5. 破壊竜の血を引く少年

 美しく整った顔で、ローラ様は僕に迫った。

 何でもないときなら、ちょっと顔を赤らめたり胸を躍らせたりしたかも知れない。けれど、今の僕に、そんな心の余裕は微塵もなかった。

 誰も……、教えてくれなかった事実を、ローラ様は僕に無理矢理突きつけてくる。

 救世主だった来澄凌と白い破壊竜、壊されていく街。そして、凌が破壊竜と一つになったこと。

 頭の中に展開される映像は切ない程にリアルだった。


「――少しは理解できましたか。自分の、立場が」


 ローラ様が静かに言う。

 目をそらすことも、瞬きすることも許されぬような緊張感に、僕は恐る恐る頷く。


「場所を変えましょう」


 ニッコリと微笑んで、ローラ様はようやく僕の手首から手を離した。

 解放された右手は血の気のない紫色になりかけていて、くっきりと手で掴んだ跡まで付いている。痺れを感じて左手で擦っていると、不意に周囲の明るさが変わっていることに気が付いた。

 顔を上げる。



 ――一面の夕陽。



 傾いた日が地平線の直ぐそばで眩しく輝いている。

 つい数秒前まで、窓のない塔の一室にいたはずだったのに。

 下からの風を感じて目線を落とすと、足下にはレグルノーラの町並み。リサさんとともに初めて“干渉”したときに見た、上空からの景色。


「う、うわ……ッ!」


 空の……上……?

 僕とローラ様は、空に浮いていた。

 足がすくむ。

 どうしてだろう、靴底は確かに床を踏みしめている感覚なのに、空の臭いがする。風が頬を撫でていく。


「ここからは、世界の全体が見渡せます。真下に白く丸く見えているのが、さっきまでいた白い塔。その直ぐそばに見えるのが、聖ディアナ魔法魔術学校。塔の直ぐそばに、古代神教会の建物も見えるでしょう。大きなビルや商店、住宅街、その先には農地もあります」


 ローラ様はローブを風になびかせて、ご覧なさいとばかりに、大きく手を動かした。

 どこか近未来的な、でもどこか懐かしい。

 オレンジ瓦の古い町並みとオフィス街が混在して、更に遠くには緑豊かな農地や森が見えて。


「空からでは、そこに生きる人々は見えないかも知れません。しかし、間違いなくそこには営みがあるのです」


 淡々と語りかけてくるローラ様の言葉は、丁寧で、優しそうに聞こえる。

 僕は、なるべく目をそらさないように、でも心の中を余計に覗かないよう、注意を払いながら耳を傾ける。


「白い破壊竜は、何度もこの世界を焼き尽くしました。破壊と再生を繰り返しながら、この世界はここまで発展してきたのです。そのような歴史を再び繰り返すことのないよう、歴代の塔の魔女達は、命をかけて世界を守り続けました。……私もその一人。塔の魔女として、目の前にいる“破壊竜の血を引く少年”を野放しにしておくことは出来ません」


 ゾクッと寒気がして、僕は見えない床の上を数歩、後退った。

 ローラ様を包む真珠色の光沢は、濁りが混じったり、消えたりしながらも、光を失わないでいる。


「かの竜の恐ろしい“力”を、私は間近で見ました。レグルは今のところ、同化によって破壊竜の力を封印し続けていますし、ミオもかの竜がなりを潜めてからは自分を見失うことはありませんでした。――反対、したのですけれどね。子孫を残すようなことをしてはいけないと。二つの異なる世界、二つの異なる種族の血を混ぜ合わせた“禁忌の子”となることは明確。誰も、幸せにはなれないかも知れない。新たな火種を、どうして作るような真似をしたのかと」


 ローラ様はそう言って、僕に向けて、両手のひらを突き出した。

 僕の直ぐ真ん前に、直径一メートル程の、大きな空っぽの二重円が現れる。

 赤黒い……光。

 見たことのない、おどろおどろしい色を放ちながら、円の中に文字が刻まれていく。


「闇の魔法です」


 言われて僕は、ローラ様の顔を見た。

 表情一つ変えず、僕を見て淡々と話す彼女に、僕は恐怖さえ覚えてしまう。


「私は全力で、あなたの中に眠る破壊竜の力を引き出します。あなたは自分の意思で、私の魔法を食い止めなさい。もしあなたが、破壊竜の血に引きずられるようにして闇に堕ちるようであれば、私と市民部隊の竜騎兵はあなたを容赦なく潰します」

「そ……、そんな、急に!」

「いいですか、タイガ。この世界で必要なのは、“思いの強さ”。あなたが強い意志で立ち向かえば、“破壊竜の血”などというものに負けたりはしないはず。ディアナ様もおっしゃっていたでしょう。“『どう生まれたか』ではなく、『どう生きるか』”だと」


 息を呑む。

 一文字一文字、丁寧に刻まれていく文字と文様。これが刻み終われば、魔法が発動する。


「さぁ、見せてご覧なさい。私の前で、証明してご覧なさい。自分の存在の正当性を。あなた自身が、二つの世界を破壊することはあり得ないのだと」


 全ての文字が埋まる。

 魔法陣が、より一層赤黒い光を放つ。

 激しい風と、光。

 魔法陣から黒い矢印が大量に、僕目掛けて飛び出してくる。


「うわぁあアッ!!」

 

 逃げ場のない僕に、それらは勢いよく襲いかかった。

 両腕で顔を覆う。その腕に、矢印が突き刺さる。


「いッ……!」


 身体の至る所に、次々に鉛筆大の矢印が突き刺さってゆく。

 痛い……!

