6. 白い竜

 手足の感覚が消え、身体を支える感覚が消え、息が出来なくなり、何も……見えなくなる。

 こんなの、夢に違いない。

 よりによって来澄凌と同化した竜が、破壊竜だったなんて……!



――『もしあなたが、破壊竜の血に引きずられるようにして闇に堕ちるようであれば、私と市民部隊の竜騎兵はあなたを容赦なく潰します』



 ローラ様は本気だ。

 だから誰も手出しが出来ない、こんな空の上で僕を試したんだ。

 僕も、その本気に答えなければならない。

 僕の中に眠る“闇”を呼び起こそうとする大量の黒い矢印達に、立ち向かわなければならないんだ……!!











      ・・・・・











 矢印は再び、闇を進んでいた。

 どんどんどんどん突き進んで、深い深い湖の底に向かってゆく。

 湖は黒く濁っていた。

 まるで墨汁を垂らしたみたいに、真っ黒に汚れていた。

 白い竜が、湖の中に沈んでいくのが見える。

 あれは、僕……?

 黒い水は意識を持った生き物のように、竜の身体に染み込んでゆく。

 竜の身体の中を、黒い水と黒い矢印はずんずん進んだ。

 その度に、僕は身体が針と糸で縫われているような錯覚に陥った。

 黒い水と矢印は、やがて竜の心臓に辿り着く。

 そして一斉に――、突き刺さった。











      ・・・・・











 ――激しい雄叫びで、意識が戻される。

 空に向かって咆哮していたのは、白い竜になった僕。

 両手両足にぐんと力を入れて、背中の羽を広げ、僕はレグルノーラの上空で叫んでいた。

 ブルッと身体を震わせて正面に向き直ると、そこに杖を構えたローラ様の姿が見える。

 更にその周囲には、翼竜に跨った兵士達の姿が。市民部隊の竜騎兵だ。パッと見で十数騎はいるだろう竜騎兵達は、各々に武器を構えて僕を囲んでいた。


「幼さは理由になりませんね。やはり、ズバ抜けた“力”を持っている」


 ローラ様始め、竜騎兵達も皆、僕に攻撃的な色を向けている。

 二十年前、世界を滅ぼそうとした破壊竜の再来――、そう考えているに違いない。

 ふぅと息を吐くと、そこに炎が巻き起こった。

 身体が熱い。

 相手は、僕を殺そうとしている。

 敵だ。

 こいつらは全部、僕の存在を消そうとする敵。

 大きく息を吸い込んだ。僕の口の中で、炎が凝縮されていく。


「来ますよ! 構えて!」


 ローラ様の一声で、辺りに緊張が走った。

 僕は、凝縮された密度の高い炎を勢いよく吐き出した。











 ――景色が、止まった。











 風も、音も、光も、全部止まった。

 竜になってしまった僕の身体も静止していて、書きかけの魔法陣がローラ様の真ん前に見える。竜騎兵達は炎を避けようと手綱を引き、翼竜達は炎に驚いて身体を反らせていた。

 暗くなりかけた空の上に浮いたまま、僕らは全ての時間を奪われている。


『殺すの?』


 夢に出てくる、あの人だ。

 高いところから、僕の意識に直接語りかけてくる。


『塔の魔女はなんと言ったか、思い出す必要がある』


 彼の言葉に、僕はハッとさせられた。

 二つの世界を破壊することはあり得ないのだと、証明しろと……。

 確か、ローラ様はそんなことを。


『世界を恨む程、君は長く生きてはいないし、君が世界を壊す理由もない。塔の魔女は試している。君は……、自分の意思で誰かを傷つけたいのかな』


 ……違う。


『勿論、理由があれば誰かを傷つけて良いってわけじゃない。だけど、今の君が相手を傷つければ、相手は君がその意思を持って自分達を傷つけているのだと感じるだろう? そういう気持ちのすれ違いが、やがて争いに繋がってゆくんだ。白い鱗の何がいけない? 人間か竜かなんて、そんなに大事なことなんだろうか。ディアナも言っていたのだろう、“「どう生まれたか」ではなく、「どう生きるか」”だと。それを証明しなければ、君は破壊竜として、この場で殺されてしまう』


 声は、前に聞こえたとき同様、淡々としていて、優しくて。

 どこかで聞き覚えがある。

 遠い、遠い昔、僕は耳元でこの声を聞いていた。


『惑わされず、意識をしっかり持て。君が君で居続けたいのなら、“闇”なんかに惑わされるな。それは、君自身の“闇”じゃない。塔の魔女が君を試すために、無理矢理作り出したもの』




 ……あれ?




 何か、思い出しかけている。

 あれは僕がまだ小さい頃……。

 さっきの、白い塔の部屋にも確か行った覚えがある。


 抱っこされてた。

 小さな僕をひょいと持ち上げる手には、白い鱗があった。

 白い竜の羽もあった。

 悪竜……? 破壊竜……?

