3. 空っぽリサ

 お昼前に訓練を終え、今日は解散。

 異世界だろうが何だろうが、時間が経過したらお腹が減る仕様らしい。


「でも、戻ったらまだ朝なんだよね」


 確か干渉しているのは一瞬で、“こっち”での時間経過は“向こう”では殆どカウントされない。朝ご飯を食べて直ぐに飛んできたのに、お昼までまだまだ時間があることになってしまう。


「お腹が空いたら食べればいいじゃない。倍の時間を体感してるんだし、そこは仕方ないよ」


 リサさんは僕のどうしようもない悩みにもきちんと答えてくれる。

 実習棟を出て、校庭のベンチに座り、ふぅと息をついた。

 休息日ということもあって、校庭に出ている生徒達の殆どが私服のようだ。

 明るい日差しの下に、笑い声が響いている。


「寮の給食は美味しい? どんなの食べてるの?」


 隣に座ったリサさんに、僕は適当な質問を投げかける。


「美味しいよ。毎日毎日、寮ではバランス良い食事を提供していますっていうのが、この学校の自慢らしいし。私は偶に出るデザートが好きかなぁ。ケーキとか、プリンとか! リアレイトと似たようなもの、結構食べてるんだよ」


「へぇ。機会があったら、こっちの食べ物も食べてみたいな」

「食べようと思えばいつだって食べられるじゃない」


「そんなことないよ。僕が来るのはいつも夕方だし、用が済んだら直ぐに帰っちゃうんだもん」

「そっか。そうだよね。じゃあさ、訓練が終わって落ち着いたら、どこかに食べに行こうよ! それまでに私も、美味しいお店探しておくから!」


 リサさんがそこまで言ったところで、急に視界に影が入った。

 敵意剥き出しの、赤と黒の入り交じった色を漂わせる数人の影が、僕らの座るベンチの真ん前に立ち塞がっていた。


「“空っぽリサ”がシバ様んとこの“下女”になったって聞いたけど、本当だったみたいだな」


 顔を上げると、高校生くらいの男子が三人。

 攻撃色がかなり強い。

 僕は視線を地面に落として、知らない振りを決め込もうとした。


「なぁんだ、コレが噂のシバ様の息子? 弱そぉ」

「全然似てない」

「そりゃそうだろ。“常時変化へんげ”のシバ様だぜ? リアレイトでは案外、息子同様平凡なのかもよ」


 リーダーっぽい一人が、僕の真ん前にしゃがむ。明るい茶髪の彼は、目を背けようとする僕の顔を、わざとらしく覗き込んだ。

 慌てて視線をそらす。

 リサさんの、強ばった横顔が目に入った。

 杏色に、どんどん錆色が混じっていくのが見える。

 もしかして、三人は僕じゃなくて――。


「塔でも指折りの干渉者シバ様が、リサみたいな出自不明の“空っぽ”を息子に宛がうなんて、気でも狂ったのかな。実は筆下ろしでもさせるつもりだった?」


 ガハハハハと、三人は下品な声を上げて笑った。

 膝に置いた握り拳を震わせて、リサさんが涙を堪えている。

 彼らは相当酷い言葉を使っている。

 聞いたことのない言葉だけど、その端々に悪意が込められているのが分かる。


「しかも結構上手だったりして。俺も頼んじゃおうか」

「え? 童貞?」

「違ぇよ」

「じゃ、何? そういう趣味?」


「いやぁ、遠慮した方が良いんじゃない? どこの誰かも分からない“空っぽ”だぜ?」

「確かに。け口としてはアリかも知れないけど、そういう趣味だと思われたら最悪だもんな」


 何……? 何なんだ、コイツら。

 図体だけ大きくて、他人のこと馬鹿にすることしか考えてなくて。

 どこの世界でも同じなのかな。誰かをけなさないと生きていけない種類の人間って、必ず存在するのかな。


「あの……!」


 僕は無意識に立っていた。

 真ん前にしゃがんでいた茶髪の男子が、ズボンのポケットに手を突っ込んで、ヌッと立ち上がった。


「何だよ。“リアレイトのお坊ちゃま”が、休息日にこんなところで何してんの? まさか、たわむれに魔法でも覚えてくるようにお父様に言われたのかぁ?」


 僕のことを見下ろして、眉間に縦皺を入れている。

 威嚇してる。馬鹿にしてる。なのに……、変だな。自分のことを言われても、不思議と嫌な気持ちにならない。

 それより、リサさんを侮辱していた言葉の方が、ずっと、ずっと、嫌だ。


「り……リサさんを、そういう風に、言わないでください」


 僕は勇気を振り絞って茶髪の彼に言い返した。

 視線を上に向け、相手の目を見た瞬間――また、頭の中に映像が流れ込む。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




