タンデムシートとオムライス

宇佐美真里

タンデムシートとオムライス

………。あれは半月前のことだ…。


「気持ち良さそうね!」

エンジンを切ってキーを抜いている処に、後ろから声がした。

片足を突き単車を降りながら、其のまま振り返る。


「あ…どうも」

一人の女性が其処に立っていた。

ランチによく行く店に、最近アルバイトとして入った女の子だ。

「いやぁ…。もう走っていると寒いくらいだよ」僕は言った。


単車に乗って、本当に心地良い気候は、

其れに乗らない人が思っている程には長くない。

もう此の季節、少し長めに乗っていると、もう寒いくらいだ。

グローブを外し、ヘルメットを脱ぎながら僕は訊いた。

「バイクに興味あるの?」

どうやら彼女は今からアルバイトらしい。

ランチの時間は、かなり混み合う店なので

色々と準備も大変なのだろう。


「うん。一度、乗ってみたいと思って…」

単車から離れ、僕は事務所へと歩き出す。

一緒に彼女も歩き出す。

「今度、後ろに乗せてくれない?」彼女は言った。

「メットを持ってないんだ…一個しか」と僕は、彼女の依頼を断った。

「あら、残念…」彼女は言った。


少しばかり素っ気無かったかな…とも思い、僕はひと言付け加えた。

「今日もまた、お昼に行くよ!」

僕は其う言って、ヘルメットを持った手を上げて

彼女と別れ、事務所のビルへと入って行った。


僕はオムライスが好きだ。

いや、僕に限らずオムライスが嫌いな人などいないのではないかと思う。

「何処のオムライスだって、大して変わりはしないさ!」と

かつて僕に言った友が居た。

勿論、其れが原因では無いけれど、次第に付き合いは減っていった。


オムライスの味の違いが判らないなんて…、

僕に言わせれば不幸でしかない。

其れくらい僕はオムライスが好きだ。


彼女のアルバイトしている、事務所の傍の小さな店…。

此の店のオムライスは、其んなオムライスに煩い僕の目にも留まった。

いや…、舌に留まったとでも言うべきだろうか。

余程の事がない限り…事務所に居る限り、僕は

ランチは、其処のオムライスを食べる。其う決めている。

一度、みんなにも食べさせたいような、

自分だけの秘密にしておきたいような、

其んなジレンマと戦いながら僕は、

ふわふわのオムレツとチキンライスを口に運ぶわけだ。


ランチの客でごった変えす店内を、

彼女は右に左へと、正に走らんばかりの忙しさだった。

しかし其の姿は溌剌としていて、見ていて気分が良い。

毎日の様に、オムライスと共にする僕の昼休み。

彼女と話すのは、


「いつものオムライス…でしょ?」

「そう」


此のふた言程度だ。

馴れ馴れし過ぎもせず、かと言ってよそよそし過ぎもしない、

微妙な度合いの親しみ易さ。

此の店のランチが混むのも判るような気がする。


午後の休憩で、たまにコーヒーを飲みながら

書類の整理に行くことがあると、もう少し話をしたりもするが、

其れも世間話にならない程度のものだった。

事務所の同僚は取引先との打ち合わせにもよく使うらしく、

其の後、彼女と話すこともよくあるらしい。

生憎と僕の相手にしている取引先は、事務所に遣って来ることも少ないので、

あまり打ち合わせには使ったことはない。



数日後…。同僚が僕の肩を叩きながら言った。

「彼女のお誘い断ったんだって?」

お誘いという程のことではないだろう。

「普通さぁ?メット持ってないから…なんて断らないだろ?」

呆れたように同僚は言った。

「さらっと断られちゃった…だってさ!」

やはり彼女にも、素っ気なく映ってしまったようだ。

「ははは…」僕は頭を掻いた。

「フォローしておいたからさっ!」

再び肩を叩きながら、同僚は自分のデスクへ戻って行った。


此処のところ、二三日あの店のオムライスは食べていない。

出先でコンビニ弁当を掻き込む…其んな慌しい日が続いていた。

今日もそうだ…。

午後の休憩に、久し振り…という程に期間を置いたわけでもないが、

僕は店の扉を開けた。


席に着くと彼女がお冷片手に遣って来た。

昼とは打って変わって、ゆったりとした店内。

「久し振りね?忙しかったみたいね?」

「まぁ…そこそこね」僕は答えた。


「聞いたわ。あなた、バイクの後ろには女の子乗せないんですってね?」

彼女が言った。

其の表情は凄い秘密を知っている…とでも云った表情だった。

僕は反対に顔を顰めた。

アイツが言ったに違いない。余計なことを言う奴だ…。


「ははは…。そんなことないさ。ただ一度も乗せたことはないけどね…」

僕はやはり頭を掻きながら言った。

「でも事実は違う。乗せないんじゃなく、乗る人が居ないんだ」


「乗せたことがない」という事実を、

酒の勢いで「乗せる気がない」と強がったことは…確かにある。

未だに奴は、其の話をよく持ち出す。


彼女は笑いながら、少し僕の方に屈み小声で囁いた。

「実はね、私もなのよ…」

其の表情はとっておきの秘密を打ち明ける…と云った感じだ。


「私、オムライスって得意なの。めちゃくちゃ美味しいんだから…。

それも、此の店のオムライスにも負けないくらい…。

でもね?誰にも食べさせたことはないのよ…。

どう?食べてみたいと思わない?私のオムライス?」


其んなことを言う彼女の笑顔は、悪戯っ子のようだった。


「ねぇ?私のとっておきのオムライスと引き換えに

あなたのバイクの後ろに乗せてくれない?」


面白いことを彼女は言った。

タンデムシートとオムライスの交換条件…。

「なかなか面白いね…」と僕は言う。

とりあえず、仕事の後にもう一度彼女と会う約束を、僕はした。


ふと考えてみる。

僕は彼女のことを何も知らなかった。

そう…、名前さえも知らなかった。


***


………。そして時間は今に戻る。


僕は今、彼女を待っている。

新しいヘルメットを買うために…。

そう…、彼女のヘルメットを買うために…。


そして今日、

僕は、いつものお気に入りよりも…、

何倍も美味しいと謂うオムライスをご馳走になるために

彼女の部屋にお邪魔する。



そう…、初めての彼女のオムライス。

彼女が初めてご馳走すると云う…オムライス。

恐らく其れは、今まで食べたどんなオムライスよりも………。



-了-

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タンデムシートとオムライス 宇佐美真里 @ottoleaf

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