6. 何かが抜け落ちてる

 実習棟を出て、しばらく歩く。

 そろそろ夕食時なのか、お腹がぐぅと鳴り出した。

 校庭に散っていた生徒達も、寮と思しき建物の方向へと吸い込まれるように歩いている。

 本校舎のそばにあるベンチに座ると、リサさんは腕を組み、暗くなってきた空を仰いだ。

 どう声を掛けて良いのか分からなかった。どんどん、事態は複雑化している。僕のことで、色んな人を困らせているのが、とても心苦しい。


「ねぇ、大河君」


 何分か経って、リサさんは隣に座る僕を見て、ようやく口を開いた。


「もしかして、さっき、モニカ先生の心の中見てた?」

「ええっ? ないないないない!」


 ブンブンと顔を振って否定したけど、リサさんは合点がいかないのか、変な顔をしている。


「そうかなぁ。意図せず見えちゃう特性みたいだし、絶対見てたと思ったんだけど。モニカ先生は気付かなかったのかなぁ。その後、読心術の話もしてたから、大河君のこと、知ってて言ってるのかどうか、気になって」

「わ……、分かるの? 心を見られたとか、探られたとか……、そういうのって」

「どうかな。一般人には分からなくても、モニカ先生くらいの実力者ならもしかしたら」

「ど、どうしよう。誰にも見られたくないもの、見えちゃうときもあるし」

「やっぱり見えてたんじゃない!」


 しまった。

 墓穴を掘ってしまった。


「何見てたの? モニカ先生の弱点でも見えた?」


 僕はブンブンと頭を横に振った。


「……救世主」

「え?」

「救世主の姿が見えた。初めて見たんだ。多分あの人が、僕の本当の父親なんだなって」

「シバ様の記憶なんかで見たことはなかったの?」

「父さんと母さんの記憶は、見たことがない。僕の“特性”、弾かれてたみたいなんだ」

「ディアナ校長と同じように?」


 僕はこくりと頷いた。


「竜の血の話を聞いたとき、何だか変な感じがして。この世界のこと、まだ分からないんだけど、リサさん言ってたよね? 『他種族の血が入ることは生物学的にもあり得ない』とか、『二つの異なる血を混ぜるのは“禁忌”』だとか。……そういう、とても大事なことがまだ、抜け落ちてるんじゃないかって思うんだ」


