3. 干渉者シバ

 冷たい椅子と空気の感触で目が覚めた。

 古い木造の臭い。


「凄い、この間よりスムーズだった。流石“神の子”、覚えが早いなぁ」


 耳元でリサさんの声がして、僕は目を見開いた。

 聖ディアナ魔法魔術学校の多目的室。僕は、木製の堅い長椅子に座っていた。

 ぼうっとした頭を上げて、目を擦りながら辺りを見回した。

 黒いローブを羽織った制服姿のリサさんが、隣にいる。


「校長室に寄るよう言われてるの。さ、こっちこっち」


 リサさんに誘導され、僕はいそいそと付いて行った。






 *






 レグルノーラの暦と時間がどうなっているのか分からないけど、どうやら“向こう”と同じように、今は放課後らしかった。まだ学校のあちこちに人がいる。

 夕日の射す廊下を校長室に向かって歩いている間、リサさん、そして僕を見て、まだ学校に残っている何人かの生徒が、教室の中からこそこそ覗いたり、噂話をしたりしているのが見えた。

 魔法学校の生徒達が茶系のかっちりした制服を着ている中、僕だけがパーカーとスウェットのラフな格好で浮きまくっていたのが原因だろうか。教室や廊下に漂うのは好奇心の黄色が中心で、どう見ても部外者の僕が余程気になる様子だった。

 チラチラと見えている生徒の年齢は、大体僕やリサさんと同じくらい。授業から解放され、キャッキャと楽しそうな明るい声があちこちで響くのは、どこの世界でも一緒らしい。

 確か寮があるって言ってたし、放課後とはいえ、学内を自由に使っているのかも。


 昨日、魔法学校に来たときには、もうちょっと遅い時間でハッキリと見えなかったけれど、窓の外に何棟もの建物が見えた。グラウンドのような場所も整備されている。町なかに建てられている割には、結構な面積だ。上空から降りてくるときに見えた全景でも、かなり広かった印象がある。

 キョロキョロしながら歩いているうちに、校長室に着く。

 ノックをして中に入ると、ディアナ校長は執務机での事務作業を止めて、僕らを出迎えてくれた。


「大河、身体の方は大丈夫だったかい。初めての干渉にしては長い時間“こちら”にいたから、一晩じゃ回復が難しかったと思うが」


 綺麗な薄紅色。

 校長は立ち上がって、こっちへおいでと僕達を奥の応接間へと案内した。

 大事なお客様を通すような部屋なんだろう、壁には大きな絵が数枚飾ってあった。木漏れ日が印象的な森の絵、農村の絵、町並みを描いた絵。どれも優しい色使いだ。

 ローテーブルを挟んで、向かい合わせにソファが置かれている。

 先客がいた。

 若い男だ。


「あれ? シバ様?」


 リサさんの言葉にドキッとした。

 十九世紀の英国紳士のような格好をした男の人。

 凛とした空色の中に、緊張感漂う濃いめの黄色が混じって見える。


「ちゃんと干渉出来てるようだな。流石は、あいつの息子だ」


 僕は首を傾げながら、親しげに話しかけてくるその人の顔を確認した。


「シバ様も一緒に話をする感じですか?」


 リサさんが、ディアナ校長に訊いている。

 ――シバ様。

 んんん?


「し、シバ?!」


 僕が変な声をあげると、その人はスっと立ち上がって、長い髪をサッとかきあげた。


「まさか自分の息子にこんな姿を見せることになるとはな。もう二十年以上、“シバ”と名乗って活動してるんだ。驚いたか」


 驚いたどころの話じゃない。身長も背格好も人種も何もかも全然違う。

 背が高くて、長めの金髪を後ろで一括りにした彼は、顔立ちがとても綺麗な美青年だった。年の頃は二十代後半くらいに見える。どう考えても、三十七歳、堅物公務員の父さんとは別人だ。

 なんなら、漂っている色だって微妙に違っている。父さんは薄い水色、シバは明るめの空色だ。

 ふらついて倒れそうになった。

 リサさんが面白がって笑っている。


「ね、驚いたでしょ。凄いわよねぇ。姿を変えることを“変化へんげ”とか“変身術”とか言うんだけど、シバ様は特にこの能力に長けてるのよ。でなきゃ、二十年も同じ姿を保つなんて無理だもの」

「ほ、本当に別人になるんだね。校長先生の変身も凄かったけど……、かなり、ビックリした」


 僕が目をぱちくりさせて言うと、


「へぇ! ディアナ校長の変身術も見たの? どうだった?」


 リサさんは喰い気味に尋ねてきた。


「うん……。なんていうか、やっぱり父さんみたいに、全然違う見た目になった。最初からそういう人が存在しているみたいな、自然な変身だった」

「わぁ、やっぱり。“最強の魔女”と謳われていただけあって、何でも得意なんですね、ディアナ校長。尊敬するなぁ」

「――お褒めの言葉、ありがとうね、リサ」


 応接間のドアがパタンと閉まり、ディアナ校長はご機嫌良さそうな顔で、シバの姿をした父さんの隣に座った。


「お喋りはこのくらいにしておいて、そろそろ話をしようか」


 向かい側に座るよう促され、ちょっと高そうなソファに腰掛けた。リサさんが何故か間合いを詰めてくるので、僕はちょっとだけ横にずれて、間を確保した。

 昨日も緊張したけど、今日は今日で別の意味で緊張している。何故かシバの姿をした父さんまでいるし、三者面談みたいな気分だ。

 向かいに座った校長は、ガチガチに緊張して肩を強ばらせている僕を見て、吹き出すように笑った。


「本当に、お前は父親にそっくりだ。もっとも、彼と初めて会ったのは、リサぐらいの年の頃だから、もうちょっと大人びてはいたけどね。漂う気配はよく似ている。人付き合いが苦手で、感情表現も得意ではなくて。そうは思わないかい、シバ」


