【5】歪んでゆく

1. 女子寮の寮長

 リサさんのベッドで泣くこと数分。やっと落ち着いて、頭を撫でるリサさんの手にも気付いてきた頃。背中を棒状の何かでツンツンしてくる別の存在にようやく気付いた僕は、ゆっくりと振り向いた。

 恐る恐る見上げると、そこにはリサさんと同じくらいの年の女の子が一人、箒の柄側を僕に向けて立っていた。ラフな格好のその子は、少しだけ深緑の混じった灰色の髪を揺らして僕のことを睨み付けている。


「ちょっと、君。ここ、女子寮なんだけど」


 如何にも真面目そうな子。


「あ、はい。すみません……」


 僕が謝ると、彼女はウエッとあからさまに嫌そうな顔をして一旦引っ込み、どこからか箱のようなものを取って差し出してくれた。


「鼻、出てる。リサのベッド、鼻水だらけにしたんじゃないでしょうね」


 ボックスティッシュだった。

 この世界にも“向こう”と似たような物があるんだ。驚きつつも、ありがたく数枚頂戴して鼻をかむと、頭も心なしかスッキリしたような気がした。

 ゴミ箱までスッと出してくれる丁寧さ。

 ありがとうございますと頭を下げて、使用済みのそれをゴミ箱に投入したところで、その子が僕のことをじっとりとした目で見つめているのに気が付いた。


「リサの知り合い?」

「は、はい」


 彼女はあからさまに僕のことを警戒している。

 そうだよな。女子寮に知らない男子が侵入してるんだから、通報ものだ。


「それ、リアレイトの文字だよね。もしかして、リサの言ってたシバ様の息子……?」


 Tシャツの英字を見て、その子はもの凄く驚いていた。

 こくんと頷くと、僕を見る目が急に変わった。


「私、シバ様の大ファンなの! リサがディアナ校長から特命を受けたって聞いてびっくりしたけど、君が息子の……」

「た……大河、です。初め、まして」

「タイガ君! 強そうな名前! 私はリサのルームメイト、カレン。よろしくね」

「は、ハァ……」


 そう言えば、リサさん、言ってたっけ。ファンクラブもあるって。

 確かにシバは、イケメンだった。あの中身がぶっきらぼうで堅物な中年男だと知ったら、きっと夢も希望も壊しちゃうだろう。世の中には、知らない方がいいことも沢山ある。

 カレンさんは、悪い人じゃなさそうに見えた。ピリピリしてるのは恐らく僕のせいだとして、その奥に見えるのは、優しくトゲのない性格であることを示す萌黄色だ。

 リサさんのルームメイトがまともそうな人で良かった。少しホッとした。


「……で、なんでシバ様の息子が女子寮にいるわけ? あんな大声で泣いて、あれじゃ気付かれるのも時間の問題だよ。寮長が規律と貞操にうるさいの知ってるでしょ。もし男がちん入してきたって知ったら、火炙りか水責めだよ?」

「え……!」


 とんでもない言葉を聞いて、僕は目を丸くした。

 リサさんの方を見ると、そうなんだよねぇと言わんばかりにうんうん頷いている。


「『うら若き乙女達の園に紛れ込むけだものには死を』……だっけ?」


 カレンさんがニシシと意地悪く笑ったところで、トントンと力強くドアをノックする音が聞こえた。

 ハッとしてドアを見ると、僅かな隙間から赤と紫色をごちゃ混ぜにしたもやが染み出している。憤怒の色……!


「き、来たッ!」


 カレンさんは顔を青くして、僕とリサさんの方を見た。


「隠れて、タイガ君。ベッドの下!」


 ヒソヒソ声で指示するカレンさんに圧倒され、僕はリサさんのベッドの下に身体を滑り込ませた。少し埃っぽい……けど、仕方ない。

 腹ばいになって息を潜める僕の目に、徐々に開いていく扉の向こう側が見える。


「カレン、また苦情が来てる。大泣きしてたのはリサ? また虐められたわけ?」


 ちょっと低めの、トゲのある女子の声。

 明らかにご機嫌の悪い色を全身に纏い、声の主はずんずんと近づいてくる。

 革靴で床を歩く振動が、僕の耳にビシビシと伝わって、緊張が更に高まってゆく。


「リサ。あなた、もう高等部も二年になったんだから、いちいち気に障ることを言われたくらいで大泣きしないで。うるさいったらありゃしない」


 声の主はベッドの上で布団を被って縮こまるリサさんに向かって、吐き捨てるように言った。

 リサさんが怯えてビクッとすると、ベッドが少し軋んだ。

 見つかったら火炙りか水責め……。確かに、されそうなくらい凄い気迫だ。


「カレン、あなたルームメイトなんだから、もう少しリサのこと見てあげてよね。何かある度に、寮長である私に苦情が届くのよ。ディアナ校長にもリサのことは聞かされてるから、あんまり強く言いたくはないけど、年下の子達が不安になるでしょ。その辺、ちゃんと理解して貰わないと」

