4. 救世主と破壊竜

 リアレイトとレグルノーラを行き来するときに、浮遊感で身体がフッと軽くなる、あの感覚とはまた違う。

 転移魔法の原理は分からないけど、身体が光の中に溶けて、細胞も感覚も何もかも光の粒になってゆく。他になんと表現すれば良いのか、僕の語彙力じゃ全然表現しきれないけど、何だか僕自身が一度消えてなくなってしまうような、そんな不思議な感覚だ。

 怖い。

 リアレイトにいたら絶対に感じることの出来ないそれに、僕は怯えていた。






 *






「着きましたよ」


 モニカ先生の言葉で、僕は目を開ける。

 いや、目を開けていることに気が付いた。

 先生の両腕を必死に掴んで、両足を踏ん張り、肩で息をしている。頭は先生の胸元に突っ込んで、失礼……極まりない。

 僕は慌てて先生から離れ、すみませんと何度も頭を下げた。


「魔法は、慣れです。沢山触れて、沢山実践するしかありません。顔を上げなさい。塔の魔女の御前おんまえです」


 僕はビクッと肩を揺らした。

 視界に、真珠を思わせる光沢を持ったきらびやかな色が広がっている。光に溶けた虹色の粒。感じたことのないくらい、高貴な色。

 これが……、人間の放つ色なんだろうか。

 ゆっくりと目線を移動して、僕はその色を纏う人を確かめる。

 床一面に敷き詰められた幾何学模様の絨毯の上、美しい絵画や彫刻が並んだ室内。座高の高い装飾豊かな椅子に、その人は座って僕を見下ろしていた。

 腰まで伸びた長い髪はくるくると巻いてあって、リサさんの蜂蜜色とはまた違う琥珀のような濃い金髪だった。髪には大きめの花飾り。白いドレスは魔法使いと言うより、おとぎ話のお姫様のようだ。ドレスの上に羽織ったクリーム色のローブが、漂う真珠色と混じって輝いて見える。瞳がまた、綺麗だ。キラキラした黄緑色はまるで、春の若葉のような――。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




『初めまして。私はローラ。ディアナ様の跡を継いで塔の魔女になったばかりよ。お会いできて光栄だわ』


 ――どこ。

 綺麗な石で作られた神殿にも見える。ここは……?


『お会いできて光栄です。新たな塔の魔女ローラ』


 濃いグレーに赤いラインの入った服を着た、日本人の少年が前にいる。

 筋肉質で、でも極端に身体が大きいわけじゃない。数々の難局を生き抜いてきたような存在感。落ち着いてて、優しさと力強さに溢れてる。どこかで聞いた、低い声。

 僕は塔の魔女の……、記憶を見ている。


『理想は――、世界が全て元通りになること。あらゆる手段を使って、今はヤツを止めることを最優先に』


 僕の本当の父、来澄凌は、かつて二つの世界を救ったらしい。その時の……記憶。

 見える。

 あれが……、若かったときの……。


『貴方は全てを救いたい。全ての世界を平和に導きたいと考えている。レグルノーラの平穏のみを祈っている私とは格が違い過ぎですわね』


 映像が切り替わって、大きな船の上に出た。

 曇り空の下、砂漠を進む帆船、ローラ様がそう言うと、凌は少し恥ずかしそうに微笑んだ。

 手を伸ばせば届きそうなところに、その人はいる。

 もう少し、もう少しでその姿がハッキリと見えるのに、どうして顔の部分にだけ、僅かにもやが。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「もう少し、見ていたいですか、タイガ」


 柔らかい声が降りてきて、僕は現実に戻された。

 声を掛けてきたのは、モニカ先生じゃない。塔の魔女、ローラ様の方に違いなかった。


「良いのですよ。あなたの精神力が持つようであれば、もう少し、見ていても」


 ローラ様は、女神のような慈悲深い笑顔を僕に向けてきた。

 どう……、答えるべきか分からず、僕はサッと目を伏せる。


「タイガ、大きくなりましたね。あなたからはレグルと同じ“気配”を感じます。そして、大きな“力”が眠っていることも、容易に感じ取れます。古代神教会があなたを見つけ出すのは、決して難しくはなかったと思いますよ」


 柔らかいけれど、どこかにトゲを感じるような言い方をして、ローラ様は僕の表情を探っている。


「モニカ、連れてきてくれてありがとう。後は私が」


 椅子から降り、ローラ様は僕の方へと近づいてきた。

 モニカ先生はうやうやしく礼をして、


「それでは、お願いします。くれぐれも、お手柔らかに」


 少し、意味深なことを言った。

 ローラ様は何も言わず、モニカ先生に目で合図している。

 この話の流れ、嫌な予感がする。――そう思って、モニカ先生の方を振り返ったときには、もうそこに先生の姿はなくて、僕とローラ様の二人だけがその場に残されてしまっていた。


「あれ、先生」


 困る。

 どこかも分からないところに、急に放り出されても。

 僕はキョロキョロとして辺りを見回した。

 だだっ広い、窓のない部屋。天井にはシャンデリア。値段も想像できないような、美しすぎる調度品が至る所に置いてある。とにかく豪華絢爛で、部屋着の僕がいて良さそうな場所じゃない。