 太い注射針を大量に刺されたような、激しい痛み。

 見れば全身にびっしり、数え切れないくらいの矢印が突き刺さっている。


「な、何コレ……! うわっ!」


 気持ち悪い。

 全身に悪寒が走って吐きそうになる。

 更に矢印は、徐々に身体の中に入り込み始めた。矢印の一つ一つが、その効果を訴えるようにじわじわと入り込んでいく。その度に吐き気が増し、頭が痺れた。


「気持ち……悪い。助け……」


 頭が、朦朧としていく。

 立っているのもしんどくなって、僕は見えない床の上にへたり込んだ。

 矢印の染み込んだところから、僕の皮膚は黒く変色していった。

 闇の……魔法。

 そんなものを使ってまで、塔の魔女ローラ様は、一体……、何、を……――。











      ・・・・・











 矢印は進む。

 僕の身体の奥深くに。

 深海のような暗い光の届かない場所をぐんぐんと突き進み、やがて、小さな卵に出会う。

 卵には、ヒビが入っていた。

 矢印達は卵の周りに集結して、殻をツンツンとつつき始めた。

 そうしているウチに、ヒビが徐々に大きくなって、やがてポロリと殻がむけた。

 殻の中には、小さな竜が眠っていた。

 まだ幼い、白い竜。

 キィと弱々しい声を上げて、竜は目を覚ます。

 瞳は、燃えるような赤。

 少しずつ、折りたたんだ羽を広げ、ぐんと背を伸ばしたところに、黒い矢印があらゆる角度で突き刺さってゆく。

 竜は悲鳴を上げた。

 矢印を全部取り込んで、竜は身体を大きくした。

 ズン、ズンと、風船のように大きく膨れ上がってゆく。

 小さな竜は、大きな竜になっていた。

 それはもう、子どもじゃなくて、立派なおとなの……。











      ・・・・・











 自分の身体が異様に脈打っているのに気が付いた。

 心臓が、苦しい。

 矢印を全部吸い取って真っ黒になった腕が目に入る。

 胸を両手で押さえて、僕は空の上で転がっていた。

 眼下に、レグルノーラの町並み。

 日が沈み、少しずつ空に紺色が混じり始めている。


「変化が、始まったようですよ」


 ローラ様の声が空に響く。


「白い鱗。やはり、あなたは人間と言うより、竜に近い」


 ――鱗?

 言われて僕は、自分の腕にもう一度目を落とした。

 Tシャツの下、黒く変色していた皮膚の上に、白い鱗が見える。鱗はじわじわと皮膚を侵食して、僕の肌を隠してゆく。


「うわあっ!」


 慌てて起き上がり、鱗を掻きむしろうとした、その手がもう、白い鱗に覆われている。


「う、嘘! そんな!」


 身体が膨れ、服が裂け始める。

 鉤爪が生え、靴が破裂し、背中や尻がうずうずしていく。バサリと音がして、風の抵抗を感じた。羽と尾の感覚。

 頭部にも違和感があった。何かがにょきっと生え、少しずつ少しずつ、僕は人間ではない、別の形に変わっていった。

 殆ど背の変わらないローラ様がどんどん小さくなっていって、いや、違う、僕の身体は急激に大きくなっていった。

 僕を見る、ローラ様の目つきが変わっていく。光沢のある真珠色から、一気に攻撃色の赤に様変わりする。


「姿を現しましたね……。白い竜。まだ少し幼さは残りますが、あの日見た破壊竜と同じ鱗の色。そして……、かの竜とよく似た“気配”」


 再び、魔法陣。

 赤黒い光が再度、夕暮れの中で光を放つ。


「追加の魔法です。あなたの中に潜む“闇”を強制的に解放させます。全力で立ち向かいなさい、タイガ。私は本気ですよ」


 空気を裂くような音と共に、魔法が発動した。

 僕は竜の姿のまま、黒い魔法に呑まれていく。

 それは、黒い矢印の集合体だった。

 矢印達は反時計回りに並んで球体を描き、竜になった僕を取り囲んだ。

 三六〇度全ての視界を完全に失った僕は、グルグルと反時計回りに回転を始める矢印達に、どんどん意識を吸い取られていった。

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