5.  父と子

 気まずすぎて、一緒に夕食の席に着くことが出来なかった。

 最低だ。

 父さんが必死に僕を守ってくれているのを知ってて、思いっきり酷い言葉を浴びせてしまった。

 レグルノーラと二重生活をしながら、あっちでもこっちでも働いて、僕を支えてくれていたのに。

 最低人間過ぎて、反吐が出る。

 幾ら自分が辛いからって、言っちゃいけない言葉があることくらい分かっていたはずなのに、我慢が出来なかったなんて。

 一人で部屋に籠もって、明かりを消してベッドの中で丸くなった。

 ぐぅと、大きくお腹が鳴った。


「お腹、空いたな……」


 だけど今、一階に降りていったら、父さんと母さん、どちらかには必ず会う。

 冷蔵庫を漁るにも、誰もいない時間にしたい。

 カップ麺でもいい。お腹の足しになるものを、本当は今すぐにでも口にしたいのに。

 ――トントンと、ノック音。


「大河? ご飯持ってきたよ」


 母さんだ。

 僕の返事を聞く前に、部屋のドアを開けてきた。


「お昼も食べてなかったでしょ。食べないと、お腹が空いて眠れないよ。温めてきたから、食べられる分、食べちゃってよ」


 ちらっと布団をめくると、唐揚げのいい香りが漂ってくる。


「ほぅら、やっぱり起きてるじゃない」


 廊下から漏れた明かりに、母さんのシルエットが浮かび上がっていた。

 母さんは勝手に部屋の明かりを付けて、僕の机に夕食を置いてくれていた。


「お父さんのいるところじゃ、食べづらいでしょ」

「……うん」


 ぐうぅと、またお腹が鳴った。

 この匂いを我慢するなんて無理だ。

 僕はベッドからそろそろと這い出して、机に向かった。

 山盛りの唐揚げと、サラダ。わかめの味噌汁。僕の好きなメニュー。

 小さくいただきますをしてから、ご飯を掻き込んだ。お腹が空きすぎて、食欲がバグっていた。食べても食べても、まだまだ食べられそうな気がしてくる。


「内緒にしなくてもいいんじゃないのかって、何度も言ったんだけどね」


 ベッドの縁に腰掛けながら、僕が食べるのを見ていた母さんが、ポツリと言った。


「頑固でしょ? 言わないと決めたら言わないって聞かなくて。……で、大河も頑固でしょ? どんなに辛くても、絶対に辛いって言わないし。変なところだけ似るんだもん。血なんか、これっぽっちも繋がってないのに」


 唐揚げの肉汁が口の中いっぱいに広がる。ご飯を掻き込む。

 そのあと、味噌汁。

 サラダも挟みながら、どんどん食べ進める。


「親子だと思うけどな。ダメかな。血は、繋がってなくちゃ」


 母さんはため息をついて、僕のことをずっと見ている。

 リサさんが来てから、いろいろあって。

 でも、母さんは殆ど何も言わなかった。


「あなたの本当の両親はね、私と哲弥の、高校の同級生なんだ」


 唐突に、母さんが言い出した。

 箸が止まる。

 僕は口をもごもごさせたまま、母さんの方を見る。


「四人とも、干渉者だった。何故だか分からないけど、いつの間にか世界を救うことになってしまったりょうって人が、あなたのお父さん。彼と付き合ってたのが美桜みお。あなたのお母さん。あと、私と、哲弥。仲良かったんだよ、私達」


 凌。

 それが、僕の本当の、父さんの名前。


「あの写真はね、大河が生まれたときに、美桜に抱かせて貰ったときのものなの。私達には結局、子どもが出来なかったから、とってもいい思い出になった。あんな写真見せて、騙すようなことをして、悪かったと思ってる」


 母さんの桃色は、少し、色あせている。


「子育ては、私も一緒にやったのよ。美桜には親がいなかったし、凌もリアレイトにあんまりいれなくて。協力し合わなかったら、きっと育てられなかった。おむつも替えたし、ミルクもあげた。寝かしつけだって、美桜と一緒に私もやった。ちゃんと、子育てしたんだよ、私も」


 グズッと、母さんが鼻を啜る音がする。

 目元に涙が光っているのが見えて、僕は目をそらし、箸を握り直した。


「二人がいなくなった経緯は、話しても直ぐには理解出来ないと思う。……私も、半分くらいしか理解出来てない。だけど、二人は大河のことをとても愛していたし、私達も大河のことを、とても愛してる。愛してるから、言えないことも、あるじゃない。言ったら傷つく、苦しむ。分かってて、言えないことってあるじゃない。……逃げてたのかな。現実から目を背けて、大河は最初から、自分達の子どもだったって、どこかで思いたかったのかな」


 箸を運ぶ手が、重い。

 だけどまだ、お腹はいっぱいにならなくて。

 悔しいくらいに、カロリーが足りなくて。


「どうしたら、大河と本当の親子になれるのか、そればかり考えた十年だったよ」


 母さんは、そう言って頬を綻ばせた。

 唐揚げが、涙の味になる。

 お腹が空いているのに、手が震えて、箸が動かせなかった。






 *





 気怠さと筋肉痛。

 特に頭の中は麻酔薬を打たれたみたいにぼうっとしていて、頭も足元もフラフラしている気がする。

 昼から天気が崩れるらしくて、朝からどんより曇り空。空気が少し湿り気を帯びてきている。

 ここしばらく天気が良くて、僕は学校帰りにリサさんと土手で会うのが日課になっていた。同じことが続くと、いつの間にかそれがルーティンになっていく。それが出来ないって分かった時点で何だか嫌な気持ちになるんだから、不思議でたまらない。


