第2話

 カンファレンスルームを出た種川は足早に病院の中心部を目指していた。こう見えても種川は病院でそのまま寝泊まりする日があるほどには多忙だ。時間を惜しむように腕時計型パーソナルデバイスを確認すると『二〇五五年 九時三十分 通知・十二件』といった記載が。そう言えば何となくカンファレンス中、ブルブルとうるさかった気もする。




 指を横に振って、種川の貴重な時間を奪おうとする主の名前を確認する。




「院長、院長、院長、院長、飛んで鳴子、鳴子、鳴子……なんだよストーカーかよ。まあいいや」




 若干身の危険を感じたが好都合ではあった。種川の作戦は単純明快、外科医長で話がつかないのならその上、院長に話をつけてしまおうというものだった。幸いなことに種川は院長との関係性は良好、というより深い関係性だったため可能性は十二分にあるはずだった。少なくとも外科医長よりはましだろう。




 清潔感をアピールするためか、廊下は真っ白に装飾されている。病院は日本全国どこもこんな感じだ。結局のところ個性がない。そうなると病院はどこをアピールポイントとしてお客様、つまり患者へ見せるかというと設備か医者の腕のどちらかしかないだろう。あるいはどちらもか。


  結局のところ種川は病院にとって主力の商品、またはエースの営業マンのような存在ということ。きっと、きっと多少のわがままなら通るはずなのだ。




 そんなことを考えながら歩いていた種川の背後から声が届いた。




「ま、待ってください種川先生」




 まるでそよ風のようなか細い声は水上操のものだった。軽く息を切らしながら種川に駆け寄って肩にそっと手を添える。




「なんだよ操」


「僕の話を、聞いてくださいよ」


「話って、さっきのカンファレンスルームでの内容が全てだろうが」




 水上の手を払いながら種川は仕方なく振り返る。




「いやまあ、それはそうなんですが……ちょっと事情を」


「お前は今回の件、事前に聞いていたんだろう? 医長に名前を呼ばれたとき驚いた様子がなかったもんな」


「そ、それは……はいそうですが……」


「どうだ? 昔の指導医から仕事を奪う気分ってのは。気持ちいいか?」




 操にこんな台詞を吐くなんて……種川の心の一部が酷くざわつく。でも。理性では人間の感情は抑えずらい。




「ち、違います! そんなつもりは」




 ない、です。と最後は消えそうな弱々しい声で水上は口を閉ざした。


 昔は、そう昔の種川にこんな状況になるなんて話をしたとしてもきっと信じなかっただろう。種川は外科のエース的な存在で、水上はその指導を受ける研修医という立場だった。


 当時の水上はおとなしく、不器用で物覚えは多少よかったが外科向きではないなという印象だった。種川の目からみて今もその印象に変化はない。多少経験は積んだので腕は上がったとは思うが。




「ぼ、僕はただ種川先生に追いつきたくて、ただそれだけで……ずっと憧れだったんです。自分の腕一本で困難な手術をこなしていく種川先生が。だから」


「言っておくがな、あの手術の執刀医は俺だ。うさんくさいロボットなんかに俺の仕事を奪われてたまるかってんだ」


「ち、違います! 種川先生、訂正してください!」




 いきなりはち切れそうな声量で水上はしゃべりだした。うつむきがちだった顔もすっかり上がって、目には光と確かな意思が感じられる。




「何が間違ってるってんだよ」


「うさんくさいロボットじゃないです。ダヴィンチは、この国の医療の未来そのものなんです!」




 はあ、とため息を吐き、首を横に振りながら種川は語る。




「あのなあ、勘違いしているのはお前のほうだ、操。たとえお前の言うとおり例のロボットが優れていたとしてもあくまで執刀するのはお前じゃない、ロボットだ。お前はそれでも満足なのか?」


