第2話 咲蕾


 自分のことを妖精だと、自称妹は言った。

 両親ともに疑問抱かないあたり、現実離れした状況だ。

 到底信じられない――とは、不思議とならなかった。

 私は大きくため息をつくと、もそもそとパンを食べ進める。

 妹、咲蕾が顔を覗き込んでくる。

「あれ、もっとびっくりしないの?」

「……あのね。朝からやめてくんない?マジで。わけわからないけど眠いし、だるいし」

「お姉ちゃん、大変だね」

「あのね。てかアンタマジでなんなの。マジわけわかんないんだけど。お父さんとお母さん洗脳?とかしたわけ」

 段々と苛立ちが募ってくる。声が荒々しさを増す。

 そう言葉を投げつけているとスカートのすそをぎゅっと握り、うつむいた。

「憶えて、ないの?」

「……何を」

「私達、昔あってるんだよ。……急に来たことはごめんなさい。でも、少しの間だから」

 そう、弱弱しく話す。表情がころころ変わってせわしない子だ。

 警察に突き出してもいいがあの母と父の様子だ。変わらないかもしれない。

「全く。こっちだって忙しいんだからね。休日でも部活あるし」

 はっとして、テレビの時計を見る。時間は10時を回ろうとしている。

 やばい。遅刻する。そういえば今日は休日の部活日だった。

 田舎の小さい学校の、それまた小規模な美術部とはいえ、だ。遅刻はしたくない。

 今から急いでいけば間に合うか。

 急いで自室へ行き、着替えようとして踵を返した。

「ってあ~~~、こいつがいたんだった」

 咲蕾をみるときょとんとした表情で首を傾げている。

 わけのわからない妖精さんを家に一人で置いとくか迷う。普通に不用心だし。

 どうするか。少し悩んで、頷く。

「よし、あんたも来なさい。……まぁ見ず知らずでも見学とかなんとか言えば」

「あ、学校行くの?私も行こうと思ってたんだ。たのしみー」

 不気味だけど妙に憎めないこの子を、どうしたものかと頭を抱えていた。

 長い、一日になりそうだった。



 結論から言えば、学校へ行くなり咲蕾のことも友達は知っていた。

 もうここまでくればホラーだけれど、慣れってものは怖い。

 朝、両親があれだけ驚いた姿をみたのが良くも悪くも功を奏したのかな、とか。

「ほずみん。ねーほずみーん!」

「え、なに」

「なにじゃないよー。妹ちゃんさらにかわいくなってない?」

「あー……はは、アンタらがそうだと思うならそうじゃない?」

「なにその返事―ひどーい」

 友達が声をかけてくれるも、上の空だ。

 だってアンタらも私も今日初めて咲蕾こいつとあったばかりだし。

 離れたところで他の部員にポージングを取らされ、デッサンの練習台にさせられてる妹を見る。

 やたらめったら綺麗なことを除けば、普通に笑って楽しそうな女の子って感じだ。

 みんな笑って、楽しそうにしている。


 ――みんな、ばかみたい。


 するとこちらの視線に気づいたのか妹が手を振ってこちらへ掛けてくる。

 こっちくんな。

「こっちくんなって言いたそうだね」

「なに。心の中まで読めんの。マジでオカルトじゃん」

「いや顔に書いてあった。お姉ちゃん、楽しくないの? なに描いてるの?」

 咲蕾が興味津々、といった風に瞳を輝かせて私のキャンパスをのぞき込んでくる。

 キャンパスに描いていたのは花瓶に入った一輪の、オレンジ色の鮮やかな華。

「ゆり?」

「オニユリだよ。もう、いいでしょ。見世物じゃないの。あっちいってろ」

「綺麗だね」

 咲蕾は簡単に、そう呟いた。

 無邪気に、純粋に、何も考えてない。ただありのまま綺麗だって。

 不思議なやつではあるけれど誉め言葉は普通にうれしい。

「――ありがと」

「ほずみん、顔こわいよ。大丈夫?」

 そう友達に言われて、自分の顔がこわばっていることに気づいた。

 自分では笑っているつもりだった。絵のことを褒められたらうれしいものだ。

 そのはずだ。

 筆を握りしめている手が痛い。いつの間にか、オレンジの絵の具が手に垂れてきていた。

 じんわりと、べたつく、鮮やかな色彩。

「ごめん、洗ってくる」

 そう言い残して、部屋を出る。

 咲蕾はついてくるか、と思ったけれど私を一瞥してみんなの輪の中に戻っていった。


 部屋の外の水道で手を偉う。油絵具だからだろうか。色がにじんですぐ完全には取れてくれない。

 部室では笑い声が響いていた。

 バカ騒ぎする連中。絵のコンテストが近いというのに全く気にしていない。

 でも、彼女らの絵はどれも素敵で、綺麗で。

 賢しいフリして自分はフラストレーションだけがたまっていく。

 ――そんなとき、咲蕾がやってきた。

「なんなのよ、もう」

 咲蕾のことなんか覚えていない。

 でも、なつかしさを覚えているのも事実だった。

 夏の日差し、外を眺める。学校の裏山が見える。昔はよくあそこで遊んだっけ、とぼんやり脳裏に浮かぶ。

 ――私は誰と遊んでたんだっけ。

 熱気が窓越しに伝わってくる。手に当たる水が心地いい。

 でも、どうしてもこの心にたまった淀みは晴れてくれそうにない。

 あの子は私のことを妹だといった。

 何かを忘れている気がする。

 何か、思い出したくないものがふって沸いては流れていく。

「私、は……」

 窓越しに移る私の顔は朧気で、あの子なんかよりも今にも消えてしまいそうで。

 私は――。


「お姉ちゃん!」

 咲蕾の声で意識が戻る。すぐ横に咲蕾が心配そうな表情で佇んでいた。

 なぜか、少し安心している自分がいる。

「な、なに」

「……この後さ、裏山にいかない?」

「急になに。怖いんだけど」

「大丈夫。……少し、昔話するだけだから」

そうほほ笑んだ咲蕾はどこか懐かしそうで、楽し気で、哀しそうだった。

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この恋はオニユリのように ジョーケン @jogatuji

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