世界最強のツッこみ
るうね
世界最強のツッこみ
「俺が事務所をクビ? どういうことですか、社長!」
ある芸能事務所の一室。一人の男――荒巻征十郎が声を荒らげていた。
机を挟んで、その前に座った事務所の社長は困った顔で、
「ツッこみがね、強すぎるんだよ」
「強すぎる?」
「君は格闘技の元世界チャンピオン。生ける伝説とまで言われた、世界最強の王者だ。その強すぎるツッこみに耐えられる相方がいないんだ」
「そんなことは……」
「試しに、そこのサンドバッグにツッこんでくれたまえ」
「分かりました」
征十郎は座っていた椅子から立ち上がり、天井から吊ってあったサンドバッグに向けて手刀を放った。
「なんでやねん!」
ぱすっ、という軽い音とともに、サンドバッグは斬り裂かれ、中身のウレタンが顔をのぞかせる。
「…………」
「これで分かっただろう? 今のがもし人間だったとしたら、死んでいる」
社長はため息をつき、
「大事なうちの芸人たちを、死の危険にさらすわけにはいかない。残念だが……」
「ま、待ってください!」
その場で、征十郎は土下座した。
「俺はどうしても漫才のツッこみにならなきゃいけないんです!」
「なぜだね。君ほどの格闘家がその道を捨ててまで。せめて漫才でなくピン芸人なら……いや、ツッこみでさえなければ」
「漫才のツッこみでなければならない理由があるんです!」
「それは?」
「親父の遺言なんです!」
征十郎の父親は数年前に死んだ。
その時の遺言が、『俺は漫才のツッこみになりたかったんだ。征十郎、俺の夢を叶えてやっちゃくれないか』だった。
父親は腕のいい大工で、今まで人前で涙など見せたことのない強情な男だったが、それが涙ながらに訴えてきたのだ。
「だから、俺は漫才のツッこみになろうと……」
「しかしなぁ、相方がいないんじゃどうしようも」
と、その時。
「話は聞かせてもらったぜ!」
そう叫びつつ、部屋のドアを開け放った者がいる。
「お、お前は。ピン芸人の筋肉万次郎!」
「社長、その相方、俺にやらせてくれ! 筋肉で売っている俺なら、そいつのツッこみにも、ある程度は耐えられるはずだ!」
「ま、万次郎さん」
「いや、さすがに無理だろう」
冷静に、社長は言う。
「そこのサンドバッグを見てみろ。いくらお前が体を鍛えていると言っても、これは……」
「それなら、それなら半年、俺たちにくれ。その間、山籠もりでも何でもして、こいつのツッこみに耐えられるようになってみせる!」
「ま、万次郎さん、なぜそこまで……」
「お前のお笑いへの思いを知ったから。ただ、それだけさ。ともにお笑いの頂点を目指した漢と漢、惹かれ合わないわけがないだろう」
「万次郎さん……」
しばらく黙って考えこんでいた社長は、よかろう、と重々しくうなずいた。
「半年後、お前たちには私の前で漫才をしてもらう。それによって、今後の処遇を決めよう。それでいいな?」
「おおよ! そうと決まったら、さっそく山籠もりだ! 高尾山に行くぞ、征十郎」
「はい、万次郎さん!」
そして、半年後。
小さな演芸ホールで、二人は漫才を披露しようとしていた。
観客は、社長一人。
「ついに、この時が来たな、征十郎」
「ええ、万次郎さん」
「なんだ、水臭い。半年、ともに修業した仲だろうが。呼び捨てにしてくれよ」
「分かった、万次郎」
「よし、行くぞ!」
そう言って、二人は袖から舞台に飛び出した。
「はい、どうもどうもー」
「征十郎です」
「万次郎です」
「二人合わせて」
『SM十次郎です!』
「征十郎くん、征十郎くん」
「なんだい、万次郎くん」
「じつはこの前、腹が立つことがありまして」
「ほうほう、どんな?」
「朝起きて、新聞を取りに外に出たんですけど、家の前を掃除している女性がいまして」
「ふむふむ」
「挨拶したんですよ。そしたら、すごく怪訝な顔をされましてね」
「それはもやっとするね」
「でしょう? こちらは『こんばんは』って挨拶しただけですよ」
「『おはよう』じゃないんかい!」
言葉と同時、征十郎の拳が万次郎の顔面を襲う。凄まじい打撃音とともに、万次郎の顔がボールのように弾かれる。
「ついですよ、つい。ほら、仕事少なくて、朝だか夜だか分からんような生活をしてたから」
だが、万次郎は何事もなかったかのように、話を続ける。どうやら、自分から頭をのけぞらして衝撃を逃がしたらしい。いわゆる
「でもまあ、挨拶しようという意識が大切ですからね。その女性も、それは汲み取ってほしかったですよね」
「でしょう? だから、僕、ばしっと言うてやったんですわ」
「ほうほう、なんて?」
「『結婚しよう』ってな」
「なんでいきなり求婚してんねん!」
今度は鋭い手刀が万次郎の首筋を襲う。首では消力を使うこともできない。
だが、手刀が当たる直前、万次郎は両腕を征十郎の手刀にからめ、脇固めの体勢に入ろうとした。かろうじて、征十郎がそれを外す。
「いや、ちょっと親しくなろうと思っただけやんか」
「踏み込みすぎや! 相手、どん引きやろ!」
「そうなんよ。『結婚しよう』って言うたら、相手、ますます怪訝な顔になって」
「そらそうやろ」
「俺の嫁なのに、ひどいと思わん?」
「嫁やったんかい!」
ぐるり、と身体を回転させて、征十郎が万次郎の顔面を狙ってハイキックを放った。
完全に、殺す蹴り。
だが、それを万次郎は両腕で受けると、そのまま足首の関節を極めにいく。征十郎は身体を回転させた勢いそのまま、軸足を振り上げ、再び万次郎の顔面を狙った。寸前で、万次郎がそれをかわす。
「嫁なら嫁って言わんかい!」
「分かるやろ、それぐらい! 朝、家の前を掃除している女性なんて、母親か嫁ぐらいのもんですよ」
「そらそうかもしれんけど」
「でね、あんまりにも腹が立ったから、俺、びしっと言ってやったんですわ」
「腹が立つ理由がもう分からんけど、なんて言ったん?」
「『おはよう』ってね!」
「なんでやねん!」
そう叫ぶと同時、征十郎が壁を蹴って、天井に跳び上がった。そのまま天井も蹴りつけ、その勢いで、回転しながらの
それを横に半回転し、かろうじてかわす万次郎。そして裏拳で征十郎の顔面を狙う。
爆音に近い音とともに、征十郎の身体が吹き飛ぶ。が、壁に激突する寸前、縦に回転した征十郎は足から壁に突っ込む。そして、そのまま壁を蹴った反動で、万次郎に向けて襲いかかった。同時に、万次郎も拳を突き出している。
空気が揺れた。
征十郎の右拳が万次郎の左手のひらに、万次郎の右拳が征十郎の左手のひらに受け止められている。
にやり、と二人が笑みを交わした。
「もうええわ」
『ありがとうございました!』
「どうでしたか、社長!」
漫才を終えた後、二人は息を切らしながら、社長に問う。その顔は、やり切った満足感と流れ落ちる汗に輝いていた。
社長は、二人に向けて、にこやかな表情で告げる。
「うーん、クビ!」
世界最強のツッこみ るうね @ruune
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