6. 会いたくて

「珍しいね、哲弥がコンビニデザート買ってくるなんて」


 父さんが渡した期間限定のロールケーキを、母さんはニヤニヤしながら頬張っている。

 僕もついでに買ってもらって、一緒に美味しくいただいた。

 真ん中にクリームが詰まったロールケーキは母さんの好物だ。


「で、仲直りした?」


 父さんは買ってきた缶コーヒーを一飲みして、


「ま、まぁ……」


 と、歯切れの悪い言い方をした。


「じゃあこれで、私が凌と美桜の話をしても、哲弥は怒らないってことでいいんだよね」

「た、端的に言えば、そう、なるか、な……」

「ハッキリしなさいよ、ハッキリ。喋っても怒らない。ね!」

「す、好きにすればいいだろう」


 父さんは顔を赤くして、ハァとため息をついていた。

 家に戻って程なくすると、雨足が強くなった。

 午後三時。いつもの時間が近づいてくる。

 リサさんは今、どうしているだろうかと、そればかりが頭を巡り始めた。

 こういう雨の日は、昨日の朝みたいにインターホンが急に鳴って、リサさんがいつもの笑顔を見せてくれるかもとか、母さんの好意に甘えてふと現れて、僕の名前を呼んでくれるかもとか、そういう変な期待ばかりしてしまう。


 考えれば考える程、リサさんに会いたくなる。

 会いたい。

 どうにかして会って、リサさんに謝りたい。

 父さんと、何とか打ち解けた後だから、尚更そう思う。

 勝手に心の中を覗いたこと、リサさんの秘密を知ってしまったこと、僕と一緒にいたせいでリサさんを嫌な気持ちにさせてしまったこと。

 もしリサさんが、走って行ける距離にいるなら直ぐにでも会いに行きたいのに。

 僕はリアレイトに、リサさんはレグルノーラに。

 住む世界が違うってのは、思いのほか大変なことだった。


「行かないのか」


 ロールケーキを食べ終えた後、リビングの掃き出し窓から雨に濡れる庭をぼうっと眺めていた僕に、父さんが話しかけてきた。

 父さんは、これから書斎に籠るらしい。書斎で何をしているのかは知らないけど。


「……一人じゃ、行けないから」


 行くか行かないか。

 どこへと言わなくても、それがどこを指しているのか分かってしまう辺り、もうレグルノーラに毒されてるとしか言い様がない。


「行けないと思ってるから行けないんだ」


 僕の話を聞いてなかったのか、父さんは適当なことを言う。


「干渉者は“イメージを具現化出来る”能力を持つ。強く願えば、大抵のことは出来る。当然、持っている力の強さも、具現化には影響してくる。“神の子”のお前なら、造作もないと思うが」


 造作もない?

 僕は半分振り返って首を傾げた。


「やってみろ。案外、簡単に行けるかも知れない。慣れるまでは、気持ちを落ち着かせて、ゆっくりと呼吸しながら、行きたい場所、会いたい人を強くイメージする。目をつむって、落ちていく感覚を思い出せば、レグルノーラにたどり着く」

「……うん」


 父さんは、じゃあと軽く手を挙げ、そのまま二階へと上がって行った。






 *






 自分の部屋のベッドの縁に座って、深呼吸。

 昨日、リサさんと一緒に魔法学校に飛んだことを思い出していた。

 出来るかどうか分からないけど、親に見られたら恥ずかしいから、自分の部屋に閉じこもって。

 リサさんに、どうにかして会うために、僕はレグルノーラに一人で“干渉”する。

 まずは気分を落ち着ける。

 目をつむって深呼吸。余計なことを考えないよう、深く、深く息をする。

 それから、下に落ちていく感覚を思い出す。

 独特なぞわぞわ感が、全身を伝ってゆく。

 大丈夫、上手くいってる。

 そして……、行きたい場所や会いたい人を思い浮かべる。

 魔法学校……いや、違う。学校は広すぎて、どこへ行ったらいいのか分からない。

 ピンポイントに、リサさんに会いたい。


 どこにいるのか分からない、何をしているのかも分からない、レグルノーラにいるリサさんの姿を思い浮かべる。

 柔らかい蜂蜜色の髪。宝石のようにキラキラした、緑色の瞳。

 元気に笑うリサさん。

 はにかむリサさん。

 困ったように首を傾げるリサさん。

 辛いことを隠して、無理に笑うリサさん。

 漂う杏色は、とても優しくて、とても心地良い色。薄めのオレンジに、ほんのわずかに桃色を足したような、優しい夕焼けのような色。

 僕は……、リサさんが好きだ。

 リサさんの、優しさが好きだ。

 誰がなんと言おうと、僕のことを真剣に見て、迷って弱々しくて頼りない僕に活を入れてくれるリサさんが好きだ。

 リサさんが泣いているなら、僕はそばにいてあげたい。

 僕が隣にいて、励ましてあげたい。

 誰にも心を開けずにいた僕に、リサさんはぐいぐい食い込んできた。

 あの、優しくて強いリサさんに、もう一度会いたい――!











………‥‥‥・・・・・━━━━━□■











 膝の落ちるような感覚。冷たい床の上に跪くようにしている僕。

 自宅じゃない。

 暗めの床板が、目の前にある。


「ちょ……! 男子がどうして女子寮に!」


 誰か知らない女の子の声。

 ここはどこ。女子……寮?

 柔らかい臭いがする。

 顔を上げると、木製のベッドがあった。その上で、膝を抱える金髪の女の子。


「男子禁制なんだけど! どこから来たの? 鍵もかけてたのに!」


 上からキンキンした声が降ってくる。

 けど、そんなのは気にならなかった。


「大河……君。どうしてここに」


 リサさんだ。

 乱れた髪、部屋着。

 ここは、リサさんの寮の自室。

 僕はどうにか飛んで来れたんだ。リサさんのとこに。


「あの……!」


 僕は立ち上がって、リサさんのベッドに手をかけた。

 リサさんは驚いて、布団を半分まで被った。


「あああ謝らなくちゃと思って。勝手に心を覗いたり、嫌な思いをさせたり。ごめ、ごめ、ごめんなさい! 僕、リサさんにどうしても謝りたくて」


 いつもより多くどもってしまった。

 興奮しすぎていた。


「手を離しなさい! 変態! リサに何する気?」


 さっきから聞こえるキンキン声の子が、僕の身体をリサさんのベッドから引き剥がそうと、胴体を掴んでくる。

 だけど僕は、そんなのに食い下がってる場合じゃなかった。

 リサさんと話さなきゃならなかった。


「リサさんは、僕が変な力で困ってても、変な目で見なかった。僕も、リサさんのこと、どうにも思わないよ。だって、リサさんはリサさんじゃないか。昔がどうのとか、生まれがどうのとか、そんなのどうだっていい。僕は、リサさんと一緒にいたい。リサさんと一緒に、強くなりたい。僕には、リサさんしかいないんだ。お願い……! だから、だから……!」


 半分泣きながら、僕は言った。

 リサさんは顔を上げて、僕のことを見ていた。

 最初は不安そうに、だけど途中からはにかんで。

 錆び付いていた杏色から、少しずつ、錆が剥がれていった。透明な、いつもの杏色が広がってゆく。


「バカだな、大河君は」


 リサさんは、布団からすっかり出て、僕の頭の上に手を伸ばした。


「大丈夫、大河君のこと、嫌いになんてなれないよ」


 リサさんは僕の頭をゆっくり撫でた。

 僕の涙腺はすっかり崩壊して、人目も憚らず、リサさんのベッドに頭を突っ込んで大声で泣いてしまったのだった。

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