第7章 蒼旗翻天 7


 南の鎌倉騎馬隊が、馬足を揃え一斉に前進を始めた。

「……まずいぜ、こりゃあ!」

 弓で応戦していた本吉兵達がたちまち蹄に蹴散らされていくのを見て、銛を携えた大男が慌てて身を起こす。

 それまで入り乱れた敵騎馬兵を伏兵にて各個に討ち取り戦果を挙げていた本吉衆はひとたまりもなかった。虱潰しのように討たれていく。

「徒兵は我らの後ろに回れ!」

 八郎達が馬を走らせ間に割って入った時には、既に本吉衆の大半が失われていた。

 

 一方で高衡達は義盛ら本陣からの弓手に足止めを受けていた。

 敵の射程から逃れようとすれば、それに合わせて距離を詰められる。

 やがて南から進撃する騎馬隊に背中を取られ、挟み討ちにされるだろう。


「とはいえ、粗方徒組が片付いてくると、残るは足の速そうな騎馬組が残るか。これが身軽になって北の逃げ道に入り込まれてしまうと、追いかけるのが面倒じゃ。義遠よ、『与一』と呼ばれるそなたの腕の見せ所ぞ」

 義村が後ろに控える弓手に声を掛けると、それまで無言で戦の成り行きを見ていた義遠が仏頂面で前に出た。

「敗軍をいたぶるのは好かん。たかが数騎、逃がしてやればよいものを」

 そう一人呟きつつ、弓を取る。

「……だが御命令とあらば、致し方なし」


 南側で戦っていた八郎が高衡の元に引き返してきた。

「本吉衆は、全滅致しました。……無念でござる。一人も助けられなかった」

 声を震わせながら、八郎が報告する。

 そこへ、資家兄弟も息を荒げ駆け付けた。

「こっちも限界じゃ。矢が尽きた。高衡殿、どうなさる?」

 高衡に悩む暇はなかった。

「敵が北に退路を残してくれたのはむしろ幸いじゃ。我ら騎馬だけなら何とか逃げ切れる。後は敵の矢を躱しながらひたすら越後を目指すのみじゃ」

「では矢が届かぬうちに急ぎましょう!」

 旗を片手にした平四郎が頷く。


 ぎり、と義遠が矢を番え、狙いを高衡の人中に絞る。弓を引きながら、静かに念じる。

(南無八幡……いくら邪剣の使い手だとて、この矢は躱せぬぞ!)

バヒュウウン、と余韻を引きながら、義遠の弓から必殺の矢が放たれた。



 はっとして、雪丸が顔を上げた。

 

 振り返る余裕はない。既に矢は放たれている。


 誰に向けて。決まっている。最早考えている余裕はない。


 手には弓。振り上げて払う余裕はない。


 叫ぶか。息などしている余裕はない。


 もう間に合わない。なんとかならないか。


 死の矢が迫る。


 主の横顔。


 愛おしい。死なせたくない!


 その横顔が、ふとこちらを振り向く。


 驚きに目を見開く。


 信じられないものを見るように。


 大きく口を開き、何かを言おうとしている。


 ああ。


 良かった。


 助けられた――――


「雪丸っ !」


 主を庇い胸に矢を受けた雪丸が馬の上で跳ね返り、転げ落ちるところを高衡に抱き留められた。

「良かった……間に合った」

 安堵の涙を浮かべながら雪丸は微笑んだ。

「雪丸……雪丸……!」

 ぽろぽろと涙を流す高衡の頬に手を伸ばし、息も絶え絶えに口を開く。

「もう……雪丸では……ございませぬ」

 雪丸の手を握り返す高衡の顔を最後に焼き付け、雪丸は目を閉じた。

 握りしめた掌から、すう、と力が抜けていった。


 雪丸――元奥州藤原一門泉之館侍従、小雪は、長い旅を共にした主の腕の中で息を引き取った。



「……しまった! ああっ!!」

 その一部始終を見た義遠は弓を取り落とし激しく動揺した。

「俺の矢で、女人を殺めてしまった。八幡大菩薩様に申し訳が立たぬ!」

「なに、女だと!」

 義村が身を乗り出す。

「女がいたならもっと早く言わんか! 次は必ず生かして捕らえ儂の前に連れてまいれ! 蝦夷の娘の隠処に牙があるか否か、今度こそじっくりと確かめてくれる!」

 色情に鼻息を荒げる義村を汚いものを見るような目で見やりながら若武者が小さく「下衆め!」と呟いた。



「小雪よ、長い間世話になった。……今は埋葬してやることはできぬが、許せ」

 そう語りかけながら小雪の亡骸を馬から降ろし、地上に横たえる高衡の下へ、敵の弓手達が容赦なく矢を射かけてくる。まだ届く距離ではないが、徐々にその間合いは近づきつつあった。

「……おのれ、よくも。もう勘弁ならんぞ!」

 薙刀を構え直した資家が怒りに奮い立つ。

「人面獣心の悪党、和田義盛。彼奴の首を取らねば、俺は越後に帰れぬ!」

 資正もまた太刀を振るい、敵本陣の方へ切っ先を向けた。

「小雪殿は、高衡殿と共に我らを窮地から救ってくれた。本来は吉野山で死んだはずのこの命じゃ。今ここで貴公らに返さん! さらば!」

「鎌倉勢よ、我ら越後侍の迫力を思い知れっ!」

 そう口々に叫びながら、兄弟二人は飛び来る矢をものともせず敵陣へと斬り込んでいった。


「小雪。折角そなたとも生きて会えたというのに、短い再会じゃったのう」

 亡骸に静かに手を合わせた後、屹と顔を上げた八郎が高衡の前に畏まる。

「殿、某も城兄弟と同じ思いにござる。ここが死に場所と心得まする!」

 八郎の覚悟を見た高衡が頷いた。

「身共もいずれ行く。先に平泉の花と咲いて待っていてくれ」

 八郎は最後に豪快に笑った。

「いや、殿はまだ来てくださるな。平四郎よ、殿を、その旗をよろしく頼んだぞ!」

「はっ!」

「では、さらば!」

 手綱を片手に薙刀を一振りすると、八郎は単騎南側から迫る騎馬の大軍の中へ走り去っていった。

「――皆、身共を置いて先に逝く。……誰かの背中を見送るのは、もう終わりにしたいものじゃ」

 彼方へ去る八郎を見つめ、高衡が涙を浮かべながら呟いた。

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