを失っているのは、あなた達の方です」
ローラ様に迫られ、シバは言葉を失っている。
悔しそうに手を握り、ローラ様から目をそらしている。
「タイガは、半竜です。竜の血が濃く、感情の爆発が魔法になり、竜に姿を変えてしまう。しかも、かの破壊竜ドレグ・ルゴラの血を引いている、白い竜。レグルノーラにとって、危険因子でしかありません。この世界の安寧を願う塔の魔女として、私はタイガが救世主リョウの意志を継ぐ者か、破壊竜ドレグ・ルゴラの血を引く者なのか見極めねばならなかった。大丈夫、安心してください。大河に悪意がないこと、力を持て余し、苦しんでいることは確認しました。使い道さえ謝らねば、危害を及ぼすことはないでしょう。――タイガの竜化を封印していたのは、レグルですね」
「そ、それは」
シバが言葉を濁す。
「リアレイトで暮らすためには必要な措置だったのかも知れませんが、封印が解けかかっていましたよ。リアレイトで竜化したらどうするつもりでしたの。……なんて、過ぎたことはもう、何を言っても無駄でしょうね。竜化しなくても、タイガからは竜の気配が強くしていましたし、力もどんどん大きくなって、どこかに隠しておくなんて、難しくなっていました。いっそのこと、殺してしまえば楽かも知れないとも思いましたけど、恐らくそんなことをしたら、古代神教会に大人しく幽閉されているレグルがどうなってしまうのか……、考えたくもありませんから、やめることにします」
殺してしまえば、と言われて僕はブルッと震え上がった。
全然冗談に聞こえない。
多分、余計なしがらみがなければ、この人は僕を殺していたに違いない。
「先の戦いの時に採掘していた竜石が一つ、塔に残っていました。竜の力を封印できる、竜の化石です」
ローラ様はそう言って、懐から小さな巾着を一つ、取り出した。
シバに目配せしてから僕の方に歩いてきて、ローラ様は僕のそばにそっと屈んだ。
言いたいことを一通り言って落ち着いたのか、真珠色の輝きが戻ってきていてホッとする。
仰向けになりなさいとばかりに手で突かれて、僕は丸めていた背中を絨毯にくっつけた。
大きなシャンデリアが真上にあって、僕を覗くローラ様の顔が、逆光で少し見えにくくなった。
「正直、自信はありません。かの竜の力さえ封じたという石ですから、石自体の力は間違いないのですけれど、心配なのはリアレイトでの効果です。二つの世界で共有された身体に、どのように石の力が働いていくのか、全く想像できなくて。シバ、先ほどの竜化は、リアレイトにも影響が?」
「……少しは。異変を感じて大河の部屋に入り、慌てて飛んできた」
「もしリアレイトでも竜化が進むようであれば、今後について色々と考えなければならないかも知れません」
巾着に入っていたのは、赤く光るこぶし大の石。シャンデリアの光がほどよく透けて、キラキラと輝いて見える。
何だか身体がフワッと浮いてくるような、酔ったような、変な気持ちになってきた。
ローラ様は石を僕の胸の中央に置いて、そのままぎゅっと石を両手で押し当てた。
「い……、痛……ッ!」
何をされているのか分からないまま、僕は突然の痛みに襲われた。
認識が間違ってないのなら、ローラ様は僕の胸に石を無理矢理押し込んでいる。
メリメリと石が身体の中に刺さる感覚があって、僕は悲鳴を上げてしまう。
「耐えなさい。もう少し」
キギギッと、軋むような音がする。
肋骨の中をすり抜けて、石が僕の心臓近くに刺さってゆく。
耐えろ? そんな無茶な……!
「終わりましたよ」
ローラ様はニッコリ微笑み、すっくと立ち上がって僕のそばから退いた。
血が出ている感覚も、どこかが激しく傷ついた感覚もないけれど、身体の中に異物が入り込んだ変な感覚だけがしっかりと残っている。
「馴染むまで、少し時間がかかるかも知れませんが、リアレイトでもある程度は有効でしょう。竜石は徐々に力を吸い取ります。竜の気配が弱まれば、古代神教会に絡まれる機会も減るはずです。……が、過信はしないでくださいね」
少しだけ、痛みが軽くなった気がして、僕はゆっくりと身体を起こした。
胸に目をやった。
傷跡一つないその中に、あの赤い石が埋まっている。そう思うと、何だかとても、奇妙な気持ちになった。
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