深山にも花灯り

べるえる

桜瀬亜樹は暁に死す

「桜瀬亜樹には死んでもらう事になります」


 羽瀬斎宮いつきの一言はまさに青天の霹靂へきれきであった。

 

 時は慶永七年六月某日。

 深谷制圧作戦を終えた花守達の疲れを労う為にと、依花陛下の恩賜おんしにより慰労会が花霞かすみ邸にて行われた。

 作戦からの生還を祝って、花守たち一人一人に気さくにお言葉を賜る。

 そんな和やかな雰囲気の中で、亜樹が依花陛下へ陳情した


『霧原灯花と結婚させて下さい』

 

 という何ともトンチキな内容に、依花陛下は暫し沈黙するのだった。

 依花様の様子にあたりは一瞬にして、おごそかな雰囲気に包まれる。

 体感温度で言えば、氷点下ぐらいに依花様の側近達の空気が凍りついた。

 いくら周りの空気に疎い亜樹でも『あ、何かやってしまったっぽい』という事ぐらいは察するのだった。


「今更、確認する事では無いのですが……」


 依花陛下はいい淀み、やがて意を決する様に亜樹を見上げた。


「桜瀬は男だったのですか?」

「いいえ、違います。女です」


 亜樹の言葉を咀嚼する様に目を瞑った後、依花陛下は近くで葡萄ジュースのグラスを持ったまま、硬直している霧原灯花の方を一瞥した。

 霧原の娘は、このタイミングでの亜樹のカミングアウトについては予想だにしていなかったらしく、笑顔のまま刻が止まってしまっている様だった。

 背丈も高く些か男気のある亜樹とは違い、髪は短く切ったようだが、灯花はひと目見て分かる女性的な身体的特徴を備えている。

 第一、霧原灯花が男であれば、春雪殿が霧渡りを継ぐ事も無かったであろう。

 影で霊境の監視役を担って来た霧原家の事情については、依花陛下の耳に届いている。

 今までの情報を整理すると、桜瀬亜樹は霧原灯花と女性同士だが愛し合っているので、結婚を切望しているという結論に、依花陛下はやっと至るのであった。


「ああ、そう」 

 

 霊脈を重んじてきた花守の伝統と、現状の夕京五家の崩壊をかんがみれば、霧原家最後の娘と櫻花神社の巫女の血が受け継がれる事が無いという宣言は、依花陛下にとっても遺憾いかんではある。

 だが、刀霊の件とはいえ愛する者同士の道を違えさせた結果、起きた悲劇が大霊災なのである。


「桜瀬亜樹と霧原灯花の婚姻は生駒を折ることとなった、みそぎとなるでしょう。羽瀬、よきに計らいなさい」

「……はっ。御意にございます」


 羽瀬も理解が遅れたのか一瞬返事に間があったものの、うやうやしく頭を垂れ、依花陛下の言葉に従うのだった。

 依花陛下は目を細めて微笑むと、亜樹に『お幸せに』と仰られた。

 

 それなのに、慰労会を終えて羽瀬から発せられた一言が冒頭の死刑宣告なのである。


「私に死ねと言ってるんですか?」

「それ以外の言葉に聞こえたのでしたら、私の言い方が悪かったのでしょう」

 

 応接室に呼ばれた亜樹の質問に、羽瀬は静かに答えた。


「羽瀬様、それは現世では結ばれる事が許されないので幽世で亜樹と幸せになれという意味ですか?」


 同じく応接室に同席した灯花が、声をやや荒げて机を叩いた。


「霧原、落ち着いて下さい。死んでいただくのは戸籍上の話です」

「戸籍上。どうしてそんな事を?」


 まだ納得がいかない様で、灯花の頬は少し膨れているものの、羽瀬の話を聞くために椅子ソファーに腰を下ろした。


「お分かりだとは思いますが、日ノ国の現在の法律ではお二人の婚姻をすることが不可能です」

「……確かに」

「そうですね」


 亜樹と灯花は二人で言葉をつづる様に呟いた。

 あくまでも依花陛下のご意向に従ったまでの事で、羽瀬には二人の関係を詮索するつもりなど更々無い。

 ただ、声を無意識に揃えている様な姿を見ると、お互いの信頼関係は深いのだろうとそれなりに理解する事はできた。

 

