6. 二つの世界の空の色

 ディアナ校長は明らかなる同情の目で僕を見ている。

 それが苦しくて、切なくて。


「今の話が……本当の話だとして、つまり僕を狙っている悪いヤツらって、この世界の神様を信じてる人達ってことですよね。へ、変じゃないですか、そんなの。きゅ、救世主は世界を守ろうとして竜と同化したんでしょ? なのに幽閉されたり、息子の僕が……い、命を狙われたり。意味が、分からない。そんなに強かったなら、“神の力”で、どうにかすれば良かったのに」


 校長はゆっくりと首を横に振った。


「彼はそんなことをするような人間ではなかった。大人しく幽閉されているのも、彼らの感情を逆撫でして、余計な争いを生まないようにするためだろう」

「だけど、そのせいで僕は命を狙われてる」

「お前の父親は、お前のことを信じたのだと思うよ。お前なら、きっと自分に与えられた運命に立ち向かえると。だから、幽閉されても耐えているのだ」


 気が付くと僕は、窓ガラスに頭の天辺を擦りつけて、両手を握りしめ、肩を震わせていた。

 そんな僕に気が付いて、ディアナ校長はそっと、僕の両肩に手を置いた。


「……残念ながら、古代神教会側も自分達が悪いだなんて微塵も思っていない。だが彼らにとって、お前や、お前の父親は害悪で、許しがたい存在なのだ。彼らの心を……、開いて、誤解を解いていく以外に方法はない。いいか、大河。決して、黒い感情に惑わされてはいけないよ」


 僕は、頭を窓ガラスにひっつけたまま目を見開いた。

 身体中から染み出していた黒色を、ディアナ校長は見てしまったのだろうか。

 僕は息をのみ、急いで黒い気持ちを引っ込めた。


「前を向きなさい、大河。お前が卑屈になれば、相手は容赦なく叩き潰してくる。そうさせないためにも、前を向く。後ろめたいことなど、自分には何もないのだという証明として」


 窓ガラス越しだからか、レグルノーラの町並みには、東京の街のように様々な感情を宿した色は混じって見えない。それでも、確実にこの視界の中に、僕の命を狙っている連中が生きている。

 柔らかな日差しの中に浮かぶ不思議な町並みを見下ろしながら、僕はしばらく、ディアナ校長の言葉の意味を考えていた。











………‥‥‥・・・・・━━━━━■□











 川のせせらぎと、冷たい風を感じて、目を開けた。

 土手下のベンチ。

 目の前に広がる、いつもの景色。


「戻って……来てる」


 どうやって戻ってきたのか、全然分からない。けど、確実にいつもの、僕が暮らす街に戻ってきた。


「集中力が切れたのさ」


 低い女性の声が聞こえて、僕は咄嗟に右を向いた。

 同じベンチの右端、さっきまでリサさんが座っていたはずの場所に、見覚えのない綺麗な女の人がいる。

 姿勢の良いスラッとした綺麗なその人は、パーマをかけたような長い癖のある髪を揺らし、僕の方を見てニッコリ微笑んでいた。大きな花柄のマキシ丈ワンピースの下で長い足を組み、白くて上品なレースの上着を羽織っている。高級住宅街のマダムみたいな人と、僕は面識がないはずだった。


「初めてにしては上出来だ。もっと勉強して、自分の力を使いこなせるようになれば、お前は上位の“干渉者”になれるだろうな」


 声と台詞で、僕は彼女の正体を知る。


「こ、校長先生……!」


 思わず大きな声を出してしまったけど、河川敷には僕ら以外誰もいない。

 一番近い人だって、川岸の向こう側だ。


「リアレイトでは他の人間と極端に違った姿だと目立ってしまうだろう? だからね、“こっち”に来るとき、私は肌の色も服装も、全部変えてしまうのさ。私だけど、私じゃない、全く別の人間になることも出来る。これも、“干渉者”の力。知らないと思うが、シバだって、同じことをやってる。ある程度力のある干渉者なら、このくらい造作ない」


 そう言えば、リサさんは制服止まりだって言っていた。

 凄い。こうやってまじまじと見せつけられると、流石に驚きが隠せなくなる。

 艶のある綺麗な焦げ茶色だったはずの肌が、透き通るような色白の肌に変わっているし、骨格も黄色人種に寄せている。一体どうやったらこんなことが出来るんだろう。


「“イメージを具現化する力”を使いこなせば、お前も何にだってなれるはずさ。いつまでも、自分の運命を呪ってばかりの後ろ向きで弱々しい少年のままじゃいたくないだろう。強くなるのは、何も敵を倒すためだけじゃない。お前がお前らしく生きていくためでもある。ただ、隠されているのが強すぎる力ってのが考え物だけどね。上手く使いこなせば、お前は私より強くなれるんじゃないかと思っているよ。そしていずれ、お前の父親がそうだったように、混沌たるレグルノーラに光を照らす“次代の救世主”になるのではないかと」


