〈十参〉星に願いを

 花蔵の胸の前で、その光は揺らいでいた。


 ともすれば一気に弾けてしまいそうになるのを、花蔵は必死で押さえ込んでいる。その光が白洲の顔を照らしていた。


 雨は天から地へと落ち続ける。光をすり抜け、ただいつも通りに。 


「ヤマトは元気だよ。僕は何もしていない。仲良くなっただけだ」


 穏やかな声だった。


 白洲は花蔵と距離をおき、身じろぎせず雨に打たれている。友永も時雨も、ぴくりとも動かなかった。


「ヤマトはどこ?」


「もうすぐ来るよ。花蔵が力をおさめないと、危なくて近づけない。『散』が危険なことは知ってるだろ?」


 白洲の言う通りだ。


 あの凝縮した力をこの距離で受けるとなると、体が吹き飛ぶことはないが、我輩の力は霧散しかねない。そうなると即座に老いぼれて死ぬ。


 それでいいのかも知れぬが、花蔵は泣くのだろう。


 ふと、体に感じる圧が緩んだ。


 花蔵の顔には迷いが浮かび、力は弾けることなく少しずつ流れ出してゆく。


 ゆらゆらとさざ波のように、淡い光とともにその力が拡散しはじめていた。


 それでいい。


 暴発しなければ「縛」の碑や魔法陣に影響はないだろう。ただ、この状態で彼女の精神力がいつまで持つか。気を抜けば即大惨事だ。


「良かった、花蔵。僕も手を貸すから」


 白洲が光へと一歩足を踏み出した。その口元がかすかに動き、彼の手の中のペンダントは輝きを放って宙へと浮き上がる。花蔵の目がそれを追った。


「花蔵様! 騙されてはいけません。彼は義治様の息子ですぞ!」


 ――ジジィ!!


