『雲間の月と知りぬれば』について

 中三の『古今和歌集』の授業で「六歌仙」というワードを見るたびに、「王下七武海」や「十本刀」のような、凄い人を少人数ピックアップして名前を付けるやつ、日本人は昔から好きだったんだな……と、しみじみ思うのです。

 六歌仙のうち、逸話が華やかな小野小町おののこまち在原業平ありわらのなりひらに比べて、他四人(文屋康秀ふんやのやすひで大友黒主おおとものくろぬし喜撰法師きせんほうし僧正遍照そうじょうへんじょう)は圧倒的に影が薄く、まあ、教え子達が全然覚えられないわけなんですけれども。


 そんな影の薄い方の六歌仙メンバー四人の中だと、文屋康秀の和歌が駄洒落っぽくて好きです。

 有名なのは百人一首に入っている「吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ」ですね。

 「山+風」で「嵐」という漢字になるというアレです。

 ギミック全振りで中身があまりなくて、圧倒的に分かり易い。好き。


 そんな彼は『古今和歌集』の「仮名序」(仮名書きの序文)で、撰者の紀貫之きのつらゆきから、


「文屋康秀は、ことばたくみにて、そのさま身におはず。いはば、商人あきひとのよききぬ着たらむがごとし」

(文屋康秀は言葉は巧みだが、その様に中身が伴っていない。いわば、商人あきんどが良い服を着ているようなものだ)


 と、ディスられているんですよね。

 例に挙げた歌なんてまさにその通りなんですが、そういうディスられ方をしているのが可愛いなあと思うわけです。

 だって彼、下級官吏なんだよ仕方ないじゃん、許してあげてよ貫之……と常々思っています。


 あと作中、康秀の作風で自虐ネタの話を出していましたが、『古今集』に下記のような歌が載っているのです。


「春の日の 光のあたる 我なれど かしらの雪と なるぞわびしき」

(春の日を浴び、そして春宮様のお恵みをこうむっている私ですが、このように頭に雪が降りかかり、髪も加齢で雪のように白くなりました。それが情けないことです)


 正月に「日が照っているのに(康秀の)頭に雪が降りかかっている珍しい天候を歌に詠め」と、春宮とうぐうの奥さんである藤原高子ふじわらのこうしに命じられて、即興で詠んだ和歌です。

 いわば、物凄く偉い上司の奥さんから急に無茶振りをされているわけですから、康秀の心労いかばかりかと思うわけですよ。

 そんな中ですぐにこれを詠んだわけで、その機知にこの歌は当時、評判になったようです。


 そんな下級官吏なのになまじ和歌が上手かったために色々と大変だった文屋康秀ですが、なんと彼の息子の文屋朝康ふんやのあさやすも百人一首に和歌が選出されているんですね。

「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」が息子の朝康の歌です。

 秋の野原の草に下りた露が、強い風によって、糸を通していない真珠が散らばるかのようにパッと散ったという美しい情景を歌っていて、康秀の歌に比べて随分、内容が濃いですね。

 昔、康秀について調べた時に何かで「息子も歌人」という一言を見て、あっ、結婚してたんだ!? 良かったね康秀!! と思い、奥さんはどんな人なんだろう? と素朴な疑問を持って調べたのですが、情報が見当たらず、ずっと気になっていました。

 そこから妄想を膨らませて書いたのが、『第四回偽物川小説大賞』に寄せて書いた『雲間の月と知りぬれば』(https://kakuyomu.jp/works/16817139557248130411)です。


【あらすじ(作品冒頭ページより抜粋)】

 六歌仙の一人である文屋康秀は、同じ六歌仙の一人で絶世の美女・小野小町へ懸想していたが、振られてしまう。

 そんな彼の元へ、小町の遠縁にあたる娘との縁談が舞い込んだ。御簾越しに聞こえる声は小町そっくりで、いけないと分かっていつつも小町との疑似恋愛に胸を弾ませる康秀。

 しかし、中秋の名月の晩、彼女にそれを指摘されてしまい――平安身代わりラブロマンス、開幕。

※文屋康秀が小野小町を三河に誘った逸話を元に書きましたが、文屋康秀の情報が無さ過ぎて、恋人については完全なる捏造です。史実度ほぼ0だと思ってお読みください。



 ありがたいことに、部門賞でエロス賞に選んでいただきました!

 主催の偽教授さん、評議員の皆様、本当にありがとうございました!


 あらすじに書いた「文屋康秀が小野小町を三河に誘った逸話」については昔「古今和集」で読んで薄ぼんやり知っていたのですが、細かい部分については下記のHPの記事を参考にさせていただきました。


『「古今集」の小野小町の歌の詞書に、「文屋康秀が三河掾みかわのじょうになりて、「県見あがたみにはえいでたたじや」と言ひやれりける返事かへりごとによめる」とあります。

三河国(現在の愛知県東部)の地方官に任じられた時、9番・小野小町に「今度の私の任国をご視察においでになりませんか。」と誘ったのです。

それに対して小町は、「わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて 誘う水あらば いなむとぞ思ふ」 (落ちぶれて心細く暮らしていますので、この身を浮き草として根を断ち切って誘い流してくれる水があるなら、ついて行こうと思います。)と答えています。