 優しく微笑みかけてくるディアナ校長の顔は、逆光で少し見えにくい。

 もうすぐお日様がビルの向こう側に沈んでいく時間。

 ただでさえ、この時間帯は、色がどんどん消えて判別しにくくなる頃だ。


「昔々、まだ若く、世の中のことを何も知らなかった頃、面白い話を聞いた。レグルノーラがまだどんよりと分厚い雲に覆われていたあの時代、私達は夕暮れというものを殆ど見たことがなくてね。朝と夜、空が白くなるか真っ黒くなるか、その程度にしか時間を感じたことはなかったんだが、リアレイトからやって来た干渉者の誰かがね、空の色が好きだという話をしてきたんだ。曇の模様や濃淡くらいしか、私達レグル人には空について語ることはなかったのに、透き通るような水色だの、濃い青だの、終いには紫やオレンジ、時には炎のように赤く染まるという話をしてきた。雲が光に照らされて、様々な色に変化するのや、その形を見て明日の天気を予測したり、気分が落ち込んだら空を見るだの、星空を眺めるのが好きだの……そういう、不思議な話をしていた。狭く、外界から隔離されているレグルノーラからは想像も出来ない、果てしない世界がリアレイトなのだと、私は感じた」


 ディアナ校長はベンチに背中を預け、空に視線を向けている。


「お前の父親が空を取り戻してくれたお陰で、私達レグル人もその美しさを知った。古代神レグルは輝くような美しい世界を創ったという。私達は敬意を込めて“レグルの民”と名乗り、神の創った大地をレグルノーラと呼んでいる。……あのとき、世界を救ったお前の父親は、古代神レグルの化身となったのではないかと、私は思っているのだ。そうでなければ説明の付かないことが沢山起きたからね。たとえ、古代神教会が否定しても、二つの世界に光が戻ったことに違いは無い。あの場所に居合わせたわけでもない人間が、頭ごなしに偽物を決めつけてしまうのは愚かなのではないかと……、レグルノーラではこんなことを口走れば、直ぐに教会派が狩りに来るような有様さ」


 もの悲しい横顔を、僕は無言で見つめる。

 透き通った薄紅色が、柔らかくディアナ校長の周囲を漂っている。


「人間の心は、難しい。どうやったら変えられるのか、正しい方向へ導けるのか、何年生きても結論は出ない。しかし、人智を凌ぐ力があれば、世界は変えられるのじゃないだろうか? ……例えば、“神の子”こそが、それを成し得るのではないだろうか?」


 僅かに声を震わせて、ディアナ校長は僕に語りかける。

 ビルとビルの間に、日が落ちていく。

 もうすぐ、夜になる。

 ディアナ校長はすっくと立ち上がり、両手の指を絡めて、うんと身体を伸ばした。


「明日も、来なさい。毎日、少しずつでいい」

「え?」


 変な声が出て、僕は思わず口に手を当てた。


「お前は筋が良い。慣れるまではリサに誘導して貰うといい。慣れたら、一人で好きな時間に、いつでもおいで。ウチの学校なら、魔法の練習も出来るし、武器の具現化の仕方、剣の使い方だって学びたい放題だ。特別枠ってことで歓迎しようじゃないか」

「え、でも、僕も学校が」


 慌てる僕を見下ろして、ディアナ校長はカラカラと笑った。


「一瞬だ。今さっき、リサがお前と共にレグルノーラに来てから、お前が一人でリアレイトに戻ってくるまで、ほんの数分しか経過していない。二つの世界では時間の流れが違うのだ。お前は、二つの世界を行き来することで、二倍、いや、それ以上の時間を得ることが出来る。“干渉者”の一番の特権だ。学校のあと、ここで待っているといい」


「い、いいの?」

「今日はゆっくり休みなさい。慣れない“干渉”の後は、どっと疲れが出るもんだからね」


 ディアナ校長はそう言って、僕に背を向けた。


「ありがとうございます!」


 声をかけたときにはもう、ディアナ校長の姿は消えていた。

 カラスの声と、犬の遠吠えが僅かに聞こえる河川敷。

 日のすっかりと落ちた川岸に漂う夜の冷たい風が、レグルノーラでの出来事で興奮しきりの僕の頭を、少しずつ冷やしていった。

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