終章

第57話 初のスクールライフ改造記録(第一部エピローグ)

 文字通りに命を懸けた春日初一世一代の大一番からのハイ〇ースという不条理なカウンターパンチを食らった僕は、玄関で待ち構えていた姉様に笑いかけるなり崩れ落ち、気が付いたら夜が明けていた。


 朝食の席で姉様は「昨日は映像がなくて残念だったけど、音声だけっていうのもそれはそれでグッときたわ」という、いつもと変わらない完全に視聴者目線の感想を僕にくれる。


 たまには自分の映像を撮ればいいではないですか、とすっかり千条院初モードに戻った僕が非難するような口調で聞き返すと、「被写体になる趣味はないのよ、私」と姉様は答えた。


 それはいいことを聞いた、ならばいつか存分に撮って差し上げよう、と内心でほくそ笑んで冴さんの方を見やると、僕の視線の意味するところに気づいたのか整った顔を微かに上気させて期待の色を示していた。


 抱き込めばこの勝負勝てる、と確信して反撃への道筋を検討しながら、僕は焼き立てのバゲットを口に運ぶ。



◆◇◆



 その日の放課後。


 文とポチは先に文化研究部の部室に向かっていた。僕はと言えば。


 「……告白2件……ラブレター1枚……ナンパ3件……全て処置しました……送信、と」


 人気のない校舎裏で独り言を呟いて本日の戦績を姉様にメールした後、その足で部室棟へと向かっている。リノリウム張りの部室棟の階段を三階まで登っていくと、そわそわした表情の冬姉が千条院初を待っていた。


 「初ちゃん、この間はごめんね」


 いつになく真剣な表情で謝罪する冬姉に僕も頭を下げる。


 「こちらこそ取り乱してごめんなさい、おねーちゃん」


 そして頭をあげる。

 なすべきことをして安堵した心境の通りに、今僕は笑っている。


 「……これで仲直りですよね?」


 「……だね、初ちゃん!」


 その後、僕は冬姉に手を引かれて文化研究部の部室にたどり着く。


 部長は連れ立って入室した僕と冬姉を前髪の奥から確認した後、見るべきものは見た、とばかりに視線をPCのスクリーンに戻す。

 冬姉はいつものように手早く全員分の飲み物を用意してそれぞれの席の前に置いた後、本棚の前で随分長いこと唸っている。

 文とポチは普段通りに時間を過ごしているように見えて、たまにちらちらと僕の様子を窺う。

 僕はその都度安心させるように微笑みを返しつつ、冬姉から借りていた源氏物語の文庫本に視線を落とす。


 ……秋にもなりぬ。人やりならず、 心づくしに思し乱るることどもありて、 大殿には、絶え間置きつつ、 恨めしくのみ思ひ聞こえたまへり……


 第三帖を過ぎて第四帖を読み進めていた僕の横にパイプ椅子を置いて冬姉が座る。


 「初ちゃん、こっちこっち」


 と言いながら冬姉がぽんぽんと膝を叩くので、僕は流れるような自然さでその上へと腰を移す。


 僕の頭を冬姉が優しく撫でる。

 何気なく振り向いて目にした冬姉の笑顔はいつになく嬉しそうで、一瞬見とれてしまう。それからはっと正気に戻り、僕は適当な話題を振る。


 「……おねーちゃん、第三帖まで読み進めたのですが」


 「うん? 初ちゃん読むの早いんだねえ」


 「感想を言えばいいのでしょうか? 何といいますか、少し言葉にしづらいのですけど……」


 「うーん……それなら言わなくてもいいよ? 初ちゃんにショタ趣味を仕込むつもりだったんだけど、無理はよくないから」


 「……やはり私を、その……ショタ? 好きに変えるつもりだったのですね?」


 個人的には今更僕がどんな風に改造されようと諦めがつくのだけれど、無垢で清純な少女を演じる者の義務として僕は問う。

 冬姉はにこにこ笑うだけで僕の質問には答えない。


 ポチは僕と冬姉の会話を聞きながらも、僕には関係ない、とばかりにパーティーマジックの解説本を読みふける。真っ先に冬姉みたいな人間の餌食にされる対象だというのに、危機感が微塵も感じられない態度である。