 か、帰りたい。


「――勝手に、帰られては困りますよ、タイガ。あなたの中に眠る“力”がどのようなものか確認した上で、私は次の手を打たなければならないのですから」


 ローラ様の手が、急に僕の右手首を掴んだ。

 少し冷たい、柔らかい手。


「私はディアナ様程甘くはありません。シバに忖度してあなたを過保護にするつもりもありません。


 この世界レグルノーラを守る塔の魔女として、あなたがどのような人間か、どのような“力”を秘めているのか、見極める必要があります。

 もし、危険因子だとハッキリ断言できる状態なら、躊躇なく命を奪わねばなりません。逆に、この世界の混乱を鎮めるために必要だと判断できるようなら、力を貸しましょう」

 表情一つ変えず、微笑んだまま、ローラ様は恐ろしいことを言った。

 彼女に漂う色にも、淀みが一切ない。つまり、……本気だ。


「本当のことを知りたいと思いませんか、タイガ。私は、あなたに隠し事をすべきではないと思っている。ディアナ様はじめ、塔も、シバも皆、不都合な事実を隠したいようですが、そんな悠長なことを言っている場合ではないのです。“神の子”などと称されてはいますけれど、あなたの中に眠る“力”は、使い方によっては、もしかしたら二つの世界を恐怖に陥れるかも知れないのですから」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 ローラ様の記憶に、再び引き込まれる。

 白い……巨大な竜が見える。大きな口をガバッと開けて、炎を吐き出している。

 焼き尽くされる街、逃げ惑う人々、そして……、悲鳴が脳内に響き渡っていく。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「皆、怖いのですよ。あなたの中に眠る“力”が。ディアナ様も、シバも、何も教えてはくれなかったでしょう。私は申し上げたのですけどね。『知らないこと程苦しいことはない』と。けれど、お二人とも決して良いお顔はされなかった。まだ早いと、そればかり。だけどタイガ、あなたは知らなければなりません。これから二つの世界を行き来しながら生きていくつもりなら、――真実を」


 僕が……、記憶を覗けることを知った上で、ローラ様はわざと僕の眼前に迫った。

 腕を掴み、十センチにも満たない距離まで近づいて、目を見ろと無言で脅してくる。

 記憶に、吸い込まれていく。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 破壊されているのは、レグルノーラの美しい町並み……だけじゃない。

 見覚えのある東京の高層ビル、住宅地、どこかの学校。

 自衛隊機が上空を旋回して、巨大な白い竜を襲撃している。

 躊躇なく壊されていく街を、僕はローラ様の記憶を通して見下ろしている。

 破壊に次ぐ、破壊。

 何だこれ。映画……?




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「かつて、一匹の白い竜が世界を混沌に陥れた話は、聞きましたか」


 淀みのない真珠色の中で、ローラ様は静かに言う。


「かの竜は長い孤独を生き、世界を恨み、全てを破壊することで自らの存在を知らしめようとしました。それまで均衡を保っていた二つの世界、レグルノーラとリアレイトの境目をなくし、恐怖で覆い尽くそうとしたのです。その竜の心を静め、世界を救ったのが、あなたの父、リョウでした」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 ――途端に、映像から曇りが取れた。

 顔が……ハッキリと見える。

 目つきの鋭い、自信に満ちた少年。真っ黒な髪、とても強そうで、逞しい顔。

 確かに、どこか僕に――、似てる。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「彼は無謀でした。そして誰よりも優しかった。彼はかの竜を孤独と悲しみから救うため、同化して永遠の時を共に過ごすと約束してしまったのです」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 白い竜を従える凌の姿が見えた。

 怯える人々をよそに、静かな笑みを湛えている。

 魔法……、白い竜と救世主、二つのシルエットが光に包まれて、ひとつになってゆく。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「あなたの父、リョウが同化したのは、“破壊竜ドレグ・ルゴラ”。私達レグル人がその名を呼ぶことさえ恐れ、忌み嫌った悪竜です。そして、あなたの母ミオにもまた、かの竜の血が流れている。彼女は、かの竜がリアレイトの干渉者に産ませた子ども。二十年前の混乱には、ミオの存在が深く関わっていました。これが、どういうことか分かりますか」


 僕の腕を握るローラ様の手に、ぎゅっと力が入った。

 画像が途切れる。

 真珠のような色が、少しずつ濁ってゆく。

 本当は……、怒りに震えているに違いない。

 僕という不安定な存在が、この世界の秩序を壊していることに対して、正気ではいられないくらい苛立っている。


「破壊竜……の、血?」


 細い指が、僕の手首に食い込んでいく。


「そういうことです。確かにリョウは、かの竜と同化したことで“神の力”を得、人間とは一線を画した存在へと昇華しました。あの神々しいまでの存在感に、畏敬の念を抱いていたことも嘘ではありません。しかし、本当にかの竜が破壊竜としての力を失ったのかどうか、誰にも分からないのです。何せ、あの頭の良い竜は、人間の姿に化けて人をたぶらかしたり、気の遠くなるような年月をかけて罠を仕掛けたりしていたのですから」


 手に、力が入らない。鬱血して、色が変わってきている。

 僕は顔を歪ませて、どうにか腕を振り払おうとした。けど、ローラ様は離さなかった。


「皆、古代神教会を悪く言っていたでしょう。塔の敵対勢力ですし、あの強硬姿勢、分からないでもありません。けれど、致し方ないとは思いませんか。古代神教会は、救世主リョウの息子であるあなたを、単に疎んでいたわけではないのです」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 ローラ様の瞳に、背中に竜の羽を生やした男が浮かび上がった。

 表情の読めない、静かに微笑むその人は、凌とは少し雰囲気が違っていた。

 神秘的と言えば聞こえは良いかもしれない。けれど、単純にそうとも言い切れない不気味さも漂わせている。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「彼らが信仰する古代神と、破壊竜を取り込んだ干渉者。姿形は似通っていても、本質は全く違います。もう、わかりますよね、タイガ。古代神教会は、あなたが再び、“破壊竜ドレグ・ルゴラ”と同様の存在になり得るかも知れないという、その可能性を危惧しているのです」

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