黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~
天崎 剣
第1部 現実世界《リアレイト》編
【1】神の子と魔女見習い
1. 他人とは違う色が見える少年の話
腹のど真ん中に鈍い衝撃が走って、僕はウッと身体を丸めた。
よろけた足でどうにか踏ん張ると、僕のと同じ緑色のラインの入った上履きが目に入る。
「無視すんなよ、
攻撃色を示す強めの赤や黄色が視界に入り込んで、僕は咄嗟に逃げだそうとした。途端に、さっきとは別の誰かが僕を蹴飛ばし、通学カバンごと背中が下駄箱に打ち付けられた。ドンッと大きな音がして、女子がキャッと悲鳴を上げる。
昇降口で堂々と殴りかかってくる数人を無視して、僕は自分の下駄箱に手を伸ばした。
「ちったあ痛そうにしろよ」
僕と下駄箱の間に無理矢理顔を突っ込んでくる誰かと視線が合わないように、僕はわざとらしく目をそらした。
「お前、いつも暗くて笑わなくて、超気持ち悪いんだけど」
「根暗のクセにさ、髪なんか染めちゃって。なんでそんなに赤いわけ?」
誰かが後ろから僕の前髪を持ち上げた。
後方に引っ張られて、僕の手は下駄箱から数歩分遠ざかった。
「見てみろよ、マジで目ぇ青い」
髪の毛を引っ張ってくる誰かと視線を合わさないように、僕はわざとらしく顔を背けた。
「だ、だから何? 帰りたいんだけど」
僕がぼそりと呟くと、腹を数発殴られた。
「生意気なんだよ、気持ち悪ぃクセに!!」
大抵、僕を殴ってくるヤツの言い訳はこんな感じだ。
コソコソ悪口言うのは未だマシで、暇を持て余した男子は攻撃色と好奇心の色を身に纏い、何の悪びれもなく集団で僕に殴りかかってくる。
容姿をからかわれるのは慣れっこだった。
けど、それだけが原因で僕が狙われるんじゃないってことくらい良く分かってる。
僕は誰かと距離を詰めるのが苦手だ。
目を合わせて喋るのはもっと苦手。
だって、僕には他の人には見えてないものが――……。
*
「君が、芝山
夕暮れの土手をうつむきながら歩いていた僕の真ん前を、知らない
眉をひそめて顔を上げると、どう見ても中学生とは思えない大人びた体型の女子が、ウチの中学の制服を着て仁王立ちしていた。
「大河君。君は、命を狙われているのよ」
彼女は黄金色の長い髪を結わずに垂らし、堂々と言い放った。
首を傾げて隣を素通りしようとすると、彼女はバッ前を塞いだ。
「レグル様のご子息、だよね。似てないけど」
『レグル様』?
何言ってんだ、この子。
絶対、ウチの生徒じゃない。制服の丈が短い上にスカートは寸足らず。おへそと膝がすっかり出ていて、素足にローファーだ。通学カバンもスクールバッグも持ってない。
「事前情報通り、大河君は何も知らない。なるほどね。“レグルノーラ”のことも“神の子”だってことも隠してたって本当なんだ」
「か、神の子?」
そこまで言って違和感を覚え、僕はようやく顔を上げる。
――外人?
目が、透き通るような緑色。白い肌。
好奇の黄色と共に、彼女の周辺に、西洋の古い街並みや城のような建物、竜のような生き物が浮き出て見える。この世界とは違うところ……? まさか、異世界、とか。
「何か、見えてるの?」
「ななな何言ってんの! みみ見えてなんか!」
僕はブンブン頭を振って、必死に頭の中から見えたものを消そうとした。
「何かが見える“特性”、持ってるんだ。レグル様にも相手の心の中が見えているそうだよ。つまり“神の力”は確実に受け継がれてるってことだよね」
足を止める。
ゴクリと、渇いた喉に唾を押し込んだ。
口角を上げた彼女がどんどん僕ににじり寄るのを避けようと、僕は数歩後ろに下がった。
「き、君の言っていること、意味が、分からない」
「嘘ね。本当はちゃんと分かってる。その“特性”で、随分悩んだり困ったりしてたんでしょ。レグルノーラを創りし神の化身、レグル様の血を引く“神の子”である君の潜在能力が相当高いって証拠だよ。魔法の存在しない“リアレイト”でも“神の力”はしっかりと使えてる。それって、凄いことなんだから。……これは、古代神教会が放っとかないわけだよね」
ズンと、彼女の顔が僕の真ん前に迫り、僕はまた慌てて目をそらした。
「やっぱり目を合わせない。予期せず見えるのかな。力の使い方も、知らないだけって感じがする。これじゃ、命を狙われても仕方ないのかも」
「ぼ、僕の命を狙うの? どうして?」
「レグルノーラで君はとてつもなく有名で、悪い奴らに賞金首にされてるんだよ」
「しょ、賞金首?! 僕が?」
「そう。神の子は命を狙われてる。このままじゃ、リアレイトにいても危険な目に遭うだろうから、力の使い方を覚えた方が良い、出来るだけ早急に連れてくるようにって」
な、何なんだこの子。
急に現れて、変なこと言い出して。
「……何者?」
反応されたのが嬉しかったのか、彼女はパッと表情を明るくし、僕に両手を差し出した。
「自己紹介遅れちゃった。私はリサ。聖ディアナ魔法魔術学校高等部の二年生。ディアナ校長に頼まれて、大河君をレグルノーラに案内するために来たの。よろしくね!」
僕はしばしの間固まって、柔らかそうな、綺麗な彼女の手のひらをじっと見ていた。
どう考えても、おかしい。関わらないようにしなくちゃ。
僕は彼女を無視して、隣を素通りした。
差し出した手が空を切ったのが悲しかったのか、金髪の彼女は慌てた様子で僕を追いかけてくる。
「大河君! 待ってってば!」
僕は足早に、終いには駆け足になって、土手を逃げた。
「なんで逃げるの! 大事な話なんだけど!」
「うわぁッ?!」
後ろを追いかけていたはずの彼女が、目の前で通せんぼしている。
いつの間に?
