第76話 人殺しと、妖怪殺しと

 玉藻前の件があってから、数週間が過ぎた。


 「早いもんだな」

 磐船が手に持ったグラスを眺めながら、しみじみと呟いた。グラスの中の焼酎に浮かんだ氷に、シックな照明の光が反射している。


 ここは辰宮のバーだ。時刻は夜中の十時過ぎ。磐船はいつものようにカウンターのスツールに腰かけている。


 「でも、昨日のことのように思い出せますよ。たぶん、一生忘れられないでしょう」

 磐船の隣に座っている印付が答えた。あの日重傷を負った印付であったが、辰宮の能力もあり、順調に回復をした。現在では退治屋としての仕事にも支障なく復帰できている。印付の前にはいつものようにライムが飲み口に差された瓶ビールが置かれている。中身はほとんど減っていない。


 「こうやって皆ここに集まれているのも、何だか不思議な感じだね」

 カウンターの奥にいつものように立っている辰宮が言った。物思いにふけるように斜め上を見上げている。頬の傷も、皆を治癒するために自ら切り付けた掌の傷も、跡が残ることもなく治っている。血を使用した治癒の術を自身に使えずとも、元々の自然治癒力が通常の人間に比べて高いのだ。それでも後遺症どころか傷跡も残ることなく、こうしてバーカウンターに立っていられるのは、奇跡的とも言える。


 「ええ、辰宮さんがいてくれたからこそですよ――見てください。殺生石のことがニュースになってます。御伽さんたち、上手くやってくれましたね」

 印付の隣に座っている颯が言いながら、操作していたスマートフォンの画面を皆の方に向けた。颯も印付と同じくかなりの怪我を負った身だ。辰宮に対する感謝は相当なものだろう。


 颯が皆に向けたスマートフォンの画面には、ネットニュースのページが表示されていた。


 『九尾の狐伝説 殺生石割れる 凶兆? 吉兆?』


 記事にはそのような見出しの後、真っ二つに割れた殺生石の写真が載っていた。場所は元々殺生石が鎮座ちんざしていた所へ戻されていた。


 「コメントも結構ついてますよ。封印が解かれたんじゃないか、とか。いや力を失ったんで割れたんだ、とか。観光ついでに見に行きたい、とか」

 颯がスマートフォンを手元に戻して画面をスクロールした。写真の後には殺生石の伝説の概要や町の住民へのインタビュー、そして有毒ガスの噴出による封鎖が近日解かれることなどが載っていた。どれもごく普通の内容だ。そして記事を読んだ人々の、何気ないコメントの数々。


 「あんなことが起きたなんて、誰も想像もしないだろうな」

 磐船が言いながらグラスに口を付けた。あれだけの戦闘が起きた場所であったが、現地で薬莢が発見されたり、血だまりが発見されたりといった記事はない。それらの後始末は御伽たちによるものだ。殺生石を元の場所に戻し、戦闘の痕跡も始末する。決して簡単なことでないが、卒なくこなしてしまうのが御伽の性格や能力を表している。


 「そうだな。それで良い」

 現が言った。いつものテーブル席に座っている。手には以前源の祖母の家から持ってきた古書。それをペラペラと早いペースでめくっている。現も決して玉藻前との戦いで負傷しなかった訳ではない。特に幻術では、現自身のそれを上回る大きなダメージを与えられた。ある種、肉体的なダメージよりも深刻だ。それでも、今この場に座っている現の様子はそんなことがあった疲労や憔悴しょうすいを感じさせない。タフな雰囲気が漂う、いつもの現の姿だ。


 「なんだか、夢でも見ていたような感じがします。私は」

 ぼんやりとした口調で言ったのは源だ。現から見てテーブルを挟んだ対面の席に座っている。視線は目の前のテーブルの上に落とされていた。事件のショックからまだ立ち直れていないことが見て取れる。この数週間の間に、源は現から玉藻前の事件に関わる様々なことを聞いていた。


