4. 襲撃

「し、神教騎士……!」


 声は出たけど、僕の足はすくんだまま。

 神教騎士ライナスの周囲に漂うのは、殺気というより敵意の色。

 もっと強い悪意ならば、ぼうっとしていても目にとまったかも知れない。

 彼自身が纏う色も、濁りの少ない白銀色。主張の少ない色が闇に溶け込んで、存在に気付けなかった。


「やはり、本物の“神の子”からは、おぞましい竜の気配がする」


 街灯の真下まで出てくると、ライナスの姿がハッキリと浮かび上がった。

 法衣のような、清潔で真っ白いローブ。金色の縁取り。

 そんなに年は取ってない。父さんより随分若い。

 目をギラつかせ、興奮気味に僕を睨んでいる。

 逃げなきゃ。

 どうにか逃げなきゃいけないのに、通学カバンを背負って、スクールバッグを肩に引っかけた状態で待ち伏せされてしまった。

 家まではほんの数百メートル。走れば逃げ切れそうだけど、それだと自宅の場所が知られてしまう。

 最悪だ。

 こんなタイミングで……!


「来て……、貰う? 生け捕りにするってこと?」

「ああ、そうだ。大人しくこっちに来て貰おうか。そうすれば、痛い思いはしないで済む」


 相手は大の大人。

 どう考えたって逃げ切るのは無理だ。

 僕はじりじりと後ろに下がった。

 車が二台すれ違えるかどうかの、狭い道。家々には明かりが灯り、家族団らんの時間を過ごしている家もちらほら見える。

 幸い人通りはない。

 人通りがないから狙われたんだ。

 こんな平和な日常の中に、急に紛れ込むなんて。

 どうする。


「僕の首に、賞金を懸けてるって聞いたよ。そ、そんなに“神の子”が、目障りなの?」


 言うと、ライナスはフンと鼻で笑った。


「目障り? ……まぁ、そういうことだ」


 間合いを詰めてくるライナス。

 僕に向かって右手を突き出し、魔法陣を展開させ始めた。

 ヤバい。ヤバいぞ。

 逃げる。

 逃げないと……!


「――えええぇいッ!!」


 ブンと、僕はスクールバッグをライナスに投げつけた。


「うぉっ!」


 顔面に当たり、魔法陣が消える。

 やった! 今のうち!

 僕は家とは反対方向に走り出した。


「逃がすかぁッ!」


 ライナスが追いかけてくる。

 マズい! 足が速い!

 全速力で走ってるはずなのに、もう追いつかれそう。

 こうなったら……!


「こっちの方が、重たい、ぞ……ッと!」


 今度は背中の通学カバンを下ろしてぶん投げる。

 飛距離は行かない。

 ライナスの足元にズドッと落ちて、無事、――引っかかった!


「ク……ッ!!」


 体勢を崩し、ひっくり返りそうになったライナスは、それでもグッと踏ん張って、また追いかけてくる。

 嘘だろ。

 もう、ぶん投げるものもない。

 干渉の後だし、足もいい加減限界で。


「逃げるな、小僧……!!」


 グイッと、ライナスの長い手が僕の肩を掴んだ。


「うわっ!」


 ぎゅいっと引っ張られ、僕はそのまま、民家の塀に背中から叩きつけられた。


「うぐ……っ」


 痛い。

 後頭部から背中まで、ガッツリやられた。

 走りすぎて喉も痛いし、呼吸も辛い。

 痛みでずり落ちそうになった僕の胸ぐらを、ライナスの太い手がむんずと掴んだ。


「大人しくしろと言った」


 ハァハァと、ライナスも肩で息をしている。


「捕まると、分かってて……、おと……ると、思った?」


 頭が、じんじんする。

 安全なのは、自宅だけだと、父さんは言った。

 その通りだった。

 竜の血とやらのお陰で、僕の力はどんどん大きくなってて、父さんがあちこちに仕掛けた結界は効かなくなった。僕は、居場所を自分からバラしてたんだ。

 偶々今日、このタイミングで襲ってきただけで、早かれ遅かれ同じことは起きた。

 理解はしたけど、納得はしたくない。

 なんで、なんでこんな。


「何を吹き込まれているのか知らないが、我々古代神教会は“神の子”をどうしても連れ帰らねばならないのだ。賞金は、そのための手段だ。行方をくらました“神の子”に確実に、興味を持たせ、確実に、追い込むための」