 違う。

 光が射していた。眩しかった。

 あれが、あのキラキラした色を持つ彼が、邪悪であるはずがない。



 凌……?



 この声、もしかして……。











 声が、消えた。

 時間が動き出す。

 僕は思いっきり口を閉じて、炎を飲み込んだ。口の中で炎がジュッと音を出して消えていく。

 先に吐き出した炎がローラ様のところに到達する直前、シールド魔法が展開した。炎を弾き返したのを見て、僕はホッとする。

 炎の攻撃に反応した竜騎兵達が僕に向けて魔法の矢を放ち、雷の魔法を放つ。

 白い竜の鱗が魔法をはねのけ、雷を振り払うと、更に別の竜騎兵が、竜に跨がったまま僕に剣を向けてきた。翼竜は果敢にも僕の懐ギリギリまで攻めてくる。

 皮膚の薄いだろう腹部目掛けて襲いかかる剣先を、僕はサッと躱す。



――『君が相手を傷つければ、相手は君がその意思を持って自分達を傷つけているのだと感じるだろう』



 声の言うとおり。

 僕の炎が、相手の攻撃を正当化させてしまった。

 このままじゃ、僕は竜のまま殺されてしまう。

 白い竜の姿をしていることが、相手に誤解を与えていることは確か。多分、レグル人にとって、それはもの凄く大切なことなんだ。

 それは僕が知らない、僕が生まれるよりもずっと前に、白い竜が破壊の限りを尽くしたことが原因なんだと思う。

 その証拠に、古代神教会とは無関係だろう市民部隊の竜騎兵でさえ、僕に向かってくる。

 戦うべきは、僕の中にあるかも知れない“闇”じゃない。

 簡単に“闇”に呑まれてしまう、僕の弱い、心……!



 僕は両手を天に突き上げて、再び激しく咆哮した。



 その声と気迫が突風になって、竜騎兵達を遠くに突き飛ばした。

 空の上で何メートルか吹き飛ばされた竜騎兵達は、慌てて体制を立て直し、僕に向かってこようとしていた。――それを、ローラ様が制止している。


「待ちなさい。様子が」


 ローラ様は気付いていた。

 僕が、僕の力を内側に向けていることに。

 抑える、抑えなければ。

 簡単に竜化したことで、僕は理性を失いかけた。あの声が聞こえなければ、僕は竜騎兵達を攻撃していた。

 相手を傷つけることが、相手の攻撃を許容したことになると知った。

 僕はこれ以上相手を傷つけないために、いち早く人間の姿に戻らなくちゃならない。

 イメージするんだ。

 僕の、いつもの身体を。芝山大河の、貧弱で、頼りない中学生の身体を。

 背中の羽も、長い尾も、今は不要だ。全身をびっしり覆う鱗も、身体の中に押し込める。

 破壊竜の血を引くからって、僕自身が破壊竜になる必要はない。


 そう、僕は、僕。

 救世主の血を継ぐ、“神の子”だ。

 人間に戻れ!

 戻れ、戻れ、戻れ……!

 小さく、小さく。


 僕は必死に自分の力を押し込めようとした。

 それはまるで、大きく膨らんだ綿を小さな袋に無理矢理押し込むような。 


 早く、早く戻らなきゃ。

 焦れば焦る程身体は言うことを聞かなくて、それが雄叫びとなって竜騎兵達を震え上がらせ、収まりきれない力が溢れ出して魔法を含んだ風となり、拡散していく。

 その度にローラ様が分厚いシールドを幾重も張ってそれらを防ぎ、僕の様子を注視していた。

 ローラ様の表情は硬い。柔らかいが冷静で厳しく見えていた美しい顔が、今は緊張と恐怖でガチガチだ。

 これが、白い竜。

 世界を振るい上がらせる、恐ろしい存在――……。











      ・・・・・











 サワサワと、木の揺れる音がする。

 柔らかい風が、僕の肌を撫でていく。

 深い深い、森の奥。

 僕は一匹の、白い竜だった。


『白いの』


 頭の上からしわがれた声がして、僕は長い首をのっそりと持ち上げた。

 そこには、くすんだ深緑の、年老いた竜の姿があった。


『何も、そんなに塞ぎ込むことはない』


 巨体の老竜はそう言って、僕の目線まで頭を下げ、下顎を僕の頬に擦り始める。生温かい感触が少し心地よくて、僕は静かに目を閉じた。


『グラントには分からない』


 知らない声が、僕の口でそう喋った。


『そうかの』


 グラントは寂しそうにため息をつきながら、僕の首を這うように、下顎を擦っていく。


『「気持ち悪い」「死ねば良いのに」と言われ続けて苦しまない竜はいない。グラントは、僕が誰の子か知ってるの?』

『……いや』


 僕の首からゆっくりと離れながら、グラントは首を振り、ため息を漏らした。


『僕は、呪われている』


 寂しそうに、僕が言う。


『白く、穢らわしい、呪われた竜だ』

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