聖鳥、堕つ
金獅子帝国には、
帝国の夏はとかく
獅子の哭声は乾き切った帝国の大地に七日七晩の雨を
よって代々の皇帝は神話の中で、初代皇帝を金獅子の待つ約束の地へ導いたとされる白き鳥──
白禽とは名前のとおり純白の翼を持つ猛禽だ。冠のような
若き金獅子の
神なる獅子を讃え、眠れる
その音色に耳を傾けながら、やがて雲の白へ溶け込むように飛び去ってゆく鳥の背を、王女は茫洋と見守った。
己もいっそあの聖鳥のように、
「さあ、さあ。本日は神聖なる宴の席です。皆で天の恵みに感謝し、死によって別たれたすべての魂の再会を祈って神の血を掲げましょう。どうか今年も神なる獅子が親愛なる友と巡り合い、大地に祝福をもたらして下さるように」
すると今度は百官が
昨年の秋の実りに感謝を捧げ、今年も同等の恵みが得られるようにと、皇宮に蓄えられたありったけの食材を使って皇太后が昼餐を振る舞うのである。
もっともこれも本来は皇后の
七人の皇妃が揃って食事をするという、非常に
帝国へ嫁いできてから半年、王女も様々な祭事に列席したが、皇族が全員集って会食するというのは初めてのことだ。
次々と運ばれてくる宮廷料理に舌鼓を打ちながら、王女は末席からひそやかに皇太后と並んで上座に座る皇帝の様子を
皇帝の紫蘭宮への渡りが絶えて、およそひと月が過ぎようとしていた。
先月の茶会で皇太后に不調を知らせてからというもの、皇帝は公務を減らされ、しばし自宮で療養していたようだ。
というのも今日のこの祭儀の席で、居並ぶ家臣に
王女は恐れていた事態を自らの眼によって確信し、人知れずそっと嘆息をついた。
まだ前菜を
「ですが本日は陛下のお元気なお姿を拝見することができて安堵致しました。多忙を極めるあまりお体を悪くされたと聞いて、皇妃一同、長らく
ほどなく主菜の肉料理が運ばれてくると、最も上座に近い席に座す女が穏やかに言った。豊かな金髪を上品に結い上げ、真珠の髪飾りで飾った彼女は皇太后と並んで皇后の代理を務める第一妃である。熟れた果実のごとくたっぷりとした唇に、濃厚な女の色香をまとわせた才女だった。日頃から手堅く公務をこなし、皇帝を傍らで支える姿は、既に皇后としての自覚を遺憾なく発揮しているようにも見える。
実際、家柄的にも序列的にも、皇后の最有力候補と目されている女人だ。
ところが第七妃たる王女が給仕から最後の皿を受け取った頃、皇帝は玉座と見紛うほどまぶしい椅子の上で、ふてぶてしく鼻を鳴らした。
「ふん、たかが数日
「ほほ、左様に勇ましいお言葉を並べられるほどご容体が
と皇太后が微笑みながら告げた言葉が、
なぜかは分からないが、今、獅子の眼を直視すれば心を覗かれるような気がしたのだ。彼を殺すこと能わず、意気消沈している胸の内を。
そんな醜い本性を見透かされたくはなかった。ただひとり、かの獅子にだけは。
「無論、第七妃には感謝していますよ、母上」
瞬間、皇帝の口から紡がれた自らの号に心臓が跳ねる。
「おかげで退屈で死にそうな数日間を過ごすことができたからな。あんな
「まあ、陛下ったらまたご冗談を。そうおっしゃりながらも日々お国のために粛々と政務をこなしていらっしゃるではございませんか。私の父も常々、為政者としての陛下の才腕を絶讃しておりますのよ」
とすかさずおもねりの言葉を挟んだのは、全身をきらびやかな宝石で飾った第四妃だった。しなを作った声色は露骨な
はしたない、と思いながらも、しかし王女は彼女が話題を逸らしてくれたことに感謝し
ところが、王女がそうして宮廷料理人の技術の粋を味わっていた刹那、
「──きゃあああ!?」
突如天幕の下に
何事かと目を丸くすれば、ちょうど第四妃と第五妃の席の狭間に、純白の翼がけたたましく割り込んできたのが見える。かと思えば白き羽毛の下から覗く鉤爪が、第五妃の皿を飾っていた肉をしっかと掴んだ。誰も見紛うはずがない。
皇族勢揃いの席をものともしない
「いやっ」
突然の出来事に取り乱した皇妃たちは、聖鳥の野生を秘めた
王女はその、あまりに威風堂々とした猛禽の姿に見惚れてしまった。
他の皇妃らのごとく悲鳴を上げて逃げ惑うことも忘れ、蒼天を
まさに神話の世界から現れた聖なる鳥だった。初めて間近で目にする白い羽毛は
ところが聖鳥はよほど腹を空かせているのか、己をじっと覗き込む王女をしばし見つめるや、やがて白布のかかった食卓の縁を跳ねるようにして近寄ってきた。王女の皿にはまだ肉が数切れ残っているのを目に留めて、ねだりに来たようである。
「まあ」
いかにも猛禽らしい
もとより
ゆえに王女は白禽を恐れなかった。ただ餌を欲してクルル、クルル、と鳴くさまに愛着を覚え、食叉で刺した肉を差し出してみる。
すると白禽は喜んで翼をばたつかせ、食叉の先から器用に肉を引き抜いた。
まるで親鳥に甘える雛のようだ。両翼を広げれば人間の幼子すら覆い隠してしまえるほどの、立派な
「だ、第七妃殿下、お早くお逃げなさいませ! 危険ですわよ!?」
「いいえ、ご心配には及びませんわ。だってご覧になって下さい。こんなに人に狎れて、愛嬌すら振り撒いているというのに」
怯え離れた皇妃たちに微笑み返しながら、王女はなおも餌づけの手を止めなかった。白禽があまりに嬉しそうに肉を
「あらあら、なんてこと。今年の聖鳥は第七妃殿下をずいぶんお気に召したようですわよ、陛下」
「……いくら祭儀用に育てられたとは言え、狎れすぎだな。聖鳥としての威厳などあったものではない。おい、誰か神祇官を呼べ。さっさとあの腑抜けた鳥を……」
愉快そうに扇を広げた皇太后の言に、眉を
が、王女がそんなふたりの様子に気を取られた直後、白禽が突如
苦しげな声に驚けば、次いで白禽は甲高い悲鳴と共にひっくり返った。
中途半端に翼を広げたまま腹を見せ、全身を
「どうした!?」
再び天幕の下が騒然となった。王女は今、眼前で何が起きているのか理解が及ばず、ただ
そうこうするうち、白禽が嘴の端から泡を噴き始めた。
まさか自らの与えた肉で喉を詰まらせたのかと思い、慌てて席から立ち上がる。
「おい!」
ところが
「へ……陛下、お放し下さい! え、餌を、私が与えたものを吐き出させてやらないと……!」
「触れるな!」
するとその瞬間、白禽がくぐもった声で鳴き、嘴から鮮血を溢れさせる。
漂白された王女の意識が一切の思考を塗り潰した。
何が起きたのか分からぬまま身を硬くしていると、血を吐いたのを最後に白禽の痙攣が止まり、ぴくりとも動かなくなる。
「……近衛騎士は今すぐすべての料理人と給仕と毒味役の身柄を拘束し、獄舎へぶち込め。──第七妃の食事に毒を盛り、聖鳥を殺めた者がいる」
やがて耳もとで聞こえた金獅子の低いうなりが、王女には遠い世界のもののように感ぜられた。聖鳥の純白を穢す赤い
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