第6章 建仁の義戦 6

「――ハア、――ハア、」


 息を荒げながら、資家、資正の兄弟が山林の中を掛け降りていく。

 二人とも満身創痍である。馬は忽ち矢衾にされ、瀕死のところを途中で乗り捨て、何度も枯れ枝に足を取られ転げそうになりながらも走り続けた。

 生き残ったのは、彼ら二人のみ。後の者は緒戦から幾らも経たぬうちに皆討ち取られ、または倒れたところを生け捕られた。

「三郎、まずいぞ。杉林を抜けてしまった。敵から丸見えじゃ!」

 いつの間にか葉を落とした冬枯れの木々の中を走っていることに気づき、苦しそうに呻く資家のすぐ背後まで、敵の蹄の音が迫りつつあった。


「馬鹿め、自分から裸木の方へ飛び込んでいくとは。まこと主君も郎党も救いようのない猪侍よ」

 少し離れた小高い所から見下ろし、嘲笑う二人の鎌倉武者の眺める先で、遂に兄弟達が袋小路に追い詰められているのが見えた。


「――これまでか」

 とうとう力尽き、倒れるように膝をつく二人の後ろに、敵の甲冑が鳴る音が近づいてくる。

「三郎よ……」

 覚悟を決めた資家が太刀を抜き放ち、傍らの弟に呼び掛ける。

 資正も涙を浮かべ、弓を構えながら頷いた。矢はあと二本しか残っていなかった。

「せめて一矢報いてから死にとうございまする」

 手に薙刀を構え、或いは矢を番えた幾十人もの鎌倉兵が二人ににじり寄ってくる。

 資家は立ち上がり、敵勢に向かって最後の名乗りを上げる前に、目を瞑って祈った。

(……叔母上、後は頼む。どうか我らの仇を討ってくれ――!)



 ばす、ばす、ばす。


 と、菜っ葉を包丁でざく切りにするような音と、続けて悲鳴、馬の嘶き、絶叫、驚愕の叫び。

 二人に迫っていた鎌倉兵達が一斉に振り向き、驚きに目を見開いた。

 


「は、何じゃあれはっ――!?」

 最後の殺戮の仕上げを高みの見物と決め込んでいた武者二人が度肝を抜かれ馬上で腰を浮かせた。


 成程、神速で人を真っ二つに斬り裂けば、あのような間の抜けた菜っ葉切りに聞こえるということか。

 残党二人を取り囲んでいた鎌倉勢の最後尾についていた騎馬二騎が、突如茂みから躍り出た一騎の武将に顔を向けた途端、馬ごと爆ぜた。驚いて声を上げようとしたもう一騎の武者が叫ぶ間もなく身体中から血を吹いて馬上から弾け飛んだ。

 異変に気付いた後ろの兵達が、目の当たりにした光景を飲み込む間もなく、あっという間に四肢をバラバラに散らし、それを見て悲鳴を上げた兵達が構える間もなく首を飛ばされた。

 単騎軍勢に突進する武者が到底人間業とは思えぬ勢いで太刀を振り捌く。すると刃の届かぬ先の兵までもが血を吹いて崩れ落ちる。まるで将棋の駒が倒れていく有様で鎌倉勢が瞬く間に血祭りに挙げられていく。


「化け物か……!?」

 顔色を失う武者の横で、年配の武者が「ひいいっ!」と悲鳴を上げた。

 その顔は恐怖に引きつっていた。


「――あれは、『血煙』じゃ……。『阿津賀志山の血煙判官』じゃ!」


「何のことじゃ?」

 若い武者が問うと、老武者がぶるぶると震えながら答えた。

「儂は奥州征伐に従軍しておった。大木戸の本陣を攻撃し、敗走する敵将国衡を追い詰めていた時じゃ。その先頭を進んでいた二百近い友軍が儂らの目の前で一瞬の間に全滅した。唖然と立ち尽くす我らの前に、たった一人の敵将が死屍累々の中で大振りの刃を光らせ、物凄い形相でこちらを睨みつけ「去ね!」とだけ叫んで血煙に霞んで消えた。ああ、あれはまさしく、九郎判官が鞍馬で習得したという外法の剣術に違いない! 義経は生きておったのじゃ! 儂らはみんな殺されてしまう! いやあ、嫌じゃあっ!」

「おい、落ち着かれよ!」

 取り乱す老将を宥めようと若い武者がその肩を掴んだ途端、「くエ」と呻いた老将の首が転げ落ちた。

「う、うわああああっ!」

 身体中に血飛沫を浴びた若い武将が悲鳴を上げた。

 慌てて逃げようと手綱を引く武者の背中に投剣が突き刺さり、がくりと背に崩れる主を乗せたまま、馬は金切声のような嘶きを残して走り去った。

 その後姿を、漆黒の忍装束を纏った雪丸が、剃刀のように鋭い眼差しで見送っていた。



 今まで自分らを取り囲み嬲り殺しにしようと刃を振り上げていた敵勢が、逆に次々と血を吹いて倒れていく。

 目の前で起こっている光景が信じられず、資家達は言葉を失い白日夢を目の当たりにするように見入っていた。

 やがて這い蹲り資家に助けを乞う最後の一人に刃を突き立て、顔を上げた謎の武者が二人を強い眼差しで睨みつける。

「早く落ち延びよ!」

 元は紫黒の仕立てであったろう甲冑は満遍なく返り血で染まり、鮮血を鬼の化粧のように顎先から滴らせる武者が彼方の山の方を指さし声を上げた。

「周辺の関や柵は既に和田の手の者に押さえられておる。街道宿場を避け、山間の道を辿って越後へと逃れよ!」

「そなたは……」

 はっとして資家が問うた。

「――高衡殿か⁉」

 その問いには答えず、血煙の武者は馬を返すと元来た灌木の方へ走り去っていった。

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