「あ、は、はい。気をつけます……」


 カレンさんは沈んだような声で答えた。

 寮長の彼女は、責任感からリサさんに注意しているらしい。

 悪い人ではないみたいだけど、やっぱりなんか怖いな……。


「それと」


 寮長は何かを探るように、一息置いた。

 どんな動きをしているのか、ベッドの下からは見えないけど、カレンさんとリサさんの緊張がひしひしと伝わってくる。


「カレン、ちょっと席を外してくれる? リサに大事な話があるから」

「え! あ……、その……」


 カレンさんは何かに怯えているような、都合が悪そうな声を出す。

 ベッドの真ん前までゆっくり後退あとずさってきた。多分、ベッドの下の僕を気にしているんだ。


「大事な話があるの」

「ハイッ!」


 寮長のただならぬ気迫に押されて、カレンさんがドタバタと部屋を出て行ってしまう。

 ……魔法が発動した。淡い緑色が部屋全体を包み込む。確か、結界魔法の色。

 何をしているんだろう。

 ベッドの下からじゃ、何も分からない。

 寮長の足の動きをじっと観察するしかなかった。

 扉側に向いていたつま先が、こちら側に向いた。数歩進み、止まる。そして急に屈むような動きを――。


「あ、あの、そこは」


 ベッドの上のリサさんが寮長を止めようとする。

 けど、間に合わない。


「出てきなさい」


 目が合った。

 赤毛の綺麗な顔立ちの女子が、目をぎょろりと剥いて僕を見ていた。


「ヒィ……ッ!」


 僕はかなり失礼な声を上げた。

 両手で口元を押さえたけど、出た声を引っ込めることは出来ない。

 恐怖で身体が震えだした。

 ヤバい。見つかった。

 火炙りにされる。それとも、水責めかも。

 けれど寮長は、僕が思っていたのとは全然違う台詞を繋いできた。


「早く出なさい。埃まみれじゃない。隠れてるつもりだった?」


 ベッドの下に手を伸ばして、僕のことを呼んでいる。

 え、困る……!

 僕は思いっきり奥に向かって身体をずらし、寮長から少しでも距離を取ろうとした。


「あの、こ、これは、その」


 リサさんがベッドから片足だけ下ろして、寮長に弁解しようとしている。

 すると寮長はプッと吹き出して身体を起こし、


「この子、“人間”じゃないでしょ。“竜”に似た“気配”がする」


 いきなり核心を突いてきた。


「“気配”を隠すのは難しいものね。“臭い”や“色”同様、自分の意思ではなかなかコントロール出来ないから、それ相応の訓練や道具、魔法が必要になる。――“神の子”?」


 リサさんは次の言葉を失ってしまっていた。


「……当たった。なるほど。この間から感じていた、変な気配の正体はこの子か」


 ハハンと勝ち気に笑う寮長。


「ゆ、許してください。大河君は間違ってここに」

「“タイガ”。それが“神の子”の名前ね」


 寮長は再びベッドの下を覗き込み、僕の方をじっと見つめた。

 長い赤髪が床に垂れている。

 逆光で顔はよく見えないけど、リサさんの目よりも深い緑色の瞳が光って見えた。


「タイガ、こっちへ」


 寮長が言うなり、僕の身体は僅かに浮き上がった。ベッドの下をスルッと滑るように移動して、気が付くと身体が完全に灯りの下に曝け出されていた。

 長いスカートの中は黒いタイツ。茶系に纏まったカジュアルな色使いのワンピースとカーディガン。腰に手を当て、僕を見下ろす赤毛の美少女。

 全身に纏うのは、強気な向日葵色だ。


「“気配”の割に、見てくれはただの子どもね」


 仰向けになった僕の視界に、寮長のスカートの中身が少しだけ見えた。


「う、うわああっ! あの、これはッ!」


 慌てて飛び起きて、ひっくり返って、僕は思いっきり尻餅をついた。


「そんなに驚かないで。殺しはしないわよ。……まぁ、私じゃ殺せないかもだけど」


 にやり、と寮長は不敵に笑う。


「“神の子”タイガ。半竜のレグル様の血を引くから、こんな複雑な“気配”をしてるわけか。しかも、まだその力をコントロール出来ないでいる。リアレイトから来るとき、うっかり女子寮に侵入した……、そんなところかな。校長からのリサへの特命は、『干渉者シバの息子の補助』じゃなくて、『“神の子”が力を使えるよう協力すること』と、『神教騎士団から“神の子”を守ること』ってわけね。大抵の生徒や先生を誤魔化すことは出来ても、私みたいに他人の能力を察知する“特性”を持ってる人間は騙せないって、あの校長が気付かないわけないのに。……わざとかな。それはそれで面白いけど」


 バレてる。

 隠していたつもりのことが、全部。

 コレは一体、どういう。


「リサ。提案」

「は、はい!」


 リサさんは急いでベッドから這い出て、寮長の前で気をつけをした。


「私にも、関わらせてくれない? 興味あるのよね。“神の子”の力がどれくらいなのか。神教騎士団が何に怯えてるのか」


 良いでしょうと、寮長が目配せする。

 リサさんは勢いに押されたのか、もの凄い勢いで頷いている。


「じゃあ、決まりね。タイガ、私は女子寮の寮長、アリアナ。よろしくね」


 チラッとリサさんを見る。

 承諾しなさいとばかりに、目で必死に訴えてくる。

 僕はゆっくりと立ち上がって、渋々アリアナさんに頭を下げた。


「よ、よろしくお願いします……」


 選択肢はない。けど……。

 これで良かったのかどうか、僕とリサさんはしばらく悩まされることになるんだよね……。

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