 長いスカートの下で足を組み、僕のことを品定めするみたいに見つめてくるディアナ校長の言葉に、シバは頬を緩ませた。


「本当に、そう思います。まるであいつが隣にいるみたいで」


 膝の上で握った拳の中に、僕はいっぱいの汗を掻いた。足の裏もべとついてきた。喉は変に渇いていた。


「そんなに固まるな。取って食いやしない。力みすぎると、“こっち”にいられる時間だって短くなってしまうぞ。力を抜け」


 ディアナ校長はそんな風に言ったけれど、やっぱり緊張してしまう。僕はますます肩に力を入れた。


「力を抜けと言ったのに。まぁ、いい。それより、本題に入ろう。リサをやったのは、そっちから要請があったからだが、……どうなんだい、シバ。実際のところ、どれくらい大変なことになっているのか、もう少し詳しく話してはくれないか。大河にも、何も知らせてこなかったんだろう?」


 腕を組み、ディアナ校長は隣に座るシバに身体を傾けた。

 シバはハァとため息をつき、「そうですね」と小さく言った。


「知らせるつもりはなかったんです。私一人でどうにか出来るはずだったから。結界は自宅、学校、それと通学路周辺に常に張り巡らせていました。魔力は使いますが、力を解放して貰ったお陰で、それもどうにか出来ている。大河の存在を連中から隠せれば、余計な戦闘はしなくて済みます。私も生活がかかってますからね、仕事に支障をきたしたくなかった。存在が曖昧になれば、ヤツらは攻撃してこない。魔物が出ると言っても、年に数回程でした。……以前は」


 シバはまた、そこで大きく息を吐いた。


「去年か一昨年か、“神の子騒ぎ”があったでしょう?」

「ああ、“神の子”がレグルノーラに現れたという、あれかい?」

「あの頃はまだ、大河の力もしっかり封印されていて、レグルノーラに干渉なんて出来なかったはずです。なのに突然、そういう噂が立った。結局、噂は噂でしかなかったわけですが、その頃からですよ。頻繁にリアレイトで黒い魔物が出るようになったのは」

「そんなに前から……?」


 昨日や今日の話じゃなかったのか。

 僕は前のめりになり、シバの声に耳を傾けた。


「干渉者なんて、本当は別に珍しくもない。本人達が自分の力に気付いていないだけで、多くの人が夢を介して、或いは無意識的に、レグルノーラに干渉している。“神の子”に似た力を持った干渉者が存在して、それを本物だと勘違いしたのか、それとも誰かが悪意を持ってそういう噂を流したのかは、定かではありません。が、あの街に“神の子”が潜んでいると知られてしまったのは、その頃なのではないかと」

「――そして、大河自身の力も強くなってきた」


「ええ。おっしゃる通りです。成長期に入り、大河の力の増幅が止まらなくなった。封印も解けかかってる。封印が完全ではないことはあいつに聞かされていましたから、その点に関しては身構えていました。……しかし、万全と思っていた結界すら意味をなさない程に、魔物が現れるようになってくるとは。今のところ、安全なのは自宅だけです。幾重にも結界を張り巡らすことが出来るのは、結局自分の土地くらいですからね。私の力にも限界があります。あいつのように、無尽蔵ではないんですよ」

「なるほどねぇ……」


 と、ディアナ校長は、今度はグイッと、僕の方に身体を傾けてきた。

 僕は慌てて姿勢を正し、肩をすくめた。


「確かに、強い封印が為されているようだ。が、いたずらに封印を解くのは危険だね。術者ならばともかく、勝手に封印を解いたら、きっと大変なことになるだろう。父親の時のように、無理矢理能力を引き出して自主的に訓練できるよう、砂漠にでも放り投げようかと思ってたが、やめることにしよう」

「さ……、砂漠に放り投げ……? そ、そんなことをなさったんですか!」


 リサさんが大きい声を上げた。ディアナ校長が透かさず静かにするよう目で合図すると、リサさんは慌てて口を両手で押さえた。


「仕方ないだろう。“力”は有り余っているはずなのに、自分から引き出そうとしない愚か者を、私は見ていられなかった。それに、あの頃は面倒なことが重なっていてね。さっさと一人前になって欲しかったのさ。今だって、大河の“力”を引き出したくて堪らないが、そういう事情ならば仕方ない。変に封印を解いてうっかり暴走されたんじゃ、街が壊滅されかねない」


 ディアナ校長の言葉を聞いて、僕とリサさんは顔を見合わせた。

 今、とんでもないこと、言ったよね……?


「『街が、破壊されかねない』……?」


 僕とリサさん、二人同時にそう呟いた。

 ディアナ校長とシバを交互に見ると、二人とも神妙な顔で頷いている。


「まぁ、そうなるだろうな」


 と、シバが言う。


「あいつが“力を解放”して貰ったのは、“神の力”を得る前の話。お前は“神の力”を得たあいつの力を引き継いでいるはず。大河の母親も、私よりずっと強い“力”を持っていた。二人の“力”をまともに受け継いだなら、ディアナがそう感じても不思議じゃない」

「――あの」


 シバの話を黙ってきいていたリサさんが、恐る恐る声を上げる。


「ひとつ、よろしいですか。あんまり難しいことは分からないんですけど、確認しておきたいことがあるんです」


 みんなの視線が集中すると、リサさんはきゅっと肩をすくませた。

 言いにくそうに、とても遠慮がちに、リサさんは話し出した。


「間違ってたらごめんなさい。もしかして大河君て、“竜”になれたりしますか……?」

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