「だめだ! 花蔵――」


 白洲の声と同時に、すべてが闇に包まれた。


 ――来る。


「ミヤビ! 来い!」


 雨音を切り裂くように白洲は叫び、風が吹き抜けミヤビの気配が一気に下降する。


 光の玉が花蔵の前にふたたび現れ、眼下の四人と、美しい一匹の猫を照らし出した。


「白洲錬曰く、地の精霊血の契約に依りて……………此処に結ばん」


 頭のなかに白洲の声が響く。


 ミヤビは四人を囲うように円を描いて駆け、その足元に五箇所、白洲は銀色に輝く何かを飛ばした。


 白洲の肩にミヤビが跳び乗るのと、花蔵の力が弾けるのはほぼ同時だった。


「花蔵!」


 無意識に叫び、我輩は地に向かって跳んだ。


 光、――真っ白に発光する花蔵の力は、ミヤビの描いた円の内に留まっている。


 花蔵、白洲、ミヤビ、そして友永と時雨。彼らの姿は光にかき消された。


「花蔵!」


 雨が、彼らのいる半球の光へと落ちていく。


 地を打つ雨の音、遠く車の走行音。何度叫んでも我輩の声は虚しく消えていった。


 呆然とその光を見つめ、我輩は何もできず、光に照らされた雨粒をただ全身で受け、ぶるりと体が震えた。


 志乃が、心配している。


 早く戻って花蔵を風呂に入れてやらねば、いくら馬鹿とて風邪をひいてしまう。


「……花蔵」


 このままではらちが明かぬ。地を踏みしめ光を見据えたとき、かすかに香辛料の香りがした。


「ヤマト、大丈夫だよ。花蔵は意識を失ってるけど、特に問題なさそうだ」


「みゃあう」


 声とともに、光のなかに人影が見えた。


 光は徐々に薄まり、その力が大地へと吸い込まれていくのを感じる。


 やがて姿を見せはじめた彼らはあまりに神々しく、我輩は言葉を失い、闇があたりを満たすまでじっとそれを見つめていた。


 白洲の腕に抱きかかえられた花蔵は、穏やかな顔つきで目を閉じている。その胸元に五芒星があった。


 地面に残るわずかな光、それは五芒星とそれを囲う円。花蔵が目を開けたとき、その光は大地と闇に溶けた。


「花蔵、気がついた? ヤマトが心配してるよ」


「ヤマト……」


 花蔵は白洲に体を預けたまま、ぼうっとした顔つきで我輩をその目に捉えた。


 無理もない。あれだけの力を放出したのだ。


 白洲の肩にのり、我輩は花蔵の頬を舐めた。


「花蔵。『散』は使うなと言っただろう」


「……うるさい、小姑」


 弱々しい声で悪態をつき、花蔵はふたたび意識を失った。


 白洲が漏らした深いため息は、安堵によるものだろう。


 彼も相当力を消耗したのか、呼吸にあわせて肩が大きく上下している。雨で濡れたその首すじからは、汗の匂いが立ちのぼっていた。


「ヤマト、彼らはどうする?」


 白洲の足元には友永と時雨が転がっていた。


 花蔵と同じように気を失い、このまま放っておけば肺炎にでもなりかねない。


 五芒星の円の内側にいた二人は花蔵の力をまともにくらった。おそらく、彼らのもつ紫宮の力は消し飛んでしまっているだろう。


「白洲、彼らの力は残っていると思うか?」


「多分、残ってないだろうね。何も感じない。仕方ないよ、花蔵の『散』をこの距離で受けたんだ」


「……そうか」


 あるいは、この結末は最善だったのかも知れない。力のなくなった二人に、あの書は何の意味もない。花蔵や「縛」の碑に何か仕掛けて来ることもないだろう。


 なにより、二人の本当の狙いを花蔵は知らずに済んだ。あくまで友永は我輩を助けようとしただけで、彼らの行為を裏切りとまでは思うまい。


「白洲、花蔵には友永たちへの疑惑は勘違いだったということにしてくれ。彼らには紫宮家から去ってもらうだけでいい。花蔵の心の穴を、無闇に広げる必要はない」


「ヤマトがそれでいいなら、僕は構わない。膿が出たなら僕の仕事に支障はないから」


 親父にも怒られないで済みそうだよ、と白洲は息を吐いた。


 みゃぁうとミヤビがひと鳴きする。ミヤビにすればまだまだ及第点とはいかないらしい。


「書に施した『縛』はどうするつもりだ、白洲」


「明日にでも解いて、本は受け取りに行くよ。なにせ僕は紫宮義治の息子だから。そしたら花蔵に返す。ただし、保管は厳重にしてよね」


「そうか、……あれは処分すべきかも知れん。本来存在してはならぬ物だ」


 任せるよと言いつつ、白洲はほっと表情を緩めた。


 物があれば、それを狙う者はいつか現れる。彼にとって、心配の種は花蔵だけで十分だろう。


「ところで白洲。義治は、紫宮に戻る気はないのだろうな」


 聞くまでもないことだが、聞かねばならなかった。


 言葉は、連ねた音の意味だけを伝えるわけではない。言外に込めた意図を、白洲はしっかり受け取ったようだ。


「帰ってきたら一度顔を出すように言ってみるよ。ヤマトが会いたがってたってね」


 我輩はふんと鼻を鳴らし、白洲の肩を蹴ってミヤビの隣に添った。


 見せつけるように体を擦り寄せると白洲は小さく肩をすくめる。ミヤビはその体をするりと離し、優美な跳躍で白洲の肩へとのった。


「みゃぁう」


 白洲の頬に体を擦り、すぐ地面に飛び降りて我輩の隣に舞い戻る。ミヤビからは白洲と同じ匂いがした。


「ヤマト、見た? ミヤビ、もう一回。もう一回こっち来てよ」


 白洲は無邪気な笑みを浮かべ、ミヤビは高飛車な視線で「みゃあ」と鳴いてそっぽを向く。


「白洲。花蔵とミヤビが似ているなら、ミヤビは素直じゃない」


「みゃあぅ」


「ああ、すまん、ミヤビ。嘘だ、怒るな」


 ははっと白洲が声を出して笑った。


 いつの間にか雨は上がり、雲の切れ間からわずかに星がのぞいている。あたりは清浄な気配で満ちていた。

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