「そこで深谷制圧作戦の折、桜瀬亜樹は深山の霊境付近で瘴気に巻き込まれて行方不明。探索を行ったものの発見できず、死亡扱いという形で手続きをします」

「おー」


 自分が死んだ扱いにされるのに、亜樹は呑気に返事をする。

 

「亜樹の死を偽装するという事は分かりました。それで、何が変わると言うのですか?」

「はい。亜樹には深山にて、記憶喪失で発見された身元不明の人となって貰います」


 灯花の質問に羽瀬が答えると、あまりにも突拍子もない話に亜樹も呆けてしまうのであった。


「えっ、記憶喪失ってそんなのすぐに出来ないし、名前を変えて隠れて暮らせって事?」

「落ち着いて下さい、亜樹。これはあくまでも書類上の手続きです。名前は変わりません……いや失礼、変わりますね」


 羽瀬は眼鏡を指で正したあと、持っていた鞄から書類を取り出して机に並べた。


「就籍手続きを行った後に、亜樹に霧原家の籍に入って貰います。形としては養子縁組ですが」

「養子縁組。え、つまりそれは……」

「灯花、あなたが母になるんですよ」


 羽瀬の言葉に亜樹が思わず吹き出した。


「灯花おかあさん……」


 灯花がお母さんって、ちょっといいかも知れない。ほわほわと想像してニヤけている亜樹。


「もう、亜樹ったら。何考えてるの」


 なんか浮かれている亜樹に、灯花は唇を尖らせた。

 桜瀬亜樹とはこんなフニャフニャした人物だったのか?

 羽瀬は普段とのギャップにいささか動揺しつつも、話を続けるのだった。


「勿論。それもあくまでも勿論戸籍上の話です。現状で出来る限りの便宜を図ったつもりです」

「羽瀬殿、それなら籍だけでも私を男にすれば、灯花と結婚できたりしないだろうか。だめ?」

 

 頭の悪い質問をされて、羽瀬はため息をついた。


「そんな事をして男として過ごさなければならない方が亜樹は将来苦労する事になるし、最悪の場合には戸籍が抹消される危険もあります。一時期の満足の為に未来を捨てるのですか?」

「そうだよ。亜樹は亜樹らしくいて欲しい。一緒になるために我慢するのは違うと思う」


 いい案だと思って言ったのに、ぐうの音も出ない程の正論で説得された亜樹は、ただ一言『はい』と返事をするのだった。


「話が逸れましたね。それでは改めて就籍の手続きを。そして霧原家の籍に入る手続きも済ませましょう」


 くして。

 桜瀬亜樹は深谷制圧戦の戦死者に名を連ね、養子縁組を終えた亜樹は晴れて霧原の姓を名乗る事となったのである。

 日が暮れた頃、諸々の手続きを終えて灯花の家に帰ると、ちゃぶ台でお茶を飲みながら二人で一息ついた。


「今日から私は霧原って名乗って良いんだね」

「うん。花冠を亜樹が被った時に霧原になるって言った時は、びっくりしたけど」

 

 お茶を一口啜り。

 深山で見つけた、枯れない不思議な白と赤の花の冠。

 瘴気の疵を癒やす効果があるとの報告があり、どちらかが被ろうと編み込んで一つにしたのも少し前の事だった。

 譲り合いの末に花冠を被った亜樹が、真面目な顔で宣言していた話は現実になったのだ。

 あの花冠には願いを叶える力があったのかも知れないと、灯花は感慨深く思う。 

 

「灯花、おかあさん……だっこ」

「亜樹。次に言ったら怒るよ」

「はい。ごめんなさい」


 甘えようとしてたしなめられてションボリする亜樹に、灯花は仕方ないなあと微笑んだ。

 

