2. 大きすぎる力

 夕暮れ時、僕は土手下のベンチにいた。

 自宅に戻って荷物を置いてからでも良かったけど、リサさんが何時にここを訪れるのか分からなかったから、待たせたら悪いと思って早めに待機した。

 日の傾き具合を見ながら、僕はリサさんを待った。静かな、ただひたすらに静かな時間が過ぎてゆく。

 暇を持て余した僕が図書室で借りた本を読み進めていると、


「もう来てた。ごめんごめん、遅くなって」


 騒がしいリサさんの声が聞こえてくる。

 僕は通学カバンに本を戻して、ゆっくりと立ち上がった。


「大丈夫。本、読んでたから」


 リサさんはまた、丈の短い制服を着ている。

 本当に、気に入ってるんだ。中学の制服。


「今日は直接モニカ先生のところに行くよ。話したいこと、いっぱいあるんでしょ」


 相変わらず、明るいテンションで少しホッとする。

 前の日、僕は途中で集中力を切らし、リサさんに問いを投げかけて、そのままこっちに戻ってきてしまった。どういう風に思われてたんだろうと、気がかりでならなかったけど、こうして何事もなく現れてくれただけで嬉しくなる。


「大河君、今日は学校行ったみたいだね。昨日は制服じゃなかったけど、今日はしっかり制服姿で安心した。昨日よりは落ち着いてる?」

「うん」


 軽く頷いた僕の顔を見て、リサさんは驚いたような顔をする。


「大河君、今日、何かあった?」


 ドキッとして、僕はいつもの癖で少しだけ目をそらしてしまった。


「う、うん。学校に、魔物が出て」

「魔物?! 大丈夫だったの?」

「父さんが助けに来た。……で、どうにか、なったかな」

「シバ様、凄いね。リアレイト人が“こっち”で魔法使うのって、結構大変なんだよ。猛者だなぁ」

「猛者。うん、猛者だと思う。カッコよかった」


 ゆっくりと視線を戻すと、リサさんは腰に手を当てて、ニヤッと笑った。


「シバ様のこと、認められるようになったんだ」

「いや、別に、そういうわけじゃ!」


 声がひっくり返った。


「親子関係大丈夫かなって、心配してたんだよね。二人ともギクシャクしてたし。隠し事してたシバ様も悪いけど、どうもよそよそしいって言うかさ。でもまぁ、大丈夫みたいで何より。悪化してたら、お家でも気が休まらないもんね」

「う、うん……」


 身体が急に熱を帯びて、ふらついてしまった。

 何だか恥ずかしい。

 家の事情、丸裸になってるみたいで。


「ふふふ。可愛いね、大河君は」


 口元に両手を当てて肩をすくませて、リサさんは変な顔で笑っている。

 馬鹿にしてる?

 だけど、悪い気はしない。


「さて、前置きはここまで! 今日も行くよ!」


 リサさんは嬉しそうに、両手を胸の前でパンと合わせた。











………‥‥‥・・・・・━━━━━□■











 実験棟の中にある準備室。魔法や武術なんかの訓練に使うと思われる道具があちこちに置かれた部屋の一角に、先生の事務机がある。大小様々な棚に囲まれた机の上には、先生の趣味だろうか、可愛くデフォルメされたモンスターの小物や手のひらサイズの観葉植物が並んでいる。


「魔物が直接タイガ様を襲ったとなると、事態が深刻化していると言わざるを得ませんね」


 モニカ先生は深く椅子に座って腕を組み、顔をしかめて唸っていた。

 僕とリサさんは先生の真ん前に小さな丸椅子を置いて座っている。


「シバ様が守ってくださらなかったら、大変なことになっていたでしょう。自衛のためにも、力の使い方を早々に覚えた方が良さそうです」


 やっぱりそういう結論になる。


「力が封印されているという話は伺っています。それでも、こうやって“干渉”してくる力はあるわけです。今使える力の範囲で、どうにかいたしましょう。眠っている力に関しては、今のところは考えないように。期待しすぎても、怖がりすぎてもいけませんから」


 淡々と状況を把握して、的確な言葉を掛けてくれるモニカ先生。

 ニッコリと優しく微笑まれると、何だか気恥ずかしい。


「最優先で、魔力の使い方を。集中力を高め、より明確なイメージを浮かべることが大切なのです。自分の中に秘められた力を具現化させるというのが、魔法の基本。魔法陣は、その手助けをするために描きます。……が、タイガ様の場合は、その前の段階から徐々に訓練していった方が良さそうですね」

「前段? 魔法陣の錬成方法からじゃなくてですか?」


 と、リサさん。


「ええ、そうです。元々魔法が使える状態で入学してくるレグルノーラの子ども達と、リアレイトで育ったタイガ様を同列に考えるのは難しいでしょう。干渉者は強引に世界のことわりを捻じ曲げ、リアレイトでも魔法を発動させることが出来ますが、リアレイトには魔法は存在しません。基礎となるものが違うのですよ」