 一つ目は刑部について。刑部は玉藻前も口にしたように、隠神刑部いぬがみぎょうぶという妖怪の血を引いていた。隠神刑部というのは四国に存在していた化け狸だ。狸の妖怪にまつわる伝承は日本各地に残っているが、その中でも隠神刑部は日本三大狸に数えられるほど、強力な妖気を持っていたと伝えられている。配下には数多くの化け狸がいて、彼らを率いる総大将でもあった。どのような経緯があったかは不明だが、その一族の血がいつか人間に混ざった。そして刑部自身が言っていたように、その遠い先祖である妖怪の力が偶然にも強く現れたのだろう。その力を使えば狐狸妖怪のみならず、他の妖怪の行動をも操れたのは源も散々見たことだ。


 二つ目は御伽のこと。あの時御伽たちが援軍としてやってきたのは想定されたものだったということ。殺生石へ向かう車内での現と御伽とのやり取りの中で、そのように打ち合わせていたらしい。退治屋たちが武装されたヘリコプターすら所持しているというのは驚愕きょうがくだが、あの時点ではどのような展開になるのか想像もつかなかった。それでも先を見越し、ヘリコプターをも持ち出してきた現と御伽の先見力は流石のものだろう。さらにヘリコプターが到着するのに合わせ、玉藻前に幻術をかけたのは、打ち合わせたものではなく現のあの場での判断だった。少しでもタイミングや術のかけ方が違っていたら、玉藻前に攻撃が通じていなかった可能性がある。現や御伽たちの手腕もあるが、幸運に恵まれた結果だ。


 源がぼんやりと思いを巡らせていた時、バーのドアが開いた。いつものように、綺麗なベルの音が鳴る。


 「いらっしゃませ」

 「やあ。遅くなってしまったな」 

 バーに入ってきたのは御伽だった。そのままテーブル席まで歩いてくると、源の隣に座った。事件の後、多忙だった御伽と皆が揃って顔を合わせるのは初のことだ。


 「何か飲みますか?」

 「そうだな。何かいただこうか」

 辰宮の問いかけに対し、御伽が答えた。


 「御伽さん、この前は助かったぜ。改めて礼を言う」

 磐船がスツールを回転させて御伽の方に向きながら言った。合わせて印付と颯も同じように御伽の方を向いた。


 「構わん。それが仕事だ。事後処理も何とか済んでひと段落だ」

 御伽がネクタイを緩めながら言った。


 「俺もあの時は疑って悪かったな」

 「問題ない。疑い深くなるのも長生きのコツだ。この世界では」

 現の言葉にも御伽が変わらない口調で答えた。あの時と言うのは『磯女』たちと戦った後のことだ。現は御伽が事件の首謀者ではないかと考えたが、それが事実では無くて良かったと誰もが思っていた。


 間もなく、辰宮がグラスを持ってきた。丸い透明なロックアイスが浮いた、琥珀色の酒が入ったグラス。ダブルのスコッチウィスキーだ。それともう一つ。以前源が初めてこのバーに来た際、作ってもらったものと似たカクテルも持ってきた。ウィスキーを御伽の前に、カクテルを源の前に置く。


 「あの、辰宮さん、これ」

 「今日は明香里ちゃんも飲みたいんじゃないかと思ってね」

 源に対して、辰宮が微笑みながら言った。二つのグラスをテーブルに置いていくと、そのまま辰宮はカウンターに戻った。今回はノンアルコールではないようだ。


 「で、その後何か変わったことはあったか?」

 「ああ。今日はそれを皆に話そうと思ってな」

 現の問いかけに対し、御伽が答えた。一呼吸置き、喋る前に口を湿らせるように、オンザロックのウィスキーを一口飲む。


 「まず、殺生石についてだが、どうやら今回も玉藻前を完全には退治できてはいない――まあそれは皆分かっているだろうな。数百年前に討伐されたときと同じように、ただ殺生石という存在に変化して眠りについただけだ。真っ二つに割れた分、力はかなり弱まっているようだが、それでもそのままならいつかはまた復活する。遠い未来のことではあるが」