『記憶がない?』

『らしいぜ。どこの誰かも分からない。いっつもヘラヘラしてるし。気持ち悪ぃよな』


 学校の教室。制服姿のリサさんを変な目で見る男子達。


『だから校長が後見人なのか。贔屓されてる感じ、するもんな』

『だろ? あいつ、ちょっとくらい可愛いからってさ、調子乗りすぎなんだよ』

『目障りだな。優等生ぶりやがって』


 孤立する、リサさんの寂しそうな後ろ姿。

 ちょっと引きつったような、苦しそうなリサさんの笑顔に、僕の胸はぎゅっと締め付けられる。

 攻撃的な色に襲われるリサさんが見えた。

 何度も何度も、繰り返し繰り返し。

 わざと物を壊したり、ぶつけたり、怪我をさせてみたり、髪の毛を引っ張ったり。

 ケタケタと気持ち悪い声と一緒にリサさんの苦しそうな顔が迫ってくる。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「大河君! いい、いいから」


 リサさんが立ち上がって、僕の視界を塞ぐように、茶髪の彼との間に割って入った。

 映像が途切れ、僕の目の前にはリサさんの胸元が迫っていた。


「私のことは良いけど、シバ様や大河君のことは侮辱しないでください」


 振り返ったリサさんの髪の毛が、フワッと僕の顔にかかる。

 リサさんの向こう側で、また男子達がケタケタ笑う。


「いちいち正義の味方ぶるの、気持ち悪い」

「かっこ悪」

「行こうぜ。腹減った」


 赤黒いもやが、尾を引きながら通り抜けていく。

 リサさんの杏色が、錆と鉛の色に侵食されていく。

 肩を震わすリサさんに、僕はどう声を掛けるのが正解なんだろう。


「見ちゃった……よね?」


 校庭に誰もいなくなった頃、リサさんは僕と少し距離を取って、苦しそうにそう言った。

 高い日差しが逆光になって、リサさんの顔がハッキリと見えない。

 僕は何も言わなかった。なんと言えば良いか分からなかった。


「あいつの目、見てたよね。見えたんだよね」


 ……気付かれてる。

 僕は観念して、ゆっくりと頷いた。


「そうだよ、私もおんなじ。大河君と一緒」


 口元を歪ませて、目に涙を蓄えて。

 泣き叫ぶリサさんの記憶が、僕の中に入ってくる。苦しそうに、辛そうに、何度も泣いている。

 リサさんのことを蔑む目、傷つけようとする人達の怖い顔。


「記憶が……ないんだよね。十五歳になるまでの記憶が全然ない。だからさ、『魔法学校一、裏表がなく、なんの隠し事も出来ない純粋無垢な私』なんて言っちゃったけど、本当はね、『記憶がないから、隠しようがない』が正解。事故で記憶をなくしたり、事件に巻き込まれたり虐待されたりして記憶を封印してしまうのとは違う。本当に……、何もないんだ。あのディアナ校長でさえ、記憶の欠片すら見つけられなかった。そんなことはあり得ないはずだって、言われて何度も落ち込んだけど、本当に……、本当に何も見えなかったらしくてさ。――気持ち、悪いよね。こんな“空っぽ”な人間、気持ち悪くないはず、ないもんね」


 ああ……、ダメだ。

 リサさんの杏色が、全部錆びていく。


「分かってる。優しくしてくれる人も沢山いるけど、みんな表面だけ。心の中では気味悪がってる」


 本当は見ちゃいけないのに、僕は見てしまっていた。

 大勢の中で孤立して、絶望していくリサさんの心。

 他人と関わろうともせず、自分の殻に閉じこもっていた僕とは違う。誰かと繋がりたいのに、誰とも繋がることの出来ない苦しさがひしひしと伝わってくる。

 血の滲むような努力をしても、リサさんの孤独は誰にも埋められなかった。

 リサさんの記憶には、辛うじてディアナ校長が映っていた。この学校に来る前の記憶が見えなかったのは、そこからしか記憶がないからだったなんて、僕は考えもしなかった。


 これくらいで? いや、他人が評価できることじゃない。苦しんでいる本人にとって、それはとても重大で重要で、どうにも出来ないことなんだ。僕が人の心の色や記憶を覗けてしまう能力に悩んでいるのと同じくらい、リサさんも悩んでる。

 僕は目をそらせばどうにかなっているけど、リサさんはどう?

 元々存在しない過去の記憶を埋めていく方法なんて、結局どこにもないじゃないか……!


「――ごめん。今日はもう、帰って」


 リサさんは顔を両手で覆って、そのまましゃがみ込んでしまった。

 透明度の低い錆色と鉛色が、リサさんをどんどん包んでいく。


「帰って」


 リサさんの強い口調に、僕は慌てて後ずさりした。

 僕のせいでリサさんが苦しい思いをしているのに、僕はどうすることも。


「帰って!」


 泣き叫ぶようなリサさんの声に、僕は慌てて駆けだした。

 がむしゃらに校庭を駆けた。

 走って走って。走って走って走って。

 小石に躓いて、校庭の芝の上を数回転した。

 あちこち擦りむけて、身体のあちこちが痛くなって、だけどこんなの、痛みのうちには入らない。

 仰向けに転がって、僕はレグルノーラの空を見上げた。

 空は、何事もないように青く澄んでいる。

 僕は仰向けのまま両腕で顔を隠しながら、声を上げて、ただただ泣くしかなかった。

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