【2】もう一つの世界

1. 両親の告白

 帰宅する頃には、外は真っ暗になっていた。

 星がチラチラと空で輝いているのをぼうっと眺めながら、今日の出来事を何度も思い返した。

 僕に変な色や他人の記憶が見えたのは、必然だった。

 だって僕は、そもそも普通じゃなかったからだ。

 それは少しだけ希望ではあったんだけど、よく考えたら、絶望の方が大きくて。

 一度に理解するのはとても難しい。

 難しすぎて、頭の中が真っ白になりそうな程に。






 *






 帰宅後間もなく、夕食の時間になった。

 残業がなかったのか、父さんは帰りが早く、珍しく一家三人揃っての食卓。

 食事中は、母さんばかりが楽しそうにパート先での噂話や最近のニュースについてペラペラ喋っていた。父さんは途中でくすりと笑ったり、相づちを打ったり。僕は会話の内容が頭に入らなくて、父さんに合わせて適当に反応した。

 いつも通りに見える。

 夕方あんなことがあったのに、いつもと何一つ変わらない。

 母さんは優しい桃色を纏っているし、父さんも落ち着いていて、薄い水色を漂わせている。

 何かがあれば、漂う色に揺らぎが出たり、濁りが混じったりするはずなのに。

 父さんが変にいつも通りなのが、逆に引っかかってしまう。



――『君は、訳あってコームインのシバ様に預けられた。本当のご両親は、別にいる』



 リサさんの言葉が、何度も頭の中をリフレインする。

 考え事をしすぎて、ご飯の味はよく分からなかった。


「大河、今日何かあった?」


 母さんに声をかけられ、ハッと顔を上げる。

 気が付くと夕食はとうに終わっていて、台所の片付けまで済ませた母さんが、食卓の椅子に座ったままぼうっとしていた僕の左隣に座って、顔を覗き込んでいた。

 目の前の席には、父さんもいる。眼鏡の奥で目を細め、難しそうな本を読みながら、食後のコーヒーで一息入れているようだ。


「リサが来たんだ」


 コーヒーカップをテーブルに置き、父さんが呟くように言うと、母さんはアッと声を出し、深くため息をついた。


「例の、魔法学校の」


 ズキッと、胸が痛んだ。

 母さんからそんな言葉が出るなんて、考えてもみなかった。完全に、不意打ちを食らった。

 恐る恐る、母さんを見ると、周囲に纏う色が急激に変わっていた。濃い青と紫がまだらのようになって、桃色を侵食している。


「ディアナとも会ったようだな。初めての干渉で、今日は相当疲れているはずだ。早めに休んだ方が良い」


 本を閉じて淡々と喋る父さんが、まるで昨日までとは違う生き物に見える。

 僕の知らない、父さんの顔。

 ――“干渉者”。

 眼鏡の奥の厳しい目に、僕はスっと視線をずらした。


「救世主の、息子って、本当?」


 顔を下に向けたまま僕が言うと、ウッと、母さんが息を呑む音がした。


「ああ。本当だ。薄々、分かっていたんじゃないか。……お前は、私達に似ていない」


 父さんの言葉に、僕の胸はぎゅうっと締め付けられた。

 やっぱり、全部本当のことなんだ。

 体の底から熱いものが溢れ出してくる。

 そう、分かってた。

 もう随分前からだ。

 両親の、どちらにも似ていないのかも知れないと思い始めたのは、小学校の低学年くらいの頃だったと思う。

 僕は少し赤みの強い茶髪だけど、父さんは黒髪だったし、母さんの髪は濃い茶色だった。

 目の色だって、僕は少し、普通の日本人とは違う気がしていた。少し青色の混じった濃い灰色。


「大きくなれば、二人と同じような色に変わるんじゃないかと思ってた」


 僕はギュッと、髪の毛を掻きむしった。

 中学に入ったところで、髪の色も目の色も、変わることはなかった。

 当たり前だ。

 そもそも、僕は二人の子どもじゃなかったからだ。

 何となくそんな気がしていて、でも信じたくなくて、僕はずっと目をそらし続けていた。


「どうして、教えてくれなかったの?」


 言った後で僅かに顔を上げると、父さんに漂う水色が濁っていた。

 動揺している。それでも、どうにか心を落ち着かせようとしているのが、複雑に混じり合う色の動きで伝わってくる。