 御伽の言葉を皆黙って聞いた。それぞれ色々と考えるところはあるだろう。源も改めて玉藻前という妖怪の力の強さを感じた。今回は様々な幸運も重なって玉藻前を倒すことができた。それでも退治ではなく、封印しただけだ。また再び数百年かその後に、力を蓄えたら復活するということだ。それに、玉藻前に突き刺した短刀は、あの時ブローニングの銃撃によって粉々に砕け散ってしまった。玉藻前に通用する武器が失われてしまった形だ。


 御伽はもう一口ウィスキーを飲むと続けた。

 「それから、あの後二つに割れた殺生石を調べて分かったんだ――と言っても調べたのは私ではなく、別の退治屋だが――殺生石には二つの強い霊力の痕跡が感じられたそうだ。一つは源君のもの。それは当然だ。短刀を突き刺したんだから。もう一つは、だったそうだ」


 「えっ?」

 源は、思わず困惑の声を上げた。自身が思っていたより大きな声が出てしまった。刑部の。その意味が分からなかった。


 「おそらく狐狸妖怪に効果のあるたぐいの術を掛けたようだ。彼自身が狸の妖怪である以上、そういった術に関しても詳しかったんだろうな。それがなければ、たとえ源君の短刀があっても玉藻前は倒せていないかもしれない。ブローニングも効果がなかったかもな」

 「そんな術を掛けるタイミングなんて――」

 源は言葉の途中で、刑部の妖気を玉藻前が吸収した光景を思い出した。その際、刑部が何か力なく呟いたことも。もしそれが、その術を掛けるための行動だったとしたら。


 「玉藻前に妖気を吸収された時だろう。気付かれることなく、妖気に自身の霊力も紛れ込ませるように、術を掛けたんじゃないか? 隠神刑部の末裔だ、そんな芸当もできたのかもしれない。玉藻前の慢心のせいもあるかもしれないが」

 磐船が言った。源と同じことを考えていたようだ。強力な霊力を持つ磐船の言葉だけに、その説は信用できそうだった。

 

 「でもなんで、そんなことを……」

 源が疑問を素直に口にした。術を掛けた方法より、何故刑部がそんなことをしたかが気になった。刑部にとって玉藻前は、崇拝の対象と言っても過言ではない存在だった。何故、刑部が玉藻前に敵対するような行動をしたのか。


 「正直に言うと、それはさっぱり分からない。急になぜそんなことをしたのか。刑部にも、玉藻前にも、もう聞くことはできないからな」

 御伽が首を振りながら言った。


 「玉藻前が自分を見限って、妖気を奪ってきたことへの報復でしょうか?」

 「玉藻前を復活させたことが急に恐ろしくなったとか?」

 颯と印付が自信なさげに言った。誰から見ても、不可解な行動だ。


 「もしかして、刑部さんの行動も全て最初から玉藻前に操られてたとして――」

 源はそこまで言ってゾッとして口をつぐんだ。きっとその可能性は限りなく低いだろう。いくら玉藻前と言えど、そこまでのことはできないはずだ。それでも悪い想像をすることを止められなかった。まだ殺生石と化していた玉藻前が、遥か遠い土地からテレパシーのようなものを飛ばして刑部を操ったとしたら。殺生石の欠片を探させるように、まるで催眠術のように人に暗示をかけられたとしたら。その対象に選ばれたのが狐狸妖怪の血を引いていた刑部だったとしたら。そして最期に、正気に戻ったのだとしたら。


 ――なら私は、妖怪に操られていただけの、信頼する上司を殺した、人殺しじゃないか。


 「……きっと、源が考えていることの可能性は低い。玉藻前でも流石にそこまでの芸当はできないはずだ」

 沈痛な面持ちで物思いに沈む源を正気に戻すように、現が言った。源はハッと我に返った。いつもの淡々とした口調だ。それが本心なのか、源をなぐさめるための方便なのかは判断がつかない。


 「颯や印付が言った可能性の方が高い。死にぎわに、錯乱しただけってこともある」

 現が、いつの間にか閉じてテーブルに置いた古書に視線を落としながら言った。


 「勿論、源の言ったことの可能性もゼロって訳じゃない。妖怪ってのは分からないんだ。あやしいあやしいと書くように、なんだ」

 現が古書から視線を上げ、源を見ながら言った。

 