 ……あれ、自覚ないのかな? それとも実は豪胆なのかな? と考えこむ僕の前に冬姉が別の本を差し出した。


 中古なのだろう、ところどころ装丁の破れや汚れの見える洋書だった。


 「……この本は?」


 「今のおすすめはこれです。有名な映画の原作だよ」


 タイトルをよく見ると、確かにそれは僕も見たことがある映画と同一のものだった。ストーリーも覚えているし、何となくなら主題歌だって口ずさめる。


 野ざらしの死体を見つけるために、四人の男の子が線路に沿って歩き出す。冒険の果てにようやく死体を発見した彼らは、というかこの本――


 ――結局ショタですね、と僕は思った。


 「あの、もしかしてこれも結局……」


 恥ずかしさをこらえておずおずと問う少女、という風情で僕は冬姉に問うと、冬姉はちっちっ、と言いながら人差し指を立てて左右に振る。


 「そう見えるかも知れないけれど、大事なのはそこじゃないの」


 「そこじゃない?」


 「これはショタの話である以上に、幼馴染の話なのです!」


 突然の言葉に対して、僕は自動的に愛らしく小首をかしげて冬姉を見る。部長が、おぉ……と微かに声を漏らしてこちらを見ている。

 文もポチも話を聞きながら、ああいつものことか、という目でこちらを見てすぐに自分たちの世界へと戻る。

 二人とも順応性が高いなぁ、と僕は思うけれど、冬姉が変な趣味人として認識されつつあることに歯がゆさも感じる。とても複雑な気分だった。


 「私気付いたの、逆だったの。ショタが幼馴染なのと幼馴染がショタなのは違うって」


 炎は熱い、けれど熱いものが必ずしも炎とは限らない。命題の扱い方に気づいた、そういう話をしているのだろうか。そういえば部長も論理展開がどうだとか言っていた気がする。


 ただ、言っていることがよく分からない。


 「……つまり、おねーちゃんは実はショタ? より幼馴染の出てくる話が好みだと気付いた、ということですか?」


 僕の言葉に、冬姉は何故だろうか、場を取り繕うだけの笑顔を浮かべる。


 「そういう事なんだけど、秘めたる真実があるというか、もっと深い意図があるというか……じゃあ、初ちゃんだけに特別。一番最初に教えてあげましょう。私はね……」


 「……何ですか?」


 この手の話のタメが来た場合、その後には大抵ろくな話が出てこない、という経験則が僕の中にはあった。だからこそ、僕は何の期待もせずに冬姉の言葉を待った。


 冬姉は少しだけ恥ずかしそうな顔をしていた。

 大好きな人にプレゼントをあげようとして、でも照れてなかなか差し出せずにいる女の子……そんな情景が脳裏に浮かんだけれど、どうせ『幼馴染でショタってカツカレーみたいで最高です』みたいな言葉が来るんだろうなと僕は予想した。


 どうかしたのですか、とそれでも無垢な少女らしく何も気づいていないふりをして問いかけようとしたタイミングだった。


 突然冬姉が僕の身体を両手でぎゅうっと抱きしめた。


 僕の耳元に冬姉の口があって、背中越しに冬姉の鼓動が伝わる。突然の事態に僕は硬直し、狼狽えることすらできていない。


 そして冬姉は僕以外に届かない小声で、ひそひそと囁いた。


 「……本当は、私の幼馴染が好きなんだって、気づいたの」


 「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」


 それ僕に言うの!? と、いつもなら内心で突っ込み、そしてその感情を隠して何事か聞き返す場面だった。


 けれどそれができない状態に僕は一瞬で陥った。


 ぞくぞくとした震えが稲妻のように走り、身体がこわばる。訳もなく視界が滲み、握りしめた拳をどうやって解けばいいか分からない。


 顔から火を噴いている、というのならきっとそうだ。耳まで真っ赤に染まっている、というのなら確かにその通り。何なら謎の湯気を頭から立ち上らせているまである。


 客観的に見た僕の姿はきっと、恋に不慣れな女の子が初めて自分の恋心を自覚した瞬間のような、見ている人はおろか周りに咲く草花までもが照れて恥じらってしまうような、そういう状態。控えめに言って乙女の緊急事態だ。