重たい通学カバンとスクールバッグが邪魔をして、僕は大きく仰け反った。
「大事な話! さっきも言ったけど、“神の子”である君は、もう一つの世界“レグルノーラ”で命を狙われてるの。この世界にも、君の命を狙う人達が襲いに来る可能性がある。何も聞かされてないみたいだけど、知らないじゃ済まない事態になってきてる。もし何かあったら、君は自分で逃げ切れるの? 戦えるの?」
「た、た、かう……? は……? 何、言ってんの?」
真面目な顔で妙なことを堂々と言う彼女に、僕はそう吐き捨てた。
彼女は少しご機嫌を斜めにして、僕の顔を下から覗き込んできた。
顔が、近い。
身体を反りすぎて、僕はよろめいてしまう。
「レグル様は、かつて二つの世界を救った救世主なんだよ? その息子である君が、戦えないわけないじゃない」
「ちょちょちょ、ちょっと待って!! 悪いけど、僕の両親は普通の日本人で、君が言う何とかって人じゃないんだよ。人違い、じゃないの?」
「君は何にも知らないみたいだけど、本当のご両親は――」
彼女が興奮気味にそこまで言ったときだった。
ふいに視界が暗くなる。冷気のような、どす黒いもやのようなものが、土手下から一気に駆け上がってくるのが見えた。
ゴォッという音と共に、感じたことのない気配。
――赤い目だ。
実態を持たない黒い煙の塊が獣の形を作って、彼女の背後から僕のことを狙っている……!
「ヤバッ! 来ちゃった!!」
彼女は咄嗟に振り返り、身構えた。
「見えるんでしょ? 黒いのが」
身体は正直だ。
全身が震えて、荷物を落としそうになった。
「逃げても無駄だよ」
黒い煙に背を向けて走り去ろうとした僕を、彼女の声が止める。
「魔物はどこまでも付いてくる。倒すしかない」
「た、倒す?!」
面食らう僕をよそに、彼女はすっと手を高くかざした。
バチンと音がして、魔物の動きが封じられる。
纏っていた黒い煙が晴れ、人狼のような獣がくっきりと姿を現した。
「で? “神の子”なんだから、魔法くらい使えるんでしょ?」
「はぁ?」
「無理か。使えそうな顔してるくせに」
言いながら彼女は、宙に魔法陣のようなものを描いた。
「一気に片付けて、さっさと続きを……」
美しい二重円と、その中に書き込まれた見たこともない文字が、目映い光を放ち始めた。
「――結界魔法が先だ!」
後ろからふいに、聞き覚えのある男性の声がした。
振り返る間もなく、僕らの周辺が緑色の光に包まれる。光は僕らと夕焼けの景色を完全に分断した。
直後、ゴウッと音を立て、彼女の魔法陣の中心から激しい炎が噴射する。
叫び声を上げ、魔物がのたうち回る。けど、倒れてはいない。あちこち焼け焦げたまま、僕の方に向かってくる。
「う、うわっ! 助け……」
スクールバッグを放り投げ、僕は慌てて逃げ出した。けど、背中の荷物が重くて、思うように走れない。もつれそうな足を必死に運んで、僕は土手の上を走る、走る――その先に、見覚えのある人影。
「気になって来てみれば」
「父さん?!」
この時間はまだ職場にいるはずの父さんが、何故か緑の光の内側にいる。
右手を前に突き出して、身構えて立っている。
気のせいでなければ、父さんの前にも魔法陣があって、青い光を帯びているように見えるんだけど……!!
「大河! リサ! 伏せろ!!」
何が起きているのか、頭の中で理解するのに時間がかかった。
父さんの叫び声に驚いた僕は、とっさに頭を両手で抱えて地面に蹲った。蹲ろうとして転んで、土手の草地に放り投げられた。背中の通学カバンが引っかかり、土手の下まで転がらずに済んだけど、僕はそのまま仰向けになってしまう。
ビュンと音がして、青い光を帯びた風のようなものが頭の上を通過するのが見えた。
光は父さんがいた方から、魔物の方向へ。魔物はあっという間に真っ二つに引き裂かれ、断末魔とともに跡形もなく消え去った。
父さんは、ふぅっと細い息を長く吐いて額の汗を腕で拭っていた。
僕と同じく、伏せろと指示された彼女は、全部終わったのを確認してからそろそろと立ち上がった。
「すみません。結界魔法、失念してました。それから、とどめも。助かりました」
彼女は父さんに向かって、申し訳なさそうに謝った。
背中の通学カバンから抜け出して、僕は身体一つで立ち上がった。
この短い間に起こったことがあまりにも強烈で、震えが止まらない。
「間に合って良かった。君がリサか」
「シバ様ですね。初めまして、リサです。どうぞよろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼む」
きょとんとする僕の隣までやってくると、父さんはトンと優しく僕の肩に手を置いた。
「無事か」
「え、あ。うん。無事、だけど。魔法? 父さんが? どうなってんの……?」
僕らを包んでいた緑色の光が消え、景色は元の色へと急激に戻っていた。
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