 ――いつの世にも強い人間は居るものだな――

 源は玉藻前の今際いまわきわの言葉を思い出した。それは現たち一行のことのみを指していたのだろうか。例えば、思いもよらない霊力が体をむしばんでいることにその時に気が付いたのだとして。思うままに操っていた人間が、最期に反撃をしてきたことに驚いて出た言葉だとしたら――


 源はそれ以上考えるのを止めた。いくら考えたところで、真実は分からない。現が言うように妖怪に関わる事象というのは、分からないことが普通なのだ。古来から人間は、その分からなさを恐れてきたのだ。


 「それと、これをどうするか話し合わないといけない」

 御伽が言いながらテーブルの上に箱を置いた。それほど大きくなく、鈍く銀色に輝く金属製で頑丈そうだ。


 「それはもしかして……」

 「ああ。殺生石の欠片だ」

 辰宮の言葉に御伽が返した。殺生石が割れた際、こぼれた破片が収められているのだろう。


 「割れた殺生石の片方をどこかへ移すって手もあったが――まあ観光名所だから対処は大変だが――それだと妖怪たちにも場所がばれやすい。今後また玉藻前の復活を目論む者が現れるかもしれない。それよりはこうして欠片をどこかに隠す方が良い」

 「これまでの、欠片の守り手と同じようにだな」

 御伽の言葉に現がうなずきながら言った。

 

 「それで、それには源君の協力も必要になってくるんだが……」

 御伽が少し歯切れの悪い口調で言った。欠片を探し出せる術を使えるのは源だけだ。欠片を秘匿ひとくし、どこかに封じ込め続ける役割には、源の力は必要不可欠だ。それでも御伽も強くは言えない。玉藻前と刑部の件が、源に強くトラウマとして残っていることは重々分かっているからだ。


 「源。自分で決めてくれ。もし無理なら俺たちで何とかするから気にするな」

 現が言った。いつものしゃがれ声の中に、優しい声色が混ざっていた。


 御伽や現だけではなく、全員源の心中を察していた。そもそも妖怪や退治屋という世界に入り込んでしまっただけで相当衝撃的な出来事だ。それから息をつく暇もなく、大事件に巻き込まれた。さらには妖怪と化してしまった上司を手に掛けたこと。これ以上、源に負担をかけることはできないと、誰もが考えていた。この世界から退いて、通常の警察官としての職務に戻った方が良い。


 源は考えていた。短刀が無くなった今、霊力をコントロールする術も身に着けていかなくてはならない。現たちのように銃器を使いこなせる訳でもない。それでも、霊力の素質がある以上、この世界から去ってはいけない。妖怪が関わる事件に関わっていく、義務があると。


 「……いえ。私にもたずさわらせてください。刑部さんのためにも」

 源はきっぱりと力強い口調で言った。


 刑部は、人間に害をなすおどろおどろしい妖怪であり、尊敬し信頼できる人間でもあった。そのどちらもが正しい。源は、人であり妖怪でもある者を殺した。その出来事も乗り越えて、この世界に関わっていく決意を、源は固めていた。


 「……そうか。ありがとう」

 御伽が言った。多くの言葉は発しない。それでも、御伽なら源の心中を良く理解してくれているという安心感があった。


 「分かった。改めてよろしくな」

 現が言った。現に続けて、皆も源に声を掛けてくれた。磐船と印付はそれぞれグラスと瓶ビールを掲げて乾杯のしぐさもする。


 源はそこで初めてカクテルを手に取った。淡いオレンジ色の綺麗なカクテル。源は最初にこのバーを訪れた時のことを思い出した。明るい世界から、薄闇の世界へ足を踏み入れた感覚。


 これからもこの薄闇の世界で生きていく――


 源はカクテルに口を付けた。爽やかな、甘みと苦みが混ざった香りが口内を満たした。

 

 


 


 

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妖怪殺しと、人殺しと、その両方と 金子エンシュー @awaumi

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