「……なるほど。分かりました。何となく」

「そういうわけですから、タイガ様。まずは自分の中の魔力を感じるところからいたしましょうか」

「あ、あの。昨日の話は」

「大丈夫ですよ。まずは、こちらが終わってから。両手をこう……、胸に当ててみてください」


 モニカ先生に言われ、僕は話を諦めて、両手を胸の前に重ねて置いた。


「目をつむって、呼吸を整え、身体の核になる部分に、自分の力が集まるようイメージしてみましょう。小さな光が丸く灯るような画像を思い描いてみてくださいね」


 半信半疑のまま、僕はモニカ先生の言うとおりにした。

 昼間のことでごちゃごちゃな頭をまず、スッキリさせなくちゃならない。ある程度慣れてくれば不要かも知れないけど、僕は要するに、自転車の練習を始めたばかりの幼児みたいなもんだから。


「身体の隅々から、胸の奥のその一点に、力を集中させるのです。力を徐々に圧縮させ、そこに集まった力が光を放つよう、イメージしてください。時間をかけても大丈夫ですよ。ゆっくり……、ゆっくり……」


 隣にいるリサさんが、最初は気になった。

 魔法の使い方を知らない僕のこと、どう見てるんだろうと。

 初めて会ったときに、『魔法くらい使えるでしょ』なんて言われてしまって、あれ以来、何も出来ないことがずっと引っかかっていた。

 魔法が使えたなら、今日だって父さんがわざわざ会議中に抜け出すこともなかったはずだ。

 強く、なりたい……!

 強くなれば、父さんに頼らなくても魔物が倒せるかも知れない。

 決して平和とは言い切れないけど、普通の中学生としての日常を守れるかも知れない。

 ――胸の奥に、ほんのり光と熱を感じる。

 ん?

 ほんの、り……?


「たたた大河君! うわぁっ!」


 リサさんが大声を上げ、椅子からひっくり返った音がした。

 驚いて目を開ける。


「わっ! わわっ!!」


 僕の身体が、皓々と光ってる……!

 胸の中心が熱い。


「なにこれ?!」


 奥から何かが噴き出してくるような。

 何だ。

 僕、どうなっちゃったんだ?!


「……参りましたね」


 流石のモニカ先生も、僕を見て驚いていた。

 ふぅと息を吐いて目をしばたたかせて、そろりと立ち上がった。


「力が封じられていても、これですか。となると、封じられている部分がどんな風なのか、考えるだけでゾッとしますね」


 机を迂回して、僕の前で屈んだモニカ先生は、光を帯びた僕の両手を優しく握った。


「落ち着きましょう。深呼吸。ゆっくり息を吐いて、吸って。今度は熱を冷ましていくイメージで」

「は、はい……」


 モニカ先生は、僕のことを心配そうに見つめている。

 チラリと、顔を見上げる。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




『価値なんて、誰かが決めるものじゃないと思うよ』


 まただ。

 モニカ先生の中の、救世主。


『周囲が期待するのは勝手だ。けど、期待したからと言って結果が残せるとは限らない』


 スッキリした横顔。

 人を気遣うような、優しい言い回し。


『期待に添えなかったからって死ぬわけじゃないし、そこで何か大切なものを見つけることだって往々にあるはずだ。成長のための失敗だったって捉えれば良いだけのこと。相手に押しつけられてやるから変な後悔が生まれるのであって、自らそれを望んで全力で当たったのなら後悔はしないはず……だろ』


 まるで今の僕に訴えかけているような台詞。

 顔が見たい。

 あなたは僕と似て――。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 肩で、息をする。

 見えた。

 モニカ先生の記憶に、救世主がいた。

 肝心の顔はよく見えなかったけど、やっぱり間違いない。


「落ち着きましたか」

「え?」


 あ、そうだ。身体が光ってたんだ。

 あちこち確認するけど、大丈夫、光は収まってる。


「十分すぎる力、ですね。普通なら、全力でやりなさいと言うんですが、逆です。タイガ様は、力を押さえないと」


 モニカ先生はため息をついて立ち上がり、自分の席に戻っていった。


「逆、ですか。でもそれって、力を出すより難しいんじゃ」


 リサさんが言うと、モニカ先生は「その通り」と頷いた。


「タイガ様の中の大半の力は、封印されていて、自由に使うことが出来ません。今どうにかしなければならないのは、見えている方の力。私は殆ど感じないのですけれど、“力を察知する特性”を持つ人間には感じるものがあるでしょうね。封印が解けかかっている、という話も総合すれば、今後、更に危険な目に遭うだろうことは明白です。今日のところは魔物程度で済んだ、という言い方も出来ます」

「……魔物、程度」


「シバ様は、相当ギリギリまで悩まれていた。タイガ様に全てを伝えてしまえば、きっと苦しむだろうと。お一人で、限界まで踏ん張っておられたわけです。――もしかしたら、もっともっと前から、気付いていらっしゃったんじゃないでしょうか。タイガ様の力が大きくなっていたこと、封印が解けかかっていること。気付いていて……、悩んで、苦しまれていたんじゃないでしょうか」


 虐めが続いていても、僕が黙って学校に行き続けていたみたいに。

 父さんも、僕の力がどんどん大きくなっているのを知りながら、それが原因だと分かっていながら、一人で戦い続けていた。


「力を押さえ込むのは、容易ではありません」


 モニカ先生は、目を伏せた。


「自由に動ける身体に拘束具を付けるようなものです。本来ならば、赦されぬ行為です。ですが……、人間社会で生きていく上では、必要なこと。それぞれが、相手に危険の及ばぬよう、枷を嵌めることも選択肢の一つです。この点に関しては、もう少し時間をいただけますか。私に考えがあります。もし上手くいけば、タイガ様も少しは楽になるかも知れません」

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