 リサさんは真剣に、僕の話を聞いてくれる。

 荒唐無稽で、誰にも言えないような、とりとめの無い話。

 昨日から色々ありすぎてパンクしそうな頭の中を整理するために、ただ垂れ流しているような言葉だけど、こうやって頷きながら聞いて貰えるだけで、何となく安心する。


「リサさんはどう思う? 何か、引っかかることは」


 そこまで言って、顔を上げた途端、急に目の前が真っ暗になった。











………‥‥‥・・・・・━━━━━■□











 ヒヤッと冷たい風が頬を撫でた。

 土手下のベンチ。


「戻ってきてる……」


 集中力が切れると、勝手に戻されるシステムなのか。


「リサさんの答え、聞けなかった」


 もしリサさんが、僕の気付いていない何かに気付いていたなら、何かしら言葉をくれたかも知れないのに。

 自分の意思で戻れないのが、辛い。


「力の使い方、か」



――『変に封印を解いてうっかり暴走されたんじゃ、街が壊滅されかねない』



 ディアナ校長のあの言葉、もの凄く引っかかる。

 あれじゃ、まるで。


「考えすぎだと良いんだけど」


 頭がグルグルした。

 今にも吐きそうだった。

 川面に反射した日の光が、チクチクと僕の目を刺した。






 *






 ぐったり疲れきって、帰り道は歩くのがやっとだった。

 倒れそうなのを必死に持ちこたえ、ただ足を前へ前へ進めることだけを考えた。

 視界に時折、黒っぽいような、くすんだような色が通り過ぎる。

 けれどそれだって、僕自身の暗い感情が染み出しているのかも知れないと思いたかった。


「――大河!」


 ガシッと肩を掴まれ、僕はハッとして立ち止まった。


「大河、足元がふらついてるぞ。大丈夫か」


 仕事帰りの父さん。

 どうやら帰宅中に、僕を見つけて声を掛けたらしい。

 左手には仕事用のカバン、きちっとしたスーツ姿。いつもの公務員、芝山哲弥てつや


「あれ? お帰り。塔に行ったんじゃないの」


 どうやって歩いてきたのか、僕は家の直ぐそばの曲がり角まで来ていた。


「それは“向こう”での話。今日は定時上がりなんだ。さっき、黒いの見えなかったか」

「黒いの……?」


 見えていたような、見えていなかったような。

 首を傾げる僕を見て、父さんは大きなため息をついた。


「追い払っておいたから大丈夫だとは思うが。……何かあったか?」


 顔を上げて父さんの目を見てみる。

 ……やっぱり、何も見えない。

 心の色だけはしっかり見えているのに。


「ほら、帰るぞ」


 背中をバシンと叩かれた。

 と、足がもつれて倒れそうになった。


「ま、待って。僕も帰る」


 僕は足早に帰る父さんの背中を追いかけ、小走りで自宅へ戻った。






 *






 目まぐるしかった一日とは対照的な、いつもの食卓。

 特別なことは何もなかったとでも言いたげに、普段と同じようなおかずが並ぶ。

 フルタイムで仕事をして忙しいはずなのに、母さんのご飯は殆ど手作りだ。

 僕は、この味で育った。

 おばあちゃんの田舎が山形で、東北の郷土料理とか、惣菜とか、東京じゃあんまり馴染みのない料理も食卓に並ぶ。ちょっと濃いめの、シジミと青シソの葉が入った新ジャガイモの味噌汁は、疲れた身体にじんわり染み込んでゆく。


「だいぶ疲れてるようだな」


 父さんが食卓の向かい側で、僕と同じように味噌汁を味わいながら聞いてくる。


「うん」


 病気でもないのに学校を休むなんてとんでもないと普段なら怒鳴りそうだけど、レグルノーラに飛んだり、色々知らないことを聞かされたりした後だから、父さんは許容するしかなかったんだろう。

 ちょっと気まずくて、僕は急いで野菜炒めをご飯と一緒に掻き込んだ。

 食事の前に回覧板を持っていくから先に食べててと母さんが外へ出ていて、僕は父さんと二人きりだ。


「……“竜の血”の話、どう思った?」


 唐突に、父さんはとんでもないことを言ってきた。

 僕はむせて、口の中のものを吐き出しそうになってしまう。お茶の入ったコップをたぐり寄せて、無理矢理喉の奥に食べ物を流し込み、どうにか事なきを得る。胸をさすって呼吸を整えてから、僕は恐る恐る、父さんの方を見た。


「ど、どうって言われても」


 父さんは黙々と、キュウリの浅漬けをおかずにご飯を食べている。


「モニカなら、どうにかしてくれそうだな。いい人選だ。安心して任せられる」


 昨日の今日で、変な感じだ。

 父さんがこんな話をするなんて。

 現実味が……ない。


「ぼ、僕って……、竜、なの?」

「……そうだな。ハッキリは分からないが、恐らく。小さい頃は頻繁に竜になりかけていたらしい。私は見たわけじゃないが、お前の両親にそう聞かされていた。母親に似たんだろう。彼女も竜の血を引いている」


 小魚の佃煮を箸で摘まみながら、僕は父さんの話に耳を傾ける。

 やっぱり、どんなに目を凝らしても、父さんの記憶は見えない。


「僕は、本当の父さんと母さんには、……似てる?」


 父さんの口元が少し緩んだ。


「ああ。似てる。似過ぎてるくらいに」

「何か、残ってたりする? 写真とか、映像とか」

「いや、何も」

「そう、なんだ……」


 玄関のドアが開き、母さんの帰った音が聞こえてくると、父さんはそれ以上喋らなくなった。

 黙々とご飯を食べている父さんの顔をチラチラ見ながら、僕も無言で食べ進める。

 出会った頃はもっとお喋りだったのよと、いつだったか母さんが言ってたけど、僕は寡黙な父さんしか知らない。

 細長い眼鏡の奥で、父さんは何を考えているんだろう。

 親友の子どもだという僕を、どういう風に見ているんだろう。

 何だか、変にギクシャクする。


「……シバの時は話しやすかったのに」


 ボソッと呟いた言葉を、父さんは聞いてしまっただろうか。






 *






 今日もまた疲れ切ってしまった僕は、知らないうちに寝落ちていた。

 大丈夫。今日は風呂にも入ったし、歯もしっかり磨いて、ベッドの上で大の字になった瞬間に意識が途絶えたんだ。


『久しぶりのレグルノーラはどうだった?』


 夢の中で、誰かが言った。

 久しぶり?

 初めて行ったんだよ。

 変なこと言うなぁ。


『感覚を取り戻せば、もっと楽に行けるようになる』


 ……そうなるには、どれくらいかかるかな。


『直ぐに出来るさ。なにせ君は、“神の子”なんだから』


 どこかで聞いたことのある声。

 凄く、心地良い。

 うっすらと目を開けると、ベッドの縁に、誰かが座っているのが見える。

 ぼんやりと白く光るその人の顔は、全然よく見えなくて。

 だけど夢の中だからか、全然恐くなかったんだ。

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