完全無欠のカルテ

@T____T

第1話

手術前カンファレンスというのは種川匠(たねかわ たくみ)にとって基本的に退屈なものだった。




 液晶画面を鮮明にするためか薄暗く、殺風景なカンファレンスルームの中には関係する各科の医師・コメディカルスタッフ・看護師が集結している。それもそのはず、今回実施される食道切除再建術はそれなりの難易度の手術だからだ。合併症の危険もあり、最悪の場合は食べられなく、寝たきりになってしまう可能性も十二分にある。要は執刀する医師の腕によって大きく差が出てしまう手術ということだ。




 カンファレンスの中では手術実施時のリスク、注意事項等が細かく共有されるが執刀医である種川にとってはあまり関係がない。結局は自分が執刀し周りはあくまでもサポート、すべてが自分の責任で、そういう環境が好きだったしやりがいを感じていた。




 だいたい分かったから早く終わってくれよ、と種川が思いあくびをし始めたとき外科医長がおもむろに立ち上がり、軽く咳払いをしながらマイクを手に取った。




「えー、まあ今回の手術についての概要は理解してくれたと思う」




 話しながら医長は司会席に向けて歩き出した。最近太ってきたようでお腹がちょっと揺れている。


 司会をしていた副医長とポジションを変わるともう一度咳払いをしてから話を続ける。




「ここからが話の本筋だ。実は、今回の術式の執刀医は種川先生ではない」


「は、はあ?」




 思わずそんな素っ頓狂な声が種川の口から弾き出た。眠気も吹っ飛んだ。飛び跳ねるように立ち上がり、医長の前まで詰め寄りながら、




「いやいやいや、そんな話聞いてないですよ! 今回の手術は俺の担当だってずっと前からそういう話だったじゃないですか! てか俺じゃなければ誰に執刀させるおつもりなんですか!」




 種川が所属している明光大学病院は特定機能病院に国から指定されている。簡単にいうと認可前の先進的治療法だって患者へ提供することが可能ということ。そういう環境であるため、腕のある医師も多数所属しているがそういう医師は必然的に多忙だ。種川もそれに当てはまるが、偶然スケジュールが空いていたため、今回の手術を担当する……はずだったのだが。




「落ち着きなさい種川先生、順を追って説明するから……」




 医長はにじり寄る種川を右手で押しのける。何となくちょっと汗臭かった。




「あれですか、市川先生か谷口先生ですか? でもどっちもかなり多忙なはず……」


「結論から言うが……」




 そう言って医長は部屋の隅っこを指さす。




「今回の手術は水上先生に担当をしてもらう」


「は、はあ?」




 本日二回目のドラマの役者が出すような声が自然と出た。


 件の容疑者、水上操(みなかみ みさお)はばつが悪そうにゆっくりと立ち上がった。若干サイズが合っていないメガネの位置を直しながらゆっくりと頷く。




「しょ、承知、しました……」


「承知しましたじゃねえだろ、操」




 はあ、とため息をつきながら種川は首を横に振った。いやいや、医長の抜擢人事も尊重したいところだがここは順を追って説得をする必要があるらしい。そう思い種川はゆっくりと口を開いた。




「医長のお考えも分からなくはないですが、さすがにリスクが大きいと思いますよ? 操もまあ、そこまで腕も悪くないですし、経験を積ませたいという気持ちも分かりますが、今回の手術は難易度的に……」


「言っておくが、水上先生の指名は抜擢ではない」




 え? と種川は思わず口にしたかもしれない。予想が外れると人間は思わず言葉を失ってしまうらしい。


「種川先生、君よりも水上先生の方が適任だと私は考え、執刀医変更の話を進めさせてもらったんだ」


「いやいやいや」




 ははは、と乾いた笑いを浮かべ、種川は手を横に振った。


「医長、ですから今回の手術では抜擢人事は」


「種川先生は何か勘違いをしているようだが、水上先生は実際に執刀する訳ではなくサポートとして入ってもらう――ダヴィンチ、のな」




 正直なところ、水上の名前が呼ばれたとき種川の頭にはかすかに予感があった。




 ――ダヴィンチ




 何十年も前から開発・実用化が開始された医療用ロボットのことだ。昔はあくまで人間の手足の延長で補助的なロボットだったが最近は事情が違ってきている。CT、MRI、その他バイタルデータを入れてあげれば自立して動けるレベルにまで進化したと聞いている。だが、それも簡単な手術が限界で今回のような高難易度の手術には、流石に、




「ダヴィンチって、そんな、食道切除再建術なんて流石に」


「無理ではない」




 そう力強く医長は言い切って、水上に目配せした。水上は気まずそうに、静かに頷いた。




「ダヴィンチ・システムはここ数年でとてつもない進歩を遂げたんだ。多分種川先生は興味がなかったのか知らなかったと思うが」




 医長の言っていることは事実だ。ダヴィンチの進化なんて種川にとって興味がなかった。




「二十年ほど前、AIによるディープランニングを導入したまではよかったが効果的な学習をさせることができず壁にぶち当たっていた。しかし、それを克服できたのは水上先生の尽力があったためだ」




 その話は何となく聞いていた。種川はその話を聞くたびに水上に「機械いじりなんかしてる暇があったら」なんて話をしていたが、しかし現実は違ったようで、




「種川先生はなかなか納得できないと思うから、はっきりと言うがダヴィンチの能力は種川先生の技術と同等、もしくは局地的には上回っているという結論に至った。ゆえに今回の執刀医変更の決断をさせてもらった」


「……なんだよ、それ」




 ふざけるな! と叫びそうになった感情を種川は必死に押さえ込んだ。別に今回の手術はこれから多く実施する手術の一つでしかない。だが、そういう問題ではない。種川は医師免許を取得してからずっと手術の技術を磨き、多くの経験を積んできた。その点では誰にも負けていない自信は間違いなくあった。




 それがいきなりこんな話をされたら――お前はもう用無しだと言われているようなものではないか。




「もっと言うと、ダヴィンチは学習をするたびに進化する。対して種川先生……いや、人間の技術というのはいずれ衰える。……ここまで言えば分かってもらえるかな?」


「分かりませんよ!」




 種川はそう言って、司会用の机を叩きつけた。あふれ出る感情を抑えきれなかった。




「納得いきません。医長では話になりませんね」




 そう吐き捨てて、勢いよく踵を返す。併せて思わず舌打ちが漏れた。


 部屋の扉は最近改修が行われたためか、真新しく無機質だ。色はない。




「種川先生!」




 背中に医長の叫び声を浴びながら種川はカンファレンスルームを後にした。


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