2. 魔女見習い

 空はオレンジ色から、徐々に紺色へと変わり始めていた。

 カラスの鳴き声がして、橋の上を車が通っていて、向こう側の土手を運動部が駆けていく。

 夕焼けに照らされた街並みも、川面も、そこから漂ってくる臭いさえいつもと同じなのに、とんでもないことが次々に起きた。

 手が震えている。膝も笑っていて、立つのがやっとだ。


「先に私の方に来るようにと伝えたはずだが」


 リサと名乗る金髪の少女に向かって、父さんはそんなことを言った。


「申し訳ありません、シバ様。先に“神の子”のご尊顔を拝ませて頂こうと思って……」


 僕の方をチラチラ見ながら、リサさんは肩をすくめた。

 父さんはふぅとため息をつき、「まぁ、いいだろう」と零した。


「見ての通り、大河には何も知らせていない。すまないが、仕事に戻らなければならない。大河を頼めるか」


 理解が追いつかず、頭がクラクラしてくる。

 なんで外人の女の子と父さんが話を?


「分かりました。出来るだけ、順立てて話してみます」


 リサさんはニッコリ笑うと、再び両手を差し出してきた。


「改めまして、大河君。私はリサ。君に会えるの、楽しみにしてたんだ」


 さっきは無視した彼女の右手を、僕はじっと見つめた。

 チラリと、僕より背の高い彼女の顔を見る。

 リサさんの中の景色が、グワッと脳内に流れ込んでくる。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 ――どこかの学校。校長室。

 黒人の綺麗な女の人。

 見たこともない字で書かれた書類。

 僕の写真。

 魔法陣。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「――大河君?」


 リサさんは身体を傾けて僕の顔を覗き込んでいた。

 慌てて目をつむり、首を振った。

 ダメだ。

 また見えた。気を付けないと、余計なものばかり視界に入る。


「だだだ、大丈夫です。よろし、く、お願いします……」


 恐る恐る右手を差し出し、握り返した。


「ではリサ、頼む」

「はい、了解しました」

「え?」


 顔を上げると、もう父さんの姿はなかった。

 遮るもののない土手の上からグルッと辺りを見回しても、父さんの姿はどこにもない。


「シバ様、こっちでもお忙しい方なんだね」


 リサさんは、父さんのいた辺りを見て感心したように頷いていた。

 いなくなったこと自体には驚いていないのが、なんか変な感じなんだけど。


「さぁて、道の真ん中で話すのもアレだし、あそこ! あそこのベンチで話さない?」


 リサさんは河川敷のベンチを指さして、パチンとウインクしてきた。


「え? ちょっと待っ……!」


 あっちこっちに落としてきた荷物を拾い集め、ガクガクした膝を庇うようにしてリサさんの後を追い、僕は土手下まで一気に駆け降りた。

 リサさんは僕より先にベンチに座り、トントンと座面を叩いて隣に座るよう促してきた。

 丈の短いスカートから、太ももが覗いている。

 僕はゴクリと唾を飲み込み、リサさんとの間に通学カバンとスクールバッグを置いてから、ベンチの端っこに座った。


「まだ信じられない?」


 リサさんの背は僕より十センチ近く高い。スラッとしたモデルみたいな体型で、整った綺麗な顔をしている。

 彼女の癖なのか、僕の表情を確認しようとして、わざと身体を傾けて、下から僕の顔を覗き込んでくる。

 僕は慌てて目をそらす。


「す、直ぐにはちょっと」

「そりゃあ、そうよね。でもまさか、本当に何一つ知らないとは思わなかったな。どう? なんとなく分かったでしょう。何も知らないなんて、言ってる場合じゃないてことが」


 僕は、頷くしかない。


「リ……、リサさんは、異世界の人?」


 チラリとリサさんを見ると、彼女はにやっと頬を緩めた。


「うん。“レグルノーラ”っていう世界からこの世界“リアレイト”に干渉してるの。“こっちの世界”で変に目立たないようにと思って、大河君の学校の子達とおんなじ服装にしてみたんだ。何だっけ、ゴーに行ったらゴーの言う通りにしろみたいな」

「郷に入っては郷に従え」

「それそれ」


 逆に目立ってるよ。

 ……なんて、思っても言葉には出せない。


「この服、可愛いよね。胸のリボンとスカートのひだひだが気に入ってるんだ。ウチの制服はなんてったってローブだし、ちょっと堅苦しいっていうかなんていうか」

「こ、高校生……?」

「聖ディアナ魔法魔術学校高等部。レグルノーラで唯一、魔法を基礎から教えてくれる学校なんだ。立派な魔女になるために修行中の身。まぁ、要するに、魔女見習いなんだよね、私」

「魔女……見習い」

「そう。まだ見習いなの。だけど、結構私、優秀なんだよ。だから選ばれたんだと勝手に思ってるんだけど、そんなことよりさ」


 リサさんは、わざとらしく一拍置いた。


「大河君、さっきから私の目、見ようとしない」


 ――心臓を、突かれたような音がした。


 僕は表情を悟られないように、サッと下を向いた。

 けど、構わず彼女は僕の顔を覗き込んでくる。


「人の目を見るのが恐いのって、やっぱり色々見えるから?」


 目をそらす。

 急に、胸が苦しくなる。

 脈拍が上がってる。

 両手で頭を抱え、肩を強ばらせる僕を、リサさんはきっと不審がっているに違いない。


「そういう“特性”があったら、相手の弱点を探れそうだし、自分を優位に置くことだって出来るはずなのに。そういうこと、しないんだ。大河君て、優しいんだね」


 唐突に予想外のことを言われ、僕はゆっくりと頭から手を離して、リサさんの表情を伺った。

 魔法を習っているという彼女にとっては、特におかしくもない、当たり前のことなのか。極端に驚くわけでも、気味悪がったりすることもない。腕を組み、一人で何かに納得して、満足げに何度も頷いている。