 「……もう一度会って次はちゃんと伝えたい。だから今のはその練習。これからも付き合ってくれる、初ちゃん?」


 それなのに千条院初の正体を知らない冬姉の甘えるような声が更に僕を追い詰める。


 僕は羞恥に耐えきれず部長を横目で睨んだ。

 ひょっとしてこの状況は部長の仕業では? 全ての事実を冬姉に伝えたうえで僕をからかって楽しんでいるのでは? という猜疑さいぎの眼差しで。


 部長は冬姉と僕を見て、超人的な洞察力で状況を理解したようだった。首を横に振った後、違う、私ではない、と唇を動かした。


 遅れて文が僕の異変に気付く。


 「……え、どうしたのういっち、顔真っ赤だよ!? 色浦先輩ういっちに何言ったんですか!?」


 「うーん、幼馴染が好きって話かな」


 「幼馴染? ういっちの幼馴染って……ぅえっ、そういうこと!?」


 僕はいまだに口を開くことができなかった。俄かに生じた文の誤解を解くことも出来ない。


 「ええっ!? 千条院さん今の話本当ですか!?」


 さっきまでマジックの練習をしていたはずのポチまでもが文の誤解を真に受け、動転しながら僕に問いただしてくる。


 違うんだ、完全な不意打ちで、冬姉が急にこんなこと言うから。そんな言葉だけでも口に出せたらどれだけ楽だろうと思う。なのに僕の口は、ぁぅぁぅ……、と言葉にもならない音を発することしかできない。


 僕にできるまともな意思表示はぶんぶんと首を横に振ることだけだった。

 けれど、真っ赤な顔のままそんなことしてもまるで逆効果だった。


 「わーヤバっ、ういっち過去イチかわいいっ!」


 「本当なんですか、ねえ千条院さん! 千条院さんっ!」


 文がもうこれ以上我慢できないとばかりに僕にしがみついてスキンシップをとってくる。ポチが来客に対して吠え散らかすワンコのような必死さで僕に詰め寄ってくる。


 「そういうこと……なるほど、初ちゃんは片桐先輩のことが……もしかして、同士?」


 冬姉の冷静に誤った呟きが部長を除いた全部員に誤解が浸透してしまったことを告げる。


 「おーい初様よ、今日の迎えは一時間後でいいんだろ……って何だこの空気。お前大丈夫か?」


 そんなタイミングで普段通りに現れ、けれど今の状況を全くくみ取れないでいる片桐が、それでも僕の様子がおかしいことに気づいて近寄ってくる。錯乱した僕は片桐を見上げ、誰でもいいから助けてほしいという心境でしがみつくようにもたれかかった。


 もたれかかってしまった。


 この時点をもって誤解は覆しようのない信憑性を獲得した。

 部長以外の部員は目撃者へと進化した。


 ただ一人事情を察しているはずの部長はニマニマと微笑んでいた。観察しているのだろう。困っていたら助けるという僕との約束を果たす気が微塵もない。


 こうして僕は片桐に思いを寄せる純情な幼馴染に改造されたことを絶望的に悟るに至ったのである。


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 目の前の現実が自分の手に負えなくなったので、僕はおもむろに現実逃避することにした。


 何だか無性に建設的なことがしたくなった。

 手始めに自分の過去を思い返してみることにする。


 いじめられ、冬姉に振られ、姉様に拾われ、男の娘にされ、告白とラブレターとナンパの嵐を軽やかにかわし、恋のキューピッドに改造され、黒ギャルヤンキーを舎弟に改造し、元いじめられっ子の高校デビューを手伝い、よく分からない部活に参加し、便利な用心棒に改造され、一人の女子高生の恋愛性向を改造し、春日初に再改造されたと思ったら冬姉に致命的にすれ違った告白をされ、終いには片桐を慕う幼馴染の少女扱い。


 涙がこみ上げそうになった。


 ……何だこれ、訳が分からない。


 春日初の未来に存在したはずのありふれたスクールライフは、今や深刻なレベルで改造されてしまっていた。そしてきっと、これからも僕の想像を超えて改造され続けるのだろう。


 惨憺たる気分の中で、僕はこの理解を超えた千条院初の高校生活をせめて記録に残しておこうと決意した。それがいつか僕がごくありふれた少年である春日初に戻る時の道標となるようにと願いながら。


 タイトルに凝るつもりはなかった。シンプルなのがいい。これで十分だと思う。


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 【初のスクールライフ改造記録】

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初のスクールライフ改造記録 ~元・自殺志願者が完全無欠の男の娘になって囮役をがんばる~ 戦食兎 @senjikiusagi

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