でも、明日を信じて

海野しぃる

第1話

 ――や、やべぇ。見られた。見られちゃった。どうしよう。

 敏樹は額から嫌な汗がじわりと滲むのを感じた。

 背の高い女は、そんな敏樹の焦っている顔を見て、ニヤニヤと笑っていた。

 二人の足元には、身なりの良い成人男性の死体。


「お財布、要らないの?」

「は?」

「お金欲しいから撃ったんでしょ。お財布要らないの?」


 女は慣れた手付きで死体のジャケットから財布を抜き出すと、中に入っている札びらを数え始める。

 ――俺のものなのに!


「あっ、待てよ!?」


 叫んだ敏樹に、女はすっと一万円札を五枚突きつけた。


「半分上げる」

「あ、ありがとうございます」

「良い子だねぇ」

「いや待てよ! ありがとうございますじゃねえって! なんで半分持ってくんだよ!」

「口止め料」

「そっか」


 スン、と敏樹は黙り込んだ。

 ――五万しか手に入らなかった。けど、逮捕されたらお終いだもんな……。

 敏樹はガックリとうなだれてしまった。


「ねえねえ、この五万円欲しい?」

「えっ、良いのか!?」

「代わりにさ、お願いがあるんだ」

「お願い!? 五万円分は聞いてやるぜ!」

「よし、じゃあまずは死体埋めに行こうか。車はあるかい?」

「ねえ……死体って埋めなきゃダメなのか?」

「はは、捕まりたくはないだろう。良いよ、車は出してあげる」


 女は楽しそうに笑った。

 ゆるくパーマをかけた長いベージュの髪が揺れ、真っ赤な唇の奥の白い歯が光った。


     *


 ――何をさせられるかな~って思ったけど。

 家まで連れてってよ、というのが彼女のお願いだった。

 菓子パンの袋、カップ麺、薬缶、壊れかけのテレビ、ちゃぶ台、スマホの充電器。

 クーラーはついてないし、破れた網戸の隙間から虫が入ってくるようなボロボロの部屋で、敏樹はペラペラの座布団の上に座っていた。

 ――案外良い人だったなあ。


「改めて自己紹介だ。私はマモン。あなたのお名前は?」

「ママ?」

「小学生か? マモンね、マ・モ・ン」


 ――外国人なんだ。確かに顔立ちとか、すげえ綺麗だもんな。

 敏樹に難しい言葉は分からない。


「そ、そっか、俺は坊屋ぼうや敏樹としきだ。仲間からはトシって呼ばれてる」

「じゃあトシ君、なんであの男殺したのさ」

「金が……金が要るんだよ。あんたも知ってるだろ。あの男ガキ相手にクスリ売って稼いでるんだよ。最近なんか親の方からガキ売り飛ばしてる有様でさぁ。クズみてーなやろーだったの。最近金があるって見せびらかしてたし、その上ねーちゃんのことを商売女って馬鹿にしたからよー……ぶっ殺してもいいじゃんか……」

「それ。今関係ある? 良い人のものでも悪い人のものでもお金はお金だし、良い人でも悪い人でも命は命だよ?」


 マモンは不思議そうに首をかしげた。


「えっ、ええ……?」

「私、なんか変なこと言ったかな?」


 ――この人、もしかして怖いんじゃねえか……?

 ――なんでそういうこと言えちゃうんだよ……!

 敏樹はゴクリと喉を鳴らす。テーブルの上に自分の拳銃が乗っているというのに、その気になれば殺せる筈なのに、目の前の女が恐ろしくて仕方なかった。


「け、けどよ……泥棒も殺しも悪いことだろ……? 良い人に悪いことするなんて俺、耐えられねえよぉ……」

「そっか。お金が欲しいってのは分かったけどさ。君が犯人だってバレたら折角ゲットしたお金も没収されちゃうよ?」

「やっべぇ……!」

「そ、それはマジでやばい。今、姉ちゃん風邪ひいて倒れちまってよぉ! ケンタの面倒見るので精一杯なんだ! 俺が逮捕されたら姉ちゃん死んじゃうよぉ!」


 マモンはテーブルに肘を付けて指を組む。それから薄く微笑んだ。


「それは大変だ。ケンタってのはお姉さんの子供? 一人で育ててるの?」

「おう、一年過ぎる前に相手の男が消えちまってよ。それから毎日店に出ててさ」

「立派なお姉さんだねえ。そんなに仕事してたら子供の面倒はどうしてたの?」

「店に出れば託児所が有るから楽なんだって。おむつもミルクも離乳食もあるから、安上がりだったんだと。バイトばっかの俺とは大違いだぜ」

「良い職場だね。トシ君はずっとバイトなの?」

「おう、コンビニとかガソリンスタンドとか、色々やってるぜ。まあ見ての通りギリギリだけどな。姉ちゃんに怒られたから銀行でお金引き出すだけのバイトもできなくなっちまったし」

「そっかそっか、なるほどね。じゃあこれは大金だ」


 マモンは財布から先程の五万円を敏樹に渡した。

 受け取った敏樹は満面の笑みを浮かべた。


「おっ、サンキュ~! こんだけで五万なんて良い仕事だぜ!」

「トシ君さぁ、そのお金増やしてみたくない?」

「んなことできるのかよ!?」

「できるよ。君のそので」


 敏樹の笑みは凍りついた。

 ――なんで、知ってんの。

 驚き、怯え、頭の中でサイレンが鳴り始めた。


「な、お、お前、なんで、見てたのか!?」

「全部見てたさ。通報はしないよ。安心して。ケンタ君やお姉さんを悲しませたくないからね。それに、君みたいな良い子が死刑になってしまうなんて、私も悲しい」

「死刑!? 俺、死刑になるのか!?」

「そうだよ? 人を殺してお金を盗んだら死刑さ」

「け、けどあいつも悪いことしてたのに捕まらなかったぜ!? 不公平だ!」

「大丈夫。公平だよ。私たちだってちゃんと隠せば警察に見つからない」

「そ、そうなのか!?」

「私が手助けするよ。私も私の拳銃が使われたことがバレると都合が悪いんだ。共犯関係ってやつだ。仲良くしよう、ね?」


 敏樹は黙ったままテーブルの上の拳銃を見つめる。

 ――な、仲良くできるのか……こんな美人のねーちゃんと……!?

 

「キョーハン……」

「トシ君、私たち、一緒にお金稼ぎしてみない? 君、才能ありそうだしさ」

「才能?」

「人殺しの才能だよぉ」


 ゾワッ、と背筋に冷たいものが走った。

 ひんやりと濡れた舌が這うような、酷い不快感だ。


「さ、さてはてめーヤクザだな!? あいつの上司かなんかなんだろ!?」


 マモンは何も言わずにニヤニヤと笑うだけだ。


「仮にそうだとして、君はどうすればいいか、分かるよね?」

「……ね、ね、ね、姉ちゃんだけは見逃してくれ。頼む。なんでもするよぉ……!」

「うん。良い子だね。仕事仲間は大事にする主義だから。安心してね」


 楽しそうな声だった。

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