「満足です! 僕は、僕はダヴィンチと一緒に種川先生を超えたいんです」




 こんな水上は初めてみた。それが種川が抱いた正直な感想だった。研修医時代は正直医者には向いてない性格だからすぐに辞めてしまうのではないかと思っていたのに、




「俺にそんな自己主張ができるなんて、成長したな操」


「あ……い、いえ、こんなつもりじゃ……」




 さっきまでとは打って変わった課細い声。興奮したためずれたメガネの位置を直しながら水上は俯いた。




「世の中じゃ一般的に主義主張が対立した相手のことをなんて言うか知ってるか? 敵、っていうんだよ」


「……種川先生のお話を伺う限り、そういう関係性もやむを得ないかもしれないですね」




 時間の体感速度は人間の感情によって変わる。種川が水上とにらみ合ったのはたったの数秒、刹那であったが、二人の意思を確かめ合うには十分な時間だったかもしれない。




「――なーにをやってるんですか、お二人さん!」




 そう言いながら、種川と水上の間に入ってきた女性が一人。見慣れた看護師の制服、整ったショートボブにくりっとした瞳は鳴子和(なるこなごみ)のものだった。




「こんなところでケンカなんかして、患者さんに見られたらどうするつもりだったんです? 患者満足度が下がったら始末書ものですよ?」




 ぐぐぐっと鳴子は二人の間を門を開けるかのごとく引き剥がした。そして水上に柔らかく、うさんくさく笑いかける。




「水上先生らしくないですよ。そんな感情的になっちゃって」


「い、いえ、副師長、これはですね、その……」


「そう言えばさっき外科医長が探してましたよ? 例の食道切除再建術の詳細とかじゃないですかね」




 種川は小さく舌打ちをした。必ず上に話をつけて状況を変えるのだ。


 水上はハッとしたような顔をする。




「わ、分かりました。ありがとうございます。……種川先生もまた後で」




 そう言って水上は足早にカンファレンスルームに向かっていった。その背中を眺めながら鳴子はため息をつく。




「……で、なんなんですか? さっきの。手術前カンファレンスの件ですか?」


「てかあいつ鳴子に惚れてるよな、指導医歴三年の俺が言うんだから間違いない」


「うーん、水上先生はかわいいんですけどね、弟って感じというか……」


「それ、男が聞いたら一番傷つくやつだから、別の理由にしたほうが」


「頭の片隅には入れておきますよ。てかワタシの質問に答えてください」




 種川のほうに向き直って鳴子は腰に手を当てた。まあ美人だ。仕事大好き人間の種川には関係のない話ではあったが。


 外科病棟の副師長で種川の手術を何度もサポートしてきた中なので看護師としての実力は間違いない。種川にとっては頼れる相棒的な存在だった。




「まあ、そんなところだな」


「自分の仕事取られたから、その腹いせですか」


「ち、違うそんなんじゃ」




 あながち間違いではないが。




「まあ種川先生の気持ちも分からなくはないですけどね。ワタシもその立場だったら……でもあそこまではしないかな」




 あーあ、とぼやきながら鳴子は両手を頭の後ろに回した。その割には主張が少ない気もする。




「昨日までの種川先生はかっこよかったのになあ。さっきのはダサいですよ、先生」


「うるっせ、男には譲れないものだってあるんだよ」


「ふーん……、でも水上先生の頑張りもちょっとは認めてあげてくださいね? 水上先生そのために遅くまで残って色々やってたし」


「頭の片隅には入れておくよ」




 タンスにしまって、その奥から探し出せるかどうかまでは保証できないが。


 疑うように目を細めながら鳴子は口を開く。




「あと、院長先生が呼んでましたよ、何度も電話をしたけど繋がらないって」


「そう言えばさっき何度も着信があったな」




 全て無視をしていたが。




「悪いことは言わないですから院長先生の電話くらいは出た方がいいですよ? 看護部でも評判悪いんですから、種川先生には全然繋がらないって」




 へいへい、と言いながら種川は右手をひらひらと小さく振った。こう見えて忙しいというのが言い訳。




「鳴子の電話はその件か?」


「ええ、まあ」


「じゃ、院長室まで行ってくるよ。もともとそのつもりだったしな」




 そう言って歩き出した種川に鳴子は最後の言葉を投げかける。




「ちゃんと水上先生と仲直りするんですよー」




 まあ、善処します。と種川は心の中で一人つぶやいた。

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