実際に一緒に行ったかどうかはわかりませんが、「古今著聞集」や「十訓抄」といった説話集に、この歌をもとにした話が載せられるようになりました。

「百人一首一夕話」には、年をとって容姿も衰え、荒れた家に住んでいた小町は、康秀の誘いに喜んで応じたと書いています。

どちらにしても親しい仲であったことは確かのようです。』

出典:http://mie-ict.sakura.ne.jp/100n1s/kajin/k022.html


 実際に三河に行ったかどうか明確でないなら、振られたことにしてしまえ! と思って、作中ではこんな思わせぶりな歌を詠んでおきながら来なかったということにしました。

 講評で「偽の教授」さんから『直接的には姿を見せていないにも関わらず、魔性の女として大きな影を落としている小野小町のファム・ファタールっぷりはとてもよかったです』と評価して頂けたのは、その辺りのことかなと思い、ありがたかったです。

 あと、実は小野小町の出自自体も明確でなくて、地方豪商の娘とか、仕事が出来すぎて井戸を通って地獄で閻魔大王の補佐もしていた参議さんぎ小野篁おののたかむらの血筋だとか色んな説があるんですが、今回は小野篁の血筋説を採用しました。

 『名門・小野家の遠縁』とした方がヒロイン菊子の設定的に書きやすそうだったので。


 平安時代の恋愛事情的に、基本的には結婚するまで顔を見られないので、相手のことを判断する材料として声の役割は大きかっただろうと思うのです。

 そんな中で、絶世の美人である小野小町と声がそっくりで、でも顔は似ていなかったら――と思うと、殿方のがっかり具合は大きいだろうなと思い、菊子はそういう設定にしました。

 今よりもずっと女性が不自由だった時代の、呪いに近い身の上です。 

 今回、同じエロス部門で受賞した辰井圭斗さんの振り返り(https://kakuyomu.jp/works/16817139558288015514/episodes/16817139558350753237)で

「作品としても解呪の物語、それも一方通行的な救い救われの関係ではなく、菊の君の前だからこそ康秀は本当の彼らしさを発揮して彼女に言葉を掛けられるという話」

 と評して頂いて、大変ありがたかったです。

 菊子の呪いを解くために、人目を気にして面白和歌しか詠めなかった康秀がありのままの気持ちを伝えるという、彼自身の呪いも解ける形にしました。


 講評では在原業平について評議員のお三方とも言及してくださっていて、うち二人が正反対のことを書いていらして、大変興味深く拝読しました。

 「偽の教授」さんの『どうしても一点気になったのが、ちょっと在原業平の台詞で肝心なことを説明してしまいすぎ、かな。(中略)王道を外すのはもちろんいいんですけど、「一番肝心な部分を第三者が説明してしまう」というのは、あんまりいい外し方、いい味付けであったとは言いにくい。』

 という評価に、言われてみれば確かに……! と目から鱗が落ちる思いでした。

 小野小町・在原業平・文屋康秀・僧正遍照の四人は、歌会でよく顔を合わせていて仲良しだったそうで、在原業平にも出張ってもらったのですが、重要な部分を説明させすぎ問題は確かにそうかなと思った次第でした。


 逆に「偽のマヤ」さんからは『在原業平の動かし方がとても良かったです。垣間見によって、彼に康秀より先に菊子の顔を認識させる。すると、業平から秀康に菊子の素顔に関する情報を流せますし、嫉妬を動機に彼を動かすことさえできます。たったその天才的なアイデア一つで、一気に物語がスムーズに作動していくその様は、鮮やかと言う他ありませんでした。』と非常に高く評価して頂いて、頭の下がる思いでした。

 二万字に収めるにはあそこで業平に頑張ってもらうしかなかったというのもありますが、ああいう出し方をしないと、業平がイケメン過ぎて康秀の出番を食う、と思ったのであのような形になっております。


 あと、文屋康秀がイケメンではないという逸話はないのですが、イケメンだという逸話もないので、まあ十把一絡げだったのかなと思っており、そんな男が宮中一の色男である在原業平と並んでいたら見劣りに拍車がかかるだろうとも思って、作中ああいう扱いになりました。

 しかも、たぶん康秀はあの歌風だと恋の歌苦手でしょう……実際、恋の歌は歌集に採用されてないし……と思っていて、女心の分からなさそうな素朴な男にしました。

 評議員の「偽の籠原」さんからは『そんな女を愛する主人公の素朴な性格が作品に暖かい印象を与えています。』と評価して頂けて嬉しかったです。

 偽の籠原さんからは選考会議で『声だけ有名人に似てて良いから余計に幻滅される、っていうモチーフと平安時代がジャストフィットしてるんですよね。そしてそれは、アバターのボイスチャットで交流している現代にもありうる悩みで。だから、時代モノなのにすごく現代的で、胸に迫るんですよ』と評価して頂きまして、私は平安時代の方しか考えていなかったため、アバターとボイスチャットの例えで現代的な問題として捉えて頂いて、なるほどそんな考え方もできるのか……! と、またしても目から鱗が落ちました。

 書いた人間以上に深く考えて頂いてありがたい限りです。


 歴史的な人物を扱った作品には初めてチャレンジしたのでドキドキしていましたが、概ね好意的なご感想を頂けて、ホッといたしました。

 これを自信にまた恐れず新しいことにチャレンジしていこうと思います。

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