 僕はリサさんの心の中を許可なく覗いた。彼女の記憶の辛い部分を沢山見て、その上彼女が秘密にしていた“記憶がない”事実を突きつけられた時点で、僕の夕暮れのあのひとときはもう、消えてしまっていたんだと思う。

 翌日の約束、昨日は出来なかった。

 リサさんは、僕を拒絶した。

 僕は、デリカシーのない、最低の人間だ。

 自分の秘密を知られるのは嫌な癖に、リサさんの秘密を覗いてしまったんだから。






 *






 せっかくの日曜日、僕はぼうっとしたまま、午前中の大半をベッドの上でスマホを弄りながら過ごした。時計を見てはため息をつき、リサさんのことを考えてはため息をつき。父さんと母さんの言葉を思い出してはため息をついた。

 部屋に閉じこもっていても、父さんも母さんも特に何も言ってこなかったのは幸い。一応、気を遣ってくれているんだと思う。

 母さんは溜まった家事で忙しそうに家中駆け回っていたし、父さんは書斎に籠もっている。

 無責任に放った言葉や無意識の行動が人を傷つける。

 自分がやられたら嫌なくせに、興奮していて、冷静になれなかったという理由で他人にやってしまうのは、人間として最低だと思う。

 思う、けど。

 僕はまだ、このわだかまりに耐えられる程、大人じゃなかった。


「外に行かないか」


 昼ご飯の後、急に父さんが話しかけてきて、僕のぐうだらな時間は終わった。

 あんまり乗り気じゃなかったけど、渋々一緒に行くことにした。


「念の為、お前が魔物に遭遇した場所や、神教騎士と会った場所を確認したい」


 そう言われれば、断れない。

 グーグルマップで見ればいいじゃんとも思ったけど、前の日にかけた結界の効き目もチェックするからと言われ、何も言い返せなかった。

 寝癖をちょっとだけ直し、部屋着よりは幾分かマシな程度の服に着替えてから外に出た。

 父さんと外に出るなんて、何年ぶりか分からない。

 小学校の低学年くらいの時は、一緒に河川敷でキャッチボールをしていた記憶がある。父さんはあまり運動は得意ではなかったらしいけど、なんだかんだ、人並みになんでも出来る人だった。投げ方を教わった。筋がいいと褒められたことも、覚えている。

 神教騎士を見かけた街灯の下に着くと、父さんは周囲の民家の様子や、結界のかかり具合について、何か調べているようだった。


「過去にこんなそばまで魔物が出たことはなかったから、完全に油断していた。もしかしたら、だいぶ前からこの周辺にお前が現れることを知っていて、監視していたのかも知れない」


 だいぶ前から。

 リサさんが来るよりもずっと前から。

 襲われる理由を知ってから出会っただけ、マシだったのだろうか。


「あとは土手の辺りか。この間、助けに行った場所、どこだったか覚えてるか」

「覚えてる。リサさんとの待ち合わせのベンチが近くにあるから」


 本来の通学路から道をそれて、土手へと回った。

 朝はちゃんと、最短ルートで学校に行っている。帰り道だけ、遠回り。

 夕方から雨の予報だからか、河川敷はがらんとしていた。

 だいぶ曇ってきていたし、雲の流れも速い。


「あそこの、右側にお医者さんの看板があって、そこを、左側に降りていくと、いつものベンチがあって」


 父さんはふむふむと頷きながら、やはりあちこち、何かを確認しながら僕に付いてくる。

 ゆっくりと土手を下り、僕と父さんは、いつものベンチに座った。

 湿り気のある風が吹いてきた。ちょっと、肌寒い。

 濁った川面を眺めながら、二人で息を吐いた。


「すまなかったな」


 父さんが、ポツリと言った。


「別に、理由なんてどうでも良かったんだ。外に出て、大河と一緒に話をしようと思って」


 腕組みをした肘を膝にくっつけて、父さんは背中を丸めた。


「何となく、そんな気がしてた」


 何故かしら家の中と外だと気分が違う。

 外の風に当たりながら、一つのベンチの端っこと端っこで、僕らは顔も見合わせずに会話する。


「嫌いになられても困る」


 シバの時は饒舌なクセに、こっちだと父さんは言葉少なだ。


「……母さんに、怜依奈れいなに、叱られた。いい加減意地を張るのはやめろと凄まれた。怜依奈には逆らえない。ああ見えて、キレるとヤバいんだ」

「知ってる」


 僕も僕で、父さんと二人きりだと、何をどう喋ったらいいのか分からない。



来澄きすみりょう



「え?」

「来澄凌。お前の、本当の父親の名前」


 僕はビックリして、父さんの顔を覗き込んでしまった。

 けど、父さんは僕のそういう行動を見越してか、眉間にしわを寄せて目を閉じていた。


「教えたら、探しに行くんじゃないかと。もう、この世界にはいないのに、本当の父親を探しに行って、帰ってこなくなるんじゃないかと。――そういう、夢を何度も見た。何度もうなされた。どうにかして、私はお前の父親で居続けたかったんだ」


 ぽとり、ぽとりと、小さな雨粒がベンチに落ち始めた。

 空を見上げると、出かけたときより一層、雲が厚くなってきている。


「探しになんか、行かないよ」


 父さんはゆっくり身体を起こして、僕の方を見ていた。

 すっかり安心しきったような柔らかいオレンジ色が、父さんの水色と混ざっていた。

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