「出来る限り普通の暮らしをさせるというのが、お前の父親との約束だったからだ。お前はあらゆる意味で特別な子どもだった。血は繋がっていなくても、実の子として大切に、大切に育てたつもりだ。……本当は、お前には何一つ、知らせるつもりはなかったんだがな。事情が変わった。ディアナや塔の協力を得なければならなくなってきた。不本意だが、魔法学校の校長をしているディアナに、お前のことを頼んだ。『力の使い方を教えてやって欲しい。レグルノーラのこと、今何が起きているのか、教えてやって欲しい』と」


 とにかく堅物でいつも眉間にしわを寄せている父さんが、こんなことを言うなんて。

 一体、何がどうなってるんだろう。

 リサさんが現れたあの瞬間に、何が起きたんだろう。

 居心地が悪い。

 自分の家なのに、何だか自分の家じゃないみたいな。


「か……、“神の子”なのに、命を狙われるなんて」


 二人とも苦しそうな顔。


「“神の子”って呼び方には、二通りの意味がある」


 父さんが呟く。


「『救世主の意思と力を受け継ぐ希望の子』、そういう意味で、多くの人はお前の存在をそう呼ぶ。そしてもう一つは、『“神の力”とやらを持つ、目障りな男の血を継いだ忌まわしい子』。古代神教会にとって、お前の存在は特に不愉快らしい。だから命を狙われている」

「『“ヤツら”は“こっち”にあんまり来れない』って、リサさんが……」


「ああ。確かにそうだ。“干渉者”でなければ“こちら”には手出しできない。レグルノーラは狭く閉じられた世界だ。“こっちの世界”は広すぎるから、探しきれなかったんだろう。が……、最近、頻繁に魔物が現れるようになった。出来る限り、仕事にも私生活にも影響しないよう、必死に魔物を払ってきたが、それも限界だ。頻度が高すぎる。家の周辺、通学路、学校、商店街。お前の生活圏は、決して安全ではなくなった。この街に“神の子”がいると知られてしまったんだ。……大河は、どうしてだと思う?」


 急に言われて、僕は何にも考えが浮かばなかった。

 目をキョロキョロさせて、父さんと母さんを交互に見るけれど、二人とも難しそうな顔、不安を意味する青緑のマーブル色を漂わせているだけで、何も読み取れない。

 首を傾げると、父さんは目をつむって、苦しそうに言葉をひねり出した。


「お前の“力”が、強くなっているからだよ、大河」


 父さんは、語気を強くした。


「中学生になって、少しずつ背も伸びた、声も低くなってきた。成長期に入った頃から、お前の力はどんどん大きくなっている。――お前の力を辿って、今後は教会の騎士団が直接お前を狙う可能性もある」

「き、騎士団?」

「古代神教会は、お前に賞金をかけて探し回っている。騎士団の中には、干渉者もいるらしい。接触してしまえば、まともに“力”の使えないお前は簡単に捕らえられてしまうだろうな。そうなれば、奪還は難しい。……お前の父親も、幽閉されたまま、解放される兆しがない」


 父さんは眼鏡を覆うように顔に手を当て、深く息をついた。


「力のコントロールが必要だ。十年前、お前は父親に力を封印された状態で、私達に預けられた。お前の力の増幅によって、その封印が解けかかっている可能性がある。このままでは、普通の生活をしていくことも難しくなるはずだ」

「学校に、行けなくなる?」

「まぁ、端的に言えば、そういうことだ」


 そうか。

 僕はもしかしたら、教育を受ける権利すら、奪われるかも知れないのか。


「“神の子の力”が、どれほどのものなのか、全く想像出来ない。悔しいが、リアレイトでは私に出来ることにも限界がある。お前自身に、強くなって貰うほかないんだ……」


 テーブルの上で握りしめた父さんの拳が、細かく震えていた。

 眉間にしわを寄せる母さんの顔が、直ぐ横にあった。

 僕の手に重ねた、母さんの手もまた、小さく震えていた。

 自分の中から徐々に感情が色となって溢れ出していくのを、僕はどこか遠いところから俯瞰して見ているような、変な感覚に陥っていた。

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