第3話

 院長室というのは病院の中枢である。だから流石に入り口の様相も他の部屋とまったく同じにという訳にはいかない。扉の色味は他のものより深みのあるブラウンに染まっている。そして「お気軽にどうぞ」と、その後ろには星マークがついたプレートがかけられている。

 いやいや、こんなのかけられてもここの職員の中でお気軽に入れる人はいないと思うんだが。そんな感想を抱き目をしぼめながら種川は数回ドアをノックする。一拍ほど置いて「どうぞ」と一言なのに凄みを感じる声を聞き取ってドアを開いた。


「失礼します」


 正直に言うと他の病院の状況を種川は知らなかったが、少なくとも明光大学病院の院長室は殺風景な仕事部屋という雰囲気ではない。部屋の右側には壁一面の本棚とあふれ出そうな数の本がびっしりと並んでいる。対して左側には、きっと部屋の主の趣味だろう、真っ赤な中型バイクが我が物顔で鎮座している。確か種川が前に自慢話を聞いた記憶だとCBRと言っていたような気がする。素人目にもまあ、かっこよくは見える。

 完全に趣味に走った部屋のレイアウトだが、ここには患者は来ることはないし、何とかなってしまうのだろう。種川がそんなことを考えていると、部屋の主がパソコンのウィンドウからゆっくりと視線を動かす。

 白髪のオールバックで、眉間と口の脇に皺があるが、老化や疲労の証拠と言うよりも、傷や刻印にも見える。剣持賢治(けんもち けんじ)の容姿は病院の院長というよりはヤクザの組長といわれたほうが腑に落ちるようなものだった。


「やっと来たか、匠。何度も電話したんだがな」

「手術前カンファレンスだったんです。仕方ないじゃないですか」


 整理整頓された机は、院長のものだけあって深みがあり、艶やかな色をしていた。

 そこに近づきながら種川は言い訳を吐いた。


「悪いことは言わないからオレの電話くらいには出たほうがいいぞ? まあ、和ちゃんに言われたとは思うがな」

「……それで、おやっさんは何の用事なんです?」


 そんな質問をすると、剣持は小さく含み笑いをした。


「用事と言えば匠、なんだかお前のほうがオレに言いたいことがありそうだな?」

「ええ、まあそうですね……」


 あくまで冷静に。感情を押し殺しながら種川は続ける。


「俺が執刀予定だった食道切除再建術の件です。さっきの手術前カンファレンスで執刀医が俺から」

「――ダヴィンチと水上のコンビに変更の指示があった。そうだな?」


 剣持の話が耳に届いて、正直種川は言葉を失った。執刀医変更の判断は外科医長の独断だと勝手に思い込んでいたためだ。剣持が経緯を知っているということは、彼までの承認が済んでいる可能性が高いということだ。

 つまり、そうであるならば種川の思惑は既に破綻していることになる。


「……おやっさんは、知っていたんですか?」

「知っていたも何も、オレの指示だ」


 その言葉を聞いて、今まで押さえつけていた種川の感情があふれ出てきた。興奮して呂律が回らなくなりそうだったが、唾を一度しっかりと飲み込むことで震えを防いだ。


「オレの指示って……おやっさんはどういうつもりでそんな」

「オレはお前のことを息子のように思っている。それは間違いない。だが、同時にオレはこの病院の院長だ。全体最適を常に考えなければならん。お前の感情だけを優先する訳にはいかんのだ」

「だから、ダヴィンチなんてガラクタより俺の腕のほうが上なんです! 俺に今回の手術を任せてもらえれば、最高の出来に……」

「確かに匠、お前の外科医としての腕は全国でも指折りだ。オレが言うんだから間違いねえ」

「だったら」

「だが、だからと言ってダヴィンチよりもお前を優先する理由にはならん。ダヴィンチの開発・改善は政府からも指示を受けているこの病院における最優先事項だ」


 剣持は机に肘をつき手を組んだ。


「お前とはガキの頃からの付き合いだ。どういう気持ちでいるのかは多少なりとも分かってるつもりだ。だが、院長としてもう一度伝えよう。今回の手術は……いや、今後お前クラスの医師が担当する高難度の手術は全てダヴィンチが担当する」

「なっ……」


 全てってことは、それは、


「俺はもう――用済みってことかよ」

「違う! お前は、昔から極端過ぎる」


 剣持は額に手をあてて、重い息をついた。


「お前はここまでの医師に成長してくれて、それでオレは満足だった。だが……いろんな手術を任せすぎたかもな。俺のミスだったと思う」

「……何が言いたいんです?」

「用済みなんかじゃない。オレが言いたいのは、医者っていう仕事をもう一度見つめ直せってことだ」


 剣持が言いたいことも種川は何となく分からなくはなかった。だが、理性では理解できても感情で理解できるとは限らない。


「……まあ、結局綺麗事を言ったってダヴィンチの実験を推し進めたいだけなんでしょう? おやっさんほどの立場になればお上から言われることも増えてくるでしょうしね」

「否定はしねえよ。オレは何千といる従業員に飯を食わさなきゃいけねえ立場だ」

「じゃあ……じゃあ俺は、これから何を生きがいにやっていけばいいんだよ」


 やっと、やっとここまで技術を磨いて、自分の居場所を、人生をかけるものを見つけられたと思ったのに。


「どうだ、匠、オレの話は理解できたか?」

「ええ、まあ……一旦は」


 種川は言ってからふと考えた。剣持に対して初めて嘘をついたかもしれない、と。


「ならいい。変な気は起こすなよ、頼むから」

「善処します」


 これで二回目、になるのだろうか。


「匠の要件は以上か?」


 種川は静かに頷いた。


「ならば、オレからもう一件だ」


 そう言って剣持は机の中から少々質の良い厚紙を取り出した。それをゆっくりと机の上に乗せた。


「匠、人事異動だ。再来月から緩和ケア科に異動してもらう。今月中に引き継ぎ等を済ませて滞りなく異動すること。以上だ」

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