「でも、亜樹が本当の家族になってくれて嬉しいよ」

「えへへ、私も嬉しい」

 

 亜樹もお茶を啜りながら、幸せを噛み締めて微笑むのだった。


「櫻花神社に戻ったら、私は死んだことにしといて、ってお父様とお母様に伝えてくるね」

「それは、亜樹が両親に説明すると混乱するんじゃ無いかな。私も一緒に行って話をするよ」

「そう?それなら、そうする」

 

 灯花の言葉に素直に頷く亜樹だった。



「慰霊碑に自分の名前があるって、何だか不気味だよね」


 時は巡って七月の某日。

 大霊災によって倒れた花守の名を刻む慰霊碑を見上げながら、亜樹はぼんやりと呟く。

 灯花は買ってきた花束を慰霊碑の前に添えて、しゃがみ込こむと静かに手を合わせた。


「ふふ。亜樹が本当に死んじゃうのかって、あの時はびっくりしたよ」

「お父様もお母様も、事情を伝えたら複雑な顔してたもんね。真樹はあんまり驚いてなかったなそういえば」


 亜樹が首を傾げるのを、灯花は楽しそうに微笑む。


「真樹くんは察しが良かったから、前から気づいてたんじゃ無いかな」

「なるほど。真樹、なかなかやるな」

 

 亜樹の言うとおり、真樹は非の打ち所のない 良くできた弟であった。

 真樹は灯花に改めて頭を下げ。


「灯花姉さま、姉さまを宜しくお願いします」

 

 と言われた時には、気の引き締まる思いがした。

 亜樹と幸せにならなければと、今も十分に幸せであるが心に留める灯花だった。


「そういえば……」


 灯花は亜樹の伸びた髪をかきあげて、首元に見えていた呪印を確認した。


「えっ、何?くすぐったい」


 髪に触れられて嬉しそうな亜樹に、灯花は真剣な顔をした。


「亜樹が言ってた鬼の印、消えてるみたいだよ」

「本当?それなら、もう追いかけられなくて済むのかな。霊境封じてるし、そう出てくることも無いと思うけど」

「亜樹が櫻花神社の巫女じゃ無くなったからなのかな、それとも名前が変わったから?」


 灯花が髪を掴んだまま不思議そうにしていると、亜樹がくすぐったそうに身をよじった。

 

「灯花。そろそろ離して、くすぐったい」

「あっ、ごめん。でも、亜樹は櫻花の呪いから開放されたんだね。良かった」


 悩みの種が一つ消えて、灯花は胸を撫で下ろす。


「櫻花神社の巫女を辞める時は、彼岸桜に泣かれたけどね。儂を捨てるのか裏切り者ーって」


 苦笑いする亜樹の腰には刀霊、彼岸桜の姿はもう無い。

 確かに彼岸桜には悲しまれたし、霧原灯花は亜樹を奪ったから嫌いじゃ。とは言われたものの最後は納得してくれたようだ。

 たまに顔を見せに行くねと亜樹は約束して、彼岸桜と別れたのだった。


「お互い、愛刀を手放しちゃったね」


 灯花が帯刀していた霧渡りも深山の霊境が封ぜられてからは、声が聞こえなくなった。

 現世と幽世との繋がりが完全に絶たれたお陰で、霧渡りが顕現けんげんする必要も無くなったのだろう。

 灯花はそう判断して、旅先で持ち歩くにもかさ張るという理由で、霧渡りを別の場所に預けたのだった。

  

「灯花。刀霊は見てないんだし、思う存分いちゃいゃしよう」

 

 亜樹が抱きつこうとすると、灯花はするりと身を躱した。


「亜樹、駄目だよ。ここは慰霊碑の前なんだから我慢して」

「う。そうだった……じゃあ、後で」

 

 暴走する亜樹に『相変わらずだね』と苦笑いしつつも、灯花は手を差し出した。

 亜樹も目を細め、灯花に応えて手を握り返す。

 二人の新しい門出は、天を照らす日あまてらすの様に光り輝いていた。

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深山にも花灯り べるえる @beleaile

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