「そんなら、私の目は見ても大丈夫だよ。何の不都合もないし。裏表のない性格が売りなんだよね、私。そっかぁ、だから私が選ばれたかぁ。――要するにさ」


 右手の人差し指をつんと立てて、彼女は自信たっぷりに話し始めた。


「君には相手の心を読み取る“特性”があるんだよ。相手と話す前に心の中が見えるから、人とコミュニケーション取りにくいんだ。だからいつも目をそらす。君はとても困っていた。そこで私の登場よ!」


 リサさんはバシンと胸に手のひらを勢いよく当て、少し顎の角度を上げて、誇らしげな顔を僕に向けた。


「魔法学校一、裏表がなく、なんの隠し事も出来ない純粋無垢な私、リサ様の目なら、いくら見ても大丈夫。なんてったって、見られて都合の悪い情報なんか何にも持ってない! 見られて困るのは裸ぐらいなもんだから、全然気を遣わなくて大丈夫! そういうことだから、私があてがわれたってわけよ。多分ね!」

「こ、声が大き……」


 僕は慌てて人差し指を自分の口に当て、シーッとリサさんを牽制した。

 河川敷にはあんまり人がいないし、向こう岸にも人影は殆どない。それでも、誰かが聞いてたらと思うと、ハラハラする。


「あはは、ごめんごめん。興奮して来ちゃった。さて、そういうわけで、私、ディアナ校長に直々に頼まれたの。救世主の力と意思を継ぐ“神の子”である君を守り、レグルノーラに案内するよう……」

「――ま、待ってください」


 僕は慌ててリサさんの言葉を遮った。


「か、“神の子”って何ですか。それにぼぼぼ、僕の父さんは公務員で。救世主なんていう存在からは程遠い人間で。リサさん、今し方、父さんと話してたじゃないですか。父さんは普通の。あれ? でも違う。魔法? ええっ?!」

「シバ様は育ての親でしょ。君は、訳あってコームインのシバ様に預けられた。本当のご両親は、別にいる」

「別……?」


「大河君。君は、もう一つの世界レグルノーラで“神の力”を手にした救世主、レグル様のご子息なんだよ。だから“神の子”。君はどうも、レグル様の力を強く受け継いでいるみたいなんだよね。いずれ君も大きくなれば、レグル様と同等の力が使えるようになるかも知れない。まぁ……、それを良く思わない連中ってのが存在するわけ。で、君は命を狙われてる」


 僕は何度も首を傾げた。

 僕が、異世界で“神の力”を手にした救世主の……、息子?


「ちょ、ちょっと何を言ってるのか」


 一度に沢山の情報を押し込まれると、頭が混乱する。

 ただでさえ、状況が飲み込めていないのに。


「レグル様は半竜のお姿をした、神の化身と言われるお方でね、絶大な魔力を持ってらっしゃるの。そのご子息が、君。レグルノーラで命を狙われる君を、リアレイトで守り続けてくださっていたのが、シバ様。君の“こっちの世界”でのお父様ってわけ。すごぉくわかりやすく伝えてるつもりなんだけど、分かる? 大河君、今幾つだっけ?」


「じゅ、十三。誕生日が来たら、十四」

「じゃあ、十分だよ。“向こう”とは成熟年齢の差が微妙にあるだろうけど、君はもう、自分のことを分かっても良い年齢。ずっと隠してたみたいだけど、シバ様もやっと話す決心が付いたってことなのかな」

「あの」


 僕は小さく手を上げて、リサさんの喋りを遮った。


「シバ、様? 父さんのこと、何でそう呼ぶの?」

「シバ様は “塔”でも指折りの実力者だよ! “向こう”とはお姿が違うから、ぱっと見じゃ分からなかったけど」

「ってことは、父さんも、異世界と関係がある……?」


「大あり! シバ様も君も、そして私も“干渉者”。もう一つの世界を行き来する力を持ってるの。干渉者には“イメージを具現化出来る力”があってね、魔法も使えちゃう。さっきシバ様が魔法使ったの、見てたでしょ? 今まで大河君が普通の生活を送れていたのは、シバ様のお陰ってわけ。だって、“向こう”にいれば、君は少なくとも命を狙われ続けてた。つまり、“ヤツら”が“こっち”にあんまり来れないのを利用して、必死に君を守ってくれてたってこと。しかも、たったお一人でだよ!」


 言葉が出ない。

 そんな話、どうやって信じたら良い。


「にわかには信じられないかもね。あとは君が、それをどう受け止めていくかだけど……」


 リサさんは腕を組み、空を見上げながら、うぅんと唸った。


「試しに行ってみる? レグルノーラ」

「……え?」

「行けば納得するでしょ? 私の話。嘘じゃないってこと、証明させてよ!」


 ニカッと笑うリサさんの迫力に、僕はこくりと頷くことしか出来なかった。

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