 ギリリと奥歯を噛み、ライナスは僕を睨み付けた。

 目が、合う。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 ――荘厳で美しい白い建物。

 白い服を着た沢山の男達。

 竜の羽を生やした雄神の像。

 巨大な白い竜。

 破壊された町。

 焼け野原にたたずむ子ども――……。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 ――あれが、破壊竜。

 夜空を埋め尽くすような、圧倒的な白。

 過去にレグルノーラは破壊竜によって壊滅の危機に。

 二十年前に救世主がレグルノーラを救うまでには、きっとこんな光景がたくさんあったに違いない。


「せ、聖職者が、どうしてこんなこと」


 目を細め、食いしばりながらどうにか言う。

 ライナスは怒りと憎しみの赤色を強くさせ、僕の胸ぐらを更に強く掴んだ。


「“かの竜”に全てを奪われ、神教騎士となった同士が多くいる。個人的な恨みで動いて良いというならば、私は今、確実にお前を殺している」


 凄まじい力で、ライナスは僕の身体を塀に押しつける。

 クラスメイトのからかいなんか、結局遊びの一環でしかなかった。本気で迫られるってのはこういうことだと、身をもって体感する。

 僕の胸ぐらを掴む左手を、両手で引っ張ろうとしてもびくともしない。

 それどころか、更に強い力で押さえつけられる。


「きゅ……せいしゅは、世界を救っ……。僕は……」

「我が神の名を騙る“偽神”の子よ。悪いがこれ以上、無駄な時間をかけるわけにはいかない。さっさとレグルノーラに、来て貰おうか……!」


 足元に、淡い緑色の魔法陣が展開する。

 待って待って!

 これ、もの凄くヤバいヤツ。

 逃げないと。早く逃げないと、連れて行かれてしまう……!

 魔法。

 身体が固定されて抵抗できないなら、魔法しかない。やり方なんて分からない。だけど、どうにかしなきゃ……!!



――『身体の隅々から、胸の奥のその一点に、力を集中させるのです。力を徐々に圧縮させ、そこに集まった力が光を放つよう、イメージしてください』



 集中しろ、集中するんだ。

 僕の身体の中心に、さっきみたいに力を集める。

 今度は光じゃない。弾き飛ばす。

 弾き飛ばして、その隙に、――逃げる!


「うわぁぁあああぁあああああ!!!!」


 力の限り叫んだ。

 身体が熱い。

 風が僕の身体を伝って吹き出す。

 ――ヒュオッと音がした。

 かと思うと、直後にゴオオッと渦巻くような音。

 ライナスの手が、僕から離れた。白いローブを着た身体がフッと浮いたのが見える。


「ぐあっ!」


 二メートル近く浮き上がって、それからグルグルと左右に回転したあと、ライナスは地面に背中から勢いよく叩きつけられた。

 苦しそうなうめき声、横になったまま両肩を抱えている。

 ……で、出来てしまった。

 魔法。

 魔法が使えた。

 僕は咄嗟に走り出した。


「“力”は、使えなかったんじゃなかったのか……?」


 ライナスの呻き声に構わず、僕は一目散に走った。

 逃げろ。

 逃げるんだ。

 ただ風を起こして突き飛ばしただけじゃ、直ぐに追いつかれてしまう。

 逃げろ、逃げろ逃げろ逃げろ……!

 視線の先に、道路に落っことした僕の通学カバンに気付いた人影がいた。


「――父さん!」


 帰宅途中の父さんが、僕に気付いてこっちを見た。


「大河?」

「神教騎士が!」


 血相を変えて走ってくる僕に、父さんは面食らっていた。

 後ろを指さして必死に危険を伝えるけれど、イマイチ伝わってない。


「チッ。人か……!」


 後ろの方で小さくそう聞こえたかと思うと、ライナスの姿は忽然と消えてしまった。

 力が抜けた。

 走るのを止めて、ライナスがいた方を確認する。


「……いない」


 カラスが鳴く声、完全に日が落ちて肌寒くなった風、相手の顔すら判別できない薄暗闇の静かな、静かな風景。

 家々から漏れる光と街灯の明かりが、僕達を照らしている。


「神教騎士が、いたんだ」


 僕は立ち尽くしていた。

 立ち尽くして、ただ薄暗闇を眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る